EYとは、アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドのグローバルネットワークであり、単体、もしくは複数のメンバーファームを指し、各メンバーファームは法的に独立した組織です。アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドは、英国の保証有限責任会社であり、顧客サービスは提供していません。
ライフサイエンス業界は、製薬、バイオテクノロジー、医療、その他ヘルスケアや生物科学に関連する企業など複雑かつダイナミックなセクター1です。
技術の進歩と高度化が進むグローバル・サプライチェーンの中で、グローバルな輸出規制と制裁に関連するリスクが増大しています。これまでテクノロジー、航空宇宙・防衛、先進技術を用いるセクターと比較して影響が少なかったこの分野にも、新たな課題とリスクをもたらしています。
世界中で、貿易コンプライアンスにおけるリスクはかつてないほど高まっています。2022年2月以降、ロシア・ウクライナ情勢の変化を契機に、米国内外の輸出規制、経済制裁のルール策定と執行にも大きな変化が生じました。当初の焦点はロシアに当たっていましたが、すぐにその範囲が拡大しました。規制強化の波は、執行における国際協調と並行して、あらゆる産業部門に影響を及ぼしています。半導体や高度なコンピューティング技術など、明確にターゲットとされているものもあります。しかし、ライフサイエンスを含む他のセクターでは、こうした貿易規則の変更や、世界的なグローバリゼーションの潮流から急激な二極化の方向への移行によって、それ以前のサプライチェーンの構造、さらに業界内の技術革新が相互に影響し合って、新たな課題を引き起こしています。
貿易コンプライアンス・プログラムはリスクに見合ったものでなければなりません。貿易コンプライアンス部門に求められる目標達成に必要な人材、プロセス、システム、ガバナンスモデルは、そのリスク(影響の可能性、結果の重大さ)が高いほど、十分に確保される必要があります。地政学的対立が先鋭化する前の2021年に、自社のリスクプロファイルに見合った貿易コンプライアンス・プログラムを導入していた企業も、現在の環境において、サプライチェーン継続性の維持、事業活動の担保、関税や税金の削減、コンプライアンスを促進するには、もはやそのプログラムが十分ではないことを認識しています。
この記事では、業界の変化および輸出規制、経済制裁、その他の貿易規則の進展により、ライフサイエンスセクターのリスクがどのように高まっているのか、そして企業はそれに対してどのような対策を講じることができるのかについて説明します。製薬、バイオテクノロジー、医療、その他ヘルスケアやバイオサイエンスに関連する企業に焦点を当てていますが、課題や対応の多くは、あらゆるセクターの貿易実務者も共感できるものです。
輸出規制は常にライフサイエンス企業に関連しています。輸出規制は、特定のヒト、動植物の病原体(米国規制品目分類番号〈US ECCN〉1C351、1C352および1C354)、関連する遺伝要素(US ECCN 1C351–4)、関連するワクチンおよび検査キット(US ECCN 1C395および1C991)、生物学的処理装置(US ECCN 2B352など)2 ならびに関連技術(US ECCN 1E001、2E001、2E002および2E301など)に対して長期にわたって適用されてきました。
これらの従来の輸出管理リスクは、最近の業界および規制の変化により拡大し、製品ライフサイクル全体に対する影響が増大しています。
技術の進歩により、医薬品有効成分(API)の作成に使用される、またはその一部として含まれる後期段階の成分が輸出規制の対象となる新しい治療法が登場しました。同様の懸念は医療機器にも当てはまります。
例えば、製薬会社は、多数の治療分野において輸出規制の対象となっているAPIを保有している場合があります。
・低分子:一部の現代医学では、API自体が輸出規制の対象とされている場合があります。特に興味深い例として、輸出規制の対象となっている重水素が、重水素化医薬品の製造に使用されていることが挙げられます(以下のケーススタディーで説明)。
・生物学的および高分子医薬品:規制された病原体に関連する輸出規制の対象となる遺伝子配列、プラスミドおよびベクターが、規制されていない病原体の治療法を開発するために使用されています。最終的な医薬品が規制対象外となる可能性がある一方で、開発および製品生産の初期段階は厳格な輸出規制の対象となる可能性があります。
・放射線成分:放射線を使用する治療法には、長く利用されているものもあれば、新しいものも存在します。この場合も、完成した医薬品や機器は、サプライチェーン全体にわたる複雑な規制管理の対象となる可能性があります。
このような場合、輸出規制は、研究、開発、臨床試験、製造および流通といった製品ライフサイクルのあらゆる段階で関係します。いずれかの段階で輸出規制リスクを特定し、解決しない場合、そのリスクは全ての後続のビジネスオペレーションに影響を与え、患者の治療結果にさえ影響を及ぼす可能性があります。
例えば、臨床試験は、その管理や実施範囲が世界規模であることから、輸出規制リスクや制裁リスクが生じる可能性があります。それは、1件の臨床試験は数十カ国で実施される可能性があり、それぞれの国では、最終製品そのものだけでなく、キット、サンプル、試験を管理しデータを記録するために使用される機器や技術にも、独自の輸出規制およびライセンス要件が適用されます。輸出規制の対象とされている商品、ソフトウェア、技術を特定できなかった場合、予期せぬ遅延や完全な停止につながる可能性があります。
ケーススタディー - 重水素化化合物
重水素は化学元素の一種で、核利用から医療用途まで、さまざまな目的に使用されています。重水素は、原子核に中性子を持つ水素の安定同位体であり、特に原子炉の中性子減速材や核融合の燃料などといった核利用における重要な材料です。重水素は、原子力発電や核兵器生産に関連する可能性がありますが、それ自体は放射性物質ではありません。
重水素または重水素化化合物の医療用途は、医療や医薬品の技術的進歩に伴って爆発的に増加しました。重水素は、既存の薬物や医薬品を重水素化したものを作るのに用いることができ、薬物の代謝安定性や薬物動態特性(すなわち、体内での薬物の吸収や分布)を高めることによって、特定の薬物の有効性を向上させることができます。
重水素は過去および現在の核利用において重要な役割を果たしているため、核不拡散を目的として、その元素や化合物は核の最終用途に関して厳しい規制を受けています。2021年以降、米国は民生用途利用の重水素に対する輸出管理規則を2つに区分しています。原子炉で使用される重水素と重水素化合物は米国原子力規制委員会(NRC)が管理し、原子炉以外の民生用途目的のための最終用途に使用される重水素と重水素化合物は米国商務省産業安全保障局(BIS)が管理します。事実と状況に応じて、いずれかの機関による輸出ライセンスが必要になる場合があります。他の多くの国も同様のモデルを採用しています。
重水素化医薬品は、技術的には重水素を特徴とする化合物です。他の重水素化化合物(重水など)のように核の最終用途に容易に使用できるわけではありませんが、ほとんどの国で採用されている規制枠組みは、このような区別を十分に考慮した設計にはなっていません。これまでのところ、米国を含むほとんどの国では、重水素化化合物の医療用途に対する規制や認可の特例が明確に示されておらず、完成した医薬品が輸入や輸出規制の対象となる可能性があります。
中国は特筆すべき例外です。中国は、ハンチントン病など特定の疾患の治療に使われる一部の重水素化合物に対して、専用の医療用分類を設けています。重水素やその他の厳しく管理された化合物の医療用途の進歩が加速するにつれ、他の国々も、新興技術に対応するために管轄区域や規制枠組みを見直す動きが見られる可能性があります。
製薬業界やライフサイエンス業界における研究開発(R&D)には、高度に管理された毒素、ウイルス、化学物質、機器、技術が含まれることが多く、ほとんどの国への輸出の際には厳格なライセンス要件の対象になります。ライフサイエンス企業は、多くの場合、特定のウイルス、毒素、生物学的製剤だけが輸出規制の対象となりライセンスが必要となるのではなく、関連技術や特定の種類の個別実験装置、ソフトウェアも対象に含まれる可能性があることに留意する必要があります。
国家安全保障上の懸念から、ライフサイエンス技術の管理は現在の輸出管理規制の焦点となっています。例えば、2023年初めに、BISはUS ECCN 1E001の規制を拡大し、US ECCN 1C351.dで規制される特定の海洋毒素の開発または生産に関する技術を対象に含めました。
輸出管理規制の変更は、特定の病原体、薬剤、毒素だけでなく、より普遍的な研究、発見、開発に合わせて行われる可能性があります。最近の一方的(米国第 1758 条など)および多国間(ワッセナー・アレンジメントなど)の調査または規則制定分野には、デジタル配列データから機能的な遺伝子要素を設計および構築できる核酸アセンブラおよびシンセサイザーソフトウェア、ペプチドの自動化学合成装置、特定のブレイン・コンピュータ・インターフェイス技術などがあります。
技術に対する輸出管理規制は、研究、発見、開発に影響を及ぼします。国際的な共同研究や研究開発活動のオフショアリングの増加により、さまざまな国の従業員が規制される可能性のある情報や技術を共有したり交換したりすることになります。また、輸出管理対象のサンプルやプロトタイプなどの国家間の出荷や交換は、非商業的な出荷とみなされるため、企業に認識されないリスクがあります。国際的な環境での共同作業は、「みなし輸出」リスクをもたらすため、輸出規制品目に関連する情報やソフトウェアを外国籍の個人と共有する場合には、輸出規制品目を他国に物理的に発送する場合と同様に、ライセンスが必要となります。
多国籍企業による研究開発事業は、どの分野であれこのようなリスクに直面する可能性がありますが、特にライフサイエンス企業はさらに複雑な課題に直面しています。ほとんどのライフサイエンス企業では、研究開発活動は通常、独立したシステムやプロセスに依存しているため、自動化されたものであれ、手動によるものであれ、従来の貿易コンプライアンス管理を導入することは困難です。また、研究施設における調達や出荷は、主要な企業管理システム上で行われないことが多く、採用されるプロセスやシステムは研究施設や治療分野によって異なる場合があります。このため、効果的な内部統制の導入は、他の業界に比べて困難になっています。
経済制裁は、外交政策と国家安全保障の目標を推進するために政府が課す制限措置です。輸出規制が一般的に物品、ソフトウェア、技術の移動に重点を置いているのに対し、経済制裁は一般的に国、その政府、対象セクター、事業体との交流を制限するものです。
ほとんどの業界とは異なり、ライフサイエンス企業は、包括的な制裁を受けている国に対しても、輸出管理規制対象外の医薬品や医療機器を販売および支援するために、一般的または特定の輸出管理規制や経済制裁の認可を得られる可能性があります(ライセンス供与や取引の精査のために十分な貿易資源がある場合を前提としています)。
一方で、ライフサイエンス企業も制裁と地政学の影響を受けます。2022年にロシアで臨床試験を実施していた製薬会社は、突発的に発令されたさまざまな輸出管理規制や経済制裁の影響を受けることになったでしょう。ロシアに製品を販売する医療機器プロバイダーは、見込み客の発掘から売掛金回収までのプロセスの各段階に影響を与える新たな規制が次々と導入され、迅速に対応しなければならなかったと考えられます。
同様に、中国で事業を展開するライフサイエンス企業は、新たな地政学的リスクと将来の地政学的リスクに直面しています。
中国はバイオテクノロジーやAPIの生産において重要な役割を担っており、米中間の地政学的緊張が高まれば、サプライチェーンが混乱する可能性があります。例えば、2024年、米国の議員は、国家安全保障上の理由で、特定の中国のバイオテクノロジー企業との取引を制限する法案を検討しました。もう1つの例として、米国は2024年9月に、中国から輸入されたマスク、医療用手袋、注射器、注射針に対する現行または将来の関税を大幅に引き上げました。米国通商代表部は、「特定の個人用保護具に対する301条関税の引き上げは、国内生産の拡大と米国の備えに対する最近の投資を保護するのに役立つであろう」との見解を示しました3。その2カ月前の2024年7月、BISは4、 「APIサプライチェーンの可用性と安全性を確保し、現在の限られた国内製造能力やその他の潜在的な課題に対する認識を高めるために」最終的に活用される米国のAPI産業基盤の包括的な評価を実施することを発表しました。
上記の例は単なる一例に過ぎず、ライフサイエンス産業が直面する経済制裁や地政学的な影響、特にロシアや中国との複雑な関係による影響は他にも挙げられます。これらは、経済制裁、地政学、貿易救済措置が企業のサプライチェーン戦略において重要な側面である理由を示しています。
近年、米国をはじめとする各国政府は、国家安全保障上の問題として輸出管理規制と経済制裁の規制を強化するという戦略的な変化を反映し、輸出管理規制と経済制裁の取り締まりを大幅に強化しています。この新しい取り締まりの傾向には、省庁横断的な調査、民事罰の強化、刑事訴追の増加が含まれます。2023年、米国司法省と商務省は、連邦捜査局(FBI)および移民関税執行局(HSI)と協力し、輸出管理規制、経済制裁、スパイ活動に関する調査および起訴を実施するために「破壊的技術ストライクフォース(Disruptive Technology Strike Force)」を立ち上げました。米国の規制当局は、ターゲットに定めた領域に対する調査のためにデータを集約し始めました。同様の省庁横断的な調査と取り締まり活動は、すでに米国とその同盟国の間でも行われています。2024年9月、BISは将来の取り締まり活動の方向性を予感させる新たな省庁連携に関する執行責任者の役職を創設しました5。
最近の取り締まりの強化は、ライフサイエンス業界に興味深い影響を与え始めています。2023年のイラン制裁違反の事例では、企業に対する和解金に加え、元上級幹部個人との和解金175,000米ドルが盛り込まれました。2024年、米国司法省は、企業内の貿易コンプライアンス担当者の適切な事後対応を理由に、製薬会社による輸出管理規制違反の刑事訴追を却下しました。
2024年に米国の大学との間で和解が成立しましたが、是正活動が完了するまで、輸出管理規制対象の生物製剤に関する輸出管理規制資格が1年間停止されることになりました。
これに従わなければ、規制された生物製剤を含む国際的な研究が事実上1年間停止することになります。これは大学にとって残念なことですが、研究停止の処分が下されたことは、多くのライフサイエンス企業にとっては大打撃となります。
堅牢なコンプライアンスおよびリスク評価プログラムを維持することは、コンプライアンスを確保するためだけでなく、世界中の顧客や患者の成果・結果に直接影響を与える可能性のある持続可能な事業運営を確かなものとするためにも不可欠です。
・リスク評価:企業全体のリスク評価を頻繁に実施することで、輸出管理規制対象品目や技術、サプライチェーンやサードパーティーの関与、または機密性を要するリスクの高い国・地域に関連するリスク要因の特定が容易になります。企業は、リスク評価を実施することで、リスクと改善の機会を着実に把握し、リスク管理のために内部統制における優先順位を決めて対応することができます。ライフサイエンス企業は、このリスク評価を実施することで、APIの供給源、臨床研究機関とその所在地、契約管理業務とその所在地、流通を含む業務全体にわたって、変化する輸出管理規制、経済制裁、地政学、貿易救済措置の影響を認識する必要があります。
・内部統制:企業リスクに関連した堅牢な内部統制を構築し、維持することは、大企業においてコンプライアンスを確保するために不可欠です。ソフトウェアや技術を含む規制アイテムのリスクを確認し管理するための文書化された手順と統合された措置により、違反を未然に防止できます。ライフサイエンス企業の場合、特に研究、開発、臨床業務の管理を、商業生産および流通活動とは分けて扱う必要がある場合があります。
・研修:コンプライアンス・プログラムを強化するためには、企業全体を対象に、役職に応じた研修を頻繁に実施することが不可欠であり、特定の役職者が担う日常業務や責任に関連する輸出管理規制や制裁リスクへの認識を高めることが重要です。研究および臨床施設に関連するリスクについては、既存の対象研究施設研修(バイオセーフティー、放射線安全など)に輸出管理規制に関する内容を統合することで、より効果的になると考えられます。
・モニタリングと監査:モニタリングは、事業、業務、関連リスクに関する洞察を提供し、ポリシー、手順、内部統制の強化に役立てることができるため、強固なコンプライアンス・プログラムの推進にとって極めて重要です。データ分析およびテクノロジー主導のソリューションは、コンプライアンス・プログラムのモニタリングと監査を促進し、リスクギャップの発見や、リスク管理のための内部統制や企業運営の改善機会の発見に役立ちます。経営幹部は、この地政学的時代においてサプライチェーンの継続性を確保し、事業運営権を維持するためには、戦略立案・遂行(事業およびサプライチェーン計画、買収のデューデリジェンス、政府との関係)に貿易関連部門を含めることが不可欠であることを認識する必要があります。
巻末注
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続きを読む昨今の世界的な地政学的対立に起因する規制強化によって、企業にとっては、日本の安全保障貿易管理法令のみならず、米国等の輸出管理規則(EAR)・制裁法への対応等、リスクが大きく変容しています。このような中では、サプライチェーン全体でこれらの規制に適切に対応する管理体制の構築が喫緊の課題となっています。 EYは、輸出等における安全保障貿易管理の領域における企業のリスク・影響を分析し、適切なソリューションを提供します。
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