EYとは、アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドのグローバルネットワークであり、単体、もしくは複数のメンバーファームを指し、各メンバーファームは法的に独立した組織です。アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドは、英国の保証有限責任会社であり、顧客サービスは提供していません。
行動経済学の知見に基づいた、消費者・企業・社会に立ちはだかる壁を突破する実践的チェックリストと具体策をご紹介します。
要点
地球温暖化や海洋プラスチック汚染への危機感が高まり、「サステナブルな商品やサービスを広めよう」という機運はこれまでになく高まっています。しかし、現場の数字を見ると状況は楽観視できません。
例えば環境省の調査によれば、サステナブルファッションに「興味がある」と答えた人は 36 %に達する一方、実際に購入にまで至っている人はわずか 3.7 %にとどまっています1。関心があっても行動に移る人は1割に満たないという現実が、まず立ちはだかります。
このギャップが生まれる第一の壁は、「環境にやさしい」という価値を前面に押し出すあまり、価格や性能、利便性といった基本的なメリットを置き去りにしてしまうグリーンマーケティング・マイオピアです2。消費者は環境への貢献だけでなく、自分の生活にどれほど直接的な恩恵があるかをシビアに見極めています。環境価値を訴えても、日常生活の利得を提示できなければ購買にはつながりにくいのです。
第二の壁は、人間の認知に根差す「心理的距離」です。地球温暖化や生態系破壊といった問題は、多くの人にとって「遠い将来・遠い場所・自分以外の誰か」に起きる出来事として知覚されます。そのため、多くの場面で私たちはサステナブルな商品・サービスよりも、目の前の「今・ここ・私」に関わる価格や使い勝手を優先してしまうのです3。実際、環境配慮型商品に追加で支払ってもよいと考えるプレミアムは平均 4 %程度にとどまるという研究もあります4。
第三の壁は、サプライチェーンを構成する事業者側の採算性です。追加コストが生じても、販売価格に十分転嫁できなければ企業は参入をためらいます。とりわけ賃貸住宅の省エネ化など、費用を負担する主体と便益を得る主体が異なる「スプリット・インセンティブ」が存在する分野では、投資回収の見通しが立たない限り取り組みが進みません。
では、こうした「3重の壁」を乗り越えるには、どのような戦略が求められるのでしょうか。行動経済学や心理学の知見、そして私たちの調査結果を踏まえると、消費者・事業者の「環境にやさしい」だけでは動かないという状況を解消するために、次の3つの戦略が有効であることが見えてきました。
戦略 1――心のツボを突き本能を揺さぶる仕掛けづくり
戦略 2――全てのステークホルダーの新たな心のツボを押す利益構造づくり
戦略 3――2つの顔に働きかける世論・ルールづくり
それではここから、3つの戦略の詳細を説明していきます。
まずは、「消費者はなぜ行動しないのか」を科学的に解剖する必要があります。実は、多くの科学的な研究をひもとくと、人が行動を起こさない根本的な理由は4つの心のツボ(細分化すると10個)に集約できます。
「ついつい」(自動応答性)の欠如:行動する選択肢を「気づかない」、「思い出さない」、「直感的にひかれない」
「したい」(動機)の欠如:「じっくり考えた上で、なお行動する気にならない」
「できそう」(自己効力感)の欠如:「面倒そう」、「自分にはできそうにない」
「やろう」(実現意思)の欠如:「後でよい」、「先延ばししてしまう」
消費者の行動を促すには、どのツボがボトルネックになっているかを見極めた上で、各ボトルネックに合った対策をとることが有効です。そこで私たちは、サステナブル消費に特化した「行動変容チェックリスト」を作成しました(図表1)。「行動変容のボトルネック」には、複数の研究で繰り返し指摘される行動しない理由を網羅し、「対策の方向性」には各ボトルネックへの具体的アプローチ例を示しています。
なお、このチェックリストの背景には、私たちが25以上の行動科学理論やモデルを統合・再構築した行動変容モデルである、ARMSモデルがあります。ARMSモデルの詳細は、筆者らの過去のコラムをご参照ください5。
図表1 行動変容チェックリスト
チェックリストの使い方は次の通りです。
Step.1 変えるべき行動の特定
Step.2 対象行動の診断
Step.3 施策の設計
もう一段強いドライバーを付け加えたいときは、衝動的欲求リスト(図表 2)を活用し、 「今・ここ・私」に直結する本能を呼び起こします。
衝動的欲求とは、人間の本能に基づき「つい行動してしまう」欲求のことです。これを細かく見ると、生き延びる(生存的欲求)、社会的関係をつくる(社会的欲求)、遺伝子を残す(繁殖的欲求)、好機に備える(成長的欲求)の4つに分類され、人はこれらを刺激されると「ついつい」行動してしまいます78。私たちは複数の研究を参照し、それぞれの欲求をリスト化しています(図表2)。促したい行動に対して、例示しているような、欲求に関連する価値をひも付けることで、行動変容の強力なドライバーになり得ます。
図表2 衝動的欲求のリスト
フードロス削減は「環境にやさしい」という正論だけでは動機付けが弱く、消費者は「買い方を変えるほどでもない」と感じられやすい行動です。チェックリストでボトルネックを特定すると、①衝動的欲求(本能的に「やりたい」と思わない)、②利得感(得を実感しにくい)が主要因であることが分かりました。
この2つの心のツボを同時に押すことができる(本能を揺さぶり、かつ得を可視化する)打ち手として、例えば「ちょうど飯」というコンセプトが考えられます。必要量だけ購入し、余らせず食べ切ることで「月○○円節約できる」という具体的な金銭メリットを提示しつつ、「家族の健康につながる」という繁殖的欲求を結び付けるアイデアです。金銭的節約メッセージだけで家庭の食品ロスが約31%減少した先行研究9や、27の国と地域比較で家族を大切にしたい欲求が最も行動を促すと示した研究10が、この設計を裏付けます(図表3)。
さらに、食事記録やリマインダーを自動で送るアプリを用意すれば、「面倒そう」「できるか不安」といった自己効力感の壁を下げ、「やろう」という実現意思を後押しできます。こうして利得感と衝動的欲求を同時に刺激し、実践ハードルを徹底的に低減することで、フードロス削減は“良いこと”から“今すぐやりたい行動”へと転換します。
図表3 「ちょうど飯」イメージ
消費者の需要を喚起する仕掛けを整えても、参画する事業者が「投資に見合う」と判断しなければ取り組みは広がりません。ARMSモデルの観点では、利得感――投資回収とブランド向上が数字で裏付けられているか――が最大の分岐点になります。
また、「自分たちでも実行できる」「今すぐ着手したい」と感じられる自己効力感と実現意思を高める支援も欠かせません。
事業者の利益構造づくりの例として、既存の賃貸住宅を省エネ化するケースを考えます。
既存賃貸住宅で省エネ投資が進まない最大の理由は、オーナーが機器を導入しても光熱費削減の恩恵は借り主にしか届かず、オーナーの利得感が希薄になる「スプリット・インセンティブ」が起こることだと言われています11。
このような分断を解消するには、オーナー側にもメリットをもたらす仕組みが不可欠です。例えば、快適性診断ツールと快適性スコアを核にしたモデルが考えられます(図表4)。
図表4 「快適性診断ツール」イメージ
※下記の詳細説明1~4は図4のモデル図の番号と連動しています。
0. 快適性スコアの開発:「光熱費が安くなる」だけでは消費者への魅力が十分に伝わらないため、住宅の省エネ度合いを可視化し、総合的な快適性を示す「快適性スコア」を自治体主導で開発する。
1. 快適性診断ツールの提供:オーナーが省エネ製品を比較検討したり補助金を調べたりする手間を減らすため、「どの製品を導入すれば快適性スコアがどの程度上がり、それによって家賃や稼働率がどれくらい向上するか」をシミュレーションする「快適性診断ツール」を自治体が提供する。
2. 住宅設備メーカー・工務店の参加:住宅設備メーカーや工務店が、自社製品やサービスを快適性診断ツールに登録し、オーナーからの注文をワンストップで受けられるようにする。
3. オーナーによる省エネ化:オーナーが診断ツールの結果を踏まえ、賃貸住宅を省エネ化する(設備更新、断熱改善など)
4. ポータルサイトでの優先表示:快適性スコアが上昇した物件はポータルサイトで優先表示し、借り主との接点が増える。ポータルサイトの改修費は自治体の補助金や差別化の効果で補填する。
このような仕組みを整備することにより、以下のようにスプリット・インセンティブという構造的な壁を崩しつつ、全てのステークホルダーにメリットが循環する持続可能な利益構造が形成され、省エネ化の導入率を高めることが期待できます。
ここまでの議論で、私たちは ①「今・ここ・私」に響く価値を提示して消費者を今すぐ動かす仕掛けと、②投資回収シナリオを見える化して事業者のビジネスとしてペイする利益構造を整えることが、サステナブル消費を軌道に乗せる上で不可欠であることを確認しました。多くの施策――例えば、フードロス削減や既存賃貸住宅の省エネ化――は、実際にこの2つを揃えるだけで行動変容と収益化の両方が見込めます。
しかし、水素エネルギーのように巨額のインフラ投資が前提となり、当面は消費者プレミアムが高止まりする領域では、短期の価格メリットだけでは市場が動きません。ここで機能するのが、人々のもう1つの側面――将来世代や社会全体を考慮して判断する“市民の顔”――を動かし、制度そのものを変える長期戦略です。具体的には、世論形成フェーズで人の「長期の公共利益を考える市民の顔」に働きかけた後に、制度導入フェーズで人の「目先の損得を見る消費者の顔」に働きかけるアプローチです12。
まず、世論形成フェーズでは、「将来のために応援したい」という世論を醸成し、補助金や炭素課税など制度変更の推進力を高めます。
実際、炭素税への支持は個人負担の大きさよりも政策の公平性や有効性に左右されることがメタ分析で確認されています13。また、猛暑や干ばつなどの異常気象が続くと、購買行動は大きく変わらなくても政党支持や環境政策への賛否が短期間で振れることも報告されています14。
次に、制度導入フェーズでは、制度そのものを社会に違和感なく定着させる配慮が不可欠です。
ここで重要なのは、補助金などの制度的インセンティブを恒久措置とするのではなく、市場が自立して動き出すまでの「滑走路」として活用することです。こうした滑走路が制度の定着を促し、政策依存から自走型の市場への円滑な移行を可能にします。
世論の後押しを背景に、まずは、補助金や低利融資などの導入インセンティブを導入し、事業者の利得感(投資に見合いそう)や自己効力感(自分たちでも実行できそう)を高めて初期参入を促します。例えば、水素をはじめとするサステナブル技術には導入補助や低利融資を付与する方法が考えられます。その結果、サステナブル技術の利用拡大を通じた量産と学習効果で自然にコストが下がる軌道に乗せることができます。
その後、炭素価格を毎年少しずつ引き上げて化石燃料を割高にすることで、導入インセンティブが縮小してもサステナブル技術が競争力を保つ(事業者の利得感を維持し、自己効力感や実現意思を損なわない構造を完成させます15。
制度変更のスケジュールが透明で予見可能であれば、企業は長期投資を正当化でき、消費者も高いプレミアムを負担せずに済むため、「高すぎて選べない」という障壁が解消されます16。こうして制度は社会に違和感なく定着し、市場は政策依存から自走型へと移行します。
サステナブル消費を確実に軌道に乗せるには、① 「今・ここ・私」に響く仕掛けで消費者を即座に動かし、② 全ステークホルダーの利益が継続的に循環する構造を描き、③ 世論と制度を味方につけて市場の前提そのものを変える――この3つを同時に設計・実装する力が欠かせません。言い換えれば、行動経済学に基づく“人”の理解、経営コンサルティングの“ビジネス”視点、そしてルール形成の“世論・制度・政策的”視点を一気通貫で捉える必要があります。
EY の BX Strategy チームは、これら3つの専門性をワンストップで提供します。消費者インサイトの抽出から施策の A/B テスト、ROI シミュレーション、政策アドボカシーまでを一つの流れで支援し、小売・エネルギー・金融など複数業界で実績を重ねてきました。行動変容施策とビジネスモデル変革を組み合わせ、複数の企業のサステナビリティ戦略をご支援します。
「正論なのに動きが止まる」という壁を越え、サステナブルな選択が“当たり前”になる社会を共に実現しませんか。EY BX Strategyが貴社の挑戦を支援します。
※本記事は中垣将也マネージャー(EYストラテジー・アンド・コンサルティング株式会社)も共同執筆している。
行動経済学を軸に、①消費者を今すぐ動かす仕掛け、②採算が見える利益構造、③世論と制度を味方にする長期戦略――この3点を押さえれば、サステナブルな商品やサービスが“自然に選ばれる”社会に一歩近づきます。
編者:EYストラテジー・アンド・コンサルティング
出版社:日経BP日本経済新聞出版本部
書籍についてのお問い合わせ・購入等は下記出版社サイトをご確認ください。
:BXストラテジー 実践行動経済学2.0 人を動かす心のツボ
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EYの試算によると、行動経済学・心理学を起点として社会課題解決型の行動を消費者や従業員に対して促すことにより生み出される市場規模は、約11兆円に上ります。BX(行動科学トランスフォーメーション)は、企業による11兆円市場の参入と取り込みを促します。
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