EYとは、アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドのグローバルネットワークであり、単体、もしくは複数のメンバーファームを指し、各メンバーファームは法的に独立した組織です。アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドは、英国の保証有限責任会社であり、顧客サービスは提供していません。
スタートアップの急成長は、社会に新たな活力とイノベーションをもたらす一方で、不正取引の発生は資本市場の信頼を揺るがし、社会的にも深刻な影響を及ぼします。
特に、循環取引(*1)やバーター取引(*2)などの取引は、意図的かつ巧妙に仕組まれており、入金記録や契約書などのエビデンスが整っているため、表面的には正常な取引に見えるケースが多く、発見が困難ともいえます。
こうした背景から、筆者も近年、スタートアップ関係者から上記のような取引への実務的な対応方法について相談を受ける機会が増えてきています。
本稿では、特にIT関連企業を中心としたスタートアップ関係者を対象に、実需や経済合理性を欠くバーター取引や循環取引など「役務提供等の実態が伴わない取引」への対応として、今すぐに確認し取り組むべき3つの実務的アプローチを提案します。
さらに、複雑化する会計スキームに対応可能なエコシステムの構築に向けて、会計リテラシーの向上を中長期的な課題として提言したいと考えています。
なお、本稿に記載された意見は筆者個人の見解であり、EY新日本有限責任監査法人の公式な立場を示すものではないことをご留意ください。
(*1)循環取引とは、複数の企業が共謀して商品の転売や役務の提供を繰り返すことにより、取引が存在するかのように仮装し、売上や利益を水増しする行為の総称(2022年9月15日付日本公認会計士協会の「循環取引に係る注意喚起のリーフレット」より)。
(*2)バーター取引とは、取引の実需や経済合理性がなく、複数の企業が互いにプロダクト・サービスを販売し合うスルー取引。取引相手と共謀して自社のプロダクト・サービスを販売する代わりに、相手のプロダクト・サービスについても購入することで、互いに売上を良く見せようとするもの。
スタートアップ業界においては、マーケティング、セールス、購買、人事などの業務領域において、取引先と相互にサービスを提供・利用することがあります。その結果、同一の取引先が売上先であると同時に費用計上先となるケースが生じます。
しかしながら、これらの取引のうち、実需が伴わず、経済合理性を欠くものについては、収益認識基準を満たさない取引に該当するため、特段の注意が必要です。
不正リスクを未然に防止するためには、速やかに以下の観点から確認を行い、内部統制の構築・強化を図ることが求められます。
① 同一取引先に対する売上および費用計上の有無、ならびにその取引経緯や経済合理性の有無について確認する必要がある。特に、売上と費用の金額が同額または近似している取引については、慎重な検討が求められる。
② 同一取引先との間で販売および購買を行う場合には、取引の経済合理性を十分に検討した上で、これを担保する内部統制の構築が必要である。
なお、上記の対応は、同一取引先とのバーター取引に対する検証に限定されるため、第三者を介在させた循環取引スキームなど、より複雑な不正取引の可能性を視野に入れ、以下2.および3.に示す内部統制の整備・運用も併せて検討する必要があります。
スタートアップにおける売上認識に関しては、入金や契約書等の形式的なエビデンスのみならず、実際にサービス提供が行われたか否かを確認するための内部統制が不可欠です。具体的には、以下のような対応が考えられます。
① サービス提供の実態を確認するため、ユーザー管理用システム画面を閲覧し、アカウントの利用状況や稼働履歴を示すイベントログデータ等、システム上の記録を確認すること。
② システム稼働履歴の改ざんリスクを踏まえ、IT全般統制やITアプリケーションコントロール、さらにIT関連の職務権限・分掌を含む内部統制の強化を図ること。
③ 売上の商流やスキームを理解した上で、取引の実態および実需の有無、経済合理性について検討すること。
なお、システム上においては、ユーザーによる利用履歴やデータ変更ログを記録する機能が仕様レベルで実装されていることが必須です。これにより、サービス提供の実態を客観的に裏付けることが可能となります。
スタートアップにおいて多額の経費が発生する場合、特に広告宣伝費など、実際にかかった費用とサービス内容との整合性の検証が容易でない取引については、出金記録や請求書等の形式的なエビデンスに加え、取引の実態および金額の合理性を確認するための内部統制が必要です。具体的には、以下のような対応が考えられます。
① Web広告に関しては、広告管理画面で広告の掲載設定や配信ログを閲覧することにより、利用状況を確認すること。
② TVCMなどのマスマーケティングに関しては、広告代理店とのやり取りの履歴や、実際の放映実態を確認すること。
③ マーケティング費用の目的、業務内容、商流の把握に加え、金額の決定方法や広告効果など、取引の実態を総合的に把握すること。
循環スキーム等の複雑な取引においては、関係者の会計リテラシーの水準が、その理解および判断に直接的な影響を及ぼします。不正スキームに該当するか否かの判断がつかず、意図せず当該スキームに関与してしまうケースも少なくありません。
このようなリスクは、上場準備企業に限らず、企業を取り巻く関係者全体に共通して存在するものであり、スタートアップ・エコシステムの健全性を維持・向上させるためには、会計リテラシーの底上げが中長期的な対応として求められます。特に、収益認識基準の理解は、企業規模や業種を問わず、すべての企業にとって極めて重要であるといえます。
筆者自身もIPO関係者として、こうした構造的課題に真摯に向き合い、専門的知見を生かした支援を通じて、社会的責任を果たしていきたいと考えています。
なお、2022年9月15日付で日本公認会計士協会が公表した「循環取引に関する当協会の取組について(お知らせ)」では、循環取引に係る注意喚起のリーフレットが掲載されているため、参考資料として一読を推奨します。
参考資料
日本公認会計士協会(JICPA)ウェブサイト
・日本公認会計士協会から企業の皆様へ注意喚起(jicpa.or.jp/business/ipokansa/awareness.pdf)
本稿では、特にIT関連企業を中心としたスタートアップ関係者を対象に、「役務提供等の実態が伴わない取引」への対応として、今すぐに確認し取り組むべき3つの実務的アプローチと複雑化する会計スキームに対応するための会計リテラシー向上を中長期的課題として提案しています。