なぜ消費者や従業員は行動を変えないのか?行動経済学× ARMSモデルが解き明かす4つの心のバリア

なぜ消費者や従業員は行動を変えないのか?行動経済学× ARMSモデルが解き明かす4つの心のバリア


関連トピック

新商品が売れない、新サービスが普及しない、部下が思い通りに動いてくれない…。なぜ人は行動を変えないのでしょうか。その答えは「気づかない」、「したくない」、「できなさそう」、「後回し」という4つの心のバリアにあります。行動経済学の知見を活用し、効果的なアプローチ法を解説します。


要点

  • 行動変容を妨げる要因は「ついつい」、「したい」、「できそう」、「やろう」という4つの心のツボに集約される。
  • 行動経済学の理論を統合した新しいフレームワーク(ARMSモデル)により、効果的な介入策の設計が可能となる。
  • 金融・小売・エネルギーなど複数業界での実績から、科学的アプローチによる高い成功確率を確認している。

ビジネスにおける行動変容モデルの重要性

企業経営において、顧客や従業員の行動変容を促すことは、ビジネスの成否を分ける重要な経営課題です。「消費者に新商品の購入を促したい」、「人の心に刺さるサービスや事業戦略を開発したい」、「DXなどの組織変革に向けて従業員の行動を変えたい」―こうしたニーズは、あらゆる業界・業種に共通して存在します。

こういった経営課題を解決するために、人の行動を理解し、その変容を促すためのモデルやフレームワークへの需要は高まっています。消費者行動については、マーケティングの基本モデルであるAIDMA(Attention:注意、Interest:関心、Desire:欲求、Memory:記憶、Action:行動)や、コトラーが提唱した「5A」(Aware:認知、Appeal:訴求、Ask:問い合わせ、Act:行動、Advocate:推奨)が広く知られています。また従業員の行動変容については、ADKAR(Awareness:認識、Desire:欲求、Knowledge:知識、Ability:能力、Reinforcement:強化)モデルが、組織変革における個人の変容プロセスを説明するフレームワークとして活用されています。しかし、これらのモデルには本質的な限界が存在すると考えられます。
 

既存モデルの限界

既存モデルの代表例であるAIDMAモデルは、消費者行動を「注意→関心→欲求→記憶→行動」という段階で整理しています。このモデルは確かに、広告やプロモーション施策を打つ上で、顧客接点の最適化(どのような順序でコミュニケーションを設計すべきか)に関する指針は提供しますが、既に存在する商品やサービスを前提とした、表層的なプロセスの説明にとどまるという本質的な限界を持ちます。

例えば、注意の段階では、なぜ特定の商品やサービスに目が留まるのか。関心の段階では、なぜその対象に興味が湧くのか。欲求の段階では、なぜ「欲しい」という感情が生まれるのか。記憶の段階では、なぜその商品が記憶に残るのか。そして行動の段階では、なぜ実際の購買に踏み切るのか。これらの心理メカニズムをAIDMAモデルは説明できません。

つまりAIDMAモデルは、消費者行動の「プロセス」は示せても、その背後にある「メカニズム」は説明できないのです。各段階での心理的な変化の原因や、次の段階への移行を促すトリガーが特定できないため、どのような顧客価値を創造し、それをどのように商品やサービスとして具現化すべきかという、より本質的な問いに答えることができないのです。これは、5AモデルやADKARモデルにも当てはまります。そのため、効果的な行動変容を実現するためには、より本質的な心理メカニズムの理解を捉えたアプローチが必要と考えられます。
 

行動変容を阻む4つの心のツボを診断可能なARMSモデル

そこで筆者らは、人の行動変容の段階(ステージ)よりも、人が行動を起こさない(または起こせない)根本的な理由に焦点を当て、それらを大きく4つの心理的なメカニズムとして体系化したARMSモデルを開発しました。

人が行動しない理由は、「ついつい」、「したい」、「できそう」、「やろう」という4つの心のツボに集約されます。このEY独自の行動変容モデルは、25以上の行動科学の理論やモデルを統合・再構築し、人を動かす心のツボを漏れ・重複なく整理したマップ(実践的なフレームワーク)です。「Auto-response(自動応答性)」、「Realization(実現意思)」、「Motivation(動機)」、「Self-efficacy(自己効力感)」の頭文字から「ARMS」と名付けられています(図表1、図表2)。

図表1:ARMSモデル

図表1:ARMSモデル

図表2:人の行動を阻む4つの心のツボ

図表2:人の行動を阻む4つの心のツボ

「ついつい」(自動応答性)の欠如:行動する選択肢を「気づかない」、「思い出さない」、「直感的にひかれない」という問題。具体的には、

①反応的注意(目立つ刺激への注目)が働かない
②連想的記憶(過去の経験からの想起)が機能しない
③衝動的欲求(本能的な反応)が刺激されない

が阻害要因となります。例えば、商品が目に入らない、使用シーンが思い浮かばない、本能的な魅力を感じないといった状況では、行動のきっかけそのものが失われてしまいます。
 

「したい」(動機)の欠如:「じっくり考えた上で、なお行動する気にならない」という問題。具体的には、

①利得感(得られるメリットの実感)が足りない
②規範意識(社会的な評判や圧力)が不十分
③嗜好(しこう)性(わくわく・楽しさ・価値観とのフィット)を感じない

が阻害要因となります。消費者や従業員が新サービスを採用しない背景には、使うメリットを感じない、周囲で使っている人が少ない、使わなくても気まずくない、サービス自体にわくわくしない(自分に合わない気がする)などの理由が挙げられます。

その中でも、とりわけ利得感は重要です。利得感は「インパクト(得られる結果の価値)」×「確率(その結果が得られる見込み)」で構成され、さらに「行動するコストが割に合うか」という評価も加わります。これらが総合的に低いと、「行動しても得が少ない」と感じられ、動機は高まりにくい。たとえば従業員の生成AI利用行動で、得られるインパクトが小さそう(時短やクオリティ向上が限定的)、その成果が得られる確率も低そう(誤回答やセキュリティリスクが気になる)、さらに行動コストが高そう(導入や習熟の手間が大きい)と判断されれば、「わざわざ生成AIを使う必要はない」と結論づけられやすくなります。
 

「できそう」(自己効力感)の欠如:「面倒そう」、「自分にはできそうにない」という問題。具体的には、

①容易感(手順の簡潔さ)が足りない
②有能感(自身の能力への自信)が持てない

が阻害要因となります。例えば、新しいアプリを利用する際に、操作が面倒に感じられたり、使いこなせる自信が持てなかったりすると、行動のハードルが上がります。

ここで注意すべきは、自己効力感が「行動するコストが高いから割に合わない」といった損得(動機の利得感)ではなく、心理的・技術的なハードルの高さの感覚を指す点です。行動することが割に合うと感じても、「難しくてできない(大変そう)」と思えば行動は起きにくくなります。
 

「やろう」(実現意思)の欠如:「後で良い」、「先延ばししてしまう」という問題。具体的には、

①目標具現性(達成目標の明確さ)が不十分
②行動計画性(具体的な実行計画)がない

が阻害要因となります。「重要なことだからいつか始めよう」という漠然とした意図はあっても、いつまでにどのレベルに到達すべきかについての具体的な目標設定や、何月何日の何時にどう行動するかという行動計画が不明確なため、実行が先送りされ続けてしまいます。

このように、各障壁に対応する心理メカニズムを理解し、それぞれに適した対策を講じることで、行動変容の成功確率を高めることができるのです。

 

行動変容を阻む4つの心のツボと、行動変容ステージの対応関係

4つの心理的なバリアを行動変容ステージと結びつけることで、より体系的な介入戦略を設計することが可能となります(図表3)。

図表3:行動変容ステージとの対応関係

図表3:行動変容ステージとの対応関係

行動変容のプロセスは、「知らない」、「知っているが興味がない」、「興味はあるが行動しない」、「行動する」という4つのステージで捉えることができます。各ステージで異なる心理的バリアが存在し、それぞれに適した心のツボへの働きかけが必要となります。

「知らない」から「知っている」への移行では、認知バリアの突破が課題となります。この段階では「ついつい」(自動応答性)の心のツボが重要な役割を果たします。例えばヤクルト1000の事例では、赤いパッケージによる視覚的な注意喚起(反応的注意)や、「1000=効果が高い」という即座の連想形成(連想的記憶)により、効果的な認知を実現しています。

「知っているが興味がない」から「興味がある」への移行では、商品やサービスへの関与度(こだわり)によって異なるアプローチが必要となります。日用品のような低関与商品では、「ついつい」の心のツボを活用した直観的なニーズ喚起(3秒の訴求)が効果的です。一方、車や保険のような高関与商品では、「したい」(動機)の心のツボである利得感、規範意識、嗜好性に訴えかけた熟慮的なニーズ喚起(3分の訴求)が必要です。

「興味はあるが行動しない」から「行動する」への移行では、「できそう」(自己効力感)と「やろう」(実現意思)の両方の心のツボが重要となります。例えばジム通いの事例では、施設の利便性(容易感)や進捗の可視化(有能感)に加え、「3カ月で5kg減量」という具体的な減量目標(目標具現性)と「毎週月・水・金の帰宅後に通う」という具体的なスケジュールの設定(行動計画性)が、行動の実現を後押しします。

このように、各ステージにおけるバリアと心のツボの対応関係(心理メカニズム)を明確に理解することで、より効果的な介入戦略を設計することが可能となります。

なお、ちまたには行動変容のステージモデルが複数存在します。BXアプローチでは、理論的な精緻さと実務的な使いやすさのバランスを追求し、4段階モデルを基本的に採用しています。実際に、この4ステージの想定で必要十分であることを示す研究も存在します1

  1Richert, J., Schüz, N., & Schüz, B. Stages of health behavior change and mindsets: A latent class approach.Health Psychology, 32(3), 273–282. (2013).

 

4つの心のツボに加えて考慮すべき外部要因

ARMSモデルでは、4つの心のツボへの働きかけに加えて、その反応を左右する外部要因も体系的に把握できます。これらの外部要因は4つのカテゴリーに分類されます。

「個人的属性」は、性別・年齢・疾患などの身体的属性、報酬への感受性や新しさへの開放性といった性格特性、そして過去の学習や経験を通じて得た知識から構成されます。例えば高齢者は、将来への備えよりも現在の享受を重視し、地位や評判への欲求が弱まる傾向があります。

「社会的属性」には、衣食住などの生存的環境、獲得している地位・評判といった社会的役割、そして配偶者の有無などの繁殖的状況が含まれます。

一方、「個人的縛り」としては、運動能力や手先の器用さといった身体的技能、理解力や学習能力などの知識・知能が挙げられます。

「社会的縛り」には、設備やインフラの有無という物理的制約、経済的な余裕の程度を示す金銭的制約、そして法律や社会規範によるルール・規制が含まれます。

効果的な行動変容施策の設計には、これらの外部要因も包括的に考慮したアプローチが不可欠です。

 

ARMSの適用例

ARMSモデルは、エネルギー、金融、保険、社内改革をはじめとする幅広い業界における科学的な行動変容の実現に貢献しています。その適用事例を可能な範囲でいくつか記載します。

エネルギー業界では、再生可能エネルギーの普及拡大において、「環境にやさしい」という抽象的な訴求ではなく、衝動的欲求や嗜好性に働きかける戦略を採用しています。人々が日常的に利用したくなる価値を特定し、本能的な動機づけを通じた行動変容を実現しています。

金融業界では、大手銀行のサービス利用促進や、クレジットカード会社のポイント戦略において、単なる利得感(お得さ)の訴求を超えた施策設計を行っています。例えば、ポイントプログラムの設計において、表層的な経済的インセンティブだけでなく、利用体験を通じて本能(衝動的欲求)を刺激する仕掛けを組み込んでいます。

保険業界では、一例として安全運転アプリの開発において、インセンティブによる利得感の醸成と、アプリ利用に対する自己効力感(できそう感)の向上を同時に追求しています。

加えて、消費者ではなく従業員の行動変容にもARMSモデルの適用実績は豊富に存在します。例えば、生成AI技術の組織的な活用促進において、従業員の4つの心のツボを科学的に分析し、それに基づいた具体的な浸透施策を設計することで、新技術の効果的な定着を実現しています。

このように、ARMSは消費者・従業員の心理メカニズムを科学的に解読し、成功確率の高い施策設計を可能にします。今後、社会課題の解決や事業変革において、人々の行動変容の重要性はさらに高まっていくと考えられます。ARMSモデルを、そうした要請に応える実践的なツールとして、ぜひご活用いただきたく思います。

 

※本項では、行動経済学や心理学をはじめとした人の行動のメカニズムを明らかにする学問全体を、学術的に正確には「行動科学」と呼ぶべきですが、多くの方になじみのある「行動経済学」として表現しています。


サマリー

消費者や従業員が行動を変えない理由は、4つの心理的なバリアに集約されます。それは「気づかない」、「したくない」、「できなさそう」、「後回し」という心のツボです。これらを突破するには、AIDMAのような従来型のフレームワークでは不十分です。行動経済学に基づく科学的アプローチで、これらのバリアを科学的に分析し、業界や目的に応じた効果的な行動変容施策の設計が可能となります。


関連コンテンツのご紹介

“環境にやさしい”で消費者はお金を払うか?

環境省の事業を通じて、「環境に配慮した商品やサービス」の選択を消費者に促していくためには、その価値観に応じた「今・ここ・私」を見極めた上で、人の心に寄り添ったコミュニケーションに変革していくことが求められることを明らかにしました。

企業経営の意思決定において、どのように行動経済学や心理学を生かすのか?

「顔の見える電力」をキーフレーズに「あの人が作った電気を私が使う」社会を目指してクラウド型太陽光発電ビジネスを創出した株式会社UPDATER。事業化への道しるべとなったのは、行動科学の最新の知見に基づきEY Japanが開発した、「人の心に寄り添う方向」に企業活動を誘う手法「BXストラテジー」でした。

行動経済学やナッジを企業経営にどう生かすか

ノーベル経済学賞を受賞したナッジをはじめとして、企業経営に行動経済学や心理学などの科学的な知見をどう生かすことができるかを解説します。

BXストラテジー 実践行動経済学2.0 人を動かす心のツボ

本書は、企業経営の現場で活用可能な行動経済学の知見を体系化したうえで、読者が現場で活用しやすいツール(フレームワーク)として集録し、BXアプローチによって経営課題を解決する新しい筋道を示します。

    この記事について

    執筆者