20 分 2021年1月11日
Firepower doctors looking at X-rays

パンデミックによってライフサイエンス業界のM&Aはどのように変わったか

執筆者
Peter Behner

EY Global Health Sciences and Wellness Strategy and Transactions Leader

Transformation leader in the development of new strategic direction for life sciences companies. Family focused. Loves fast cars, good wines and history books.

Pamela Spence

EY Global Health Sciences and Wellness Industry Leader and Life Sciences Industry Leader

Ambassador for outcomes-based performance and healthy aging. Advocate for women.

EY Japanの窓口

EYストラテジー・アンド・コンサルティング株式会社 ストラテジー・アンド・トランザクション バリュエーション、モデリング & エコノミクス パートナー

スポーツ観戦と温泉をこよなく愛するM&Aアドバイザー

20 分 2021年1月11日

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が想定外の障害となり、ライフサイエンス業界における2020年のM&Aの年間取引総額は、リーマンショック後のニューノーマルである2,000億米ドルには届きませんでした。

要点
  • 対象企業のバリュエーションが割高となり、ディール締結のリスクが上昇したことを受け、バイオ医薬品業界では開発後期段階にある、優先度の高い疾患領域の資産が人気を集めた。
  • 2020年は医療機器業界の取引件数は減少したものの、その規模は拡大した。低金利の中、多くの企業がレバレッジを高めており、2021年にはディールが活発化する兆しを見せている。
Local Perspective IconEY Japanの視点

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界的流行は、日本の医療システムにも非常に大きな影響を与えました。感染防止の観点からこれまで検討が進まなかったオンライン診療が時限的措置とはいえ解禁され、引き続き恒久化が議論されるなどヘルスエコシステムは進化しつつあります。

この先、ワクチンや治療薬の普及により感染拡大が収束しても、この流れがもはや後戻りすることはなく、今後ライフサイエンス企業は遠隔医療を前提として自らのビジネスモデルを変革していく必要があります。

既に一部のライフサイエンス企業に、それを見据えた重点領域への特化やデジタルケイパビリティ確保に向けた動きが見られるようになりました。日本のバイオ医薬品企業や医療機器企業は遠隔医療を前提としたヘルスケアエコシステムにおいて、患者やステークホルダーのニーズを満たす医薬品・医療機器の開発に重点的に投資していくことが求められています。

 

EY Japanの窓口

大岡 考亨
EYストラテジー・アンド・コンサルティング株式会社 ストラテジー・アンド・トランザクション バリュエーション、モデリング & エコノミクス パートナー

新型コロナウイルス感染症が発⽣するかなり前、ライフサイエンス業界の経営幹部は2020年のM&Aが、4件ものメガディールの締結によりM&Aの年間取引総額が3,060億⽶ドルに上った2019年の再来になるとはほとんど予想していませんでした。多くのバイオ医薬品企業が2019年に買収した企業の統合に忙しく、バリュエーションが⾼く資⾦調達しやすい環境にあって売り⼿市場となる中、M&Aは落ち着きを⾒せる可能性が⾼いと思われていました。ところが、3⽉に⼊り新型コロナウイルス感染症が拡⼤し、世界経済が冬眠状態に陥ると、ライフサイエンス業界のM&A取引は氷河期に突⼊しました。

第3・4四半期に⼊り、欧⽶の経済が冬眠から覚めたことで、ライフサイエンス業界のM&Aも活気を帯びてきましたが、過去最⾼を更新することは遠い夢となり、結局、2020年のM&Aの取引総額は2017年、2018年と同じ⽔準の1,590億⽶ドルにとどまりました。そうした中、12⽉のアストラゼネカ(AstraZeneca)によるアレクシオン・ファーマシューティカルズ(Alexion Pharmaceuticals)の買収が、単独のメガディールで、ライフサイエンス業界の年間M&A取引額の4分の1に相当する⾦額となりました。

M&A

US$159 billion

Potential deal value of life sciences acquisitions in 2020.

デューデリジェンスとディールの締結をバーチャルで⾏うという難題はさておき、バイオ医薬品業界と医療機器業界が狙いを定める企業のバリュエーションは⾼⽌まりしており、買収を検討する企業の多くが⼆の⾜を踏んでいました。2020年にバイオ医薬品企業の余剰資⾦を⽰すトレンドがあるとすれば、特別買収⽬的会社(SPAC)の隆盛です。SPACが調達した資⾦の総額は(公表された調達計画の⾦額を含め)30億⽶ドルを超えていました。この⾦額は、2020年にバイオ医薬品企業が新規株式公開で調達した資⾦96億⽶ドルのおよそ3分の1に相当します。

資本の流動性が⾼いということは、上場・⾮上場を問わず、バイオ医薬品企業のバリュエーションがほぼ1年を通して上昇傾向にあったことを意味します。結局のところ、このバリュエーションの⾼さが多くの買い⼿企業にとって障害となりました。ブリストル マイヤーズ スクイブ(Bristol Myers Squibb)のElizabeth Mily⽒(Executive Vice President of Strategy & Business Development)はこう述べています。「当社のような買い⼿企業にとって、資産を評価し、株主にも価値をもたらすことができる価格を実現するのはとても難しいことです」

  • 業界の視点︓説得⼒のある論拠を裏付けることの重要性

    Elizabeth Mily⽒
    Executive Vice President of Strategy & Business Development - Bristol Myers Squibb

    新型コロナウイルス感染症の発⽣を受け、バイオ医薬品企業のM&A担当者は、今までにないほどやりがいを覚え、意欲を湧き⽴たせています。個⼈的には、新型コロナウイルス感染症の治療薬とワクチンの候補が迅速に開発されたことに触発されています。この開発は、バイオ医薬品業界のイノベーションの潜在⼒を活⽤した異例の協業によって実現しました。同時に、パンデミックに対処するメディカルソリューションへのニーズの⾼まりから、投資対象の分野を限定しない投資家たちの間でバイオ医薬品業界を⽀持する動きが強まり、バリュエーションはかつてない⾼⽔準に上昇しました。

    バイオベンチャー企業の経営幹部と取締役は⼤幅にプレミアムが乗せられることを期待しますが、こうした期待とバリュエーションの上昇が相まって、合意できる価格への筋道を困難なものにしています。当社のような買い⼿企業にとって、資産を評価し、株主にも価値を提供することができる価格を実現するのはとても難しいことです。⼤型買収を実施したものの、買収完了後すぐに資産が減損していることが分かり、のれんを償却しなければならないという状況に陥ることなど誰も望みません。結果的に、取引当事者が資産価値について合意を得ることは⾮常に困難となり、それがバイオ医薬品業界のM&Aで、このところ⼊札者が著しく少なくなった理由です。

    2020年はSPACの勢いが⽬⽴ちましたが、これは状況を悪化させたにすぎません。SPACは商業活動を⾏わず、新規株式公開(IPO)で資⾦を調達するためだけに設⽴されます。その⽬的は、既存企業の買収です。同じ買い⼿であっても、SPACと、ブリストル マイヤーズ スクイブのように戦略的な⽴場から買収を⾏う企業とでは、その姿勢もバリュエーションを⾏う上での制約もまったく異なります。SPACはバイオ医薬品企業に他のエグジットオプションを⽤意するだけでなく、⼀般的に、戦略的な⽴場に⽴つ買い⼿企業が提⽰できる、あるいは提⽰しようとするよりも⾼い買収価格を設定できます。こうした投資家と、バイオテクノロジーを専⾨とする企業とでは、そもそも⼟俵が違うのです。

    その⼀⽅で、⼤⼿バイオ医薬品企業にとって、社内の研究開発だけでは対応できないイノベーションは依然として必要不可⽋です。社外からイノベーションを取り⼊れることは重要なので、現在のような状況でも、今後もトランザクションは⾏われるでしょう。

    社内の優れたケイパビリティを補完するために、パイプラインとポートフォリオの充実につながる最⾼⽔準の科学的知識を外部から取り込むことは、当社の戦略において不可⽋な要素です。ディールにあたっては、他とは⼤きく⼀線を画した考えをまとめておく必要があります。私はこれを説得⼒のある論拠と呼んでいます。つまり、現在資産の開発を⾏っている企業について、なぜ当社の⼿元にあった⽅がその資産価値が増すのかという考えです。この論拠に強い説得⼒を持たせるためには、科学とビジネス両⽅の観点から、⻑期にわたって機会の評価をしなければなりません。インフォメーション・メモランダムを読んだり、データルームの資料を評価したり、経営陣によるプレゼンテーションに参加したりするだけで、このような強い説得⼒を⽣むことは困難です。トランザクションの話が持ち上がる相当前から対象企業と関係を築いていたという事例もあります。

    ⾔い換えれば、このような説得⼒のある論拠の裏付けは、⼀夜にしてできるものではありません。評価には⾮常に時間がかかります。関係を構築することも、科学的ビジョンの共有に⾄ることも、共に不可⽋です。買収を⾏おうとしている企業がこうした下準備を事前に済ませていない場合、別のバイオ医薬品企業が⼊札に参加することになった際にカウンターオファーを出すことは難しくなります。説得⼒のある論拠の裏付けは⼀朝⼀⼣にはいかないのです。

    マイオカーディアとのトランザクションから得た洞察

    当社とマイオカーディア(MyoKardia)のディールは、既に関係が築かれている場合に、説得⼒のある論拠の裏付けがいかに容易であるかを⽰す好例です。マイオカーディアは、⾼精度な⼼⾎管系治療の黎明期を⽀えたイノベーターの1社で、⼼筋症のパイプラインが充実しています。⼤いに期待される開発後期製品の治療薬mavacamtenのほか、開発中期パイプラインも有望であり、その基本的ケイパビリティは、⼼⾎管系領域で優れた実績を持つブリストル マイヤーズ スクイブの専⾨分野・ケイパビリティと合致しています。

    さまざまな要素が重なり、話はパートナーシップからより⼤きな変⾰をもたらす形態へと移っていきました。mavacamtenの後期治験のデータが発表されると、当社の買収に向けた取り組みの妥当性を裏付ける強⼒なバリュープロポジションがあることが明らかになりました。また、⼼⾎管疾患患者の重要なアンメット・メディカル・ニーズに応えることを⽬的とした両社のビジョンに関して、当社とマイオカーディアの科学チームに共通点が多かったことも幸いしました。

    2021年になり、今年は既に築いた関係をさらに深めながら、当社が⼿掛ける全疾患領域におけるイノベーターと新たな関係を構築することが、当社にとって最⼤の優先課題の1つになります。今後も現在のバーチャル環境で個⼈間のつながりを築いていく必要がありますが、それが⼤きな問題ではないことは、当社が2020年に⾏った多くのディールからも明らかです。時間をかけてコミュニケーションしていかなければ、当社について、また当社が何を提⽰できるかを相⼿に正しく伝えることはできません。ブリストル マイヤーズ スクイブのDNAには、独創的で柔軟な買収提案が組み込まれています。

    今年のJ.P.モルガン・ヘルスケア・カンファレンスは従来とは⼤きく異なるものになると思われますが、当社の⽬的はこれまでと変わりません。今後も患者が重篤な疾患に打ち勝つサポートをするため、確かな科学的知識を持ち、真のイノベーションをもたらす企業と関係を築いていきます。パートナーシップを組む相⼿を決める判断基準は、科学的・戦略的な適合性がどの程度強固なものかどうかです。これが価値創造のポテンシャルを⾒極める上で役⽴ちます。当社が最終的に⽬指すのは、⾰新的なバイオ医薬品業界のエコシステムで中⼼的な役割を担い、真のイノベーションをもたらす企業のパートナーに選ばれる存在となることです。今後のディールに備えて説得⼒のある論拠の裏付けを進めていきますが、優れた科学的知識を⾒いだし、より良い価値観の構築を主眼とした意⾒交換ができることを楽しみにしています。

⼤型買収を実施したものの、資産が減損していることが分かり、のれんを償却しなければならないという状況に陥ることなど、誰も望みません
Elizabeth Mily⽒
Executive Vice President of Strategy & Business Development - Bristol Myers Squibb

しかし、有⼒なライフサイエンス企業が⼀⻫にディールを避けていたというわけではありません。このように環境が悪化する中、買い⼿のバイオ医薬品企業の多くは、優先度の⾼い疾患領域を対象とした提携や中⼩規模のボルトオン買収に再び⼒を⼊れるようになりました。⼀⽅、医療機器業界が重視したのは、進化する医療システムのニーズに狙いを定めた事業領域、つまり診断・個別化医療のケイパビリティです。

2021年1⽉になっても、ディールを推進する主な要因の多くは2020年と変わっていません。そのため、2021年は少なくとも取引総額の⾯で、ディールが活発化する⾒通しです。経営幹部にとっても、取締役にとっても、キャッチフレーズは集中による成⻑であることに変わりありません。また、2020年は市場のボラティリティにもかかわらず、ライフサイエンス企業のファイヤーパワーが最終的に過去最⾼⽔準に達しています。ファイヤーパワーとは、EYが企業のM&A実⾏⼒を貸借対照表の健全性から測定する指標です。

Life sciences Firepower rebounds graph

新型コロナウイルス感染症のワクチン接種数が世界全体でさらに増えれば、ディール環境はさらに活気を帯びてくる可能性があります。ただし、それに伴ってメガディールの年間取引総額が⼤幅に増加するかどうかはまだ不透明です。2021年第2四半期、あるいは第3四半期までは新型コロナウイルス感染症拡⼤前の⽔準に戻らない可能性が⾼い中、これまで取引相⼿との関係を構築できていない買い⼿は、対象企業の資産を把握する際に苦戦するかもしれません。買い⼿が今あるツールを利⽤して、こうした信頼関係をバーチャルでどの程度スピーディーに築くことができるかは未知数です。

そのため、2021年も2020年と同じようなディール環境が続くというのが、最も可能性の⾼いシナリオです。バイオ医薬品業界では、財務リスクを軽減できる中⼩規模のボルトオン買収やパートナーシップが引き続き重視されるでしょう。このようなディールは、中核的な疾患領域でさらに重点的に注⼒することを⽬的としており、事業運営をより複雑化するものではありません。

⼀⽅、医療機器業界は2020年、⼿術の中⽌や延期によってバイオ医薬品業界より⼤きく収益が悪化しました。短期的に収益を得ることが今まで以上に喫緊の課題となる中、医療機器企業は⼀段と積極的に買収に資⾦を投じる可能性があります。最近、医療機器業界では積極的に借り⼊れを⾏う傾向が⾒られますが、これは2021年の今後の動向をいち早く⽰すシグナルとなるかもしれません。

  • 重要な定義

    ファイヤーパワー︓現⾦および現⾦同等物、負債、時価総額を含めた貸借対照表の健全性から算出する、トランザクションを実⾏するための企業の資⾦調達⼒を測る指標
    ファイヤーパワー利⽤率︓利⽤可能なファイヤーパワーに対する、M&Aに費やされた資⾦の⽐率
    グロースギャップ︓市場全体の拡⼤に⽐べた場合の、その企業の売り上げ増加額の格差
    メガディール︓バリュエーションがバイオ医薬品企業で400億⽶ドル以上、医療機器企業で100億⽶ドル以上のM&A
    ボルトオン買収︓買い⼿の時価総額の25%未満に相当する中⼩規模の買収

バイオ医薬品業界のM&A︓取引件数は増加、⾦額は減少
(Chapter breaker)
1

第1章

バイオ医薬品業界のM&A︓取引件数は増加、⾦額は減少

対象企業のバリュエーションが割⾼となり、ディール締結のリスクが上昇したことを受け、バイオ医薬品業界では開発後期段階にある、優先度の⾼い疾患領域の資産が⼈気を集めました。

2020年、バイオ医薬品業界はレジリエンスを発揮して、パンデミックを収束へと導く治療法とワクチンの開発に速やかにかじを切り、新型コロナウイルス感染症拡⼤の荒波を乗り切りました。「何かを達成したいと本気で思えば、これまでにないほど迅速に対応できることを業界全体が実感しています。⼈類と社会が直⾯する脅威への認識、そしてバイオ医薬品業界(中略)が今後⼤きな課題に対応する必要があるとの認識が⾼まってきました」とメルク(Merck)のCEO、Stefan Oschmann⽒は語っています。

  • 業界の視点︓激動の時代を⽣き抜く、レジリエンスの⾼い⾰新的な企業

    Stefan Oschmann⽒
    CEO - Merck

    ドイツ・ダルムシュタットに本社を置くメルクは、医薬品、ライフサイエンス製品、研究設備に加え、半導体業界向けの特殊材料などのパフォーマンスマテリアルの特定、開発、製造、商品化を⼿がけるサイエンスとテクノロジーの多⾓的企業です。また、グループ内外の企業と⼿を組み、イノベーションプロジェクトも進めています。その⼀環として、パートナーであるパランティア・テクノロジーズ(Palantir Technologies Inc.)と共同で取り組んでいるのが、がんの研究を⽬的としたデータプラットフォームの構築です。

    バイオ医薬品事業の研究開発業務では、免疫、がん、がん免疫という3つの疾患領域に⼒を⼊れています。当社よりもはるかに規模の⼤きい企業と研究開発分野で競い合うだけでなく、財務⾯でも研究開発の⽣産性の⾯でも上々の結果を残すことができるのは、私たちがこれらの疾患領域に⼒点を置いているからです。ここ数年⼤⼿のパートナーと戦略的提携を結んできましたが、それによりリスクとコストを共有しながら、研究開発の成果と財務収益の向上を実現できました。

    パイプラインの社内開発についてはとても満⾜していますが、コーポレートベンチャリング、インライセンシング、M&Aで外部の⼒を取り込むこともまた、当社の戦略において極めて重要な柱です。医療分野では、バリュエーションマルチプルは、⼤⼿の製薬会社・バイオテック企業より⼩規模なバイオ医薬品企業の⽅が⾼いのが現状です。そのため当社は現在、次のような課題に直⾯しています。1つの化合物が第II相試験段階にあるバイオテック企業のバリュエーションは容易に50億〜100億⽶ドルに達しますが、リスクがあります。つまり、6カ⽉後、このバリュエーションは、ゼロから当初の⾦額の数倍まで、いかなる数字にもなり得るということです。これは、当社のような規模の企業にとって賭けであり、経営者や株主の納得を得られるものではありません。

    そのため、私たちは常に、⽐較的規模が⼩さく、開発初期段階にある企業とのM&Aに注⽬しています。こうしたM&Aでは、免疫、がん、がん免疫分野の治療に関する当社の専⾨知識が、当社が信頼できるパートナーであることを⽰してくれるはずです。10年前は、社内での研究開発は⽌めてインライセンシングした化合物を上市すべきだという考え⽅が主流でしたが、治療法の特定と臨床開発に関する優れた社内ケイパビリティなしに、果たして真に魅⼒的なパートナーとなり、パートナーシップの価値を⾃分たちで正しく評価することなどできるでしょうか︖

    激動の時代におけるレジリエンス

    創薬はこのようにとりわけハイリスク・ハイリターンであるため、当社のレジリエンス強化にはメルク家の基本理念が⾮常に役⽴っています。メルク家は352年にわたり当社の株式の過半数を保有しており、多様な種類の事業を同じ傘下に置くことを望んでいます。その背景には、事業の多⾓化によってリスクを軽減しながら、極めて⾰新的かつ利益率の⾼い事業で会社を運営するという考えがあります。これは、新型コロナウイルス感染症が発⽣し、これまでにないほどの混乱が⽣じる随分前から変わりません。しかし、危機に直⾯した今、当社のビジネスモデルがいかに強固であるかがよく分かります。2020年第1四半期から第3四半期までの3四半期間、当社の医薬品の⼀部が⼀時的に受けたパンデミックの影響は他社と⽐べて⼤きかったのですが、その⼀⽅で、がんパイプラインと治験が被った影響はわずかでした。また、医薬品事業は⼀時的に低迷しましたが、ライフサイエンス事業の成⻑で、ある程度これを補うことができました。ライフサイエンス事業は30万品⽬を超える製品を扱っており、激動の時代にあっても安定したキャッシュフローと収益を⽣み出せる実⼒を⽰しました。

    当社が展開する3つの事業はそれぞれ内容が⼤きく異なりますが、いずれもシナジーの恩恵を受けています。マテリアルズ事業とライフサイエンス事業は、研究の産業化に向けて何が必要なのかユニークな視点を与えてくれており、これは今後の価値創造に⾮常に役⽴ちます。⼀⽅、3事業のイノベーション管理⽅法の共通化が進んでおり、ニューロモーフィックコンピューティングや量⼦コンピューティングのような分野では、そのビジネスモデルは、例えば段階的開発やスタートアップとの協業などの⾯で、バイオテック企業のビジネスモデルにますます似てきています。ニューロモーフィックコンピューティングとDNAコンピューティングに⾄っては、⽣物学的な概念をベースとしています。このように多様な事業間で⼈材を異動させて魅⼒的なキャリア形成の機会を提供し、イノベーションを推進することができる点もまた、当社の事業構造が持つ強みの1つです。私たちは、各事業間でシナジーと結束⼒を⽣み、最先端のソリューションを創出することを⽬指しています。この⽬標の実現に体系的に取り組むため、専任の組織を置き、シリコンバレー、テルアビブ、上海、広州などにイノベーションハブとインキュベーターの社内ネットワークを構築しました。

    パーパスの重要性

    パンデミック下にある今、従業員とその家族の健康を守り、製品の製造、物流、研究開発のためのラボを中⼼に、事業を継続することが私たちの当⾯の優先課題です。

    同時に、私たちが⼒を⼊れてきたのは、診断⽤医薬品とワクチンの開発・製造のサポートから新たな治療法を⾒つけること、そして研究開発の場でも、また個⼈の⽣活の場でも、その治療法をデジタルで活⽤できるようになるまで、全ての事業で新型コロナウイルス感染症のパンデミックに対するソリューションの提供を積極的に推し進めることであり、それは今も変わりません。

    独⾃のワクチンの開発や製造は⾏っていませんが、当社は免疫学と腫瘍学の総合的な専⾨知識を⽣かして、新たな治療法を⾒つける取り組みを進めています。この2つの研究分野には明らかに重なる部分もあり、それがプラスになっています。現在は、免疫に関わる化合物の第II相試験なども実施しているところです。この化合物は、新型コロナウイルス感染症患者の死亡原因になることの多い免疫系の過剰反応「サイトカインストーム」を軽減することが期待されています。また、ビル&メリンダ・ゲイツ財団、WHO(世界保健機関)、IMI(⾰新的医薬品イニシアチブ)など重要なパートナーと連携して、新たな治療法を探す⽀援にも取り組んでいます。

    当社が⾼いレジリエンスを発揮できる理由の1つに、パーパスを重視する姿勢もあります。何かを達成したいと本気で思えば、これまでにないほど迅速に対応できることを業界全体が今、実感しています。⼈類と社会が直⾯する脅威への認識、そしてバイオ医薬品業界のみならず、科学・技術⾰新全般が今後、⼤きな課題に対応する必要があるという認識が⾼まってきました。新型コロナウイルス感染症との闘いなどで社会に⼤きな貢献ができるときこそ、パーパスが⼈々の強いモチベーションになるのです。

    このことを、私は当社で⽇々⽬の当たりにしています。特に世界各地で研究開発に携わる8,000⼈近くのスタッフにとって当社が素晴らしい職場であること。これは私たち、そして私個⼈にとってとても重要なことです。

私たちが⼒を⼊れてきたのは、全ての事業で新型コロナウイルス感染症のパンデミックに対するソリューションの提供を積極的に推し進めることであり、それは今も変わりません
Stefan Oschmann⽒
CEO - Merck

このように⾼いレジリエンスを維持したこともあり、バイオ医薬品業界の業績は全体的に予想を上回ることができました。パンデミックが始まったばかりの頃、ウォールストリートではアナリストの多くが、⼤規模なリモートワークへの移⾏により研究に⽀障を来し、その結果臨床開発のスケジュールに影響を及ぼすと警鐘を鳴らしました。どうしても必要な場合を除いて患者が受診を延期する中、新たに発売された治療薬をはじめとする医薬品は収益が⼤幅に減少するとの懸念もありました。

ところが、特定の治験で遅延が⽣じ、⼀部の医療⽤医薬品は苦戦しているものの、データを⾒る限りでは、業界は当初予想されていたよりもはるかにうまくパンデミックを乗り越えてきています。強固なサプライチェーンを築き、ワクチンをはじめとする新型コロナウイルス感染症関連の製品へ速やかにかじを切ったことが奏功し、ファイザー(Pfizer)やアストラゼネカなどの⼤⼿製薬会社が受けた影響は短期的な売り上げ減少にとどまっています。その結果、各企業の売り上げ増加と、業界全体の売り上げ拡⼤の格差と定義されるグロースギャップは2020年、600億⽶ドルから350億⽶ドル弱に縮⼩しました。

こうした業界のグロースギャップの縮⼩によって、特定の買い⼿側バイオ医薬品企業にかかっていたM&A圧⼒は弱まり、短期間での成⻑を⽬指すのではなく、将来的なケイパビリティの構築に向けたパートナーシップへと⼒点がシフトしました。バイオ医薬品業界の2020年のM&A件数は2019年とさほど変わらなかったものの、取引額は前年⽐で51%減少しています。そんな中、英アストラゼネカはアレクシオン・ファーマシューティカルズの買収により、希少疾患分野において強⼒な⾜場を固めることができました。これは、ギリアド・サイエンシズ(Gilead Sciences)によるイミュノメディクス(Immunomedics)の買収と合わせて、2020年の2⼤M&Aであり、バイオ医薬品業界の年間取引総額の50%を占めています。

Firepower biopharma M&A 2020

バリュエーションの⾼騰と証券市場の堅調さも取引総額の減少を招いた⼀因です。対象企業はほぼ1年間、かなりの流動性にアクセスすることができ、強い⽴場でディール条件の交渉に臨んでいました。事実、2020年は、上場しているバイオ医薬品企業の公表前⽇の株価に対するプレミアムは平均で74%に上っています。

このようにプレミアムが⾼いことで、株主に利益を還元することが⼀層難しくなり、買い⼿は慎重になっています。資産の取得に多額の資⾦を投⼊しているため、買い⼿がそのコストを回収し、増収を図ろうとすると、臨床的にも、商業的にも失敗はできません。さらに⾔えば、このような懸念が⽣まれるのは、その資産が価値のあるものであることに合意できる場合のみです。バリュエーションギャップ(同じ資産に付けたバリュエーションの買い⼿と売り⼿の間の差異)が開きすぎて、埋められないケースが多いのが現状です。

「バイオベンチャー企業の経営幹部と取締役は⼤幅にプレミアムが乗せられることを期待しますが、こうした期待とバリュエーションの上昇が相まって、合意できる価格への筋道を困難なものにしています」とブリストル マイヤーズ スクイブのMily⽒は述べています。結果的に、「資産価値について取引当事者が合意することは⾮常に難しく、それがバイオ医薬品業界のM&Aで、このところ⼊札者が著しく少なくなった理由です。こうした状況の中、価値の合意は⾮常に厳しくなっています」

One-day deal premium

74%

The average biopharma deal premium in 2020, which declined only 7% despite the market volatility.

買収プレミアムが⾼騰を続ける中、買い⼿が特定疾患領域のボルトオン買収に⼒を⼊れていたのは当然といえば当然のことです。ジョンソン・エンド・ジョンソン(Johnson & Johnson)によるモメンタ・ファーマシューティカルズ(Momenta Pharmaceuticals)の買収と、ブリストル マイヤーズ スクイブによるマイオカーディアの買収は、こうしたトレンドの⼀例です。このように的を絞ったM&Aが業界の「⼿法」であり続ける理由の1つに、それが業績に結び付くことがあります。「2019年版 EY M&A Firepowerレポート」に掲載されたデータを⾒ると、疾患領域に特化する姿勢と業績との関係がよく分かります。

最新データもやはりこれを裏付けています。バイオ医薬品企業上位25社の財務実績を5つの経営・財務指標から分析した結果、疾患領域に特化する10社の業績が、多⾓化の進んだ15社の業績を上回っていることが判明しました。後者の数字が前者を上回っている唯⼀の指標は、株主総利回りの平均でした。

Firepower therapy area focus graph

バイオ医薬品企業が集中による成⻑を成し遂げるための⼿段は、M&Aだけではありません。提携もまた、将来のイノベーションに⼿が届きやすくなるメカニズムです。2020年は、バイオ医薬品企業の提携活動が件数、⾦額ともに急増しました。11⽉30⽇までに成⽴したパートナーシップは261件で、前払いとマイルストーン⽀払いの⾦額が1,400億⽶ドル近くに達します。

こうした数字が⽰唆しているのは、提携かM&Aかを選択する際、現在の状況には提携の⽅が適していると考えるM&A担当者がバイオ医薬品業界には多かったということです。EYのインタビューの中で、ファイザーのグループプレジデント兼最⾼業務責任者(CBO)を務めるJohn Young⽒は次のように語りました。「主に、当社の中核的な疾患領域の開発初期から開発中期のパイプラインを探しています。価値創造の⼤きなポテンシャルを秘めているからです」

  • 業界の視点︓ライフサイエンス事業の開発

    John Young⽒
    Group President and Chief Business Officer - Pfizer

    事業開発に関して⾔えば、ファイザーは⼤型トランザクションに重点を置く企業として以前から知られてきました。ここ数年は、引き続き事業開発を積極的に推し進めながら、主に、当社の中核的な疾患領域の開発初期から開発中期の臨床資産を探り出しています。価値創造の⼤きなポテンシャルを秘めているからです。

    当社は科学分野に重点的に投資しています。社内の研究開発に直接資⾦を投⼊するだけでなく、アレイ・バイオファーマ(Array BioPharma)、Therachon Holdingなどのボルトオン買収や、新型コロナウイルス感染症ワクチン開発プログラムでのビオンテック(BioNTech)との契約など、共同開発を⾏ってきました。

    最近のトランザクション

    買い⼿が単に必要な資⾦を調達するだけでなく、研究開発を進める上で役⽴つケイパビリティや専⾨知識を持っていれば、真の価値が⽣まれると当社は考えています。パートナーシップ締結に関する話し合いを進める中で私たちが強調するのは、このようなケイパビリティと専⾨知識に、患者に効果をもたらす新たな医薬品の誕⽣につながる可能性がどの程度秘めていられているかです。

    当社は、中核的な疾患領域全体を対象として、戦略的に関⼼が⾼い分野に投資すると同時に、既存のケイパビリティを活⽤しています。今年1年間だけでも、ヴァルネヴァ(Valneva)のライム病ワクチン候補を共同開発・実⽤化する契約、経⼝抗菌薬に注⼒するArixa Pharmaceuticalsの買収、フェニルケトン尿症(PKU)患者の遺伝⼦治療を開発するHomology Medicinesへの持分投資など、いくつかのディールを締結することができました。PKUは、遺伝⼦変異を引き起こし、フェニルアラニンという必須アミノ酸の代謝に影響を及ぼす希少疾患です。治療をしなければ、フェニルアラニンが患者の体内に蓄積し、神経障害を来す恐れがあります。

    また、今年になって、Pfizer Breakthrough Growth Initiativeを⽴ち上げました。これは、さまざまな疾患領域において患者のために⾰新的な新治療薬の開発を⼿掛ける上場企業に対して⾮⽀配持分投資を⾏い、⽀援する取り組みです。

    パートナーシップの重視

    必要なのは、当社が注⽬する分野を⼿掛ける企業との関係構築に先⾏投資することです。そうすることで、新たな臨床マイルストーンを基盤とした中⼩企業との関係構築や既存の関係の拡⼤に向けて準備し、迅速に対応できます。

    ビオンテックへの投資と同社との関係の拡⼤は、⻑期的な連携がいかに両者に価値をもたらし得るかを⽰す好例です。そもそもの始まりは、2018年にインフルエンザに対するmRNAワクチンの共同開発契約をビオンテックと締結したことでした。これが、ビオンテックと関係を構築して「化学反応」を起こすきっかけとなりました。新型コロナウイルス感染症の拡⼤を受け、両社が共に尋常ではない事態だと認識し、この新たな世界的脅威に対処するために関係を拡⼤させて取り組むことは⾃然の流れでした。

    今後の⾒通し

    当社は常にさらなる向上を⽬指しており、⼤型買収ではなく、タックイン買収や戦略的パートナーシップによってパイプラインを補完することで、これを実現できると考えています。

    ⼀⽅、魅⼒的で規模の⼤きい買収機会があり、それにより価値を創造できるとみなせば、当社の財務状況の健全性をもって、その絶好の機会をつかむことができると確信しています。事業運営を左右する要因は時と共に変化する可能性があるため、私たちは断⾔を避け、「絶対にないとは⾔い切れません」という表現を使います。しかし現時点では、当社のパイプラインを充実させる機会はユニークなものであると考えており、特に重点を置いているのは、社内パイプラインの強みを、外部臨床開発中の魅力ある候補物質で補完することです。今のパイプラインはこの10年間で最も強⼒なものの1つであり、今後成⻑を遂げる体制は⼗分に整ったと確信しています。今後5年間の当社の⾒通しは明るく、収益と調整後1株当たり利益(EPS)の成⻑率は業界最⾼⽔準に達するものと予想されます。収益の5年間の年平均成⻑率(CAGR)はリスク調整ベースで6%以上になるとみています。また、同じく5年間の調整後EPS成⻑率は約10%の⾒通しです。もちろん、当社は常にさらなる向上を⽬指しているため、今後も事業開発に積極的に取り組んでいきたいと考えています。

    当社は今後も世界のベストサイエンスを探し求め、特定して、「患者の⽣活を変えるブレークスルーを⽣み出す」というパーパスを実現します。

     

ビオンテックへの投資と同社との関係拡⼤は、⻑期的な連携がいかに両者に価値をもたらし得るかを⽰す好例です
John Young⽒
Group President and Chief Business Officer - Pfizer

ファイザーはmRNAワクチンを開発したビオンテックと2018年に結んだ関係を拡⼤させましたが、この動きは、2020年になって⼤⼿バイオ医薬品企業の間でいかに全⾯買収より連携・協業が好まれたかを⽰す1例と⾔えます。メルク(Merck & Co. Inc.)と抗体薬物複合体を開発するシアトル・ジェネティクス(Seagen)の提携、バイオジェン(Biogen)と中枢神経系疾患の治療に⼒を⼊れるセージ・セラピューティクス(Sage Therapeutics)の提携も同様です。これらの報酬はマイルストーン⽀払いを含めると、M&Aの取引額に相当する⾦額です。それでも、前払い⾦額はパートナーを全⾯買収するコストの数分の⼀でした。

Firepower the volume and value of biopharma alliances set records in 2020

2021年も、バイオ医薬品企業は引き続き決断⼒を持ってM&Aを⾏う必要があるでしょう。財務規律を守ることも必要です。そのため、買い⼿はおそらく、マイルストーン⽀払いと株式での⽀払いを組み合わせたボルトオン買収や提携に重点を置き、⾦銭的リスクを軽減する買収構造を好む傾向を強めるはずです。メガディールについては、必要な短期的収益を⽣む⽅法が他にない限り、⼤規模な統合と業務上の諸課題を伴うことから、今後も選択肢としての魅⼒が⾼まることはないでしょう。

最⼤の不確定要素︓予想以上に治験の遅延が増えたり、売り上げが鈍化したりすると、実際のグロースギャップの拡⼤率が現在の予測を上回る可能性があります。このようにグロースギャップの拡⼤が加速した場合、短期的に収益を増やすことができる買収を⾏う緊急性が増すはずです。これまでの例からみて、こうした買収はプレミアムが⾼くなります。

2020年のバイオ医薬品企業のファイヤーパワー利⽤率は、2019年の20%を下回る12%にとどまりました。しかし、先に述べたような買収を⾏うためには、これを⼤幅に上回るファイヤーパワーの利⽤が必要となるでしょう。また、これまでの資本配分の⽅法から脱却することも求められます。膨⼤な⾦額に上った2019年のM&A⽀出を計算に⼊れても、バイオ医薬品企業の収益上位25社が2015〜2019年の5年間に株主に還元した⾦額は、その間M&Aに費やした資⾦を2,000億⽶ドル近く上回っています。今後、バイオ医薬品企業が追加投資を検討する可能性があるのは、遠隔医療の⼤規模な展開に必要なデジタルスキルとデータセントリック技術です。

 

医療機器業界のM&A︓取引件数は減少、取引⾦額は増加
(Chapter breaker)
2

第2章

医療機器業界のM&A︓取引件数は減少、取引⾦額は増加

2020年の医療機器業界の取引件数は減ったものの、その規模は拡⼤しました。多くの企業がレバレッジを⾼めており、2021年にはディールが活発化する兆しを⾒せています。

2019年は、医療機器業界で企業買収を⾏うより、株主に資⾦を還元する傾向が⾒られ、M&Aで保守的な姿勢が⽬⽴ちました。新型コロナウイルス感染症の拡⼤により、関係構築からディールの実⾏と成⽴に⾄るまでM&A取引のあらゆる側⾯に⽀障を来す中、2020年上半期も2019年同様にM&Aが少ない状況が続きました。

Firepower medtech capital allocation

しかし、業界として2020年上半期を振り返ったときには、おそらく嵐の前の静けさだったと思うことでしょう。実際、2020年下半期には取引件数の増加が発表されました。仮にこの傾向が続くのであれば、2021年は最終的に医療機器業界全体のM&Aが持つ優位性が存分に発揮される年になるかもしれません。ライフサイエンス分野で2020年に⾏われた最も規模の⼤きな2件のディールが、その可能性を予感させます。1件は、8⽉のシーメンスヘルシニアーズ(Siemens Healthineers)によるバリアン メディカル システムズ(Varian Medical Systems)の買収です。164億⽶ドルのメガディールでした。9⽉後半には、イルミナ(Illumina)が80億⽶ドルでグレイル(GRAIL)の株式の100%を取得すると発表しました。グレイルは元々2017年にイルミナからスピンアウトした、リキッドバイオプシー分野をリードする企業です。

Firepower medtechs do fewer higher value deals in 2020 as M&A

医療機器業界のファンダメンタルズも、M&Aが中⼼に躍り出る絶好のタイミングであることを⽰唆しています。2020年は、医療機器業界のディールのファイヤーパワーが41%拡⼤し、過去最⾼を記録しました。業界の売り上げ上位企業はこの1年間、堅調な証券市場の恩恵を受けて、主に負債や公募増資により、多額の資⾦を調達しています。その⼀⽅で、医療機器企業全体の1年間のファイヤーパワー利⽤率は2020年11⽉30⽇時点でわずか7%でした。結果として、⼤⼿医療機器企業には潤沢な資本の蓄えがあり、2021年には、その気があればこの資⾦を企業買収に充てることができます。

Firepower 2020 biopharma financing reaches new heights 2020

新型コロナウイルス感染症とそれに伴う不確実性がきっかけとなり、医療機器業界の買い⼿企業の間でこのような資⾦調達競争が起きたと考えられます。新型コロナウイルス感染症の拡⼤によって欧⽶で⼿術の延期や中⽌が相次ぎ、業界の成⻑に⼤きな悪影響が出ました。事実、医療機器企業上位35社のグロースギャップは90億⽶ドル拡⼤し、290億⽶ドルに達しています。2020年下半期になり待機⼿術などが再開され、⼿元資⾦を維持しなければならないというプレッシャーが和らぐ⼀⽅、資本準備⾦を早急に企業買収に使う必要性が⾼まったと企業は感じているように⾒受けられます。ただ、さまざまな国・地域で新型コロナウイルス感染症の新規感染者数が急増しており、こうした姿勢が今後変化する可能性もあります。

バイオ医薬品企業と同様、医療機器企業にとってもM&Aは⾃社のグロースギャップ解消に役⽴ちます。対象企業のバリュエーションは⾼⽌まりしていますが、中⼩医療機器企業が間もなく流動性の問題に直⾯する兆しが⾒られます。2020年上半期は、ベンチャーキャピタル投資とIPOが減少したことで起業して間もない医療機器企業が新たな課題に直⾯しました。下半期になってベンチャーキャピタル、IPO共に投資⽔準が回復したとはいえ、世界的な経済情勢が影響し、中⼩企業はあまり好ましくない条件でも買収を受け⼊れざるを得なくなるかもしれません。エグジットを急ぐこのような事態が現実のものとなれば、医療機器業界をリードする企業にとっては、買い⼿市場のときに⼿元資⾦があるという、人もうらやむ状況にいる可能性があります。

Medtech growth gap

US$29 billion

The medtech industry’s growth gap increased 45% in 2020 as procedures were delayed or canceled.

医療機器業界では、⼤きな市場ポテンシャルを秘めたイノベーションを⾒極めることが、かねてから買い⼿にとっての課題の1つでした。これは特に治療機器分野において顕著です。⼼臓⾎管・整形外科⽤製品の開発には数⼗年にわたる投資が必要であり、こうした製品の改良は難しく、新しいソリューションを⽣み出そうとすると返済というハードルが⽴ちはだかります。

その⼀⽅で、新たな機会が医療機器業界の別の分野で⽣まれつつあります。その1つが診断分野です。診断機器企業は2020年、最前線に⽴ってパンデミックと闘いながら従来の対⾯型で⾏われる医療とは異なる診断⽅法を可能にしました。医療分野で遠隔診断、遠隔トリアージ、遠隔医療の重要性が増しており、これは医療機器企業がこれらの製品分野に進出したり、これらの製品をポートフォリオに加えたりする強い動機となっています。このような遠隔医療への移⾏は、2020年の出来事が加速させた、医療分野のより幅広いシフトのほんの⼀部にすぎません。2021年は、医療機器企業もバイオ医薬品企業も対応を迫られることになるでしょう。

2021年に向けて
(Chapter breaker)
3

第3章

2021年に向けて

来年も的を絞ったビジネスモデルを構築する必要があるでしょう。

パンデミックによって複数の業界で成⻑が鈍化し、財務上、業務上の圧⼒が新たに⽣まれています。その結果、ライフサイエンス分野全体で2020年のM&A活動が低迷しました。⼀⽅、新型コロナウイルス感染症の影響で多くの買い⼿が活動を控えた反⾯、医療分野では幅広いトランスフォーメーションが加速しています。

何年も前から、デジタルテクノロジーとデータアナリティクスを活⽤すれば、より便利で優れた医療に⼿が届きやすくなると吹聴されてきました。世界的な公衆衛⽣危機は、不便で⼀貫性がなくアナログ的なものだった医療を、デジタルを活⽤した便利でシームレスな医療へ迅速に移⾏できることを図らずも実証する結果となりました。2020年上半期の迅速な遠隔医療の導⼊は、ヘルスエコシステムの進化のほんの⼀例にすぎません。

もう1つの例が、テラドック(Teladoc)によるリヴォンゴヘルス(Livongo Health)の買収です。リヴォンゴヘルスは疾病の個別化管理ツールを開発するスタートアップで、取引額は180億⽶ドルを超えています。このM&A案件は、2020年における最⼤規模のディールの1つであり、デジタルテクノロジーと伝統的な診断⽅法・機器の融合によって医療の在り⽅を永久に変えられることを⽴証しました。

Firepower notable digital M&As by deal value

だからこそ、従来型のバイオ医薬品企業や医療機器企業ではなく、ヘルスサービスを⼿掛ける企業が買い⼿であった点が注⽬を集めました。ライフサイエンス企業が将来の成⻑を⾒据えた準備を⼗分に整えるためには、データアナリティクス、ユーザー中⼼設計、製品の個別化を含めて、従来の製品中⼼型イノベーションを補完するテクノロジーに継続的に投資をする必要があります。

2021年になり、ライフサイエンス企業が事業戦略を⾒直していることから、テラドックによるリヴォンゴの買収を受けて、多くの企業がデジタルテクノロジー関連のM&Aを今まで以上に念入りに検討するようになることが予想されます。この分野では、バイオ医薬品企業の間で明らかに従来型イノベーションを好む傾向が⾒られた2020年の取引件数を、2021年では確実に上回ることになるでしょう。

Firepower digital deals make fraction biopharma total dealmaking activity

2020年の「レジリエンス」のように、2021年にたちまち合⾔葉となる最有⼒候補と⽬されているのは「フォーカス(集中・重点)」です。新型コロナウイルス感染症拡⼤による影響で最も⻑く続くものの1つとして、遠隔医療の⼤規模な展開を⽀えるビジネスケイパビリティの需要が考えられます。しかし、こうしたケイパビリティの構築に必要な投資をバイオ医薬品企業や医療機器企業が⾏うにあたり、戦略的に考えてどこに賭けるべきかをより慎重に検討することが不可⽋です。真に画期的なイノベーションの実現から、⼿の届きやすい慢性疾患の個別化管理まで、さまざまなビジネスモデルがありますが、他社よりも優れた業績を上げるには、それぞれまったく異なる疾患領域の製品を販売するわけにはいきません。卓越した業績を達成するために極めて重要な差別化を⽣むケイパビリティへの投資に必要な⼈的資本と⾦融資本を⼗分に確保することは、今後は難しくなるでしょう。

2021年は、このような優先順位付けがM&Aで重要な意味を持ちます。治療の幅を広げる製品やサービスに重点を置くことに加え、これらの資産を、⾃社が選んだコマーシャルモデルに沿ったものにすることを望む企業もあるかもしれません。その前に、事業戦略に沿わなくなった事業の売却やスピンアウトを早急に⾏う必要性が増す可能性もあります。EYの分析結果は、バイオ医薬品企業が先を⾒据えて事業を売却することで集中が可能になるだけでなく、業績を向上させることができることも⽰唆しています。

Firepower biopharma average roce

バイオ医薬品企業と医療機器企業が将来に向けたリポジショニングを図る中で、今後もM&Aが重要なツールであり続けることは間違いありません。新型コロナウイルス感染症に対する不安が徐々に解消されるにつれ、特に保険者や個々の患者など、多様で多くを要求するようになったエコシステムの顧客のニーズを満たすデータやケイパビリティに、企業は重点的に投資する必要があるでしょう。より便利でシームレスな医療を可能にするスキルへの投資を先送りしているバイオ医薬品企業や医療機器企業は、医療を最も重要な成⻑分野と位置付けるテクノロジー企業や消費財メーカーと競い合うことが難しくなるかもしれません。

  • M&Aの予測

    EYが予想する2021年の重要なテーマは以下の通りです。

    • ファイヤーパワーの余⼒に加え集中による成⻑が必要となることで、ライフサイエンス業界ではM&Aの機会が拡⼤し、引き続きディールが活発に⾏われる。
    • 割⾼なバリュエーションにより、バイオ医薬品企業は価値の⾼い提携やボルトオン買収をメガディールより重視するため、M&Aの取引総額が2,000億⽶ドルを超えることはないと⾒込まれる。
    • 医療機器企業は、グロースギャップを解消できる価値の⾼いディールに重点を置きながら、M&Aをこれまで以上に活発化させる。
    • ライフサイエンス企業は、将来の成⻑のための投資を⾏いながら現在の事業のニーズに対応しており、今後も優先順位の低い事業や資産の売却やスピンアウトを⾏う。潤沢な流動性があり、プライベートエクイティ企業が買収に積極的であることから、2021年も売却がM&Aで⼀定の役割を担うことは間違いない。

サマリー

新型コロナウイルス感染症のパンデミックとそれに伴う厳しい経済情勢でディール環境が悪化する中、バイオ医薬品業界は、特定の疾患領域を対象とした提携や中⼩規模のボルトオン買収に関⼼を寄せるようになりました。⼀⽅、医療機器業界では進化する医療システムのニーズに狙いを定めた領域である、診断・個別化医療のケイパビリティに注⽬が集まりました。こうしたトレンドを踏まえると、2021年は少なくとも取引総額の⾯でディールが活発化する可能性が⾼いでしょう。

この記事について

執筆者
Peter Behner

EY Global Health Sciences and Wellness Strategy and Transactions Leader

Transformation leader in the development of new strategic direction for life sciences companies. Family focused. Loves fast cars, good wines and history books.

Pamela Spence

EY Global Health Sciences and Wellness Industry Leader and Life Sciences Industry Leader

Ambassador for outcomes-based performance and healthy aging. Advocate for women.

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スポーツ観戦と温泉をこよなく愛するM&Aアドバイザー