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作業効率を高め、業務プロセスを高度化するだけにとどまらず、保育サービスに新たな付加価値をもたらす「真のDX」を成功に導くにはどうすべきか。保育施設の経営層、管理者層が知っておくべき、DX推進の重要ポイントを紹介します。
要点
デジタル技術を活用して組織やビジネスに変革を起こすこと、いわゆるデジタルトランスフォーメーション(DX)の重要性が叫ばれて10年近くがたちました。この流れはもはや企業だけでなく、保育施設などの公共セクターにおいても無視できないものとなっています。なぜ今、保育の現場にもDXが求められるのか。保育業界の現況を踏まえた上で、その必要性と導入のポイントについて見ていきます。
まず、保育業界を取り巻く現在の環境について、供給と需要の関係から概観します。「8掛け社会」と言われるように、日本の労働力は2040年頃までに現在の80%ほどに減少するとされています。保育業界の担い手も例外ではありません。医療や介護の人材も含め、エッセンシャルワーカーの絶対数の確実な不足、供給減となります。
一方、需要の側面、すなわち保育サービスに対するニーズはどうでしょう。少子化傾向により需要も減ると思われがちですが、実はその反対に増加すると見られます。出生数は減少しても、共働きなどによる保育所利用率は今後も上昇する傾向にあり、それに並行して保育施設を利用する子どもの増加、量的な需要増が予測されます。
質的ニーズについても同様に、保育サービスに対する保護者からの要求は多岐にわたって高まる傾向にあります。より良いものを選びたいという人間の「ベター思考」が働き、このようなニーズの高まりは今後も続いていくでしょう。つまり、質的な面でも需要増にあります。
したがって保育業界は今、少ない供給でより多くの量的・質的な需要を満たしていかなくてはならない状況に置かれています。この供給減と需要増がもたらすジレンマをいかにして乗り越えるか。それが今後の保育業界における大きな課題であり、その有力な解決策の一つとして、ICTやデジタル技術の活用が挙げられるのです。
より具体的に言えば、保育の現場業務を以下の3項目に分類したとき、①と②をDXの適用範囲とし、そこから得られる時間や労力を③に振り向け、サービスの質と量を確保すべきだと考えられます。
① デジタル技術で一部のタスクの補完が可能な業務(連絡や記録など)▶労働補完型DX
② 全てをデジタルに置き換えられる業務(監査調査用の再集計など)▶労働置換型DX
③ 保育者自身が担うべき本質的業務(保育指導、保護者ニーズへの対応など)
では、DXによって保育の現場で何を実現するのか。本来的なDXの役割から翻って考えてみます。経済産業省では次のようにDXを定義しています2。
「企業がビジネス環境の激しい変化に対応し、データとデジタル技術を活用して、顧客や社会のニーズを基に、製品やサービス、ビジネスモデルを変革するとともに、業務そのものや組織、プロセス、企業文化・風土を変革し、競争上の優位性を確立すること」
つまり、DXとは「企業に変革を起こし、競争優位を確立するための手段」であって、単に作業効率を上げるための道具ではないということです。
業務フローの自動化やチャットボットなどからもう一歩進め、デジタル技術により利益を増やす仕組みを整えたり、新しいビジネスモデルを創造したりする段階に至ったとき、初めて変革の手段としてのDXが生きてきます。例えば、遠隔医療サービスや自動運転サービス、AI相談サービスの実現などといったこと――すなわち、デジタル技術による付加価値の創出です。
これを保育業界に当てはめて考えてみます。こども家庭庁では今、保育現場の業務効率化と保護者の利便性向上を目的とする「保育DX」の推進に取り組んでいます。保育施設における給付・監査事務などを効率化する「保育業務のワンスオンリー(一度提出した情報は、二度提出することを不要とすること)実現に向けた基盤整備」と、保護者による情報収集や入所申請といった「保活」手続きを効率化する「保活ワンストップシステムの全国展開」を二本柱とするものです。
これが実現すると、例えば保育施設では、負担軽減によって得られる余力を保育の質向上に関する業務に生かしたり、保育士が子どもと向き合う時間を増やしたりすることが可能になります。また、保護者にとっては、情報収集から見学予約、入所申請までの一連の手続きがオンラインで完結し、不安・ストレスの軽減にもつながると期待されます。
ただし、ここで該当する保育DXがもたらす効果は主に、作業効率化や業務プロセス高度化であり、本来的DXの一歩手前と言えます。こういった公的基盤の活用を最初のステップとすることは極めて有効ですが、願わくばその先にまで足を踏み入れ、給付・監査や入所手続き以外にも数ある現場業務をデジタルの力で変革し、新たな付加価値を創出すべきだと考えます。
そうした取り組みを進める民間事業の一例として、子どもの午睡の様子をカメラ付きAIセンサーで見守るサービスや、施設で撮影された子どもの写真や動画がオンラインで購入できるサービスなどが挙げられます。前者では5分ごとの寝姿が自動で記録されるため安全強化に役立つほか、保育ICTとの連動で監査データにも活用可能になります。後者では従来のように施設まで足を運んで写真を選び、集金袋で支払うなどの手間が省け、保護者満足やサービス向上につながる付加価値が得られます。
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続きを読む保育業界は今、地域差はあるものの過当競争や人手不足の影響を受け、生き残りが厳しくなっているのが実情です。組織運営の改善にDXを生かさないわけにはいきません。その効果を最大化するためのポイントは以下の4点になります。【1】トップ主導のビジョン、【2】現場の実行力・人材力、【3】デジタルテクノロジー、【4】チャレンジングな風土。以下、順に説明します。
なぜ、自分の職場にDXが必要なのか。トップ自らが先頭に立ち、全ての職員にしっかりビジョンを示すことが出発点です。そうしたリーダーシップを欠くDXは、往々にして頓挫します。例えば、あるメーカーは、トップが曖昧な目標しか持たないままデータ収集を進めたため、現場ではどんなデータを何のために分析すべきかが定まらず、多額の投資を無駄にすることになりました。また、ある金融機関はトップがDXの重要性を認識できず、現場任せにしたため部門間の壁や抵抗勢力に阻まれ、中断を余儀なくされました。そのような失敗を招かないために、組織のリーダーが実践すべきことは以下の4項目です。
① 職員が何をすべきか分かるよう具体的にビジョンを語る
DXによって新たに手に入れたい市場や顧客層、獲得したい収益の数値目標など、目的・目標・将来像を5W1Hで言語化する。
② 現場任せにしない、トップが主導権を持つ
例えるならばリーダー自身が「背中を見せる」といった、職員のロールモデルとなって計画を主導する。
③ 部門間の紛争や現場の抵抗を治めるガバナンスの強化
現場での混乱や対立を調停できるのは現場ではく、リーダーや経営者。現場の意見に耳を傾けながら、ビジョンに沿って職員を導き、組織を統制する。
④ DX推進のためのリソースを最適に配分する
人材、資金、時間といったリソースを組織内で最適に配分し、DXの推進力を得る。そのためにもトップのビジョンが必要。
全ての基本となるDX戦略のビジョン、それは経営戦略のビジョンにも通じるものであるべきです。その「ありたい姿」をどう言語化するかは、経済産業省が策定した「デジタルガバナンス・コード」3にも参考となる内容が記載されています。
いざDXの取り組みを進めてみると、デジタルツールの利用に際して現場が直面する不満やストレスなどの阻害要因、いわゆる「デジタルフリクション(摩擦)」が必ず発生します。例えば、システムが複雑すぎて使い方が分からない、従来のやり方に固執して変えようとしない、手書きや手作業の方がむしろ効率的、などが挙げられます。しかし反面、時間の経過とともに「使ってみたら案外便利」「すぐに覚えられた」などの反応が増していき、「デジタルアダプション(定着)」へとつながります。先にスキルを習得した職員が手本となり、他のメンバーに波及する動きも見られます。
このデジタルフリクションを最小化し、デジタルアダプションの時機を前倒しにするためには、現場の実行力・人材力の強化が欠かせません。それには次の3項目の対策が考えられます。
① リーダーが率先して使い、現場でも使える人から使う
管理職が使うことで現場の抵抗感を和らげるとともに、デジタルスキルに精通した職員からから使い始め、デジタル・ベテランへと育成する。
②「デジタル・ベテラン」による全体への普及指導
先に上達したデジタル・ベテランが組織全体のデジタルスキル底上げのための指導役、相談相手となり、後進を増やしていく。
③ ICTスキルの向上と資格取得支援
ICT関連の研修受講や資格取得を奨励する。保育ICT推進協会主催のセミナー・研修、保育ICT検定などがある。
デジタル技術を導入するに当たっては、アプリケーションやインフラ、データ、人材、コストなど多方面にわたって課題に対処しなくてはなりません。専門人材も限られる保育施設での対策のポイントを以下4項目挙げておきます。
① 国の「トータルコーディネート」を有効活用
前掲のこども家庭庁「保育DX」で今後提供される施設管理プラットフォーム、保活情報連携基盤を最大限に活用。
② ICT導入に関する国や自治体の補助金を活用
各自治体のICT化推進等事業、保育環境改善等事業による助成制度を利用。
③ 外部のデジタル専門人材を活用
ICTベンダーやコンサルティング会社など、外部の専門家の知恵を借りる。内部職員のITスキル底上げも並行して実施。
④ 簡単でシンプル、持ち運び可能なツールを
現場の職員がいつでも触れて慣れることができる環境を用意する。
なお、こども家庭庁では2025年からの事業として、保育DXの先進的な取り組み事例などを紹介する「保育ICTラボ事業」を予定しています4。先進的なデジタル化の事例として是非ご参考ください。
全ての組織に言えることですが、DXに取り組む上で最も大きな阻害要因となるのは、失敗を許さない「事なかれ主義」のまん延です。失敗=責任問題と捉える風土、若手職員の挑戦を抑え込む組織文化、失敗がないことで評価が上がる人事制度などが挙げられます。これらを排除し、チャレンジングな風土を築くための要諦は以下の3項目です。
①トップによる「失敗ファースト」の奨励
DXへの挑戦に対して失敗を許容する姿勢をトップが示し、失敗から学ぶことを奨励。トップ自身の失敗体験を語る場を持つことも効果的。
② 小さく始めて、大きく育てる
全ての計画を一気に進める必要はない。失敗の影響が少ない領域から着手し、成功体験を基に徐々に大きな領域へと広げていく。
③ 外部とのつながりを持つ
交流の場やICT研修会などを通じて他所の事例を知ることで、「自分の施設でもできそうだ」という感触を得る。
以上、保育現場でどのようにしてDXを推進するか、成功へのポイントは何かについて整理してきました。まずはできることから第一歩を。失敗を恐れず、チャレンジされることを提案いたします。
本記事は、2025年5月30日(金)に登壇した茨城県民間保育協議会 令和7年度施設長研修会の発表内容をもとに記事として再構成しました。
【執筆者】
伊藤 真一郎
EYストラテジー・アンド・コンサルティング テクノロジー・ストラテジー&トランスフォーメーション ディレクター
※所属・役職は記事公開当時のものです。
保育サービスに新たな価値創造をもたらすDXの要諦は、【1】トップ主導のビジョン、【2】現場の実行力・人材力、【3】デジタルテクノロジー、【4】チャレンジングな風土、にあります。戦略・ビジョンの明確化を起点として、計画、実行、評価、改善のサイクルを回すことが重要です。
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