経済安全保障推進法によるインフラ事業者への影響

経済安全保障推進法によるインフラ事業者への影響


2022年5月に成立した経済安全保障推進法の柱となる4施策の1つに「基幹インフラ役務の安定的な提供の確保」が含まれています。本法がインフラ事業者およびインフラ業界にどのような影響を及ぼすかについて解説します。


要点
  • 経済安全保障推進法には、「基幹インフラ役務の安定的な提供の確保」に係る施策が含まれており、対象となる14分野のインフラ事業者は、重要設備の新規設置や維持管理業務の委託に際して事前届出が義務付けられます。
  • 本施策は、重要なインフラ設備へのサイバー攻撃や物理的な破壊、あるいは設備・機器の輸出入が滞ることなどにより、インフラの安定的なサービス提供が妨害されることを防ぐための制度です。
  • 本法を契機に、インフラ事業者が自社サプライチェーンや維持管理手法について見直し、関連するリスクと対応策を改めて検討する動きが出てくるものと考えられます。


経済安全保障推進法の概要

2022 年 5 月 11 日、経済施策を一体的に講ずることによる安全保障の確保の推進に関する法律(経済安全保障推進法)が成立しました。同法は、①重要物資の安定的な供給の確保(サプライチェーンの強靭化)、②基幹インフラ役務の安定的な提供の確保、③先端的な重要技術の開発支援、④特許出願の非公開の4施策を柱としています。公布から2年以内に段階的に施行することとされており、2023年4月28日には②基幹インフラ役務の安定的な提供の確保の施策に係る基本指針が閣議決定されました。

経済安保推進法の概要

経済安保推進法の概要

内閣府「経済安全保障推進法の概要」、https://www.cao.go.jp/keizai_anzen_hosho/doc/gaiyo.pdf(2023年5月27日アクセス)に基づき当社作成

同法が導入された背景には、米中対立の深刻化から、両国が互いに経済安全保障に関連する様々な法令を打ち出して牽制しあっていることをはじめ、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の拡大やウクライナ情勢により医療物資やエネルギーなどの海外依存体制が浮き彫りになったことがあり、日本においても経済安全保障の概念が急速に重要視されるようになりました。


「基幹インフラ役務の安定的な提供の確保」に係る制度

インフラ事業者にとっては、上記4施策のうち「②基幹インフラ役務の安定的な提供の確保」の制度の影響が最も大きいと考えられます。同施策は、「基幹インフラの重要設備が我が国に対する外部から行われる役務の安定的な提供を妨害する⾏為の⼿段として使⽤されることを防⽌する」ため、対象となるインフラ事業による重要設備の導⼊時や維持管理の委託を行う際に事前の届出と審査を義務付けるものです 。インフラ事業を対象とするサイバー攻撃が近年世界各地で多発し、国民の安全や経済活動が脅かされる事態が生じていることをうけ、インフラ設備に不正なソフトウェアが埋め込まれることや、物理的に重要設備が破壊されること、あるいは必要な設備・機器の輸出入が滞ることなどにより、各種インフラの安定的なサービス提供が妨害されることを防ぐための制度となります。

対象となるインフラ事業は、同法内では「特定社会基盤事業」と呼ばれており、電気、ガス、水道、空港など14分野のうち、その機能が停止・低下した場合に国家・国民の安全を損なう恐れが大きいものが該当します。

対象のインフラ14分野

対象のインフラ14分野

内閣府「経済安全保障推進法の概要」、https://www.cao.go.jp/keizai_anzen_hosho/doc/gaiyo.pdf(2023年5月27日アクセス)


また、対象となるインフラ事業者は「特定社会基盤事業者」と呼ばれ、特定社会基盤事業を行う者のうち、利用者の数や事業規模、市場構造等を踏まえて事業ごとに個別具体に判断し定めることとされています。

上記の特定社会基盤事業者が「特定重要設備(※)」と定義される重要な設備、機器、装置またはプログラムを新規に導入する際、および特定重要設備の維持管理・操作を他の事業者に委託する際には、事前に導入等計画書を主務大臣に届け出る必要があります。事前届出の具体的な内容については、特定重要設備の概要や導入目的、該当設備の供給者の情報などの記載項目が基本指針の中で例示されています。事前届出がされた後、主務大臣は原則として 30 日以内に審査を行い、審査の結果当該設備が特定妨害行為に利用される恐れが大きいと判断された場合には、主務大臣は、導入等の方法の変更または中止を勧告できることとなっています。正当な理由なく勧告を応諾しない場合には、主務大臣は導入等の方法の変更または中止を命令することもできます。
なお、罰則規定も設けられており、事前届出を行わない、または虚偽の届出をして導入等を行った場合、あるいは導入等の方法の変更または中止の命令に違反した場合には2年以下の懲役または 100 万円以下の罰金が科されます。

「基幹インフラ役務の安定的な提供の確保」に係る制度の概要

「基幹インフラ役務の安定的な提供の確保」に係る制度の概要

内閣府「経済安全保障推進法の概要」、https://www.cao.go.jp/keizai_anzen_hosho/doc/gaiyo.pdf(2023年5月27日アクセス)

※特定重要設備:特定社会基盤事業の用に供される設備、機器、装置またはプログラムのうち、特定社会基盤役務を安定的に提供するために重要であり、かつ、我が国の外部から行われる特定社会基盤役務の安定的な提供を妨害する行為の手段として使用されるおそれがあるものとして主務省令で定めるもの


事前届出事項の例

事前届出事項の例

内閣府「特定妨害行為の防止による特定社会基盤役務の安定的な提供の確保に関する基本指針(特定社会基盤役務基本指針)」、https://www.cao.go.jp/keizai_anzen_hosho/doc/kihonshishin2.pdf、(2023年5月27日アクセス)に基づき当社作成


制度上の留意点

「特定重要設備」とは、「我が国の外部から行われる特定社会基盤役務の安定的な提供を妨害する行為の手段として使用されるおそれがある」ものであり、「その機能が停止または低下すると特定社会基盤役務の安定的な提供に支障が生じ、国家及び国民の安全を損なう事態を生ずるおそれがある」ものとされていますが、具体的にどのような設備であるか、同法やその基本指針の中では明示されていません。また、そうした設備の取引先に関しても、現状特定の国ないし企業名を言及していません。

例えば米国では、国防権限法2019 (NATIONAL DEFENSE AUTHORIZATION ACT FOR FISCAL YEAR 2019)において特定の中国企業5社を明示して、それら中国製の通信機器等の政府調達の禁止が規定されました。さらに、2021年から施行されている情報通信技術・サービスのためのセキュアなサプライチェーンに係る大統領令(Executive Order 13873 of May 15, 2019)では、民間取引においても、米国の重要なインフラまたは米国のデジタル経済のセキュリティに重大な影響を与えるリスクがあると認定された場合、「国外の敵対者」が提供する情報通信技術またはサービスにかかわる特定の取引を禁止することが可能となっています。「国外の敵対者」として、香港を含む中国、キューバ、イラン、北朝鮮、ロシア、ベネズエラが特定されています。日本の経済安全保障推進法においては、現状特定の国や企業名まで言及するには至っていません。


インフラ事業者に迫られる対応

経済安全保障推進法の制定により、上記の特定社会基盤事業者の対象となり得るエネルギー、交通、水道、通信などの分野のインフラ事業者は、重要設備の導⼊時や維持管理の委託に際して新たな手続きへの対応が必要となります。また、本法の適用範囲にとどまらず、昨今露呈した有事の際のサプライチェーンの脆弱性、価格高騰や物資難への対応、およびサイバーセキュリティへの対応という観点からも、インフラ事業者は以下のような対応により、関連する事業リスクの見直しや対応策の強化に取り組むことが望ましいと考えます。
 

① 自社サプライチェーンの洗い出しと情報収集

まずは自社製品・サービスのサプライチェーンを正確に把握することが本法に対応するための第1歩となります。

ただし、審査の対象となるインフラ事業者の事業規模や、サプライチェーンのどの階層までが事前届出・審査の対象とされるかは、同法およびその基本指針の中でもさほど明確になっていません。対象事業者の指定には、事業規模や地理的事情および役務の特殊性などに鑑みた代替可能性が考慮されることが基本指針において示されており、また、中小企業における対応の負担も考慮されていることから、一定規模以上のインフラ事業者が対象となることが想定されます。

一方で、重要維持管理業務の再委託先については、原則的には最終的に委託を受けたものまでの情報が届出対象とされているため、委託先は情報提供者としての対応が必要となることが考えられます。ただし、例えば、再委託先がそれ以後の再委託先を適切に管理していると認められる場合などでは、1次再委託先のみの情報の届出で認められる可能性があるとなっており、この点は今後の運用を注視する必要があります。

以下、風力発電設備のサプライチェーンを例にとってみると、発電事業者に風車の完成品を収める風車メーカーの基には、心臓部ともいえる発電機のナセル内部品メーカー、ブレードメーカー、タワーメーカーなどの一次サプライヤー、さらにその下にそれらの部品・素材を納める相当数の二次サプライヤーがぶら下がっています。特に風車メーカーは日本企業が少なく、導入されている風車設備の7割以上が外国企業の製品です。それら外国風車メーカーの下請けサプライヤーの所在地や出資状況、役員などの情報まで把握するにはかなりの時間と労力がかかることが想定されます。

本法における届出のための対応にとどまらず、BCP対応も含めた有事の際の事業リスク管理の強化という観点からも、インフラ事業者は改めて自社事業のサプライチェーンの把握・見直しが必要と言えるでしょう。
また、インフラ事業者だけでなく、その事業者に納入するサプライヤーやサービスプロバイダーの協力も不可欠になることから、事業者間の協力を担保する仕組み作りも今後検討する必要があるでしょう。

風力発電のサプライチェーンの例

風力発電のサプライチェーンの例

独立行政法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構「NEDO 再生可能エネルギー技術白書 第2版」、https://www.nedo.go.jp/content/100544818.pdf(2023年5月27日アクセス)、
経済産業省 洋上風力の産業競争力強化に向けた官民協議会「洋上風力産業ビジョン(第1次)概要 令和2年12月15日」、https://www.mlit.go.jp/kowan/content/001382704.pdf (2023年5月27日アクセス)を基に当社作成


② 代替調達先確保策の検討

サプライチェーンが海外、特に米国など他国の経済安全保障に関連する法令で言及されているような国・企業に依存している場合には、設備導入が認められなくなる場合に備え、代替調達先を検討する必要があります。風力発電事業の例に表れているように、インフラ事業に係る設備のサプライチェーンは多岐にわたっており、また、個別受注生産を行っているような特殊な設備も多くあります。万が一審査に通らなかった際でもインフラ機能を止めないよう、それらの設備の代替納入事業者を検討しておく必要があります。特に事業全体への影響が大きいコマンドコントロールを司る設備や、防衛手段を持たない一般消費者との接点となるような設備については影響が大きくなりやすいと考えられるため、十分な検討が必要となるでしょう。
 

③ 維持管理業務の外部委託の見直しとリスク管理措置

特定重要設備の維持管理業務を外部に委託している場合、先述の通り、原則的には最終的に委託を受けた再委託先も全て導入等計画書を届け出る必要があり、これまで以上に再委託先の管理が重要になります。基本指針において、設備の供給者および維持管理業務の委託先の双方に対するリスク管理措置の必要性が言及されおり、各委託先との契約や情報管理の方法などについて改めて検討する必要があります。
また、設備導入と同様に、事前審査の結果契約が認められなくなる場合に備え、その代替維持管理業者を検討することも必要になります。管理のしやすさの観点から、自社で維持管理を行う内製化も検討の俎上に載ることになるかもしれません。


国内インフラ市場への影響

重要設備導入時の事前審査がスムーズに承認されるか否かの見通しが不明瞭である場合には、インフラ事業者は審査に通らないリスクの高い外国製品を避け、代替となる国産製品の需要が増えることが考えられます。インフラ関連設備や情報セキュリティ設備の国内回帰の傾向が強くなることでしょう。
しかし、現実には、生産コストなどインフラ事業者の負担を考えると、すぐに・すべての設備を国産化することは難しいでしょう。安定的なインフラサービスの提供において特にクリティカルとなる設備から順に国産化の準備を整えることで、国内インフラ産業が段階的に活性化していくものと見込まれます。

また、それら重要設備の維持管理を外部海外事業者に委託していた場合、維持管理業務を内製化する動きが出てくるかもしれません。維持管理人材の育成や、必要なノウハウを持った企業の買収により、自社に維持管理ノウハウを吸収してリスクを軽減しながら事業を行う傾向が高くなることも考えられます。


終わりに

本法の対象となるインフラ分野の事業者は、今後の省令による具体的な制度内容を注視しつつ、自社のサプライチェーンの洗い出しと情報収集を進めるとともに、審査において導入中止が勧告・命令されるリスクの高い設備導入および維持管理業務の代替策の検討といった事前の動き出しが必要と考えられます。また、本法の制定をきっかけに、各種インフラ事業について、直近の国際政治経済動向も加味した事業リスクとその対応策について改めて検討する時期にあるものと考えます。



サマリー 

経済安全保障推進法において、14分野のインフラ事業者を対象に打ち出されている「基幹インフラ役務の安定的な提供の確保」に係る施策は、重要なインフラ設備へのサイバー攻撃や物理的な破壊などによるインフラサービスの妨害を防ぐための制度です。本法の制定を契機に各種インフラ事業に係るリスクを改めて確認し、そのリスク管理策を検討する時期にあると考えます。


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