2021年7月16日
ヘルステックマーケットの潮流と保険業界へのインパクトとは

ヘルステックマーケットの潮流と保険業界へのインパクトとは

執筆者 青木 計憲

EY Japan 金融サービス・コンサルティングリーダー/保険セクターリーダー EYストラテジー・アンド・コンサルティング株式会社 パートナー

勝つと思えば慎重に、負けると思えば大胆に。

2021年7月16日

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今、あらゆる業界で既存のビジネスモデルをデジタル技術によって変革するDXが行われています。

保険業界では健康(ヘルス)とテクノロジーを組み合わせた「ヘルステック」が話題となっています。このマーケットが大きく成長する兆しを見せている中で今後、業界へどのような影響を与えるのでしょうか。

要点

  • 今、注目されるヘルステックは「健康促進型の商品・サービス」に応用されるものであり、その技術を使った新しいサービスがトレンドになりつつある。
  • 日本のヘルステックマーケットでは「医療情報データベースの構築が遅れていること」「スタートアップ・エコシステムが発展途上であること」の2点が課題となっている。
  • 今後、日本の保険業界は「保険×ヘルステック×ルール形成」により“プレミア・ブルーオーシャン”を日本に創出することが重要である。

※本記事は、2021年3月16日~18日にEYが協賛して行われたFIN/SUM2021でのセッション内容を記事化したものです。

インシュアテックにおいて今注目されるヘルステックの役割とは何か

日本でも本格的なデジタル社会が到来する中、保険業界のDX(デジタルトランスフォーメーション)として今、大きく注目を集めているのが保険(インシュアランス)とテクノロジーを掛け合わせた「インシュアテック」です。このインシュアテックには「顧客体験の刷新―CX(カスタマーエクスペリエンス)の向上」「AI/データ分析による営業支援」「組込型保険」「健康促進型商品・サービス」「ハイパーリスクマネージメント」「オペレーション自動化・効率化」「デジタル・プラットフォーム・ビジネス」といった7つの分類項目があり、当初は事業の効率化・顧客体験の刷新から始まり、最近ではリスクの可視化や予防などの健康促進型の商品・サービスへと広がってきています。ヘルステックはこの中の「健康促進型の商品・サービス」に応用されるものであり、これまでのように保険金で疾病のリスクを担保することに加えて、ヘルステックの技術を使って「予防する」「予測する」「再発を防止する」サービスが新たなトレンドになりつつあります。

実際、保険会社のイノベーションの方向性においても、いわゆる「プロダクト・ドリブン(商品対応主導)」から「カスタマーエキスプレス・ドリブン(迅速な顧客対応主導)」へ変わってきています。従来のように商品のチャネルから入るのではなく、お客さまにとって一番快適なデジタルマーケットプレイスを経由して保険商品を提供する。または損保のようにモノの購買と保険の加入を同時に行う組込型保険などが主流となっています。

保険各社はQOLの向上を軸に健康増進支援サービスを重点化

現在、日本では総人口が減少し、少子高齢化が進む中、生産年齢人口の割合低下が進行し、将来の生命保険の市場総量縮小が予想されています。その一方で、高齢者数、医療・介護給付費は右肩上がりで上昇しており、保険会社の支払保険金の増加も懸念されています。日本の生命保険マーケットを長期的に見ても、日本は今も世帯加入率88%1と高い数字ではあるものの、収入保険料・世帯加入率はともに緩やかな下降トレンドの中にあります。

こうした市場環境の変化を踏まえ、保険会社では「万が一の備え」だけでなく「クオリティ・オブ・ライフ(QOL)の向上」を新たな価値提供として拡大し、デジタルテクノロジーを活用したリスク削減・収益拡大に取り組んでいます。

具体的には、これまでの死亡保障を中心とした保障の提供に加え、健康状態に応じた保障を行う「ダイナミックプライシング」やデータ・行動が保険料に反映する「パーソナライズド」に加えて、アプリを活用した認知症・糖尿病などの疾病予防、オンライン健康相談・復職支援といった治療相談ほか、運動データを計測して生活習慣改善を図る「健康増進支援サービス」に取り組んでいます。

例えば、大手生命保険会社では糖尿病予備群を対象に有料の糖尿病予防プログラムを開始2したり、別の企業では外国企業と提携し、ランニング・ウオーキングイベントと連携が可能な行動経済学に基づいた健康増進型保険商品を発売3したりしています。こうした流れはコロナ禍のもと、さらに加速しています。

ヘルステックマーケットはどこまで進化しているのか

では、注目されるヘルステックマーケットのトレンドについて具体的に見ていきましょう。ヘルステックには、予防・健康増進分野では「医療データの連携」「健康管理・早期発見」「健康増進サービス」。治療・改善分野では「遠隔治療/バーチャル診療」「診断・治療の高度化」「新薬開発」「遠隔処方・服薬管理」。予後・介護分野では「遠隔介護/モニタリング」「介護の高度化」と計9つの領域があります。このうちコロナ禍で今「遠隔治療/バーチャル診療」が注目されていますが、実は一番重要なのはヘルステックのすべてのベースとなる医療データ連携です。保険会社も医療データ連携を活かしてQOLをいかに向上させるかという観点から、新たな価値を創造する取り組みを企図しています。

ただ、日本では医療データ連携が非常に遅れているのが現状です。例えば、米国やカナダでは、こうした医療データを官民で共有しており、さまざまなステークホルダーがいつでも見ることができるようになっています。データがそろっていれば詳細な分析も可能ですし、予防に対しても有効な手段を講じることができます。

世界のヘルステックマーケットで日本は存在感を示せていない

コロナ禍による環境変化などを背景に、ヘルステックマーケットは今、世界的に急成長を遂げていますが、実は日本は存在感を示すことがまだできていません。実際、ヘルステックマーケットの資金調達動向を見ると、2016年から2020年のCAGR(年平均成長率)は26.4%。2020年にはコロナ禍による遠隔診療の規制緩和やヘルスケア業界のDX進展などを背景に資金調達額は過去最高となりました。スタートアップ投資でもヘルステック分野がトップとなり、注目の高いIoT分野は2位という結果となっています。

しかし、国別に資金調達額を見ると、世界的にヘルステックマーケットをけん引しているのは米国(71.6%)と中国(20.8%)であり、日本(0.7%)はほとんど存在感を示すことができていないのです。

なぜ日本のヘルステックマーケットは米中の後塵(こうじん)を拝しているのでしょうか。それは「医療情報データベースの構築が遅れていること」と「スタートアップ・エコシステムが発展途上であること」という2つの理由があります。

事実、日本の医療ビッグデータの基盤構築では、データガバナンスと技術・オペレーション構築の両面において世界各国より未成熟であり、一歩も二歩も遅れています。また日本は米国のシリコンバレーやイスラエルのテルアビブなどのテックシティーと比べてスタートアップ・エコシステムが発展途上の段階にあります。

他方、日本と比較して、米中のスタートアップ企業は大きく先に進んでいます5。例えば、ある米国企業は、数十年間のメンタルヘルス研究結果に基づくメンタルヘルスサービスをオンラインで提供。軽度のストレスや不安状態にある人にも利用しやすくすることで、メンタルヘルス予防を促進しています。また、中国のスタートアップ企業は、幅広い関連事業者と提携し、オンライン医療サービス中心であるO2O(=Online to Offline)の総合健康プラットフォームを提供。AIなどの活用に注力しており、市中でAI診療および遠隔診療を行える”無人病院”を展開しています。さらに別の米国企業は、生命科学とテクノロジーにより健康と病気の真実を明らかにすることを使命とし、ライフサイエンスを軸としてバーチャルケア事業・保険業など周辺事業への展開を進めています。

保険 × ヘルステック × ルール形成で日本に”プレミア・ブルーオーシャン”を日本に創出

今後、日本の保険業界はどのような方向に向かっていくのでしょうか。まず保険に対するニーズの変化とヘルステックの活用により、健康状態や日々の運動、食生活に基づく「ダイナミックプライシング」や健康リスク予測による「個人のリスク特性に応じた」商品提案から、「ヘルスケアビッグデータ」に基づく引き受け対象の拡大・精緻化、医療プラットフォーム企業や特定検診などのデータベースとの連携による「手続き自動化」。そして健康増進プログラムやメンタルヘルスサポート、オンライン診療などの「QOL向上サービス」へと保険会社の提供価値は大きくシフトしていくでしょう。

これからは超高齢社会という日本のマーケット特性を生かして、積極的に業界外のプレーヤーとの連携を推進することによりヘルステックマーケットを拡大すべき時が来ています。保険会社は保険の提供価値を再定義することで、ヘルステックを活用した保険商品の開発や新たなヘルスケア付帯サービスの導入、そしてCVC(コーポレート・ベンチャー・キャピタル)などを介したヘルステック市場への投資・知見の獲得に舵を切っていくことが必要です。さらに産官学連携による機会創出や税制優遇措置などを通して、ヘルステックを推進し、これからは「保険×ヘルステック×ルール形成」によって“プレミア・ブルーオーシャン”を日本に創出することが重要です。

脚注

  1. 「平成30年度生命保険に関する全国実態調査」(2018年12月)、公益財団法人 生命保険文化センター、https://www.jili.or.jp/research/report/pdf/h30zenkoku/2018honshi_all.pdf(2021年5月11日アクセス)
  2. 「糖尿病予防プログラムの本格展開について」(2020年7月)、日本生命保険相互会社、https://www.nissay.co.jp/news/2020/pdf/20200714.pdf(2021年5月11日アクセス)
  3. 「新規プロジェクト『Japan Vitality Project』に関するお知らせ」(2020年7月)、住友生命保険相互会社、https://www.sumitomolife.co.jp/about/newsrelease/pdf/2016/160721.pdf(2021年5月11日アクセス)
  4. CB Insights, https://www.cbinsights.com/(2021年5月11日アクセス)
  5. CB Insights, Digital Health 150: The Digital Health Startups Transforming The Future Of Healthcare, https://www.cbinsights.com/research/report/digital-health-startups-redefining-healthcare/(2021年5月11日アクセス)
  6. Modern Health社ホームページ、https://www.joinmodernhealth.com/(2021年5月11日アクセス)
  7. Pang An Good Doctor社ホームページ、http://www.pagd.net/allPage/aboutUs/47?lang=EN_US(2021年5月11日アクセス)
  8. Verily社ホームページ、https://verily.com/(2021年5月11日アクセス)

サマリー

保険会社はヘルステックを使って「QOLの向上」を顧客に訴求しようとしています。医療情報データベースの構築の遅れやスタートアップ・エコシステムが発展途上である、といった日本の課題を克服するために保険会社は業界外のプレーヤーと連携するなど、ヘルステック市場への投資や知見を深める必要があります。

この記事について

執筆者 青木 計憲

EY Japan 金融サービス・コンサルティングリーダー/保険セクターリーダー EYストラテジー・アンド・コンサルティング株式会社 パートナー

勝つと思えば慎重に、負けると思えば大胆に。