EYとは、アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドのグローバルネットワークであり、単体、もしくは複数のメンバーファームを指し、各メンバーファームは法的に独立した組織です。アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドは、英国の保証有限責任会社であり、顧客サービスは提供していません。
アシュアランス・イノベーション本部 AIラボ
公認会計士 市原直通
2003年、当法人入所。金融機関におけるデリバティブの公正価値評価やリスク管理に関する監査、アドバイザリー業務に従事。16年より会計学と機械学習を用いた不正会計予測モデルの構築・運用や監査業務におけるAI活用に関する研究開発に従事している。日本証券アナリスト協会 検定会員。
アシュアランス・イノベーション本部 AIラボ
公認会計士 成行浩史
2007年、当法人入所。不動産業、製造業等の監査業務、またIFRS導入支援、内部統制助言等アドバイザリー業務に従事。20年より仕訳の異常検知システムの開発・運用に従事し、Digital Auditの推進に取り組んでいる。主な著書(共著)に『不動産取引の会計・税務 Q&A』(中央経済社)がある。
アシュアランス・イノベーション本部 AIラボ
公認会計士 出口智子
2008年、当法人入所。製造業、製薬業などの上場会社の監査に従事。16年より仕訳の異常検知システムEY Helix GLADの開発・運用に従事し、Digital Auditの推進に取り組んでいる。
本誌5月号では、仕訳データの基礎となる総勘定元帳および、これを補助する補助元帳(補助簿)を分析対象とするデータアナリティクスツールを紹介しました。補助元帳は、特に取引件数が多い売上などの勘定科目について、総勘定元帳よりも広範囲の情報を持っているため、これを分析対象とすることで、より詳細なデータアナリティクスが可能となります。
今号では、複数の補助元帳を用いて、異常な取引を検知する手法について紹介します。
本誌5月号でも述べた通り、仕訳データの基礎となる総勘定元帳は、一般的に、会計数値に直接影響を及ぼす仕訳日付、勘定科目および金額といった情報だけではなく、取引先や部門等の会計数値に付随する情報を持っています。しかし、上場会社のような規模の大きい会社の場合、ビジネスの遂行上必要な情報を総勘定元帳のみで管理することは効率性等の観点から現実的ではないため、総勘定元帳を補助する補助元帳を利用しています。補助元帳は、取引件数の多い勘定科目ごとに作成されており、総勘定元帳より広範囲の情報を持っています。
分析に用いる情報の粒度は分析結果の有用性に大きく影響します。補助元帳が保有するデータを利用することで、より深度ある分析が可能となります。一方で、扱うデータ量は膨大なものとなるため、適切なインフラの構築は欠かせません。
本誌5月号で紹介した、EY Helix Sub-ledger Analyzerは、ビジネスおよび業務プロセスを理解し、監査におけるリスクの高い領域を識別するなど、分析に特化したツールであるのに対し、今回は、複数の補助元帳を結合し一定の仮説に基づく条件に該当する取引を検知・抽出する手法を紹介します。ここで「一定の仮説に基づく条件」とは、リスクが高い取引が行われた際に補助元帳に表れる可能性があると、監査チームが想定した特徴を指します。監査チームが、「補助元帳の中で、このような特徴をもつ取引は、検証すべき異常な取引である」という仮説を構築し、これに基づいて異常検知を行います。従って、監査チームが、被監査会社におけるビジネス環境や会計慣行をよく理解することが、効果的な異常検知を行う上で極めて重要となります。
また、異常検知を行うプロセスにおいて、複数の補助元帳を横断的に利用することも大きな特徴です。総勘定元帳よりも、詳細な情報をもった補助元帳同士を結合することで、異常取引を検知するための適切な抽出条件の設定が可能となります。
例えば、売上元帳を用いて異常な売上取引を検知する際には、単に売上元帳だけを利用するのではなく、各売上取引に関連する仕入や売掛金の情報を、仕入元帳や売掛金元帳を利用して紐づけます。これにより、抽出条件を設定する際に、仕入先や発注価格、入金情報なども併せた仮説の構築が可能となります。
また、検知のためにデータを加工する際には、各元帳で共通となるキーアイテム(売上元帳と売掛金元帳であれば得意先番号など)を利用して元帳を結合します。検知を行う前に実施するデータ加工の段階で、補助元帳間の不整合、例えば、売上元帳に記載された原価金額と仕入元帳に記載された原価金額が異なる、といった元帳の情報自体の異常を検知して、アラートを発することも可能となります。この加工作業自体が、リスクの高い領域を識別するなど、監査上有用な情報となる可能性があります(<図1>参照)。
次章では、具体的な例として、売上の典型的な不正手口である循環取引にフォーカスして、異常な売上取引を検知する手法について紹介します。
ここでは、補助元帳の代表的な例である、売上元帳、仕入元帳および売掛金元帳を用いた循環取引の検知について説明します。
循環取引とは、複数の企業・当事者が互いに商品の販売やサービスの提供などを繰り返すことで売上高や利益を計上し、結果的に最初の売主と最終の買主が同一になる取引です。複数の企業・当事者が共謀し、相互発注を繰り返すことで、売上高や利益を水増しすることを目的に行われます。循環取引は,経営者あるいは特定の上級管理者により意図的に仕組まれた取引であることが多く、正常な取引条件を備えているように見える場合が多いことが最大の特徴です。
循環取引は、通常、注文書や契約書、検収書等証憑(しょうひょう)書類が形式的には整備されており、実際に入金があるケースが多く、発見するのは困難といわれます。しかし、本来不正を目的とした実体のない取引であることから、売上先と仕入先に同一の会社が存在する、利益率が通常よりも異常に低い(もしくは異常に高い)、新規取引先にも関わらず取引金額が多額である等、一定の異常な兆候が検出されることが少なくありません。本手法においては、これらの特徴を持つ取引は循環取引のリスクが高いという仮説を構築し、抽出するための条件とします。
ここで、前述した循環取引の特徴は、売上元帳の情報だけでは抽出条件として定義できない場合があります。例えば、「仕入先にも売上先にも存在する取引先」を抽出するには、仕入元帳の情報を利用する必要があるからです。そこで、前章で述べたように、本手法では、異常検知の前段階として、抽出条件の設定に必要な複数の補助元帳を、各元帳に共通するキーアイテムをもとに結合して異常検知を実施します。
循環取引の特徴として上記に列挙した特徴(抽出条件)の中には、企業によっては、当てはまらない(特段異常な兆候ではない)ものもあるでしょう。その場合には、当該条件を抽出条件から除外することで、さらに検討対象とすべき取引を絞り込むことができます。適切な抽出条件を設定することが、監査の効率化の観点からも重要となります。
広範囲の情報を持つ補助元帳に対して抽出条件を設定する上では、「異常の特徴」となる仮説の精度が極めて重要となります。異常検知の対象として想定する不正等について、不正等が行われた際に補助元帳にどのような影響が出て、どのように識別できるかを適切に推定することが、検知力向上のカギとなります。
「売上の推移において異常がある」という抽出条件を設定する場合には、分析の切り口に何を設定するかが重要です。例えば、個人の営業成績に大きなインセンティブボーナスが課せられる企業であれば、営業担当者別の売上高推移が一つの指標となることが考えられます。また、経営者主導で、特定の取引先と結託して行われているケースに対しては、取引先別の売上高推移に着目すべきといえます。
当手法を用いた異常検知の際の抽出条件としては、例えば次のような項目が考えられます。
上記のような抽出条件を用いることで、状況によっては、売上取引全体の0.2%程度にまで絞り込めることが分かってきています。
なお、上記の中に時系列で推移を見たときの異常値という条件がありますが、自己回帰型のモデルの適用には注意が必要です。会計データは、時間の経過に沿って記録されるデータであり、時系列データとして捉えることができます。時系列データには自己回帰型のモデルを用いた分析がなされるケースが多いものの、重要な前提として定常性と呼ばれる、時間によらず期待値、自己共分散が一定という性質を持っている必要があります。これはある値を中心に一定の周期で変動するようなデータになり、この仮定を満たすのは簡単ではありません。たとえば日々の売上はさまざまな要因が絡み合い決定されることの方が多く、過去の一時点(例えば昨日)の売上実績から現在(例えば明日)の売上の予測は難しいケースが多いでしょう。長期的にみた業界全体のトレンドや、季節変動など、一定の循環傾向を読み取ることは可能なケースもありますが、異常検知のための分析、という観点からは自己回帰型のモデルが当てはまるケースは限定的です。
自己相関の仮定をおかず、日々の計上額の平均・分散に基づいた異常検知や、他の外部変数との関係性が合理的に想定できる場合にはそういった変数を用いたモデル、分散共分散の推定により異常検知を行う方が堅固な結果が得られやすいようです。
異常検知結果を検証するにあたり、抽出された取引を個々に検証するだけであれば、検知された取引を列挙したスプレッドシートがあれば十分ですが、ビジュアル化された情報を用いて、補助元帳全体を俯瞰(ふかん)的にさまざまな角度から分析するという観点も重要となります。
例えば、<図2>のように、取引先ごと(もしくは営業担当者ごと)の売上が、どのような推移を経て期末残高に至ったかを観察することで、特定の取引先への売上が期末付近に急激に増加していないか、期末直前になって予算をわずかに上回る結果となる傾向がないかなどの情報を得ることができます。ここで、異常な推移を示した取引先があれば、抽出結果の中から、この取引先を含む取引を選択して、検証対象とすることも考えられます。また、「取引先別の売上推移の異常」を抽出条件として追加し、あらためて検知を行うなど、抽出条件の設定の際にも、図表による分析を行うことで、より適切な仮説の構築ができる可能性があります。
また、循環取引に特化していえば、特定の仕入先・売上先の組合せにより行われるという大きな特徴があります。<図3>では、自社を通じて、最終的に、モノがどの企業からどの企業に流れたかの商流を簡略化して表示しています。左側が仕入先、右側が納品先です。帯の太さは取引金額の大きさを表しています。少額多数の取引がある中でも、売上データを適切に集計することで、企業の業績に大きなインパクトがある商流を識別することに役立ちます。また、過年度と比較することで、会社の取引全体に対する各商流が占める割合の変化を捉えることもできます。
以上のように、抽出された取引の背景を、ビジュアル化された図表で理解することで、検証対象のさらなる絞り込みやリスクの高い領域(特定の取引先・営業担当者など)を識別し、より効果的な監査手続の設計に寄与することが可能となります。
今回は、補助元帳を用いた異常取引の検知・抽出手法について紹介しました。不正の手口は、業種のみならず、企業によってさまざまな方法が考えられます。今回紹介した手法では、広範囲の情報を持つ補助元帳を対象に、補助元帳どうしを結合することで定性的に表現された不正の特徴や手口などを抽出条件として適用できるようにし、異常検知を行います。ITインフラの発達により、仕訳データよりもさらに粒度の細かい情報を持つ補助元帳ですら、分析の対象とすることが可能になってきました。分析データがビックデータであるからこそ、監査人が被監査会社の特徴を的確に捉え、適切な仮説を立てることによって、膨大な件数の取引の中から、真に検討すべき取引を特定することが可能となるのです。