2020年12月25日
メガトレンド

世界のビジネスに変革を起こす『行動科学トランスフォーメーション(BX)』とは

執筆者 伊原 克将

EY ストラテジー・アンド・コンサルティング株式会社 ストラテジック インパクト マネージャー

行動科学トランスフォーメーション(BX)を切り口としたコンサルティングを手掛ける。趣味はアイスホッケー。

2020年12月25日

テクノロジーの進化によって行動データの取得が容易になりました。そのため、ビジネスにおける行動データの活用が進んでいます。

そういった中で、今、世界中の企業から着目されているのが、「ナッジ」理論をはじめとする行動科学的アプローチです。行動科学とは、主に心理学や行動経済学などの知見や方法論に基づいて、人の行動や現象を科学的な検証を踏まえて説明し、結論を導く学問です。今まさに、欧米の大手企業を中心として、行動科学の理論やモデルをビジネスの中に組み込むことで変革を起こす行動科学トランスフォーメーションが、さまざまな領域において進んでいます。

いま世界の企業や政府が注目している「ナッジ」とは何か

「ナッジ」理論を提唱した行動経済学者、米国シカゴ大学のリチャード・セイラー教授は「ナッジ」を「選択を禁じることも、経済的なインセンティブを大きく変えることもなく、人々の行動を予測可能な形で変える『選択アーキテクチャー』のあらゆる要素」と定義しています*

例えば新型コロナウイルスの感染が拡大した後、スーパーのレジなど多くの人が並ぶ場所の床に、間隔を空けて足跡マークのステッカーが貼られました。それにより、人々が足跡マークの上でつい立ち止まることで、自然とソーシャル・ディスタンスが保たれるようになりました。

さかのぼれば、オランダのスキポール空港で男性用の小便器の中央に小バエを描くことにより、大幅な清掃費削減に成功した例があります。このように「人の心のクセ」を利用して選択に影響を与える行動変容手法が「ナッジ」です。

この数年、「ナッジ」理論に代表される「行動科学」への注目度が急激に高まった理由とは

セイラー教授が2017年にノーベル経済学賞を受賞し、同教授の著書『実践行動経済学』が世界的なベストセラーになったことが大きなきっかけになりました。

別の理由としては、スマートフォンやスマートメーター(通信機能を持つ電力メーター)の普及などにより、行動データを集める技術が大きく発展したことが挙げられます。

こうした膨大な行動データと、行動科学が積み上げてきた「人の心のクセ」に関する多様な研究知見を組み合わせることで、何が人の行動変容のトリガーになっているかを知ることができるようになってきました。

どのような企業が「行動科学」をビジネスに適用しているのか

Uberなどの大手企業が、専門の「行動科学チーム」を社内に組成しています*。また、先進的な企業では、「CBO:Chief BehaviorOfficer(最高行動科学責任者)」という新たなポストを設けるケースも出てきています*

このように、欧米の大手企業では、行動科学を積極的にビジネスに適用し成果を出しています。他方で日本企業に視点をあてると、ビジネスにおいて本格的に行動科学を適用するレベルに至っている企業は、数少ない、または存在しません。

今後、日本企業が行動科学をビジネスに適用していくためには、何が課題といえるのか

日本企業のビジネスにおいて行動科学の適用が進んでいない大きな理由の1つは、アカデミアとビジネスの間に大きな溝があるためです。

具体的には、2つの溝(構造的な課題)があると考えています。1点目として、これまでに行動科学分野のアカデミアでは、膨大な研究知見を積み上げてきました。これらを理解するには高度な専門性を要します。さらに、先端的な知見であるほど英語で発表されるため読解難易度が高まります。一般的に「○○理論」として認知されているものなどを除き、学術論文だけに記載されている細かくも重要な情報を一般の方が理解するのは難しいでしょう。他方で、日本企業においては、積み上げられてきた先行研究を理解可能な人材が不足しており、そもそもアカデミアの研究知見をビジネスに応用しようという文化自体も醸成されていないという溝が存在します。

2点目として、行動科学の知見をビジネスに適用する場合、行動科学的な理論を個別のビジネスケースに合わせアレンジする専門性も求められます。例えば、ビジネスが抱える構造的課題を理解した上で、必要な学問分野の先行研究を見極め、有効な施策を立案するようなスキルです。このような、アカデミアとビジネスをブリッジするための専門的スキルを要した人材が不足していることが、2つ目の溝であると認識しています。

EYは、日本企業がこれら2つの溝を埋めることができるかが、今後の課題だと考えています。

アカデミアとビジネスの溝を埋めるために

今後は行動科学をビジネスに適用する際の日本企業の構造的課題を打開することが必要です。BX、つまり、「行動科学トランスフォーメーション」とは、企業のビジネス、組織、商品・サービスに対して、行動科学の理論・モデルを組み込み競争優位性の高い変革を起こすという意味です。人々の行動データが石油のように重要な資源となる現代において、行動科学とビジネスの間に横たわる溝を埋めていくために、BXを推進していくことは必須の課題といえるのではないでしょうか。

*1 Richard H. Thaler & Cass R. Sunstein (2008) ノーベル経済学賞
Nudge:Improving Decisions About Health, Wealth and Happiness および日本語訳(実践行動経済学、日経BP、2009年)

*2 How Uber Leverages Applied Behavioral Science at Scale | Uber Engineering Blog
https://eng.uber.com/applied-behavioral-science-atscale/(2020年10月27日アクセス)

*3 Dan Ariely Joins the Lemonade Team | Lemonade Blog
https://www.lemonade.com/blog/oh-behave/(2020年10月27日アクセス)

※本記事の共同執筆者は、ストラテジック インパクト マネージャー伊原克将とシニアコンサルタント 伊藤言です。

サマリー

テクノロジーの進化によって行動データの取得が容易になったこと、そして、行動経済学の第一人者である米国シカゴ大学のリチャード・セイラー教授が2017年にノーベル経済学賞を受賞したことによって、行動科学が今世界中で注目を集めています。ビジネスへの行動科学の適用については、欧米を中心に進んでいるものの、日本企業においてはアカデミアとビジネスに大きな溝が存在するため十分に進んでおらず、今後は必須の課題といえるでしょう。

この記事について

執筆者 伊原 克将

EY ストラテジー・アンド・コンサルティング株式会社 ストラテジック インパクト マネージャー

行動科学トランスフォーメーション(BX)を切り口としたコンサルティングを手掛ける。趣味はアイスホッケー。