EYとは、アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドのグローバルネットワークであり、単体、もしくは複数のメンバーファームを指し、各メンバーファームは法的に独立した組織です。アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドは、英国の保証有限責任会社であり、顧客サービスは提供していません。
要点
近年、量子コンピューターの実現性が急速に高まり、社会実装も視野に入ってきました。量子コンピューターは新たな付加価値を生む大きな可能性を持つ一方、悪意ある第三者が現在の暗号技術を破るために悪用するリスクも指摘されています。米国国立標準技術研究所(NIST)は、2035年までに量子コンピューターでも解読できない「耐量子計算機暗号(Post-Quantum Cryptography: PQC)」への移行を進める方針を示しています。
振り返れば、インターネット、スマートフォン、生成AI(ChatGPT)の登場は、社会の前提を根本から変えるインパクトがありました。量子コンピューターも同様、あるいはそれ以上の変化をもたらす可能性があります。重要なのは、革新的な技術には必ず「活用する者」と「悪用する者」の両方が現れるという点です。金融インフラを担う金融機関にとっては、量子技術のビジネス活用だけでなく、将来のサイバーリスクに備え、今のうちから準備を開始することが求められています。
実は量子コンピューターがあれば全ての計算問題を速く解けるようになるわけではありません。量子コンピューターにも得意な計算と、そうではない計算があります。そもそもなぜ量子コンピューターがあれば計算が速くなるのでしょうか、原理は応用物理学の教科書や解説書に譲るとして、結論から言えば“並列計算”が速くできることが量子コンピューター最大の特徴です。
より詳しい情報をご希望の方はご連絡ください。
図表1
並列計算が得意とは、簡単に言い換えれば、大量の場合分けのある計算が得意ということです。例えば暗証番号を当てる問題などはこれにあたります。4桁の暗証番号を総当たりで当てようとした場合、0000から9999までひたすら番号を打ち込むことになりますが、量子コンピューターはこれを今までのコンピューターより格段に速く行うことができます。
それでは、この世界にある“計算すべきこと”は並列計算ばかりでしょうか、もちろんそうではありません。例えばコンピューターに小説の内容を要約させようという場合は、各ページを並列に読み込めば全体が分かるわけではありません。1ページ目を読まないと2ページ目の内容が分からない、という問題があり最初から順番に処理させるしかありません。こうした最初のことが分からないと次のことが分からない問題は、量子コンピューターを使っても計算は(そこまで)速くなりません。
このように、“解きたい問題”と“並列計算能力”をうまくマッチさせることができないと量子コンピューターの威力をうまく発揮させることができません。実は量子コンピューターの能力を引き出す「問題をうまく並列計算させる方法」そのものも研究開発の対象になっており、アルゴリズム研究の分野で日夜開発が行われています。
図表2 量子コンピューターがもたらす「機会」と「脅威」
実用的な量子コンピューターの登場は2030~40年程度と予測されています。もう少し先のことか、と思われたかもしれませんが、実はそうではありません。量子コンピューター登場の影響は、今既に実務レベルに広がっています。機会と脅威という観点から今と、そして将来への影響を見てみましょう。
まず今すぐ活用できる機会として、金融分野における高速・高頻度取引の高精度化が挙げられます。疑似量子コンピューターという、組み合わせ最適化問題という特殊な問題を解けるコンピューターが登場しており、これが既に実用段階にあります。この組み合わせ最適化問題を高速に解ける機能を用いることで例えば、円をユーロへ交換し、ユーロをドルへ交換し、その後ドルを円に交換するという循環的な通貨取引から利益を得る手法がありますが、この最適な通貨の組み合わせを従来と比べてより格段に速く解くことができます。こうした、これまで拾えなかった差益を拾えるようになるだけでなく、金融以外にもさまざまな応用が考えられるでしょう。
さらに将来の機会として、よりさまざまな並列計算を速く解ける量子コンピューターが登場した世界を想像すると、その高度な計算能力をどのように活用するか、という応用方法をいち早く発見した者が先行者利益を取れるようになることが予想されます。この場合、金融機関としては、量子コンピューターを前提とした取引を行っていないことが機会損失になっているという以上に、「量子コンピューターを用いた資産運用のリスク最小化」をしていないと、リスクのある運用をしていると見なされる世界が来るかもしれません。
では脅威についてはどうでしょうか。「量子コンピューターが暗号鍵を解読できてしまう未来がくれば、現在主流の暗号鍵を用いている金融システムは立ち行かなくなる。そのためにいつかは対策しなければならない」と思われるかもしれませんが、ではその“いつか”というのはいつでしょうか。実は金融機関には今既に、量子コンピューターによる暗号解読への対応が求められています。
もちろん量子コンピューターによる現在主流の暗号が解読できる時期はもう少し先ではあるものの、量子コンピューターでも解けない暗号を用いた金融システムへの換装は先駆けて行う必要があり、「現在データだけ盗んでおいて後で解読する」という攻撃手法もあり、こうなると量子コンピューターの登場よりも前に暗号方式のアップデートを行わなければならなくなってきます。こうした「今盗んで後で解読」攻撃を想定すると、まずはデータを保存すべき期間が長いものから順に対応していくことになるでしょう。
好むと好まざるとにかかわらず、技術の進展は世界の前提、経営戦略の前提を変えてしまいます。革新的な技術がもたらす前提の変更を考慮した上で、新たな戦略を描くことが“今”求められています。
経営にとって取り組むべき課題の多くについて前例のないことが当たり前の世の中になって久しいです。前例がないからといって、取り組みが後手に回れば、戦略面(攻め)とリスクマネジメント(守り)の両面で、経営に重大な影響を与える脅威にさらされる可能性があります。量子コンピューターへの対応はまさにその1つであり、経営が率先して取り組むべき重要な課題です。量子コンピューターが解読できないデータへの換装(移行対応)などは、相応の対応期間を要するためプロジェクト化して進めていくべき対応であると考えられます。
絶対的な正解がない世界において、積極的に情報収集を行いながら、いち早く検討に着手することで、さまざまな論点が明確になります。そのように自金融機関で早い段階から検討、取り組みを行うことで、他の金融機関、金融当局や外部専門家等との有用な議論や意見交換が可能な状況となります。前例がなく難しいテーマだからこそ、スタートが肝心であり、各金融機関は量子コンピューターへの対応のさまざまな議論における先頭グループについていくことが十分な対応を行っていく上で肝要です。
図表3 量子時代の脅威 - HNDL攻撃
金融機関窓口:パートナー 山内 啓、パートナー 平島 亮
メールで受け取る
メールマガジンで最新情報をご覧ください。
近い将来に実用的な量子コンピューターの登場が予測されています。量子コンピューターという革新的な技術は、世界や金融機関の経営戦略の前提を変えるため、経営者はこの技術の機会と脅威を正確に捉えた上で今のうちから対策を練る必要があります。