2021年7月20日
柔道金メダリストが進んだ、新しいキャリアでの充実した毎日

柔道金メダリストが進んだ、新しいキャリアでの充実した毎日

執筆者 EY Japan

複合的サービスを提供するプロフェッショナル・サービス・ファーム

2021年7月20日

Women Athletes Business Networkでは、キャリア形成のロールモデルとなる女性アスリートや、キャリア支援を行っている方々へのインタビューをお届けしています。

オリンピック金メダリストから結婚・子育てを経てアイスクリームの商品開発者に転身された「野獣」こと松本薫さんにお話を伺いました。

現役時代は「野獣」のニックネームで知られた松本薫さん。日本の柔道家らしい高い技術力、闘争心を武器にして、オリンピックには2度出場し、ロンドン2012オリンピックでは金メダルを獲得しています。

2019年に現役を引退した後は、子育てのかたわら、所属会社の関連会社である「ジャスビコ」が運営するダシーズで、健康志向などのさまざまなニーズに対応したアイスクリームの開発に携わっています。

金メダリストであり、家庭の一員であり、充実したセカンドキャリアを実践している松本さんに、彼女の歩んできた道をお聞きしました。

松本 薫さん

柔道家として、オリンピックでは金メダルと銅メダルを獲得、世界選手権では2度の優勝と3位を1度経験している。ニックネームは「野獣」。2016年に結婚し、現在は子育てをしながら「ギルトフリー」(「guilt・罪悪感」と「free・無い」を組み合わせた言葉)のアイスクリーム、Darcy’s(ダシーズ)の商品開発に関わっている。

戦績(すべて女子57㎏級)
2010年
・世界選手権 東京大会 優勝
2011年
・世界選手権 パリ大会 3位
2012年
・ロンドン2012オリンピック競技大会 優勝
2015年
・世界選手権 アスタナ大会 優勝
2016年
・リオデジャネイロ2016オリンピック競技大会 3位

大好きなアイスクリームを仕事にするまで

――金メダリストの松本さんが、2019年に引退すると同時に「アイスクリーム屋さん」に転身されるということで、たいへんな話題になりました。そもそも、アイスクリームの開発に携わるようになったきっかけは何だったのですか。

松本:今、私が取り組んでいるのは「ギルトフリー」、罪悪感なしに食べられるアイスクリームです。世界的に健康志向が高まっていますが、ヴィーガンや、アレルギーを持っている方でも安心して食べられるものを作りたいと思ったんですよ。そのきっかけがロンドン2012オリンピックで金メダルを取ったことでした。

Women Athletes Business Network 日本エリア代表 佐々木ジャネルと。


――オリンピックとアイスクリームがどうつながるんですか?

松本:ロンドンで金メダルを取った時に、「今、何がしたいですか?」と記者の方から質問を受けて、「パフェが食べたい!」と言ったら、どうなったと思います?

――想像もつきません。

松本:日本に帰国したら、どこに行ってもパフェを出していただけるようになってしまったんです。多い時には、1日に5食以上。出していただいた以上は食べなければ失礼になってしまうので、その調子で食べ続けたら、体調に異変が起きてしまいました。やっぱり、人間が生きていくうえでは、食べ物ってすごく大切なんだと気づいたんです。

――それでも、柔道の金メダリストは指導者として生きていくことを世間は期待しますよね? そうした道に進もうとは考えなかったんですか。

松本:それは全くなかったです。もともと、小学生の時には甘いものが好きで、「ケーキ屋さんになりたいな」と思っていたのが、そのうち自分の人生でオリンピックに出ることが最大の目標になっていきました。勝負して、勝つことは達成感につながります。でも、その一方で、「柔道がなくなったら、私はどうなるんだろう?」という不安も抱えていました。指導者になろうと考えなかったのは、柔道は好きだけれど、愛してはいなかったからです。選手としては続けたいけれど、指導者になるイメージはなかったです。

――松本さんは、2016年に結婚、そして2017年に出産して、3度目のオリンピックを目指されていましたね。

松本:リオデジャネイロ2016オリンピックで銅メダルを取った後、東京2020オリンピックの出場を目指していました。きっと、東京でなかったら、オリンピックの後に引退していたでしょうね。「ママとしてオリンピックを目指そう」と思っていたわけですが、出産し、子育てをしながら練習を続ける難しさを実感していました。

――それは母であり、柔道家であることの両立が難しかったということでしょうか。

松本:日本オリンピック委員会(JOC)のアスリート委員会からも支援をいただいていたんですが、稽古をするにも、道場に子どもを連れてきても大丈夫なところもあれば、「他の選手たちが集中できないから」ということで、ダメな道場がありました。

――海外と比べると、その辺りの整備は進んでいないかもしれませんね。

松本:柔道は礼儀を重んじますし、上下関係がしっかりしているので、慣習はなかなか変えられないのかもしれません。そうした環境面での難しさに加えて、自分が「野獣」になるためには技術的、精神的にも作りこんでいく必要があり、試合の1カ月前から戦闘モードというか、気持ちをグッと高めていくんです。でも、試合前になっても稽古を切り上げて子どものお迎えに行かなければならないし、そうすると野獣を作り込めない状態になるんですよ。そこで、完璧に野獣になることをやめました。できる範囲で作っていこうと決めたんです。

セカンドキャリアのスタート

――松本さんは葛藤した結果、2019年に引退してセカンドキャリアに踏み出されました。

松本:働き始めるというよりも、「柔道よりも子どもが大切」だと思いました。今も、子ども中心の生活を送りながら、アイスクリームを作っています。引退するにあたっては、所属するベネシードの社長に、柔道を辞めた後にどんな仕事をしたいかを相談したんです。そうしたら、会社の事業の中にアイスクリーム事業があり、「これしかない!」と思いました。アイスクリームを愛してますから(笑)。そこで、記者会見で発表させてもらいました。

である大日方邦子さん

――セカンドキャリアに踏み出すにあたって、不安はありませんでしたか。

松本:どちらかと言えば、柔道をやっていた時の方が苦しかったですね。ロンドン・オリンピックで金メダルを取る前は、「今、柔道を辞めてしまったら、自分には何が残るだろう?」と考えると不安で仕方がなかったです。結果を残せなかったら、それまで積み上げてきた時間には、意味がなかったことになりかねませんから。

――決して無意味ではないと思いますが・・・。

松本:私に限らず、そうした不安を抱えている選手は多いと思います。私は、「何かを残してから辞めよう」と思い、幸いなことに金メダルを獲得できて、アスリートの思いを伝えられる立場になりました。ただし、金メダリストになっても、将来の不安を持つ人だっています。そのほかにも、競技を続けたいけれど、会社の事情で辞めざるを得ない人だっています。

――そうなると、セカンドキャリアの教育は大切ですよね?

松本:引退する段階で考え始めては遅いですから、他の選択肢を考えられるように、選手たちに競技以外での働き方、情報を伝えていくのは重要だと思いますね。

商品開発に携わって

Women Athletes Business Network 日本エリア代表 佐々木ジャネルと。

――実際に商品開発に携わるようになって、仕事は楽しんでいられますか。

松本:めちゃくちゃ楽しいです(笑)。

――パフェの食べ過ぎの影響もあったのでしょうが、健康志向にこだわられていますね。

松本:今は、自分の体が実験台だと思っています。私、食事をすると脂肪がついていくプロセスが実感できるんですよ。脂肪分が多いものを摂取すると、体が痛がゆくなり、脂肪になっていくのが分かるんです。

――本当ですか?

松本:感じませんか? お酒を飲むと、体に変化が起きますよね。おそらく、同じような感覚だと思います。だからこそ、体に良いものでアイスクリームを作りたい。そのために原材料にはこだわっていて、どの素材がどんな味を生み出すのか、体にはどんな影響を与えるのか、自分が食べて実証している感じです。その結果として、Darcy’sでは乳製品、白砂糖、トランス脂肪酸は使わずに、グルテンフリーのアイスクリームを実現しています。

――母親としての経験は、開発に何か生かされていますか。

松本:母乳はお母さんの食事が敏感に反映されるんですよね。一般的に販売されているアイスクリームだと糖質が多く、それが母乳に影響を与えるので、低糖質のものを作り、子育て中の方にも安心して食べていただけます。

――店舗の運営面では、どんなマネジメントを心掛けられていますか。

松本:スタッフそれぞれに自分の人生があるので、前向きに働いてもらえる環境を作りたい。人それぞれ、いろいろな働き方があって、適した役割があれば、輝きだすんですよ。そうした人の変化を見るのも好きですね。

――突飛な質問かもしれませんが、柔道を続けていたことで、アイスクリーム作りに役立ったことはありますか。

松本:それほど突飛じゃないですよ。基本、私にとっては、柔道もアイスクリームも同じなんです。相手を知り、どう戦っていくべきか戦術を練る。研究、稽古、そして試合で成果を出す。この流れは変わりません。

――家庭でも子育てがあり、いろいろと忙しいと思いますが、アイデアを練る時間はありますか。

松本:私は平日の朝に40分ほど走るんですが、そうすると考えがまとまってくるんです。前日に試作品を作ったプロセスを振り返りながら、「こうしよう」というアイデアが湧いてきます。私とって、朝のランニングの時間は、アイデアの泉みたいなものですね。

――それは素晴らしい習慣ですね。今、世界では2020年から始まったコロナ禍で、食品業界は大きなダメージを受けています。アイスクリームの業界も例外ではないと思いますが、実際にはどんな影響が出ていますか。

松本:東京にある店舗は休業しなければなりませんでしたし、2021年になってもその状況は続いています。ただし、これをポジティブに捉えて、通販のルートを完璧に確立することができたんです。

――まさに発想の転換ですね。

松本:お店が開けない期間は、開発にも十分に時間を取ることができます。試行錯誤しながら、お店を再オープンした時に新しい商品でお客さまをお迎えできたらと思っています。今、玄米アイスクリームにチャレンジしているんですが、なかなか難しくて。勉強しなければいけないことばかりです。

――将来の夢はありますか。

松本:将来的には、アイスクリーム事業で、柔道の仲間とつながっていけたらと思っています。現役時代は勝ち負けにこだわっているので、対戦相手とはそれなりの距離を置くものですが、引退してからはすごく距離が縮まったんです。一緒に戦ったフランスやモンゴルの選手たちが、2019年に東京で国際大会があった時には、わざわざお店にまで遊びに来てくれたんですよ。

――世界の舞台で一緒に戦った者同士にしか持ちえない友情ですね。

松本:将来的には、海外に住む友人たちとDarcy’sを運営していき、それが海外での道場の資金になったりすれば、柔道を支えることもできる。一石二鳥だと思いませんか?

――柔道とアイスクリームがつながっていく意味がよく分かりました。

松本:英語も勉強したいですし、やりたいことがたくさんあります。微力ながら、金メダリストとして、こんな生き方もしているということを発信していけたらと思っています。

インタビュアー:生島淳氏(スポーツジャーナリスト)

※肩書・所属はインタビュー当時のものです。

サマリー

柔道金メダリストから新しい分野へ挑戦する松本薫さんのストーリーを共有することは、特に女性アスリートのセカンドキャリア形成におけるロールモデルが少ない日本において、将来の機会を捉える際の障壁を打ち破ることにつながります。

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