EYとは、アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドのグローバルネットワークであり、単体、もしくは複数のメンバーファームを指し、各メンバーファームは法的に独立した組織です。アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドは、英国の保証有限責任会社であり、顧客サービスは提供していません。
要点
CFOアジェンダシリーズの最新記事のおしらせを受け取る
CFOコミュニティへ登録
企業の掲げる経営方針は、短期的な利益を重視するものから持続的な発展および長期的な企業価値向上に向けたものへと変わりつつあります。米国では、ビジネスラウンドテーブルにおいてマルチステークホルダー経営による企業価値向上の重要性が表明され、従業員投資やサステナビリティ投資の加速や、自社のみならずサプライヤーを巻き込んだサプライチェーン全体での活動推進、あるいは消費者意識の変化を受けた取り組みを強化する動きが出ています。さらにはパブリック・ベネフィット・コーポレーションと呼ばれる社会問題や環境問題への取り組みを公的な目的に記載した会社形態が法制化され、マルチステークホルダー経営への高い期待が見られます。
また、欧州域内で施行されたEU株主権利指令(SRDⅡ)(注1)においても、行き過ぎた短期的な利益追求ではなく中長期的な利益を追求するよう要請され、さらには、社会問題や環境問題に対する規制強化により、企業はESG活動をより促進することが求められています。
日本国内に目を向けると、関西経済連合会および各地域経済連合会から「コーポレートガバナンスに関する提言~マルチステークホルダー経営に支えられた新しい資本主義の実現に向けて~」(注2)が2023年に公表され、中長期的な視点に立った戦略的な経営のもとで企業価値を向上させるとともに、顧客・従業員・取引先・地域社会・株主の間で生み出した価値を公平でバランスよく分配することの重要性がうたわれており、加えて、マルチステークホルダー経営をテーマとするシンポジウムやラウンドテーブルが各方面で行われています。元来、日本企業にはマルチステークホルダー経営ともとれる経営方針が垣間見られましたが、近年においては短期的な業績追求、いわゆる赤字配当や過度の自社株買いを許容する株主還元優先の風潮が強く、特に海外の株主に対するキャッシュアウトが多額になりがちで長期的な視野での経営が阻害されていたように思われます。こうした株主偏重に加えて、財務省の法人企業統計調査(注3)によると2023年度の内部留保は初めて600兆円を超えることが明らかにされるなど企業の内部留保は年々加速度的な増加傾向にあります。それに対して、役員や従業員の報酬や給与はこの30年間ほぼ横ばいであり、新規事業へのイノベーション活動も伸び悩んでいます。このままでは失われた30年の暗雲からの脱却は依然として厳しく、いまこそ株主、投資家以外のステークホルダーへの公平な価値還元の観点から企業価値を念頭に置いた経営に視点を変えるべきではないでしょうか。
実際、日本企業の最近の潮流として、従業員投資の一種である従業員報酬を意識的に増額させる動きがありますが、それだけではなく、顧客の嗜好(しこう)変化に対応するための魅力的なイノベーション投資、事業ポートフォリオの最適化、ひいては両利きの経営の実現による企業価値の最大化、または環境問題を解決する取り組みの強化や地域社会との共存・共生といった企業のソーシャルライセンスに目を向け、企業を取り巻く多方面のステークホルダーを意識したマルチステークホルダー経営を目指していくことが、多くの企業にも共通する差し迫った課題であると考えます。
マルチステークホルダー経営を実践していくにあたり、企業は、株主や投資家だけではなく、顧客、消費者、経営層、従業員、販売店、サプライヤー、銀行、政府、自治体、NGO/NPO、地域社会といった企業価値向上に関係するすべてのステークホルダーからの期待や要請を把握し、企業経営を行っていく必要があります。具体的には、既存事業による収益獲得を推し進めながらも、将来のマーケット変化やエマージングテクノロジーの台頭に端を発する新たなビジネス機会に対して、事業開発およびイノベーションを進めることに加え、SDGsなどの社会課題への貢献要請、さらには規制強化、少子高齢化や働き方改革といった国内の人材活用に対する関心の高まり、あるいは特定地域の過疎化問題などの社会のサステナビリティに対する要望に対処していくことになります。このようなさまざまなステークホルダーからの期待や要求を十分に理解し、企業行動に落とし込むことにより、多様なステークホルダーとの適切な協働関係と信頼関係、すなわちステークホルダーエンゲージメントを築き上げることができます。ステークホルダーエンゲージメントは、企業にとって経営資源そのものであり、強固な関係下においては、長期的成長のためのステークホルダーからの信頼性向上はもとより、事業活動に影響する適切な情報把握やトレンド観察、組織の透明性向上、文化醸成、新たな課題に対するイノベーションや組織変革の促進、従業員の意識の高まりなど、長期的な企業価値向上に多大な影響を与えます。
ステークホルダーと一口に言っても多種多様であり、ステークホルダーエンゲージメントを無分別に語ることは得策ではありません。自社のパーパスから各ステークホルダーの重要性を吟味し、濃淡を意識した上で、適切な付加価値分配を行っていくことがステークホルダーエンゲージメントを最も高める結果になります。
マルチステークホルダー経営
まずはパーパスを定義することから始めます。このステップでは、パーパスを定義し、自社の存在意義と社会的責任を認識します。社会課題に対する企業への要求が高まる中で持続可能なビジネスとしてパーパスをしっかり定義し、ステークホルダーに応えていくことが必要です。
次に、ステークホルダーエンゲージメントの構築検討を行います。このステップにおいてはまず、1つ目として、ステークホルダーを特定します。自社のコンテクストを前提として、ステークホルダーを洗い出し、分類、期待値やエンゲージメントレベルを明確化し、積極的に関与すべき対象を設定します。次に、自社にとって達成すべき社会的責任を果たし、ステークホルダーに貢献する上でのマテリアリティを整理、見直し、評価を行います。さらに、マテリアリティとの整合を踏まえながら、さまざまなステークホルダーとのエンゲージメントをどのように高めていくのか、具体的な施策を設定します。
次に企業価値のモデリング・分析を行い、自社の現状理解および将来に向けた活動指針を分析します。このステップでは、初めにステークホルダーエンゲージメントを測定するためのKPIの設定が行われ、ステークホルダーエンゲージメントを高める施策が企業価値に貢献できるものなのか因果関係を検証します。次に、企業価値のモデリングを行い、ステークホルダーエンゲージメント施策から直接的にもたらされる先行アウトカムを特定し、最終的に企業価値が向上されるまでの時間的影響を分析します。続いてステークホルダーエンゲージメント施策に対する投下資本の多寡によるシミュレーションを実施し、企業価値インパクトを可視化します。
そして、企業価値モデリングの分析結果を踏まえた、優先投資の特定と予算の確保、分配戦略の策定を行い、ステークホルダーごとの投資戦略を立案します。
最後に、戦略ストーリーをまとめ上げ、PR・IR・SR活動へ昇華させます。このステップでは、まず、PR、IR、SR戦略として、マルチステークホルダーに語るべく、持続可能な長期的企業価値創造ストーリーを作成します。次に、持続的な発展を支えるステークホルダーに対する、長期的価値創造ストーリーの継続的な開示を行います。
マルチステークホルダー経営の実践に向けた検討ステップ
例えば、マルチステークホルダー経営を推進していくことで、従前と分配方針が大きく変わる可能性が高く、特に株主、投資家からの理解を十分に得られないことが想定されます。獲得した利益を社会課題解決への投資や従業員への投資等、持続的な長期的企業成長を促す投資にあてがうためには、企業側から積極的にそれらの投資がどのように企業価値向上に寄与するのかしっかりとした説明を行い、長期的な成長への理解を得る必要があります。そのためには、エンゲージメント向上施策が長期的な視点に立ったビジネス環境変化を踏まえた上で、より具体的に、かつ定量的にどのような成果およびアウトカムを導くものなのかモデリングすることが不可欠です。この点、非財務データの情報収集基盤は必須条件であり、実際の企業データを使ったモデリングは長期的な成長ストーリーの証明力向上に寄与し、株主や投資家の共感を呼び起こします。また、企業価値創造ストーリーを管轄とするChief Value Officer(CVO)が財務的価値のみならず、顧客価値、人材価値、社会的価値を含めた、企業価値の全体的な側面から指標をモニタリングすることでステークホルダーエンゲージメントを強化していくことになります。さらに、上記のような分配方針はあらかじめ中期経営計画や長期経営計画などの長いスパンでの計画に取り入れておくことに留意が必要です。この点においてマルチステークホルダー経営を成功に導く上でもCVOは重要な役割を担います。
加えてマルチステークホルダー経営に対する共感を高めるためには、長期的な企業価値向上ストーリーを必要十分に発信していくことが求められます。企業とマルチステークホルダーをつなぐツールとしては有価証券報告書や統合報告書がありますが、一定の自由度の高い統合報告書でありながらも、IIRCや価値創造ガイダンスに沿った報告にとどまる傾向が見られるのが現状です。企業のサステナビリティと社会のサステナビリティをマテリアリティと施策に落とし込み、企業価値向上に向けた戦略・ストーリーをマルチステークホルダーへ向けて発信していく体制、まさにCVOの役割を強化する必要があります。
これまでの資本主義社会においては競争優位性や株価、利益など短期的な視点での施策に主眼が置かれる傾向が見られました。誤解を恐れずに述べるのであれば、長期的な企業価値をモノサシとする経営を行っていなかったのではないでしょうか。ここに失われた30年の真因があると考えます。しかしながら、最近の傾向としては、社会課題に対する要望、要求が強まる中で長期的な視点での施策の実行、そして、企業と関係のある多方面からのステークホルダーに価値を分配していく、まさにマルチステークホルダー経営の考え方が見られます。この潮流を大きなビジネス変革の機会と捉え、多くの日本企業が持続的長期的な発展を遂げることを期待しています。
多くの企業のパーパスには、サステナブルな経済の好循環、社会の発展やイノベーションなどに基づく長期的な企業価値(Long-term value、LTV)向上が掲げられ、これらはまさに企業を取り巻くステークホルダーが望んでいる世界観です。パーパスおよびLTVの実現に向けて、企業価値を高めるための適格な企業行動とアウトカムを計画、実行、管理し多方面のステークホルダーと対話していくマルチステークホルダー経営のチャレンジは始まっています。
EYの最新の見解
労働人口減少時代におけるファイナンス組織の在り方とは? -レジリエントなファイナンス組織の実現に向けた人・組織観点の考察-
少子高齢化や就労意識の変化により労働人口不足が顕在化するなかで、ファイナンス組織に求められる役割は高度化しています。ファイナンス組織はどのような組織運営を目指すべきか、EYが考えるアプローチをご紹介します。
現代のCFOが抱える3つのジレンマとその解消に向け取り組むべき7つのアジェンダ
EYが多くのCFOと対話する中で、CFOが典型的に抱える3つのジレンマを解明し、そのジレンマを解消するための施策について7つのCFOアジェンダとして整理しました。
EYの関連サービス