EYとは、アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドのグローバルネットワークであり、単体、もしくは複数のメンバーファームを指し、各メンバーファームは法的に独立した組織です。アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドは、英国の保証有限責任会社であり、顧客サービスは提供していません。
要点
国際的に認められたサステナビリティ開示基準において、気候変動領域における「移行計画」の作成と実行は重要なトピックとなっています。企業が移行計画を作成する際、その開示項目をどのように設定するか、実行可能性の高い計画とはどのようなものかといったさまざまな課題に直面することが考えられます。英国財務省(HMT)により2022年4月に設立されたTransition Plan Taskforce(TPT)は、2050年ネットゼロ達成に向けた気候移行計画に関する開示要素を体系化した「TPT開示フレーム」およびその実施手順を解説した「TPT移行計画サイクル」を発表しました。これらは、TCFDやISSBと整合した開示項目を設定するとともに、脱炭素の実行に当たり詳細な開示項目と手順を定めています。さらに2024年6月24日、IFRS財団は、TPTが開発した資料に対する責務を引き継ぐことを発表しており、これらの資料が移行計画の作成において重要な位置を占め続けることが予想されます。
企業が低炭素経済への移行のために1.5℃目標に整合した目標を掲げ、削減目標の達成に向けて取り組む計画は「移行計画」と呼ばれており、企業の気候変動関連開示の中で占める重要性が高まっています。ISSBが策定した気候変動に係るサステナビリティ開示基準であるIFRS S2は、移行計画を「温室効果ガス排出量の削減などを含む、低炭素経済への移行に向けた目標、行動、リソースを示す、企業の全体戦略の1つ」と定義しています。IFRS S2では、企業が移行計画を設定している場合、それに関する情報を開示することを求めています。同時にISSBは移行計画の開示に関する枠組みや基準を合理化し、統合するための支援を表明しています。
また、欧州におけるコーポレート・サステナビリティ・デューデリジェンス指令(Corporate Sustainability Due Diligence Directive :CSDDD)においても、気候変動に関するパリ協定(1.5℃目標)と整合的な脱炭素移行計画の作成と実行を求めています。
このように、グローバルなサステナビリティ開示において移行計画の作成と開示が強く求められてきています。
以前より機関投資家や金融機関は企業に対し低炭素経済への移行を示す行動計画の提示を求めていました。これを受け、TCFDは2021年に「戦略」の部分に移行計画を追加しています。こうした動きを受け、世界中の企業で移行計画の作成と開示が進んでいます。
EYでは毎年、グローバル気候変動リスクバロメーターというレポート上で、気候関連リスクにおける各企業の情報開示の状況を調査・発表しています。2023年度のレポートでは、世界51の国・地域、1,536社の大手企業に対し企業が効果的な移行計画を作成・実施しているかについて調査を行いました。その結果、53%の企業が具体的なネットゼロ戦略/移行計画/脱炭素化戦略を開示していました。
2024年6月にはCDPが「Climate Transition Plan Disclosure」というレポートを発表しました。CDPが129カ国、14業種、23,200社以上を調査したこのレポートでは、そのうち25%の企業が1.5℃に沿った気候移行計画を作成していると回答しており、また36%が、2年以内に計画を作成する予定であることを明らかにしています。
このように、多くの企業で移行計画の作成・開示が進む一方で、初めて移行計画を作成する企業、あるいは自社の移行計画をグローバルな開示基準に従ってアップグレードしたい企業にとって、幾つかの課題に直面する場合が考えられます。
まずは、開示すべき内容に網羅性があるかどうかの判断です。企業は、作成した削減目標や移行計画が「絵に描いた餅」にならぬよう、適切な実行計画に落とし込む必要があるでしょう。例えば、移行計画の実現性を担保するためには、削減される温室効果ガスの見込み量だけでなく、具体的な削減手法やその評価手法、サプライチェーン上のどこで削減を行うのか、管理すべき指標、削減を実行する部門や人材にまで考えを及ぼしていく必要があります。企業は自社の移行計画の中にどの項目をどの程度まで盛り込むべきなのでしょうか?
また、脱炭素技術や関連政策などの進展により、将来的に計画の見直しを迫られる場合も考えられます。今は高価な脱炭素の設備投資が将来的に安価になることもあり得るでしょうし、政策的な支援が今後出てくるかもしれません。すべてのシナリオを事前に想定することは不可能でしょうから、一度作った移行計画を定期的に見直していく体制が必要になります。
本稿で解説する「TPT開示フレーム」と「TPT移行計画サイクル」はこれら移行計画の作成に当たり、標準となる考え方を提供するものです。
2022年3月、英国財務省は産業界、学界、規制当局のリーダーを集め、金融と実体経済のためのトランジション・プラン開示のグッドプラクティスを開発することを目的として、Transition Plan Taskforce(TPT)を設立しました。翌年の2023年10月にはTPTは2050年ネットゼロ達成に向けた気候移行計画に関する開示要素を体系化した「TPT開示フレーム(The TPT Disclosure Framework)」を発表しています。
一見して、TPTが要求する開示項目が何層かに分類されていることが見て取れるでしょう。最上位には「野心」「行動」「説明責任」という3つの原則が、その下に「基盤」「実行戦略」「エンゲージメント戦略」「指標と目標」「ガバナンス」の5つの開示要素が示されています。さらにその下には、合計で19の開示サブ要素を見ることができます。「TPT開示フレーム」の中では、各開示要素・開示サブ要素において推奨される開示の内容を詳細に解説していますが、その中には企業の目的、ビジネスモデルへの影響、導入戦略、エンゲージメント戦略などが含まれます。「指標と目標」「ガバナンス」などTCFDでおなじみの用語も見られますが、これはTPTが重要な移行計画関連情報の開示をTCFDと相互補完する形で開示できるよう、当初から企図しているためです。最初は開示項目数の多くに面食らうかもしれませんが、今までTCFDに沿った気候変動関連開示を進めてきている企業であれば、開示項目の多くが既存の情報で対応できる可能性があります。
今までTCFDなど既存の開示フレームを用いてきた企業は、現行の開示内容とTPT開示フレームとを比較することによって、次に行うべきアクションを洗い出すことができます。移行計画の作成に当たっては、まずは自社の気候変動関連開示の内容を整理し、上述のフレームに当てはめ、差分を取る(ギャップ分析)ことにより、自社にとって優先して着手すべき課題を洗い出し、効率的な移行計画の作成に取り掛かることができます。
TPTは上述の「TPT開示フレーム」の他に、「TPT移行計画サイクル(Transition Planning Cycle)」を2024年4月に公開しています。TPTは、移行計画の作成は一度で終わる活動ではなく、新しい情報や外部の動きに対応し、定期的に見直し、更新する必要があると述べており、下図のようなサイクルの形で移行計画の作成と更新の手続きを示しています。ここでは、「現状評価」「野心の設定」「計画の作成」「計画の実行」という4つの段階を経ることによる、移行計画の作成と更新の手順を表しています。
例えば、数年前に最初の移行計画を作成した企業が、自社のバリューチェーンの変化によって計画の見直しを迫られたとします。その際、まずはこの移行計画サイクルに従い、現状を評価することによって移行計画の前提となる条件の変化をすべて洗い出します。その後あらためて野心の再設定を行い、次のステップで新たな計画に落とし込んでいくことにより、新しい環境に整合する移行計画に更新することができます。「TPT移行計画サイクル」は、上述の開示フレームと対になる重要なガイダンスと言えます。
TPTは上述の「TPT開示フレーム」、「TPT移行計画サイクル」の他にも移行計画の作成におけるさまざまな有用なガイダンスを作成・公開しています。
2024年6月24日、IFRS財団は、TPTが開発した資料に対する責務を引き継ぐことを発表しました。IFRS財団傘下のISSBはかねてよりTPTとの連携の意向を示していました。将来的には、TPTのアウトプットがISSB基準そのものに統合されることが期待されます。
開示に特化した資料は、IFRSサステナビリティ・ナレッジ・ハブに掲載される予定です。
参考文献(すべて2024年9月6日アクセス)
世界の気温を産業革命前の水準と比べて+2.0℃以内に抑えるという目標を掲げた2015年の国連パリ協定は、全世界の政府が低炭素の未来への移行に向けてそれぞれの役割を果たし始めたことを示唆しています。
気候変動領域における「移行計画」の作成と実行は重要なトピックとなっています。英国財務省により設立されたTransition Plan Taskforce(TPT)は、TCFDやISSBと整合した開示項目を設定した「TPT開示フレーム」およびその実施手順を解説した「TPT移行計画サイクル」を発表しており、移行計画を作成していく上での有用なガイドとなることが予想されます。