EYとは、アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドのグローバルネットワークであり、単体、もしくは複数のメンバーファームを指し、各メンバーファームは法的に独立した組織です。アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドは、英国の保証有限責任会社であり、顧客サービスは提供していません。
AIモデルのコモディティ化が進む中、競争力の源泉として「自社データの整備」が問われています。味の素グループはAI活用を支える「AI-Readyなデータ整備」を優先施策と位置付け、「攻め」と「守り」を同居させた体制でルールと手引書を策定しました。実務で機能するデータマネジメントはどのように生まれたのか。プロジェクトに携わった4名にお話を伺いました。
The better the question
AI活用が進む中、データを扱う主体は人からAIへと広がっています。非構造化データの活用拡大やアクセス権、品質評価の課題が顕在化する中で、なぜ今「AI-Readyなデータ整備」が求められるのか。その背景と本質を整理します。
味の素社 安間千晃氏(以下、安間氏):味の素グループでは2030年ロードマップを実現するためのDX戦略として、データとAIを中核要素として位置付けています。R&D(研究開発)、生産、SCM(サプライチェーン・マネジメント)、マーケティング、営業といったバリューチェーンの各機能と、財務や監査といった本社機能にデータとAIを組み込み、デジタルを活用した企業変革を加速させる――。これが味の素グループのDX戦略です。
その実現には、グループ各社横断、バリューチェーン横断のデータを統合し、総合的な意思決定に活用できるルール・体制・システムが不可欠です。そのため当社では、全社データマネジメントシステムADAMS(Ajinomoto group Data Management System)を中核に据えて導入・整備を進めてきました。その背景にはAI活用の価値を最大化する上で、AIそのもの以上に「それを支えるデータ整備」が重要だという考えがあります。
安間氏:味の素グループがADAMS導入・整備に本格着手して約5年が経ちますが、これまでは主に「人が使いやすいデータ整備」に注力してきました。しかし2024年頃からAIが現場に浸透し始め、データを扱う主体は人だけでなくAIにも広がっています。AIの活用も個別の実証段階から、継続的・全社的なフェーズへと移行しています。
従来、データマネジメントルールやAI提供者・利用者向けのルールは整備してきました。ただ、生成AIやRAG(Retrieval-Augmented Generation)の活用を前提に見直すと、データの品質や整備水準をさらに引き上げ、他社との差別化を図る必要があると判断しました。
これが「AI-Readyなデータ整備」を優先施策と位置付けた理由です。
安間氏:現時点では、AI活用の中心は業務効率化や意思決定の高度化ですが、現場で使われているAIの多くは、汎用LLM(Large Language Model)をベースとしています。各社が同様のモデルやツールを導入し、コモディティ化が進む中で、最終的に競争力の源泉となるのは自社データです。どのようなデータを、どのような品質とルールで蓄積し、それをAIで適切に活用できるか。この違いが、AIのアウトプットの質を左右します。
安間氏:攻めの観点では、社内AIプロジェクトの成功率を高め、活用を広げることを目的に取り組んできました。当時からデータ品質が成果を左右することは認識していましたが、AI構築ライフサイクルの各段階で、提供者が何を確認し、どう行動し、データ品質をどう評価・改善すべきかが明確になっていませんでした。その結果、期待した精度が得られない、あるいは原因分析に時間を要するといったケースも少なくありませんでした。
また、社内で多数のAIプロジェクトを並行して進めていましたが、データに起因する失敗や改善の知見が十分に蓄積・共有されず、次のプロジェクトに活かしきれないという課題もありました。
味の素社 山川郁奈氏(以下、山川氏):守りの観点でも、2つの課題が顕在化していました。
1つ目は、社内でのAIの導入や外部ベンダーとの協業が増える中で、AIで取り込むことのできるデータの取り扱いルールが明確でなかったことです。そのため、案件ごとに個別判断するケースが増え、対応側の負担が増大していました。
2つ目は、AIがアクセス可能なデータ範囲の適切性を確認するプロセスや、不適切なアクセスがあった場合の報告・是正の仕組みが整備されていなかったことです。お客さまや取引先の情報を預かる立場として、AIデータ管理のあり方は極めて重要です。近年高まる「AIガバナンス」への関心も踏まえ、社外からも安心していただける運用を仕組みとして確立していく必要があると考えています。
安間氏:特に難しいのが非構造化データへの対応です。テキスト、画像、音声、動画の活用が本格化する中、構造化データ中心の従来ルールでは対応しきれず、生成AIやRAGで利用される文書も「AIにどう使われるか」を前提とした権限設計ができていませんでした。RAGが最新ではないファイルを参照し、意図しない回答を返すケースも発生しました。
山川氏:従来の社内のナレッジ共有サービスの利用ルールは、格納される社内情報がAIによって参照される前提ではありませんでした。そのため、本来経営層しか閲覧できないはずのデータが一部社員から見える状態になるなど、権限付与に関する不備のリスクを想定する必要が生じました。これにより、更新頻度の高い大量の非構造化データを取り扱うための明確なルールがなければ、AIの品質・安全性に直結する問題が生じやすいと認識しています。
EY 川勝健司(以下、川勝):一般的なナレッジ共有サービスでは「誰に見せるか」は整備されてきましたが、「見せないための設計」は十分意識されてきませんでした。生成AIは権限範囲を網羅的に探索し、これまで表に出ていなかったファイルまで回答に含める可能性があるため、アクセスすべきでない人がデータに触れるリスクが飛躍的に高まっています。今後はアクセス権管理を前提とした設計・運用の厳格化がこれまで以上に重要になります。
EY 藤生尊史(以下、藤生):データそのものの管理基準にも新たな観点が必要です。データマネジメント世界標準のDMBOK(Data Management Body of Knowledge)も、現行版は生成AI活用を前提としておらず、独自に補完する必要がありました1。
特に論点となったのがデータ品質です。非構造化データには絶対的な正解がなく、品質はAIユースケースへの適合度という相対的な基準で評価する必要があります。さらに生成AIの活用を前提とすると、安全性や公平性といった観点も品質評価に加わります。
今回のプロジェクトでは、社内文書や顧客問い合わせ履歴などのテキストデータ、画像・音声・動画データといったデータの種類と、ナレッジ検索・生成・業務自動化・分析などのAIの利用形態を掛け合わせ、想定されるユースケースを具体化しました。その上で、非構造化データの種類とユースケースごとにAIの信頼性確保に求められるデータ品質基準や、AIが適切にデータを参照・活用できるようにするためのメタデータ項目を設計しました。
The better the answer
「あるべき論」ではなく、実際のユースケースを起点にデータマネジメントを再設計。非構造化データの品質評価やメタデータ設計、ルールと手引書の具体化を通じて、実務で機能する仕組みをどのように構築したのかをひもときます。
安間氏:今回のポイントは、「あるべき論」から入るのではなく、実際のユースケースを起点にルールを設計している点です。まず既存ルールの整理とユースケースの棚卸しを行い、社内にある数十のAI活用事例を生成AI系、業務自動化系などに分類した上で代表例を抽出しました。期間は約3カ月で、うち実質的なルール作成は約2カ月です。
藤生:一般にデータマネジメントにはDMBOKのような標準フレームワークがあります。しかし、そこから設計すると進化の速いAIや実際の活用実態との乖離(かいり)が生じてしまいます。そこで今回は、まず実際の利用シーンに即して論点を整理しました。その上で、経産省など外部機関のガイドラインを参照しながら現行ルールとのギャップを洗い出し、ルール化すべき論点を整理しました。さらに代表的なユースケースの担当者へのヒアリングを通じて、業務特性やデータの性質を踏まえながら具体化し、味の素グループに適した形へ落とし込みました。
安間氏:机上でルールを検討するだけでは見えない論点が多くありました。AIが扱うデータの品質や鮮度に加え、AIが生成したデータと人が作成したデータを区別する必要があるという意見は、新たな視点でした。どう区別し、品質や責任の観点でどう扱うかは、実運用に直結する課題です。
山川氏:特に守りの観点では、個人情報の扱いが大きな論点でした。従来、個人情報はAIに一律入力しない前提としていましたが、AIを最大限に活用する観点では利用ニーズと従来のルールの間に乖離が生じていました。
そのため、個人情報の入力を許可する可能性を前提に、当社として「どこまで許容し」「どのように制御するか」を外部の専門家や当社の法務部とも議論しながら整理しました。
安間氏:ヒアリングで気づかされたのが「データ品質に絶対値はない」ことです。アイデア創出のような用途なら品質が多少低くても問題ありませんが、顧客向けサービスや規制対応では高い正確性が不可欠です。さらに生成AIの普及で報告書や社内文書にAIが生成したデータと人間が作成したデータが混在し、「何をもって品質が高いと言えるか」自体が問い直されています。
藤生:この「混在」は今後さらに深刻化します。情報処理推進機構(IPA)は2026年4月、主要LLMが現在のペースで学習を進めた場合、高品質な学習データが2026年から2032年の間に枯渇する可能性があるとのレポートを紹介しました2。そうなればAIの学習データはAIが生成したデータで占められ、モデル自体が劣化・崩壊するリスクがあります。
これを避けるには、データがAI生成か人間の作成かを区別する仕組みが重要です。その鍵となるのが、メタデータです。私たちのプロジェクトでも、データの種類とAI利用目的を掛け合わせてユースケースを具体化し、それぞれに応じた品質基準とメタデータ項目を設計しました。
藤生:これまでのAI関連ルールは経産省「AI事業者ガイドライン」をベースに必要最低限の遵守事項を定めたものでしたが、今回はそこに「推奨事項」を加えたのが大きなポイントです。遵守事項だけでは自由度やスピードを損ないかねず、曖昧すぎれば安全性や品質を担保できません。最低限守るべきラインと望ましい実践の両方を明確にし、バランスを取る設計としました。
安間氏:体制面では、DX企画・推進担当からはADAMS責任者の私ともう1名、ITガバナンス担当で既存ルールの作成を担当した山川、そして社内の共通AI基盤の企画・導入担当者がコアメンバーとなり、それぞれの立場から意見を持ち寄って設計を進めました。さらに論点に応じて、法務・知財部門やAI案件を横串で管理するAI小委員会のリーダーとも連携し、ルールとして定める範囲や全社展開の進め方を議論しました。
本記事についてご興味を持たれた場合、またはご質問があります場合は、お気軽にお問い合わせください。
安間氏:意見の違いで揉(も)めた記憶はほとんどありません(笑)。メンバー全員が「なぜデータ整備が必要か」「なぜデータを守るのか」という視座を共有していました。「データを厳格に守ること」が目的ではなく、安心してAIを活用できる状態をつくることが目的との共通認識があったので、前向きに議論できました。
山川氏:私は「守る」という言葉を履き違えないよう意識していました。安間さんのチームをはじめとした当社の従業員がAIを活用し安心して「攻め」られるようにするには、ルールだけでなく、運用を前に進めつつ、活動を適正な方向に導くチェックリストや審査の仕組みも必要です。現場のスピードを止めず、会社も守るために何が必要かを常に意識していました。
川勝:支援させていただく中で理想的だと感じたのは、DX推進部の中に攻めと守りが同居している組織体制です。他社では守りの機能がリスク管理部門やセキュリティ部門に分かれ、DX部門と対立構造になっているケースも少なくありません。その場合、ルール・体制・システムを一体で運用するのは難しくなります。
山川氏:私のグループでは、ガバナンスはスコープを限定しない役割であるという前提のもと「ガバナンス担当者は何でも屋だ」と位置付けています。セキュリティなどの「守り」にとどまらず、先進的な活用の現場の観点も理解し、個別領域に線を引かずにすべてを“自分事”として捉えながら、全体最適で実務を円滑に回していくことが重要だと考えています。そのために、ルールを整備して終わりではなく、現場の状況を理解した上でテクニカルな領域は専門チームと連携しつつ、ガバナンスとして全体を俯瞰(ふかん)する。現在の体制は、そうした両方の側面のバランスを取る役割が機能する必要があると考えています。
安間氏:実務で使える「How」まで落とし込むためです。非構造化データは構造化データとは異なる観点で評価する必要があり、同じデータでもAIユースケースごとに評価軸や基準が変わります。こうした領域では、「何をすべきか」「何をしてはいけないか」という「What」だけでは現場は動けません。どう実装し、どう判断するかという「How」を示して初めてルールが機能すると考えたからです。
藤生:今回の手引きでは、推奨事項をAI提供者が実務で使えるレベルまで具体化しました。非構造化データでは内容が正しいかだけでなく、正しい用途で使うための前提情報がそろっているか、出所などが明確で安全に利用できるか、AIの用途に適合しているか、といった観点から品質評価軸を整理しています。さらに、AIがデータを適切に解釈できるよう、作成主体・更新日時・機密度・出自などの必須項目に加えて、品質評価軸に対応するメタデータ項目を非構造化データの種類ごとに定義しました。人が読めば理解できる文書でも、AIには文脈が不十分なことが少なくないためです。品質評価とメタデータ設計を組み合わせることで、AIが安定して活用できるデータ環境が構築できるのです。
The better the world works
整備されたルールや手引書は、現場の行動や判断にどのような変化をもたらしたのか。AI活用の判断軸の明確化やデータ重要性の浸透を通じて、実務に定着し始めたデータマネジメントの成果と今後の展望を探ります。
安間氏:今回のプロジェクトではAIという関心の高いテーマを入り口に、データの重要性を全社に伝える契機になりました。これまでも「データドリブン経営」は推進してきましたが、「データ整備が実際に業務の変化につながり得る」ことが現場に広く認知された点は大きな変化です。
山川氏:コンプライアンスの観点では、AI活用の判断軸が明確になったことが大きいですね。従来は案件ごとに審査側が判断していましたが、今回の見直しにより、AIに取り込むデータの「何に注意し、どこまで対応すべきか」をより明確にしました。その結果、構築・導入の段階で実施するセキュリティ審査における法的確認作業の工数削減に寄与しています。
運用は始まったばかりですが、味の素グループ各社からも問い合わせが寄せられています。AI活用とデータ管理に対する問題意識が、グループ全体で共有されていることを改めて感じています。
安間氏:今回のルール見直しはゴールではなく、AI-Readyなデータ整備の第一歩です。AIの技術や法規制、社内の活用成熟度は目まぐるしく変化します。ですから最初から完璧なルールを目指すのではなく、ベースを整え、実践を通じて磨いていくことが現実的であり、最適解でしょう。今回のルールや手引書も、実案件に適用しながら検証を行い、必要に応じて見直していく前提で設計しています。
川勝:今回のアプローチで特筆すべきは、ルールを「規定」ではなく、柔軟に更新できる「文書」として整備した点です。規定にすると改定のたびに意思決定プロセスが重くなり、変化への対応が遅れます。AIのように進化の速い領域では、日常的に更新できる運用が不可欠です。
安間氏:味の素グループのデータマネジメントは、「ルール・システム・体制」の3点セットで進めています。今回整備したのはルールですが、それだけでは十分ではありません。ルールに沿ってAIが適切に扱われるようシステムに組み込み、現場に浸透させる体制を強化していく必要があります。
AIは単発の施策ではなく、業務変革を支える基盤です。AI-Readyなデータマネジメントも同様に、整備して終わりではなく、実践の中で継続的に磨いていくものです。個別ユースケースや関係部署、グループ各社と連携しながら、データを軸とした経営基盤の高度化につなげていきたいと考えています。こうした取り組みを進める上で、川勝さん、藤生さんにはさまざまな場面で支援いただきました。
安間氏:選定のポイントは、他社事例の豊富さと伴走支援の実績です。味の素社ではAI活用の実績が限定的な領域もあり、他社のユースケースを踏まえたルール設計が必要でした。実際、今回のプロジェクトを進める中でEYが頼りになると感じたのは、こちらの意図を正確にくみ、具体的な形に落とし込んでくれる「具現化力」です。「手引書にはこんな要素を入れたい」という曖昧な要望を、誰が読んでも分かるレベルでルール化してくれる。成果物の精度も非常に高く、安心して相談できるパートナーでした。
山川氏:AIはEUのAI Act(欧州AI法)やGDPR(一般データ保護規則)など海外規制の影響も受けます。当社は世界各地に拠点があるため、当社のAIルールがグローバル標準に照らしても耐え得る設計になっているかを確認し、必要なアップデートを行う必要がありました。その上で、グローバルなガバナンス強化の観点で支援実績を有するEYの知見に期待し、今回支援をお願いしました。特にAIにおける個人情報を含むAIデータの取り扱いに関する整理など複雑な法的論点への対応も適切でしたし、安間がお伝えしたとおり成果物の精度も高く、スピード感のあるアップデートが求められるプロジェクトにおいて手戻りがほとんどなかった点にも感謝しています。今後もグループ展開を含め、変化の速いAIの領域における制度設計にとどまらず運用・高度化まで伴走いただくことを期待しています。
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