EYとは、アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドのグローバルネットワークであり、単体、もしくは複数のメンバーファームを指し、各メンバーファームは法的に独立した組織です。アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドは、英国の保証有限責任会社であり、顧客サービスは提供していません。
要点
このページは2024年11月21日に公開したレポートを記事として掲載したものです。
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2022年11月にOpenAIからリリースされた、AI(Artificial Intelligence:人工知能)の可能性を広げ、一般向けに触れる機会が圧倒的に増大したChatGPTを、メディア等を通じて耳にしない日はないのではないかというくらい、われわれの日常に浸透しています。ChatGPTはわずか2カ月で1億人のユーザーを獲得しており、TikTokが9カ月、LINEが19カ月の時間を要したのと比べると、その浸透度合いの早さが顕著であることが確認できます。
AIは、過去何度もその可能性に期待が高まりながらも、一般活用が進みませんでしたが、ChatGPTをはじめとした生成AIの登場により、比較的簡易に、かつ、オープンソースであれば誰もが利用できる点で、AIが民主化されつつあると考えられます。
本レポートでは、この生成AIをはじめとしたAIがツーリズム業界にどの様な変革の可能性を秘めているのか、どの様な活用の方向性があるのかを、考察していきたいと思います。
AIはどれだけ市場へのインパクトがあるのでしょうか。AIの市場規模を語る統計は複数ありますが、Statistaの統計では、2024年から30年にかけての年平均成長率(CAGR)が35.5%と予測されており、その市場規模は1兆8400億米ドル(約276兆円)1を超えると予測されています。また、生成AIが産業全体に適用された場合、2.6兆米ドルから4.4兆米ドルの経済効果をもたらす(生成AIが使われない場合の経済効果の15~40%を上乗せ)可能性2や、今後10年間で世界のGDPを7%(約7兆米ドル)増加させ、生産性の伸びを1.5ポイント押し上げる可能性があると指摘するレポート3もあります。
このように生成AIの登場により、再びAIによる可能性が高まり、莫大(ばくだい)な経済効果が見込まれているのが現在の見方となっています。
先日開催されたWiT Singapore4のセッションによると、APACの旅行者は旅先の検索や予約に向けて約6割がAIツールを利用しており、時間の短縮や最適な価格、正確な情報の取得、言語の壁の解消、関連情報の取得といった目的での活用が多くなっています。
また、別のセッションでは、宿泊産業へのアンケートのうち、63%の回答者がレベニュー・マネジメントにAIを利用しており、データ分析、価格決定、市場分析、競合とのベンチマークに利用するケースが多くなっているとの傾向を示していました。
具体的な事例で見てみると、リクルート(じゃらん)5やKayak6では旅行の予約の際にチャット形式でニーズに合ったエリアや宿を紹介にAIを導入、ユナイテッド航空7では顧客満足度の維持・向上を目的に、遅延等トラブル状況説明といった顧客対応支援へ導入、Concur Travel8では、出張経費精算において、生成AIを用いて、経費処理が正しく行える自動化ツールを提供する等、旅行者向けから、企業の生産性向上等につながる自動化、チャット形式のやり取りによるコミュニケーションの深化等で利用されています。また、直近では、PricelineがOpenAIの音声技術を活用したチャット機能の実装に向けて取り組んでいます。テキストではなく、音声によるやり取りが実装されれば、旅行の探索や予約等が可能となりUXが向上することと思われます9 。
現在のAIの活用の方向性は、大きく以下の3つの領域が挙げられます。
① パーソナル化
② 自動化
③ コミュニケーションの深化
生成AIが登場してからは、多くの企業は、旅行者向けのパーソナル化された情報提供に取り組もうとしていますが、AIはデータがなければ、適切な解を旅行者に提供することは困難で、また、パーソナル化についても、個人の嗜好(しこう) データが相当程度ない限り、これまでと同様の、ビッグデータから導かれるクラスタリングによる近しい嗜好情報の提供にとどまるに過ぎません。
生成AIを活用するに当たって、よく聞こえてくるのが、情報の正しさについての疑義です。例えばChatGPTの無料版を使って、旅行情報を引き出そうとしても、時にめちゃくちゃな情報が返ってくることがあります。これは、学習データに限界があるため、最新の情報や正確性に欠ける回答が生成されることがあるからです。したがって、多くの企業では、自社のデータベースに接続し、生成AIのインターフェースを活用し、回答の精度を上げていっているのが実態です。つまり、データ量が必要であると同時に、そのデータの確からしさや鮮度が重要となってきます。ここは、生成AIになったからと言って自動的に解決される問題でないことは、理解しておく必要があります10 。
AIによる提供価値として「パーソナル化」が注目されています。先ほど注意喚起したように、パーソナル化に当たっては、個人の嗜好データをはじめ行動履歴が豊富にあることがポイントとなります。つまり、旅行時の予約データや行動データだけでは、頻度もそれほど多くない場合、パーソナル化と言えるほどのデータを収集することは困難であるということです。日本人の国内宿泊旅行全体では 1.86回/人、国内日帰り旅行全体では1.48回/人ということ11ですから、これらデータを過去のデータからヒストリカルにきちんと整備できていなければ、個人の趣味・嗜好に合ったパーソナル化につなげることは、厳しいと考えられます1213。また、過去のデータであるため、今、その旅行者が何をしたいかは変わっている可能性も否めません。
さらに、パーソナル化につなげるためには、「旅行者」を知ることが重要ですが、旅行の予約やそれに関連するデータだけでは、果たしてパーソナル化と言えるほどのサービスが提供できるのかは、大きな疑問が残ります。
これまで見てきたように、AIを活用するには、相応のデータが必要であり、加えてパーソナル化に向けては、「旅行者」を知るために、旅行以外の行動データも収集できれば、よりそのタイミングでの旅行者の旅への嗜好が明らかになり、パーソナライズされた体験を提供することにつながると考えられます。
例えば、Googleは検索エンジンによる旅行に限らない個人のデータを取得可能であり、より多くの個人の嗜好や行動データを活用することができると考えられます。
最近でいえば、われわれの行動は「モバイル」端末をベースに組み立てられていることから、スマートフォン端末に保有されている情報とうまく連携することができれば、より「旅行者」個人のペルソナが明らかになると同時に、よりパーソナライズされた体験につなげることが可能かもしれません。
このように自分が持つデータだけでは、いかに大きなプラットフォーマーとはいえ、旅以外のデータを企業単体で抑えることは困難であると考えられます。したがって、各企業では、ロイヤルティプログラムによる会員化、利用頻度の創出や、クレジットカード発行による消費データの収集等を実施しています。
しかしながら、中小零細企業が多いツーリズム関連産業において、大手と同様の戦略でよりパーソナライズされたデータを取得することは、困難であると考えられます。自分たちの持つ情報だけでは、パーソナライズされた体験の提供を目指す大手事業者とは、不利な状況にあることから、地域における旅行者の行動等の データをID連携やID統合によるデータ収集や取り組みとして始まりつつあるところではないでしょうか。
データ利活用と言うと、事業者が個人からデータを収集し、その収集したデータを基に個人の嗜好に合う情報を発信するモデルが想起されます。いわゆるCRM(Customer Relationship Management:顧客管理)と呼ばれるものです。これまでは、インターネット上の行動をクッキーを通じて情報取得する流れがありましたが、自分のウェブサイト以外での行動も追跡可能なサードパーティークッキーの廃止の流れ14から、自らが情報を取得するいわゆるファーストパーティーデータ、事業者同士が提携等により、データ連携して他社が収集したファーストパーティーデータを利用する等の動きが活発化しつつあります。
ツーリズムの文脈ではどういうイメージとなるのでしょうか。例えば、兵庫県にある城崎温泉で実施されているような宿泊情報を地域で集約化し、DMOが活用するケースが該当します15。また、地域でポイントカードを導入し、IDを統合化することで、観光客のデータを一元管理している宮城県気仙沼市の事例もイメージが湧くものと考えられます16。
地域内で連携してデータを集約する取り組みは、日本各地でも始まっていますが、地域内の企業同士の情報が見えてしまうことへの抵抗から、なかなか進まないのも実態としてはあります17。先ほど見てきたように、AIの活用にはデータが重要なポイントとなります。事業者同士が連携してデータを収集することが難しいのであれば、顧客からデータを直接提供してもらうことはできないのだろうか―― これが、CRMとは真逆の考え方であるVRM(Vendor Relationship Management:企業関係管理)という考え方です18。
よく「データは誰のもの」という議論が起こります。これまでは、事業者が顧客からデータを収集し、そのデータを活用するという考え方が一般的でした。しかし、取引のデータは、一方で相対する顧客にも履歴として残ります。例えば、店舗で買い物した際に、店舗には購買した情報が蓄積される一方で、レシートとして顧客(購入者)にもデータが還元されます。このデータをデジタルウォレットとして管理するサービスがあり、そのデータは顧客が自分自身で管理している日々のデータとなります。または、クレジットカードの利用明細や旅行の予約の履歴、複数の医療機関・施設で記録された個人の健康・医療・介護に関する総合的な情報を、個人レベルで管理する仕組みであるPHR(Personal Health Record)等も保管方法はさまざまですが、個人のデータとして蓄積されていきます。
この自分自身で蓄積しているデータを、自分が求めるサービスを提供してくれる事業者に提供することで、最適なサービスを提供してもらう、そんな考え方がVRMの背景にあります19。
一事業者がデータを収集するにしても、自らが提供するサービスだけでは、顧客自身の一部分しか見えてきません。VRMの考え方は、そんな断片的にしか把握できない顧客像に対し、顧客自身からデータ提供を受け、立体化していくことを意味しています。現在は、スマートフォンを中心にさまざまな取引が実現されています。AIのさまざまな議論の中に、将来的には各個人がAIエージェントなるものを持ち、そのAIエージェントがさまざまな事業者のAIエージェントと会話し、取引を円滑化する時代が来るかもしれないというものがあります。スマートフォンに蓄積されている膨大な個人データを自らのAIエージェントが、より自分の嗜好に合ったサービスを提供してくれる事業者にデータを提供し、パーソナライズされた情報を受けるという時代が来るかもしれません。
デジタルトランスフォーメーション(DX)に向けた取り組みが重要視される中、DX人材として、データサイエンティストのような人材が必要だという議論があります。確かに、高度な統計解析ができる人材がいると、できることの幅は 広がると思います。しかしながら、相応のデータが整備されていなければ、高度なデータ分析が活躍する場も少ないと言えるでしょう。
生成AIが登場して、パーソナライズ化された顧客体験の提供に注目が集まりがちですが、実は、ツーリズム関連事業者、あるいは観光地側の生産性向上や経営の高度化につながる使い方もきちんと取り組むべきであると思います。
これまで、データを分析するに当たっては自身でExcelの基礎、応用から統計解析の知識を取得しない限り、データ分析は困難でした。生成AIの登場により、やりたい分析等をきちんと定義し、データをインプットすることで、生成AIが統計解析、分析を実施し、その結果を返してくれます。グラフ等による可視化も実施してくれます。
これらが意味するのは、必ずしも分析に向けた「手法」の知識がなくても、生産性の向上や経営の高度化につなげることが可能となったということです。もちろん、分析の手法について学ぶことは重要ですが、それよりも、その分析結果を見て、その数字をどう捉えるか、このデータを読み解く力こそ、生成AI時代に求められる人材像と言えるのではないでしょうか。
生成AIの議論が進む中、冒頭で示した通り、パーソナル化、自動化、コミュニケーションの深化が挙げられるケースが多いですが、本当にAIの可能性はそれだけでしょうか?過去の取引データに基づくレコメンデーションにより、旅行者は本当に満足するのでしょうか?
旅行者の旅の選択は、必ずしも過去の履歴から導かれるとは限りません。その時の置かれている環境や、嗜好の変化も十分に考えられます。自分のことは自分が一番わかっているのだと思います。
これまでのツーリズム業界のビジネスモデルをオフライン時代とオンライン時代に分けると、以下が特徴的なのではないでしょうか。
オフライン時代には、旅行会社・代理店が旅行者からニーズを聞き、それに該当するような宿や体験を販売していたと思います。オンライン時代になってからは、 OTA(Online Travel Agent)で旅の選択をするようになります。この際、旅行者はこれまでのようにニーズを伝えるのではなく、OTAのリストから宿や体験を選択し、決定するという形に移行しました。ここで注目されるのがサプライヤーである宿や体験事業者です。オフライン時代もオンライン時代もこうしたサプライヤーは、在庫を旅行会社・代理店、OTAに提供し、送客されるのを待つことが多く、自らが顧客獲得に動くことは、リソースの問題もあり、なかなか困難であったと考えられます。
旅行者も現在ではOTAのリストから自分の好み(金額も含めて)に近しい宿や体験を選択していますが、本当に自分の望むものがリストから見つけ出せているのでしょうか?旅行者は、実は旅先を決めるにあたってまだ言語化できない、曖昧な状態であることも多いのではないでしょうか?例えば、都心から1時間半程度の距離で、自然の中で森林浴ができ、夜は友人とBBQを楽しめて 、水遊びもできる場所に行きたいといったように、具体的な旅先というより、やりたいことを列挙するような状況です。
仮にこの曖昧な旅行者のニーズが可視化され、その可視化された旅行者のニーズにサプライヤーがアクセスし、自らが提供できる価値を旅行者に届けることができれば、これまでとは異なる旅の価値を提供することが可能となります。
そして、このことがサプライヤーのエンパワーメントにつながると言えます。宿や体験事業者はなかなか自分たちの魅力を、OTA等を通じて旅行者に届けることが困難な状況にあると考えられます。旅行者のニーズが可視化されているのであれば、そのニーズに対して提供できる価値を直接旅行者に届けることで、初めてサプライヤー側が旅行者と直接コンタクトを取ることが可能となります(直接予約を除く)。
生成AIにより、ユーザーエクスペリエンス(UX)が劇的に向上する中、こうした仕組みが構築されていくと、OTAの役割も変わってくる可能性があると考えられます20。
生成AIは私たちにさまざまな可能性を見出してくれる一方で、データの量、質ともに求められています。中小零細事業者が多いツーリズム産業においては、旅行者向けのサービスに当たっては、自らのデータのみでパーソナル化されたサービスを提供するには限界があると考えられます。地域内の事業者、もしくは自社以外のサービスと連携し、いかにUXを高めていくかが今後ますます重要になっていくと考えられます。
加えて、自社で活用することで、高度な統計解析の手法を学ばずとも、そのデータを読み解く力を養うことで、生産性の向上や経営の高度化につながります。
生成AIはUXの飛躍的な向上による旅の体験価値をさらに高めるとともに、宿や体験事業者をはじめとしたサプライヤーをエンパワーする可能性を秘めており、研究を重ねながら取り入れていくことが求められていると言えるでしょう。
生成AIは、ツーリズム業界でも活用が進んでいるものの、今後ビジネスモデルの変革が起きる可能性を秘めています。データ取得・管理の考え方として、企業目線のCRMから顧客目線のVRMへシフトする可能性、サプライヤーをエンパワーメントするビジネスモデルへの転換の可能性、人材育成はデータを理解する力を持つ人材へとシフトしていくと考えられます。
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