EYとは、アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドのグローバルネットワークであり、単体、もしくは複数のメンバーファームを指し、各メンバーファームは法的に独立した組織です。アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドは、英国の保証有限責任会社であり、顧客サービスは提供していません。
右 東京大学大学院情報学環・学際情報学府 学環長・学府長 目黒 公郎 教授
左 EY新日本有限責任監査法人 理事長 公認会計士 片倉 正美
要点
片倉:自然災害に対するレジリエンスに多くの企業が取り組もうとされていますが、どこから始めればよいのか分からないという課題があります。あるいは、投資家からの理解を得られないため、本格的に取り組めていないという状況もあります。今日はそういった企業の皆さまを後押しするようなお話を頂戴できればと思っています。
目黒(以下敬称略):まず考えていただきたいのは、いま注意喚起されている首都直下地震や南海トラフ巨大地震では、復旧、復興が難しい甚大な被害が生じる可能性があるということです。とは言え、時間や資源の制限がありますから、さまざまなレベルで起こり得る災害すべての対策を同時に行うことはできません。そこで「リスクという概念でプライオリティ(優先順位)をつけて、リスクが高いものから対策していきましょう」となります。リスクは一般に「ハザード(物理現象としての地震や台風そのもの、具体的には、外力の大きさと広がり×発生確率)×ハザードにさらされる場所にある価値(人命・財産・機能など)×脆弱(ぜいじゃく)性」で定義されます。「ハザードにさらされる場所にある価値×脆弱性」は、被害を受ける弱いものの数です。これに外力の大きさと広がりを掛けると被害の量になるので、リスクは最終的には、被害規模と発生確率の掛け算になります。いわゆる期待値ですね。故に、発生頻度が極度に低い巨大地震災害などは、リスクが低く評価され、対策が後回しになりがちです。
通常はこの考え方で優先順位を決めればいいのですが、リスクの高低で事前対策と事後対策を入れ替えてもいいのは、発生する被害が自分たちの能力で復旧、復興できる規模までという条件があることを忘れてはいけません。事前の対策によって、ハザードが起こった時の被害を復旧・復興可能なレベルまでダウンサイジングしないと、事後対策のみでの復旧・復興は無理になるので、一定レベルの事前の被害抑止対策が最も重要になるのです。また、生命や文化財、ある種の情報などは、いったん失われると元に戻すことはできません。このようなものは事前対策で守るしかないのです。
片倉:被災してからの備えよりも、災害が起こる前に、生じ得る被害を小さくするための対策を採ることが求められているということですね。企業が検討すべき対策の1つとして、事業資産の耐震化などは非常に大事なポイントになりますね。
目黒:その通りです。ところが、「防災から減災へ」などと言って、事後対策にウェートを置いた方が良いと思っている方が少なくありません。もちろん事後対策も必要ですが、ハザード発生時の被害を減らさないと、取り返しのつかない事態になってしまいます。
片倉:首都直下地震や南海トラフ巨大地震について考える時に、あまりにも被害が大きすぎて、対策なんて個々の企業レベルではできないと思いがちです。事後への備えはできても、レベルを超えた災害に備えましょうと言った瞬間に思考停止になってしまうのが多くの企業の実状ではないでしょうか。
目黒:首都直下地震の対策となると、やはり国土の有効活用を考えるべきでしょう。世界の歴史の中でも、これほど多くのハザードが頻発する場所に、これだけの人口と財産、機能を集約した都市は、日本の首都圏以外にありません。そんな場所にいるのだという自覚を持つことも重要です。
また、私はいつも、災害対策を講じる時には常に長さの違う2つの物差しを心に持つべきだと言っています。1つは大きな空間と長い時間を測る長い物差し。もう1つは、狭い空間と短い時間を測る短い物差しで、これは何を行えばよいのか分からない人たちに具体的なアクションとその効果を説明して誘導するために使います。
短い物差しは局所最適解を目指すものですが、そればかりだと全体最適からずれていくことがあります。2つの物差しをバランスよく使うことが大切ですが、その観点から言うと、最近は短い物差しによる議論ばかりになっていて、長い物差しでの議論が不十分だと思います。
片倉:短い物差しから長い物差しに視点を変えていく際にキーパーソンとなるのはどういう人でしょうか。
目黒:まずは国会議員の皆さんだと思います。彼らには、長い物差しで、広域で長期的な議論をしてほしいと思いますが、衆議院の現在の小選挙区制では短い物差しを用いた政策を訴えないと勝てない状況です。国の制度としては、ここに課題があるかもしれません。本来は国民一人一人が、それぞれ2つの物差しを持つべきであり、それができればこの問題も改善されると思います。
片倉:自然災害に対して、どこまでを想定して、どのレベルまでの対策を打てばよいのか分からないという声をよく耳にします。これについては、どのようにお考えですか。
目黒:東日本大震災では、地震直後に、のちに津波が浸水するエリアには、約62万人の人々が存在していたことが分かっています。この中で、1万8千余名の方々が津波で命を落とされたのですが、この比率は全体の約3%であり、残りの97%の方々は生き残られました。世界の過去の大きな津波災害と比べ、津波浸水域の生存率97%はずばぬけて高い数値です。言うまでもなく、不幸にしてお亡くなりになった3%の方々の原因究明と、今後同様なことが起こらないための対策の立案は重要ですが、事前のハードとソフトの対策で津波浸水域におられた方々の97%が助かった事実をもっと伝えるべきです。しかしマスコミは、壊れた防波堤や防潮堤を映し、あんなに時間とお金をかけた設備だったのに機能しなかったと報道しました。実際には、湾内への津波襲来の時間の遅延、津波の衝撃力の低下、津波の浸水深や遡上(そじょう)高さの大幅な低減、引き波に対するダム効果など、さまざまな大きな効果があったのですが、それについての報道がほとんどありませんでした。
日本は自然災害に対して、過去の努力の結果として高いレジリエンスを有していること、そして、発災直後には、発生した被害ばかりを強調するのではなく、大きなハザードに襲われた後でも日本は十分に機能していることをまず海外に配信すべきなのです。そうしないと、海外の投資家は引き上げてしまいます。
災害対策の効果はイチかゼロではないことを、分かっていただくことも重要です。あるレベルの対策をした際に、それを越えるハザードが襲った場合に、その対策の効果はないと考えるのは間違いです。応分の効果はあるのです。
南海トラフ沿いの大地震は、今後30年で7~8割の確率で発生すると言われていますが、この確率で起こる地震は、過去に南海トラフで繰り返し起こってきた地震の平均的なM8.0程度の地震です。しかし報道機関がそれを伝える時に提示するのは、陸域に近いM9.0の地震による激しい地震動の分布とか、黒潮町に34メートルの津波が押し寄せるM9.1の地震などの情報です。これらは、確率的には平均値からは標準偏差で3シグマくらい外れたもので、南海トラフ地震が7百数十回起こった際に、1回あるかないかの地震です。
南海トラフの大地震の発生間隔は100~150年と言われているので、先に述べたような巨大地震の発生周期は7万~10万年です。一方で、人口誘導以外の防潮堤や防波堤などのハード対策の寿命は、せいぜい100年です。100年の寿命の対策で、7万~10万年に1回起こるかどうかというハザードによる被害を100%防ごうと政府は言っているわけですが、リスクコミュニケーションが全く不十分です。
「既往最大級の津波が来ても大丈夫な対策を講じた方がいいか、しなくてもいいか」と聞かれれば、誰もが実施した方が良いと答えます。しかし、その原資は税金なので、もっとリスクに関して説明し、理解を深めてからでないとフェアではないし、本当に採るべき対策を間違ってしまう恐れがあります。
片倉:今の日本の対策は100をマックスとすると何%ぐらいなのでしょうか。
目黒:全体としては他国と比べて格段に進んでいます。70〜80%くらいではないでしょうか。ただし日本の場合、対策のレベルは高いけれど、敵も手ごわいのです。
片倉:先生はご著書の中でも、災害対策は市町村で取り組むよりも、県またはさらに大きな単位で取り組むべきであると述べられています。市町村の対策や対応では、やはり限界があるのでしょうか。
目黒:災害対策を市町村が自分の問題として考えるために、また発生頻度としては小さな災害の方が格段に多いので、市町村が責任を持つことの意味はあります。しかし、現在市町村がどんどん力を失っているという問題があり、大規模な災害に対しては、市町村での対応は今後ますます困難になってきます。現在心配されている首都直下地震や南海トラフ地震などを対象とすると、都道府県でも十分ではなく道州制くらいの体制が必要です。
平成の大合併で、平成11年4月に3,229あった日本の市町村の数は、2024年(令和6年)10月1日の時点で、1,741(792市、23東京都特別区、743町、183村)になっています。合併で大きくなっている印象がありますが、実際は10万人未満の市区町村が全体の84%、5万人未満が70%、1万人未満が31%※1と、人口の少ない基礎自治体がとても多い。基礎自治体の行政職の職員数は市町村民約100人に1人の割合ですが、行政サービスの質と量は人口で変わってはいけないので、基本的に同じ数の部署が必要になります。しかし職員数が大きく異なるので、人口の少ない市町村ではすべての部署に職員を配置できません。実際に防災や危機管理の専任の職員がいない市町村が全体の約30%もあります※2。つまりそこでは防災の業務を他の職務と兼任しているのです。これでは、ノウハウの蓄積もできないし、専門性の向上なんて無理な話です。
過疎地で人口が少ない市町村では被災人口は少なくなるでしょうが、人々が広範囲に分散して住んでおられるので、対応する側から見れば、むしろ大変です。また、土砂災害や道路被害などは人口に関係なく、エリアが広ければ広いほど被害が発生しやすくなります。
片倉:実際、地震による土砂崩れで道路が寸断され、被災地の住民の方々が孤立してしまうことがよく起こっています。職員の数が限られている市町村にとって深刻さは増していく一方です。
目黒:生活スタイルの変革、自律分散型の生き方といったことも、今後は必要になります。例えばかつて雪国の集落では、毎年3~4カ月孤立することが前提の暮らしがあったわけです。毎年当たり前に孤立し、その中で普通の生活が行われていた。それを考えると、現代の生活スタイルは、実はレジリエンスの低い生活になっているとも言えます。
片倉:なるほど、閉ざされた中でも暮らしていけるライフスタイルそのものが防災にもつながるわけですね。例えば、もともと防災目的ではないものですが、一度使った水をタンクの中で浄化して循環させる装置を使えば、水道管が破損しても水の復旧は早くなる。そういうインフラ整備もあるのかもしれません。
目黒:おっしゃる通りだと思います。実は私はその種の装置を開発している会社のアドバイザーをしています。国内の被災地での手洗いや入浴支援のサービス、諸外国ではカリブ海の国々などをはじめ、水で困っている地域で、かつ大規模なインフラ整備の難しい人々に本当に役に立っています。
目黒:従来は行政も民間も災害対策を「コスト(経費や出費)」として考えていたのです。これからの災害対策は、それを実施した個人・法人・地域に「バリュー(価値)」をもたらすものと考えるべきです。しかも災害は、時間的にも空間的に非常に限定的な現象であり、めったに起きないので、災害時にしか使えないものに対しては投資できません。だからこれからの災害対策は、平時の生活の質や事業効率の向上を主目的として、それがそのまま災害時にも有効活用できる、有事と平時を分けないフェーズフリーな災害対策とすべきなのです。
コスト型の災害対策は一回やれば終わり、継続性がない、その効果は災害が起こってみないと分からないものになります。しかし、フェーズフリーでバリュー型の災害対策は、災害発生の有無にかかわらず、常にバリューが実施者に流れ続けるので自然と継続性が生まれます。また社会的な信頼やブランディングにもつながります。今後企業は、このようなフェーズフリーでバリュー型の対策を目指すべきで、これは貿易や産業において日本のキラーコンテンツにもなり得ます。
片倉:企業自体がバリューアップを図っていくということですね。生活者も災害対策としての製品やサービスを買うのではなく、日常使うものを買い替えるという感覚に変わっていくと、知らず知らずのうちにレジリエンスが高まります。
目黒:台風や地震に襲われた時、発災からの時間経過に伴って何が起こるのかを正しく想像できなければ、十分な対策はできません。そこで私は30年くらい前から「災害イマジネーション」の大切さを訴えてきました。「災害イマジネーション」とは、発災時の季節や天気、曜日や時刻を踏まえ、発災からの経過時間に伴って、自分の周りで何が起こるのかを具体的に想像できる能力です。人間は自分が想像できないことに対して備えたり、対応したりすることが絶対にできないからです。なので災害対策を立案・実施する立場の方には、現在でもこの重要性を訴えています。しかし、過去30年の活動を踏まえると、一般の方々には、対策立案者と同様な「災害イマジネーション」を持ってもらうことは本当に難しい。そこで、普段の生活の質を高めるサービスや商品に、被害の軽減や災害対応に効果のある機能が付いていれば、一般市民は災害対策を意識しなくても、気がつけば災害に強い環境の中での生活が実現するのではないかと考えたのです。これもフェーズフリーを提唱している理由の1つです。
片倉:「災害イマジネーション」については、先生のご著書でも読ませていただきました。意識しないうちに災害対策が整っていくということは素晴らしいアプローチです。
目黒:私は、以前は「現在の防災上の課題は〇〇で、その解決策は△△です。一緒にやりましょう」というやり方 “ソリューション提示型”で災害対策に取り組んでいました。このアプローチだと、そのソリューションに直結する人以外は仲間に入りにくかった。しかし、フェーズフリー災害対策は、“プラットフォーム提示型”で、特定のソリューションに直結しない人たちも、「自分たちが行っていることはフェーズフリーですか?」「こんなふうにすればフェーズフリーになりますか?」といった感じで、これまで災害対策に興味や関係のなかった人や企業の皆さんにも、活動が広がってきているのを実感しています。
片倉:企業の中には、大規模災害対策は、国・都道府県・市町村などの行政の役割と考え、自分ごととして捉えて大きな投資を行うことに躊躇(ちゅうちょ)するケースは少なくありません。
目黒:1923年に起こった関東大震災は、国民も同意し、政府も良かれと思って実施したさまざまな対策によって、自由で民主主義を目指していた「大正デモクラシー」のわが国が、非常に短い時間の中で全体主義に方向を変え、22年後には多数の民間人を含め、310万人の死者を出した第二次世界大戦の敗戦に向かう転換点になりました。また国家総動員で戦争に対応したために国土保全対策はないがしろにされ、国土は荒廃しました。結果として、終戦の1945年からの15年間で、自然災害で亡くなった方(行方不明者含む)の数の1年間の平均は2,365人になりました。その後の30年間では、その数は308人に減っています。その後の直近の32年間では1,051人※3になります。その理由は、敗戦後に、米国や世界銀行からの有償・無償の資金援助を受け、高速道路や新幹線などの社会資本施設(インフラ)を整備し、国全体が大きく発展したからです。その結果として、高度経済成長期(1955~73年)を迎えることができ、この間の年間平均経済成長率は10%を超えていたので、この19年間でGDPは6倍以上に増えました。この経済力を背景に、防災に関わるインフラも大量に整備することができました。直近の32年間の死者数が増えたのは、関連死を含め、1995年の阪神・淡路大震災(死者・行方不明者数約6,440人)と2011年の東日本大震災(同22,000人)によって、毎年平均で約900人増加したので、この2つの震災を除くと、平均は146人になります。
ところで、高度経済成長期を含め、一時期に大量に整備した施設は、一時期にまとめて老朽化します。わが国の河川や海岸の護岸施設や橋梁、その他、防災関連の設備が皆同様の状況です。現在の少子高齢人口減少と財政的な制約は、この状況をさらに深刻化しています。このような状況を踏まえると、明治以降、わが国の災害対策は行政主導の公助防災でしたが、従来と同じレベルの公助を維持することは絶対にできないことが分かります。
首都直下地震、南海トラフ地震、地球温暖化による台風の巨大化と高頻度化といったハザードに対して、今まで以上の対策をしなければならない状況の中、公助が目減りしているわけですから、この不足分は自助と共助で補うしかありません。
片倉:自助・共助の重要性が増していくと、企業は行政とともに災害対策の担い手であるということを自覚する必要がありますね。そのような中で、公助の担い手である行政は今後どのように対応すべきとお考えですか。
目黒:従来の行政が公金を使って彼らが実施する公助から、自助や共助の担い手である個人や法人(企業)が、自律的・自発的に、災害対策に積極的に取り組める環境をつくる新しい公助に質的に変化しなくてはいけません。私はこの点を、行政や首長、さまざまなレベルの議員の皆さんに訴えています。自助と共助の担い手である個人や法人が、自律的・自発的に、災害対策に積極的に取り組むためには、従来のように彼らの良心や道徳心に訴えるCSR的な方法は限界です。これからは、彼らに具体的なバリューをもたらさないといけない。分かりやすいのは、もうけにつながること、ビジネスになるということです。
片倉:社会貢献的な位置付けでは企業も続けることが難しいでしょうから、ビジネスにする発想はとても重要です。商品やサービスを開発し、災害時においても価値があることを生活者に理解してもらえれば、多少値段が高くても買ってくれるでしょう。そしてその商品やサービスを通じてサステナブルな自然災害対策につながるので企業も積極的に行動しやすいですね。
片倉:私は、企業の災害への取り組みを、投資家にもっと評価してもらいたいと考えています。最近ではESG投資や格付などが盛んになってきていると感じますが、ESG投資というと地震対策ではなく気候変動に偏りがちです。その気候変動ですが、「対策しなければ」と言っているうちはコストでしたが、それをビジネスチャンスと捉え経営戦略に組み込み、新たな製品やサービスに展開できた企業は企業価値の向上につながっています。しかし、自然災害への対策はあまり評価されていないようです。
目黒:正しく評価することによって対策が進み、将来の被害が減るという方向に社会全体の考え方を変えていかないといけません。
片倉:そのようなコンセンサスが必要ですね。そういう意味でBCM(事業継続マネジメント)格付は良い取り組みです。格付を取得し、プレスリリースで社外へしっかりと発信するべきだと考えています。BCM格付と言えば、先生も関わっていらっしゃいますよね。
目黒:はい、随分長いことアドバイザーをやっています。大企業は一定レベルで進んでいますが、中小企業はまだまだで、これから頑張って対策を進めてもらいたいところです。
片倉:企業は、防災だけではなく被災後の事業継続がやはり重要だと考えています。BCP(事業継続計画)およびBCMについて先生のお考えを教えていただけますでしょうか。
目黒:BCPやBCMという考え方が海外から日本に入ってきた時に、私は「日本社会に適したBCPの在り方研究会」というものをつくりました。当時の私の目からすると、海外と日本では、体格も食べ物も、かかる病気も違うのに、一律にこの処方箋の薬を飲めば大丈夫と言っているようにしか見えなかったのです。日本式株式会社と欧米式株式会社には大きな違いがありますから。
一方で、BCPの考え方がない時代から、日本企業でも立派な社長さんたちは、独自の考え方で高度な危機管理を進めていました。そこでは、従業員とその家族の生活の安定や、取引会社との信頼の維持、地元への貢献といった点が重要視されていました。ところがBCPという海外の処方箋が来て、これに従ってスコアメイキングをすればよいという話になると、結果的に日本企業のBCM能力を低くしてしまう可能性があるという意味です。
片倉:それは皮肉なものですね。企業はBCPを考え直す必要があるのでしょうか。
目黒:私はあると思います。まずは、なぜBCPをつくるのかという根本的な問題です。個々の会社にはそれぞれの目的があると思います。先ほどの例で言えば、従業員とその家族の生活の安定などです。これを災害時にも維持するにはどうすればいいのか。まず会社を存続させることが重要だ。では会社を存続させるにはどうすればいいのか。事業を継続することが目的達成の上で確率の高い方法なのではないか、というように、目的を達成する術としての方策を探った結果として、BCPが作成されているということです。ここで重要なのは、BCPの作成は上位の目的を達成するための手段であるということ。この理解不足が大きな問題を引き起こしています。
具体的な話をします。大企業と中小企業では、また業種によっても状況は違いますが、同様な問題は大なり小なり存在しますので要注意です。大企業であれば中小企業よりも、災害発生後に災害前の事業を継続することの問題は少ないと思います。しかし、中小企業では状況が大きく異なります。中小企業では自社が大きな被害を受けるような災害時には、自分の市場も大きな影響を受けている可能性が高い。にもかかわらず、被災前の条件下で実施していた事業をそのまま継続しようとする。「今こそ、事前に作っておいたBCPを発動させる時だ」と、状況が大きく変わったことを踏まえずに突っ込んでいく。これは手段の目的化であり、これでは事業がうまくいかず、会社も倒産するでしょう。災害の前のビジネスを継続しないことが、CCP(会社の継続計画)になることもあるということです。この種の問題の原因は、災害前後での状況変化の評価が不十分なためです。大企業でも首都直下地震などで、首都圏の機能や購買力が大きく低下した場合に、災害前と同様なラインを組んでいたのでは事業に問題が出るでしょう。また、1社だけのBCPやBCMでは成立しないということが起こり得ることも考えておくべきです。業界をいかにして守るか、地域同士の連携とか、そういったことがとても大切になってきます。
片倉:やはり業界や地域の連携とコミュニケーションが、レジリエンスのために求められているのですね。
目黒:短い物差しだけではなく、長い物差しも用いて、将来にわたってどのように自分たちの業界をマネジメントしていくかという発想がないと、一時的に独り勝ちしても、全体としては廃れてしまうという可能性は大いにあると思います。
片倉:災害発生時は、目線が被災した地域だけで考えがちですが、サプライチェーンや、協力会社のことまで視野に入れて考える必要もあります。
目黒:大企業は中小企業に対して、本当の意味でのBCPの作成を推進できる重要な役割と責任を持っているのですが、その認識がまだまだ弱いと思います。その対策次第で、中小企業ももっと強くなるでしょう。
片倉:自然災害が多い国だからこそ、企業の皆さまには、経験してきた知識や知見を経営に生かしていただきたいと思っています。そして、その取り組みを投資家も含む多くの関係者にしっかり説明して、理解してもらうことが必要でしょう。今は各社がそれぞれの方法で自由にアピールしている状況で、標準的な書き方というものがありません。開示する情報も各組織に任すとどうしても得意なところばかりを書きがちですが、社会からは、遅かれ早かれ他社と比較できるような形式が求められてくるのではないかと思います。
目黒:そうですね。災害対策において日本は一日の長があるのですから、日本の標準がISO(国際標準化機構)規格になって、諸外国もそれに従って行うようになってほしいです。それが世界にアピールできる仕組みにもなります。
片倉:地震や台風などによって大きな被害を受けてしまうと財務数値に直結します。そのため、自然災害への対策が会社としてしっかりできているかどうかは、監査の中でも見ていく必要があります。また、投資家を巻き込まないことには企業もなかなか動けません。災害に対する備えを企業による情報開示で見えるようにする。それを投資家が企業価値として評価すれば、企業はさらに対策に取り組みやすくなります。
監査法人として企業の災害対策にどのようなサポートができるのか、先生のご意見を伺えれば幸いです。
目黒:監査法人によるサポートに関して、私はとても高いポテンシャルを感じています。自然災害に対するレジリエンスを監査の対象として、国際スタンダードの中で闘っていけるようにしないと、日本企業は不利な状況になりかねません。
片倉:弊法人にはCCaSS(気候変動・サステナビリティ・サービス)という専門の部署があります。企業にアドバイスをしながら対策を練り、企業の意図がストーリーとして理解してもらえるような開示の在り方もお手伝いしています。一方で、昨今は自然災害も含むサステナビリティ開示に関して保証を求める企業も増えています。監査を行うメンバーにもサステナビリティ保証に関する知見や経験を積んでもらうことで、開示情報に信頼性を求めるニーズにも保証を通じてしっかり対応していきたいと考えています。
目黒:ぜひ頑張っていただきたい。開示すべき適切な項目を精査して十分な評価が可能になるようにするとともに、それを国際スタンダードにしていけば、日本企業の価値を全体として大きく高めることにつながります。
片倉:EY新日本としてはその一翼を担いたいですね。実際、地震や台風、水害、気候変動に対して、国は積極的に対策していますし、日本企業もそこへ意識を向けています。サステナビリティ分野のスタンダードは日本からということで、先生とぜひご一緒させていただきたいです。
目黒:喜んでやらせていただきます。日本の強さをアピールできる仕組みづくりですから。
片倉:本日は経営に役立つお話、心強いお言葉を頂戴しました。最後に企業の皆さまへ、先生から改めてメッセージがありましたらお願いします。
目黒:皆さんはこれまで、災害対策をコストとみなしていなかったでしょうか。その意識は変えていかなければなりません。災害対策はコストではなくバリューだということです。
また、めったに起きない災害時にしか役立たないものに投資するのは難しいですから、これからの災害対策は平時の生活の質や事業効率の向上を主目的とし、それがそのまま災害時にも有効活用される、有事と平時を分けないフェーズフリーなものにしていくことが重要です。そしてそれが、国際社会における企業価値を高めていくという認識を持っていただきたい。私は研究者として、この点を言い続けるし、国にも訴え続けます。早めに取り組んだ方が絶対に得ですから、ぜひ取り組みを開始してください。これが私からのお願いです。
※1 出典:住民基本台帳に基づく人口、人口動態及び世帯数 令和6年
※2 出典:静岡大学防災総合センター 市区町村の防災に関するアンケート 緊急集計速報(2014年9月)
※3 出典:令和4年版 防災白書|附属資料7 自然災害による死者・行方不明者数
大規模な自然災害から会社を守るためには、事前の災害対策が欠かせません。災害対策のフェーズフリー化やビジネス化により、これまでコストでしかなかった災害対策はバリューに変換されます。また、災害対策が企業価値として評価されるように、投資家などへ向けて積極的な情報開示が求められます。
EYのプロフェッショナルが、国内外の会計、税務、アドバイザリーなど企業の経営や実務に役立つトピックを解説します。