顕微鏡下で実験を行う医学研究者

医薬品業界がデジタルを活用したサプライチェーンの可視化を優先すべき理由


医薬品業界にとって、デジタルを活用したサプライチェーンの可視化は、将来のサプライチェーンにおける競合戦略において優先事項とすべきものです。 


要点

  • 医薬品業界にとってサプライチェーンのレジリエンス(弾力性)は優先事項であり、その強化において重要となる戦略の1つがサプライチェーンの可視化を進めることである。
  • 医薬品業界では、サプライチェーンの上流に複雑性があり、他の業界と比較し、サプライヤーベースの可視性が低い状況にある。
  • 企業が現在対応できることとして、可視化によるサプライチェーンマネジメントをより積極的に進め、リスクエクスポージャーを減少させると同時に、レジリエンスを高めることである。


EY Japanの視点

これまでのサプライチェーンでは、各バリューチェーンにおける無駄を省き、効率性、生産性を向上させることに重点が置かれてきました。しかしながら、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)を代表とする感染症の大流行、テロや紛争の勃発による地政学的リスクが高まっている昨今においては、多岐にわたる不確実なリスクをいかに迅速に検知し、影響を最小限にとどめる低減策を打つことができるのか、サプライチェーンを強靭(きょうじん)化する取り組みが重要視されてきました。

強靭化に資する可視化の実現にあたっては、デジタルツールの選定と導入を進めると同時に、そのツールによって検知されたリスクに対してどのように対応すべきかのプロトコルの策定も進める必要があります。

サプライチェーンの可視化の取り組みはあくまで強靭化されたサプライチェーンを実現するための第一歩であり、製薬企業においても他の業界と同水準の可視化レベルを実現し、その一歩を踏み出すことが求められています。


EY Japanの窓口

EYストラテジー・アンド・コンサルティング株式会社
医薬・医療セクター
パートナー 松本 崇志

EYストラテジー・アンド・コンサルティング株式会社
医薬・医療セクター
マネージャー 原 彰吾
※所属・役職は記事公開当時のものです

近年のグローバル規模での経営環境の混乱により、医薬品のサプライチェーンを確保するための新たな戦略の必要性が浮き彫りになりました。2022年7月に発表されたEYの調査 “Pharma Supply Chains of the Future(PDF、英語版のみ)” では、レジリエンスの強化に向けて考えられるアプローチをいくつか考察しています。本レポートの発表後、グローバル規模でのサプライチェーンを取り巻く環境は比較的落ち着きを見せていますが、サプライチェーンのレジリエンス強化は依然として企業戦略における優先事項であることに変わりはありません。納期がパンデミック以前の水準に戻らず1、企業経営に多大な影響を及ぼす物流コスト課題も今後継続すると予想されるなど、引き続き複雑な経営環境に直面しています。

企業が直面しているこのようなコスト課題には、次に示すように複数の発生要因が考えられます。

  • 高インフレに起因する金利、原材料費、人件費の高騰。
  • 高金利による運転資金や投資コストの上昇。
  • 米国インフレ抑制法(IRA)などのコスト抑制策で予想される、継続的かつ大幅な医薬品価格の引き下げ。

こうしたビジネス環境においてサプライチェーンのレジリエンスを強化するということは、業務の効率性、信頼性、俊敏性の向上に加え、製品の市場投入を迅速化し、リスクエクスポージャーに対する管理を強化することを意味するものであり、医薬品業界にとってはますます重要な課題となりつつあります。

医薬品業界において、レジリエンスを高めるために実施できる最も効果的な手段の1つがサプライチェーンの可視化です。サプライチェーンの寸断を未然に把握する機能を高めることができれば、製薬会社ではそのリスク緩和策を講じるといった対応力も高められると考えられます。

より広い視点で見た場合、サプライチェーンの可視化は医薬品業界全体にも以下の例のようなメリットをもたらします。

  • データの可用性と精度の向上により、さまざまな変動要因への対応力向上。
  • 供給の寸断リスクに対する対応力が向上することにより、高い在庫水準を維持するために必要な運転資金などの営業経費削減。
  • 輸送ルートの監視とアラートによって、大幅な遅延や費用高騰を回避するための輸送手段の変更。
  • 貿易やコンプライアンスに関する理解の拡充により、国境を越えた商取引における制裁措置や貿易リスクからの回避が可能になり、加えて、サプライヤーの法令遵守を保証するため、国際的なコンプライアンスリストやコンプライアンス関連行動も監視が可能。

サプライチェーンの可視化は、より高度な、デジタル化された将来のサプライチェーンを構築するための重要なイネーブラーであり、その実現には自動化、人工知能(AI)、エンドツーエンドのプロセス統合などが不可欠の要素となります。そのため、サプライチェーンのレジリエンス向上に向け、可視化は重要な投資対象と考えられます。

 

複雑性の高いサプライチェーンの課題を理解する

今日、医薬品業界におけるサプライチェーンは、複雑性が高く、十分な透明性を確保できていないのが現状です。これは、2020年から21年にかけて基礎原料(エタノールやマグネシウムなど)や消耗品(使い捨てのバイオリアクターバッグやガラス製バイアル瓶、細菌ろ過器など)の予期せぬ不足が起こり、製薬企業が影響を受け、対応を迫られたことにも表れています。他の業界でも同様ですが、医薬品業界が供給不足を予測できなかったのは、供給網が広範かつ複雑であり、製薬会社自身にとっても不透明な部分が多かったことが主な原因と考えられます。

この複雑な状況の一例を挙げると、使い捨てバイオリアクターバッグ(バイオ医薬品の製造に必要な消耗品)の製造には、下の図に示すように少なくとも5つの層のサプライヤーが関係しています(より詳細な図はこちら(PDF))。産業用のバイオリアクターバッグを一例として、その製造におけるサプライヤーの階層をツリーで示すと以下の通りです。このツリーは、原材料(石油原料、その他の基礎化学物質や触媒など)のTier 5サプライヤーから、製造された構成部品が最終製品となるTier 2・Tier 1サプライヤーまでをカバーしています。

 図1:複雑なサプライチェーンの課題を理解する

医薬品業界では、Tier 1サプライヤーとの間では強力な関係性を構築できており、密なコミュニケーションが取られていることが報告されています。しかしながら、製造プロセスの上流にさかのぼるにつれて、その層を構成するサプライヤーベースの特性も下図のように変化しています。 

 図2:複雑なサプライチェーンの課題を理解する

こうした階層ごとの変化によって、医薬品業界は次のような課題にさらされています。

  • 上流のサプライヤーは、他の数多くの業界に製品を供給しているため、供給に障害が発生した場合に製薬会社を優先的に扱ったり、直接連絡を取ったりする可能性は低い(彼らにとって、医薬品業界は唯一の顧客でも、最重要顧客でもなく、実際には少量の取引を行っている相手でしかない場合がある)。
  • さらに上流では、サプライヤーの断片化が進んでいる。Tier 1では、わずか数社の大手企業が市場の85%を占めており、これとは対照的にTier 4では、大手企業のシェアはわずか20%にすぎない。
  • 上流では市場規制の度合いも低くなり、それが下流にも影響する可能性がある(例えば、上流で原材料や製造プロセスに変更を加えた場合、Tier 1サプライヤーはその承認手続きの再実施を余儀なくされ、時間と費用がかかる可能性など)。
  • Tier 2サプライヤーからTier 4サプライヤーの製造の大半はアジア太平洋地域、特に中国で行われる。このため、欧米の製薬会社には、貿易関係に緊張をもたらすような、地政学的な影響が及ぶ恐れがある。

 

ビジョンからアクションへ:上流階層の可視化がサプライチェーンリスク管理を可能にする

バイオリアクターバッグにおけるサプライチェーンの現状が示すように、原材料について供給ツリーを作成することは、供給リスクが発生しうる地点の判定を容易にします。このようなアプローチを取ることによって、製造にあたって特に重要な原材料、製品種目、試薬、サプライヤーを洗い出し、どこが最も大きな課題となる可能性があるのかを特定することができます。

こうしたアプローチを通し、製薬会社は、原材料のステークホルダーマップを作成することで、自社のサプライチェーンにおけるリスクエクスポージャーを調査することができます。地政学的な不安定性、市場環境の変化、財政難、高需要材料への依存などを起因とした、高いリスクにさらされるサプライヤーにはフラグを付け、サプライヤーの重要度とリスクエクスポージャーの度合いを相互参照することが可能です。

当然のことながら、リスクの可視化はそれ自体がゴールではなく、より積極的にサプライチェーン管理を行うための基盤となるものです。本記事で紹介したようなリスク診断を実施することで、企業は特定されたリスクを相殺するために、二重調達から原材料の変更、特定市場向けの新拠点の承認に至るまで、複数の選択肢を持つことになります。ただし、実際にリスク診断からリスク低減のための行動を実現するにあたっては、適切なガバナンスの構築や、プロアクティブなサプライチェーンプランニングを可能にする関連プロセスの導入、それらによって迅速かつ適切な意思決定を可能にするなど、より幅広いケイパビリティが必要になります。


他業界におけるサプライチェーンの可視化から医薬品業界が学べること

パンデミック中、革新的な医薬品業界は高いサービス水準を維持していましたが、パンデミック後においても高インフレ率や金利の高騰という問題の影響を受け続けています。こうした環境では、サプライチェーンの可視化と積極的な供給リスク管理に基づく戦略を検討する強い動機が存在します。このような戦略は、大手消費財各社で以前から長く取り組みが進められており、近年では他の業界の企業でも採用されています。
 

例えば、航空宇宙業界や自動車業界の企業でもサプライチェーンの可視化が進められています。航空宇宙業界の企業ではデジタルツールを活用し、サプライチェーン上で予想されるホットスポットについて、管理職にアラートを上げて報告している事例があります。また、自動車メーカーでは、サプライヤーのスクリーニングや、デューデリジェンス、リスク管理サービス、および多層ネットワークのマッピングに市販のデジタルツールを活用しています。加えて、これらのツールでは、グローバルな取引とリスクの監視、エンドツーエンドの予測、追跡、製品の価格追跡も行うことができます。


一方で、航空宇宙業界や自動車業界の事例のようにサプライチェーンの可視化に取り組んではいるものの、どの業界もサプライチェーンの複雑な構造に起因した課題を完全には克服できていません。供給網の上流にあるサプライヤー層における可視性の低さや管理の困難さは、どの業界においてもいまだ完全な解決には至っていない課題です。とはいうものの、航空宇宙・自動車業界では、サプライチェーンの可視化を実現するためにツールの導入等、具体的な取り組みに着手し始めています。


次のステップとして、サプライチェーンの可視化によって明らかになった課題に対し、体系的な対策事項を策定することです。この文脈における課題とはデジタルツールを開発することではなく、可視化された課題に対応するための正しいアプローチを確立することです。これには、推奨される行動指針を示した明確なプロトコルの設定、意思決定権を確立するガバナンス体制の構築、課題へのプロアクティブな対応を可能にし、反応時間を最小化する措置が含まれます。医薬品業界においては、航空宇宙業界や自動車業界で実現されているサプライチェーンの可視性と同等の水準を実現し、その上でその強化された可視性をリスク管理に活用するための効果的なアプローチを確立することが現在の課題であると考えられます。  


ギャップを埋める:サプライチェーンの可視化とレジリエンス向上に向け、業界は今後どのように連携が可能か

EYが医薬品業界の専門家と行った議論によると、エンドツーエンドのサプライチェーンの可視性が限定的であるという点を、製薬会社が認識を深めつつあることがうかがえました。Tier 1サプライヤーを中心としたサプライチェーン戦略には取り組んでいるものの、Tier 2以降の上流階層においてはTier 1サプライヤーの管理に任せている企業も存在しました。また、短期的には供給の寸断が起こり得ない水準にまで在庫を積み増ししている企業も存在します(こうした企業の中には、新型コロナウイルス感染症関連の混乱が収束する中で、既に在庫削減を始めている企業も存在します)。しかし、サプライヤーの上流階層の課題について話をうかがった企業のほとんどが、可視化に関心を抱いているか、もしくは既に重要な戦略として取り組んでいるといった状況でした。上流供給網の複雑な性質を考慮すると、企業はデジタル技術を活用し、サプライチェーンの可視性を強化させるための費用対効果の高いアプローチを構築する必要があります。

したがって、サプライチェーンの可視化とレジリエンス向上へのロードマップにおける第一歩は、サプライチェーンのリスク監視強化を目的とした専用のデジタルツールを医薬品業界が活用していくことと考えられます。先述したように、他の業界では市販のデジタルツールが既に注目され、活用が進んでいます。自社に適した既製のデジタルツールが見つからない、または既存ツールの導入を試みながらも十分に成功を収められなかったという結論にならないために、医薬品業界におけるデジタルツール活用においては主に以下の3つの要素が必要です。

  • 監視の対象となる、適切な上流階層のデータを特定し、それにアクセスする能力。
  • データ分析が可能なAIモデルがあること。
  • 上流階層における変化がどのような意味を持つか、あるいは逆に意味を持たないかを深く理解した上で、分析に重み付けや状況に応じた追加分析を行い、分析結果からノイズを除去する能力。
     

デジタルツールの活用は、サプライヤー階層と関連するリスクエクスポージャーを分析することから始まります。次に、サプライヤーと懸念対象の原材料のリスク指標を定義します。その後、AIアルゴリズムによって、インターネット上に公開されている情報と製薬会社独自のデータを分析してリスクエクスポージャーを洗い出しながら、真のリスクとデータのノイズを区別します。例えば、急な価格変動は原材料の供給がひっ迫しつつある兆候を示しているのかもしれません。デジタルツールによって検知されたこの価格変動の幅が、自社が容認できる範囲のものであるか、それともサプライチェーン上でボトルネックとなり、障害や遅延につながる可能性があるのかを評価します。

継続的に更新されるデジタルツールによる分析は、自動生成されるアラート、月次レポート、その他マネージド・サービスを含む通知を利用企業に提供します。つまり、このプロアクティブなアラートシステムは、社内で開発された場合でも、サードパーティーの協力の下で開発された場合においても、利用企業独自のデータソースを活用しながら、上流階層のリスクを管理するための一連の対策の策定、確立に資するものです。

サプライチェーンの可視化によって最大の価値を引き出すには、リスクを効果的に低減するための適切なデジタルツールや業務プロセスを確立する必要があります。可視化そのものが課題への対策となることはありませんが、サプライチェーンをより強靭(きょうじん)なものにしたいと考える企業にとっては、最初の大きな一歩になると考えられます。このような企業は、まず他の業界で実現されているレベルと同等またはそれ以上の可視化を実現しなければなりません。医薬品業界におけるサプライチェーンのレジリエンスについて、固定されたモデルは今日存在しませんが、可視化はレジリエンスの実現に向けて極めて重要な要素であり、重点戦略として検討すべきものと考えられます。


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サマリー

サプライチェーンの可視化は、製薬会社がリスクにさらされる危険度の把握と低減に役立つものであり、強靭なサプライチェーンを構築することを目指す上で、企業が追求すべき重要事項の1つといえます。

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