2022年4月26日
EY Japan所属のパラアスリートが語る「デジタル活用」によるコミュニティー醸成の方法

EY Japan所属のパラアスリートが語る「デジタル活用」によるコミュニティー醸成の方法

執筆者 EY Japan

複合的サービスを提供するプロフェッショナル・サービス・ファーム

2022年4月26日

EY Japan所属のパラアスリート諸石光照選手(車いすテニス)が、2021年11月6日に開催されたUR都市機構主催のオンラインイベントに登壇。デジタルツール活用による新しいコミュニケーションの楽しみ方を、アスリートの目線から語りました。

要点
  • 東京・名古屋・大阪に点在する4つの団地をオンラインでつなぎ、地域の垣根を越えたコミュニティーを醸成することを目的に、オンラインイベントが開催された。
  • デジタルに抵抗のある高齢者層を対象に、自身もデジタルに苦手意識のあるパラリンピアンの諸石選手が、どうその意識を克服したか、体験談を共有した。
  • 障がいや年齢を超えてチャレンジを続けるアスリートの姿勢から、人々の暮らしを豊かにするヒントを学ぶことができる。


距離を超えたコミュニケーションを楽しむ方法

EY Japan所属のパラアスリート諸石光照選手が、2021年11月6日に開催されたUR都市機構主催のバーチャルイベントに登壇しました。

本イベントは、東京・名古屋・大阪に点在する4つの団地の集会所をオンラインでつなぎ、地域の垣根を越えて居住者たちがつながりコミュニティーを醸成することを目的に開催されました。

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の影響により対面での交流が制限される中、デジタルコミュニケーションが多くの人のつながりを支えています。しかし高齢者層においては、いまだデジタルツールの使用に抵抗感を持つ人が少なくありません。そのような高齢者層に対して、いかにオンラインでの交流の楽しさを体感してもらえるか、また、これまで出会えなかった人ともオンラインでつながることで豊かな暮らしを実感できるかをテーマに、ディスカッションが繰り広げられました。

イベントの第一部講演会に登壇したのが、東京2020パラリンピック競技大会の車いすテニス男子(混合クアードダブルス)で銅メダルを獲得した諸石光照選手です。東京、日比谷のスタジオから諸石選手の講演がライブ配信されました。

EY Japanのオフィス内スタジオから配信イベントに参加した諸石選手(右側)

EY Japanのオフィス内スタジオから配信イベントに参加した諸石選手(右側)


身近な場所で開催されるイベントに気軽に参加

諸石選手が東京2020大会においてメダルを懸けて戦った3位決定戦は、雨による2時間の試合中断を経て、午前2時過ぎまで激闘が続きました。最後には、2012年ロンドン大会、2016年リオ大会に続く3大会連続出場で初めて悲願の銅メダルを獲得しました。

諸石選手は53歳です。デジタルに抵抗感がないとは言い切れない世代の一人であり、オンラインでのコミュニケーションには苦手意識があったといいます。そんな諸石選手はどのようにしてデジタルツールへの抵抗感を克服したのでしょうか。諸石選手は「無観客開催」となった東京2020大会を前に、EY Japanにて開催された「オンライン壮行会」をきっかけに、デジタルツールへの印象が変わったと語りました。会社の仲間によるオンラインでの壮行会には、回線が切れてしまわないか、誤操作をしてしまわないかと心配しながら、自宅がある岐阜県からリモートで参加。実際のところイベントはスムーズに進行し、画面を通しての激励に、離れていても心が通じていると感じた瞬間があったといいます。

「最初は『自分にはできっこない』と思っていましたが、いざ使ってみるとすぐに慣れることができました。インターネットを活用すれば世界中の人たちとつながることができる、素晴らしいコミュニケーションツールだと思います」

大会後に開催された祝勝会も同じようにオンライン上で開催され、EY Japanメンバーからのお祝いのメッセージを受け、多拠点から参加することが可能なオンラインイベントでは、よりたくさんの人とつながることができるという、オンラインならではの良さを体感したと語りました。

2021年9月24日に参加した社内オンライン祝勝会の模様。左上から時計回りに熊本県から参加した富田宇宙選手、岐阜県から参加した諸石選手、大分県から参加した廣道純選手(いずれもEY Japan所属パラアスリート)

2021年9月24日に参加した社内オンライン祝勝会の模様。左上から時計回りに熊本県から参加した富田宇宙選手、岐阜県から参加した諸石選手、大分県から参加した廣道純選手(いずれもEY Japan所属パラアスリート)

現在は、積極的にオンラインイベントの仕事にも取り組めるようになったそうです。

諸石選手は29歳の時にギランバレー症候群を発症。首から下が動かなくなり、3年間ほぼ寝たきりとなりました。右手が少しずつ動かせるようになったことを契機に、リハビリに取り組み、徐々に回復していきます。退院できたのは32歳の頃。退院直後は筋力がなく体も痩せてしまったため、リハビリとして車いすテニスを始めます。当初は、ラケットに全くボールも当たりませんでした。その悔しさが諸石選手の闘志に火をつけ、練習にまい進します。

約10年後の2012年、44歳でパラリンピックに初出場を果たします。パラ競技が盛んなロンドンで行われた大会では、約5,000人の大観衆を前にシングルスは一回戦負け。ダブルスでは4位となりましたが、メダルにはあと一歩届きませんでした。その悔しさから、さらに練習を重ね出場した2016年のリオ大会では、シングルスは2回戦に進むも、ダブルスは一回戦負けを喫しました。パラ競技の中でも競技人口の多い車いすテニス競技には強豪国も多く、海外勢の厚い壁を撃ち壊せずにいました。53歳で出場した東京2020大会。まさに不屈のチャレンジ精神が銅メダルをもたらし、同大会、最年長のメダリストとなりました。

画面越しに銅メダルを披露する諸石選手

画面越しに銅メダルを披露する諸石選手

オンライン講演会の聴講者からは多数の質問とともに、「地方にいながら、東京にいるメダリストから直接話を聞くことができて良かった」という声が寄せられました。

締めくくりに、ラジオ体操で参加者と一緒に体を動かし、記念撮影。東京・大阪・名古屋の多拠点の居住者とオンラインでつながり、喜びを分かち合うことを実感していただくイベントとなりました。

諸石選手がデジタルツールへの苦手意識を克服したように、アスリートは競技以外においても、年齢を超えてチャレンジする姿勢とメッセージを発信することで人々の暮らしを豊かにするヒントを提供できると改めて感じる事例となりました。


プロフィール

諸石 光照(もろいし みつてる) 車いすテニス男子(混合クアードダブルス)

諸石 光照(もろいし みつてる)

車いすテニス男子(混合クアードダブルス)
主な成績:ロンドン2012パラリンピック競技大会混合クアードダブルス4位、リオ2016パラリンピック競技大会混合クアードシングルス、混合クアードダブルス5位、東京2020パラリンピック競技⼤会混合クアードダブルス銅メダル。
2021年EY Japan入社。

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EY Japanは、スポーツによるコミュニティの再蘇生を目的とし、人づくり、場づくり、コトづくり、ルールづくりに取り組んでいます。

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サマリー

EYでは、人々がインクルーシブかつより良いオンラインコミュニケーションが図れるよう、スポーツとデジタルの融合を支援します。

この記事について

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