EYとは、アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドのグローバルネットワークであり、単体、もしくは複数のメンバーファームを指し、各メンバーファームは法的に独立した組織です。アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドは、英国の保証有限責任会社であり、顧客サービスは提供していません。
要点
EY Japanの視点
日本市場では、市場変化のスピードに比して投資額が大きく、失敗のやり直しが難しいという構造的課題があります。そのため、多くの企業が「最初から正解を当てにいく」姿勢を取り、意思決定が遅れ、最終的に「作ったが売れない」新規事業が生まれやすい傾向があります。
その要因としては、稟議(りんぎ)や部門間調整、品質重視の文化により、検証前から過度に作り込んでしまう点や、顧客理解が属性分析にとどまり、行動や文脈に十分に踏み込めていない点が挙げられます。
対応としては、AIを活用して既存データと現場ヒアリングを統合し、ペルソナを短期間で設計することが重要と考えられます。HCD(人間中心設計)を基に価値提案とUXを描き、プロトタイプ投入と学習を繰り返す運用が有効です。
これからの新規事業開発では「小さく試し、学びを即座に意思決定へ反映する」運用をチーフ・プロダクト・オフィサー(CPO)の下で継続的に実行できるかが重要なポイントになります。
Section 1
牛乳の消費が落ち込む中、スイスの酪農協同組合は、拡大するチーズ市場を次の収益源にしようとしていました。
多くの企業が、顧客の変化を起点に、ビジネスモデルそのものを見直そうとしています。
その1社が、スイスの酪農家による協同組合であるmooh cooperative社です。同社は、組合員が生産する牛乳を、スイスの牛乳市場で大きなシェアを持つ4社の主要顧客に供給してきました。
しかし、こうしたビジネス環境は大きく変わりつつあります。まず、一般的な商品として扱われる牛乳では、価格競争が進み、生産者が受け取る単価が下がり続けています。その一方で、消費者の嗜好は変化し、植物由来飲料などの代替ミルクが急速に支持を集めています。さらに、これまでスイスの酪農家を海外との競争から守ってきた国の保護政策にも、見直しの動きが出始めています。その結果、より低価格で乳製品を提供できる海外の生産者が、市場に参入してくる可能性があります。
mooh cooperative社のCEOは、EY Studio+のリーダーが顧客中心型ビジネスモデルについて講演しているのを目にし、その後、EY Studio+に支援を求めました。
mooh cooperative社は、影響力の強いB2B顧客への販売依存度を下げるため、牛乳の新たな販売先を見つけたいと考えていました。ただし、新たな販売先や新規事業は、乳製品メーカーやチーズメーカーといったmooh cooperative社の主要顧客のビジネスと競合しないことが必須条件でした。
このように制約が多く、スピードも求められる課題こそが、EY Studio+のチームが強みを発揮できる領域です。専門性の異なるメンバーが小規模かつ機動力のある体制で取り組むことで、比較的短期間で価値提供を支援することが可能になります。
EY Studio+は、企業の中から新たな事業を育てる取り組みに注力しており、オンラインの顧客接点を活用して、消費者に直接価値を届ける新しい事業の立ち上げを提案しました。
Section 2
専門性を横断したチームが検討と検証を繰り返す中で、当初の構想は、現実的に成立するビジネスへと磨き上げられていきました。
mooh cooperative社は、EY Studio+のチームに対して非常にチャレンジングなミッションを提示しました。3カ月以内に新たなビジネスモデルを見つけ、事前検証まで行い、その後4カ月で市場投入することです。
もっとも、EY Studio+のチームは、さらに短期間でのローンチも可能だと考えていました。
このプロジェクトでは、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)によるさまざまな制約がある中でも、通常以上のスピードで意思決定と実行を進めることが求められました。
さらに、事業の原資は酪農協同組合の組合員から拠出されていたため、この件の失敗は単なる施策の失敗では済まされず、組合員の期待を裏切り、組織としての信頼を損なうリスクも伴っていました。スピードと確実性の両立が不可欠だったのです。
こうした状況を受けて、EY Studio+は、新たな乳製品の可能性を探るため、街頭で消費者と直接対話しながら、関心や選好、購買意識などを把握するリサーチから着手しました。そこで得られた示唆を基に、チームは複数の顧客像(ペルソナ)を描き出し、100を超える新たなビジネスアイデアを構想しました。それらのアイデアは、共通する価値や方向性を軸に整理され、15の事業コンセプトとしてまとめられました。これらは、業界関係者や一般来場者が集まる展示イベントの場で反応を確かめながら磨き込まれていきました。その結果、mooh cooperative社は特に手応えのあった5つのコンセプトに絞って次のステージへ進むことを決断しました。いずれも、同組織が消費者と直接つながる新たなビジネスを切り開くものでした。
5つのコンセプトを検証するため、EY Studio+のチームは、ソーシャルメディア上での関心・行動傾向や、検索エンジンにおけるキーワードなどを手がかりに消費者にアプローチし、mooh cooperative社の取り組みを支援しました。各コンセプトについては、想定される商品やサービスの内容を紹介する専用ページを用意し、提供を想定した形で公開することで、消費者の関心や反応を確認しました。こうしたページ上での閲覧状況や反応を通じて、広告への接触からページ内での行動まで、消費者がどのように関心を示したかを段階的に把握できるようにしました。これにより、各コンセプトに対する消費者の関心の度合いや、今後の検討に向けた参考となるデータを収集しました。その一例として、ページ上では、消費者が自分の地域で商品を利用できるかを確認できる仕組みを用意し、製品ごとに情報を入力した人の割合を比較することで、各コンセプトの相対的な関心度を把握しました。
こうしたデータに基づく検証を通じて、EY Studio+は、各アイデアの実現性について、根拠に基づいて評価し、その結果をまとめました。その結果、mooh cooperative社は、新たなデジタル事業に伴うリスクを考慮しながら、事業の将来方向性について、より多面的かつデータに基づいた判断を行うための材料を得ることができました。
5つのプロトタイプの中から、特に有力なコンセプトとして位置づけられたのが、cheezyでした。cheezyは、大手スーパーマーケットでは出会えないスイス産チーズに焦点を当てた、プレミアムなチーズ配送サービスとして設計されたビジネスでした。調査によって、こうした商品に対する関心が示唆されていました。このコンセプトの中核にあったのは、農場直営店が持つ魅力や世界観を、自宅にいながら楽しめる体験として届けることでした。チーズを見て、香りを楽しみ、味わう――そうした体験を家庭で実現することを目指しました。cheezyは、単品購入に加え、月額サブスクリプションも想定した、チーズ愛好家向けのサービスとして設計され、年間を通じて地域性のあるチーズを自宅で楽しめる選択肢を提供することを目指しました。
このコンセプトは、スイスの消費者にとって新しさと意外性があり、かつ関心を持たれやすい価値を提供できる、未開拓領域を狙ったものでした。スイスには多くの伝統的なチーズ専門店がありますが、オンライン上で一貫した体験を提供できているケースは限られています。cheezyは、そうした余白に着目したコンセプトでした。
洗練されたデザインと使いやすさを備え、ウェブサイトやアプリを通じて、注文から支払いまでをスムーズに完結できる――cheezyは、消費者視点で設計されたデジタル体験を前提とするサービスとして構想されました。このコンセプトには、mooh cooperative社が新規事業として進める上で合理的な2つのポイントがありました。1つは、多くの消費者がチーズの品質差を理解し、高品質な商品には相応の価格が受け入れられやすい点です。もう1つは、チーズの製造には大量の牛乳が必要であり、酪農協同組合としての強みを生かせる事業であるという点でした。
cheezyという事業コンセプトを具体化するため、EY Studio+は、ベンチャー構築のプロフェッショナル、デジタルマーケター、デザイナー、プロダクトマネージャーなどから成る、本格的な多分野混成の新規事業立ち上げチームを迅速に立ち上げました。このチームは、ローンチからその後の展開までを見据え、必要となるすべての要素を検討の対象としました。事業体制の設計にとどまらず、cheezyの新CEOに求められる役割や要件の定義、採用プロセスの設計・面接の実施にまで踏み込んで支援を行いました。
プロジェクト全体を通じて、EY Studio+のチームは密に連携しながら、cheezyをmooh cooperative社の新たなD2Cビジネスとして円滑に引き継げるよう、ローンチ前の段階から意思決定と準備を重ねていきました。
その一環として、EC基盤にはShopifyなどの既存プラットフォームをカスタマイズして採用しました。短期間で構築でき、かつ運用しやすい環境を整えることで、スピードと実用性の両立を図りました。
cheezy ブランドにおいて、プレミアムな体験は不可欠な要素でした。そのためEY Studio+は、紙素材や布、手書きのメッセージカードなどを組み合わせた、高品質なパッケージを設計・制作し、すべての注文に同梱する形を整えました。さらに、輸送中も商品を安全かつ新鮮に届けるため、革新的で環境負荷にも配慮した梱包方法を開発しました。再生可能なオーガニックヘンプ素材のバッグや、温度を5℃以下に保つための凍結した水ボトルなどを採用し、水ボトルは解凍後に飲料水として利用できる仕組みとしました。
このようにEY Studio+は、ブランド設計から、配送パートナーの選定・条件交渉、カスタマーサポート体制の構築、マーケティング施策の設計、ウェブサイトの制作、さらにはサプライチェーン全体の法令順守確認に至るまで、cheezyという新規事業をエンド・ツー・エンドで立ち上げました。
Section 3
cheezyは、選定されたコンセプトの1つとしてわずか6週間で本格稼働を開始し、1年以内に当初の事業計画を達成しました。
当初は3カ月での立ち上げを想定していましたが、EY Studio+はcheezyの事業を6週間という比較的短期間で支援しました。立ち上げは短期間で行われたとはいえ、売上やフルフィルメントのプロセスについて今後の調整や改善を行うことを見据え、事業運営において重要となる要素を段階的に実装しました。
ローンチしてから最初の4カ月で、顧客の40%がcheezyのサブスクリプションを選択しました。事業開始から最初の1年間で、cheezyは控えめなマーケティング予算にもかかわらず数千人の顧客に利用され、特に冬のホリデーシーズンだけで1,000件を超える注文を出荷しました。ローンチから18カ月が経過した時点でも、初期に獲得した多くの顧客が継続して利用しており、その80%がサービスを「非常に良い」と評価しています。こうした継続利用の状況から、cheezyは一過性の話題にとどまらず、安定した顧客基盤を持つオンライン事業へと成長しつつあります。その成果は、レビューサイトTrustpilotにおける5点満点中4.7という高い顧客満足度にも表れています。
cheezyは、立ち上げから1年以内に当初の事業計画を達成し、現在はmooh cooperative社全体の収益の10%を担うという中期的な目標に向けて取り組みを進めています。
プロジェクト全体を通じて、mooh cooperative社とEY Studio+のチームの協力関係は素晴らしいものでした。経験豊富な多分野チームが見せたスピードと効率性には、目を見張るものがありました。
cheezyは、グローバルブランドとしての展開を進める一方で、小規模な職人系チーズメーカーとの連携も強化しています。従来のように牛乳を供給するだけでなく、彼らが製造したチーズをcheezyが買い取り、自社ブランドとして販売することで、原材料から最終販売までの価値を自ら取り込む形へと踏み込んでいます。また、顧客一人一人の購買額が伸びていることから、cheezyは顧客体験のさらなる拡張にも注力しています。その一環として、オンラインでのチーズテイスティングイベントなど、体験型の商品・サービスも新たに立ち上げました。
「プロジェクト全体を通じて、mooh cooperative社とEY Studio+のチームの協力関係は素晴らしいものでした。経験豊富な多分野チームが見せたスピードと効率性には、目を見張るものがありました」と、mooh cooperative社のCEOであるRené Schwager氏は語っています。
「大規模なプロジェクトというより、常にスタートアップのような感覚でした。ここで学んだリーンでアジャイルな手法は、いまではcheezyに限らず、私たちの既存の事業にも生かされています」
顧客中心のビジネス変革は、多くの企業にとって「時間がかかり、コストもかさみ、成果が見えにくいもの」と思われがちです。しかしcheezyとEY Studio+は、調査、洞察、検証、そして改善を1つの流れとして捉えたエンド・ツー・エンドのアプローチを通じて、たとえパンデミック下であっても、6カ月に満たない期間で、変革を志向した新たな事業を構想・立ち上げることが可能であることを示しました。
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顧客起点のリサーチとデータ検証に基づき、スイス酪農協同組合はEY Studio+の支援で6週間でD2C事業を構築しました。cheezyとして展開し、サブスク比率40%を達成するなど持続的成長を実現しています。
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