EYとは、アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドのグローバルネットワークであり、単体、もしくは複数のメンバーファームを指し、各メンバーファームは法的に独立した組織です。アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドは、英国の保証有限責任会社であり、顧客サービスは提供していません。
労働人口の減少や人材流出の課題に直面する地域では、地方企業が持続的に成長できる仕組みの再構築が必須になってきています。広島県ではこの難問に挑むべく、「人的資本経営」を軸に据えた独自の戦略を、自治体として初めて取り組みました。その主役となるのは、県内に3万社以上を数える中堅・中小企業です。人的資本経営を普及させ、県内企業の行動変容を引き出す仕掛けについて、キーパーソンに聞きました。
The better the question
広島県では自治体という立場でありながら、初めて「人的資本経営」を成長戦略の一環に位置付け、中堅・中小企業の行動変容を引き出す仕組みづくりに乗り出しました。
EY 水野:
広島県では「人の力で『かち』に行く! 人的資本経営ひろしま。」を合言葉に、人材の育成・確保・活用を通じて県内企業の価値向上を目指すさまざまな取り組みを進めておられます。まず、こうした取り組みに至る背景として、自治体としてどのような課題を感じていたのか、お聞かせください。
広島県 藤井氏:
広島県では、大学進学や就職をきっかけに若者が都市部へ転出する状況が長く続いており、人口減少や人材確保に対して強い危機感を抱いていました。規模や賃金、娯楽性といった面で差のある地方が、都市部と同じ土俵で「雇用の量」を競っても勝ち目はありません。設備投資や立地の優位性を競う従来型の地域間競争にも限界が見え始めていました。
一方で、県内には中小企業を中心に、価値創造の力を持つ事業体が数多く存在します。しかし、その強みや魅力が十分に可視化されず、人材採用や生産性向上につながっていないという問題もありました。
この状況を変えるには、仕事の中身や質を高め、地方にいながら成長や挑戦を実感できる環境をつくりつつ、それと共に伝える場も必要だと考えたのです。都市部が「人を集めて成長するモデル」だとすれば、地方である広島県では「人を育て、価値を高めて成長するモデル」にしようと思いました。
水野:
そうした課題認識を踏まえた上で、「人的資本経営」に着目された背景を教えてください。
藤井氏:
「地方こそが挑戦と価値創造を担う主体となり得る」という確固たる認識を県として掲げたことが起点となりました。設備投資中心の発想から脱却し、「人への投資」を軸に据え、スキルや役割の高度化を通じた仕事の付加価値向上、労働生産性の向上へとつなげていく方針を、地域経済を成長させる中核戦略として位置付けました。
そこで、まず2022年度に広島県リスキリング推進検討協議会を立ち上げ、人材育成や労働移動を進める方向性について議論しました。その後、企業の力の源泉である「人への投資」が進むよう、リスキリングから一歩進んだ「人的資本経営」へと進化させる道筋を考え、EYにも参画いただきました。伊藤先生にもこのタイミングでご参画いただいています。人材への投資を可視化し、その成果が資本市場や労働市場から正当に評価される仕組みをつくり、それにより、中小企業が多くあるこの広島県で、中小企業を中心とする県内事業体の行動変容が自律的に促進される環境をつくることを目指しました。
水野:
伊藤先生は2020年の「人材版伊藤レポート」の取りまとめをはじめ、700社近い企業や投資機関と共に経済産業省と金融庁がオブザーバーを務める人的資本経営コンソーシアムの会長を務められるなど、日本企業の戦略的人材投資を指導する立場におられます。広島県の戦略を遂行するにあたり、広島県の考えが伊藤先生のレポート理論に沿っていると考え、EYからお声掛けし、伊藤先生にこの取り組みの発展のためにご参画いただきました。
一橋大学 伊藤教授:
広島県の取り組みは、まさに「人材版伊藤レポート」と重なると思います。2023年3月期以降、上場企業には人的資本に関する情報開示が義務化されているため、首都圏などの大企業は人的資本経営に先行して取り組んでいますが、中小企業にはまだ義務化の縛りがないこともあり、あまり波及していないのが実情です。ただ、日本企業の99%以上は中小企業ですから、真に企業価値を高めて日本の成長力に結び付けようと考えるなら、中小企業にも人的資本経営に取り組んでもらう必要があります。また、人口減少や人材採用難といった課題に直面する地方の中小企業にとって、企業価値の可視化は持続的成長に関わる重要な鍵となるため、中小企業にこそ人的資本経営に対するニーズがあると考えています。
さらに、労働世代の若者は昨今、企業規模にかかわらず、「この会社で自分はどれだけ成長できるのか」を重要な指標として就職先を選別している実態もあります。つまり、中小企業が人的資本経営に取り組むことは、企業と労働者双方にメリットがあるのです。
水野:
そのような背景も踏まえ、広島県の取り組みについて、どのようにご覧になっていますか。
伊藤教授:
自治体自らが主導して県内の中小企業を支援し、人的資本経営の取り組みを進める戦略は、地方自治体として初めての事例でしょう。非常に画期的な挑戦だと思います。
広島県にはキラリと光るニッチトップ企業がたくさんあり、人的資本経営をテコに企業価値を高めていることを広く知らしめれば、魅力が伝わり、県内の若者をつなぎとめる効果が十分に得られるはずです。
広島県 小村氏:
まさに、伊藤先生が提唱しておられる「人材版伊藤レポート」の理論と広島県の方針は合致していたと思います。伊藤先生に参画いただいたことで、より取り組みが発展したと思っており、EYのご提案は大変有意義なものとなりました。
図-1 人的資本経営を推進するとは(EY作成)
The better the answer
中小企業でも使える人的資本開示ツールの開発を起点として、行政・企業・専門家が連動するエコシステムの構築で、重層的な取り組みが進んでいます。
水野:
では、人的資本経営に対する企業の理解と共感を得ながらも、一歩進めて具体的な行動へとつなげるにはどうするべきか。この命題に、どのような方針で臨まれたかご説明いただけますか。
藤井氏:
「人を大切にする経営」というのは今に始まったことでなく、中小を含む多くの企業が以前から重視してきたことだと思います。ただ、人材に投資する重要性や人的資本経営に取り組む必要性は理解できても、「何から始めるべきか分からない」「自分たちには難しすぎる」などといったハードルや、言語化して対外的にアピールする術が分からないという、「認識と実践のギャップ」が最大の関門になると感じていました。
本記事についてのご質問や詳細をご希望の場合は、お気軽にお問い合わせください。
このギャップを埋めるには、よくある優良事例の紹介やセミナー等での啓発だけでは限界があります。従業員への投資を企業の価値創造にまで結び付け、経営の意思決定に直結するものとして経営者の皆さまに捉え直していただくために有効な仕掛けがないか検討しました。例えば、どんな企業でも使える「道具」のようなものがあれば、人的資本経営への初めの一歩が踏み出せるのではないか? 小村さんとそんな話をしていたのを覚えています。
小村氏:
2023年の秋ごろでしたね。そこで相談に乗ってくださったのがEYです。中小企業で人的資本経営を啓発ではなく実装へと落とし込み、企業行動までも変えていく仕組みをつくるには、何らかの「標準化」が必要ではないかという話になりました。そんな議論の中で生まれたのが、中小企業用に落とし込んだ人的資本の開示ツールをつくるという構想でした。
水野:
はい、ただし情報開示そのものを目的とするのではなく、企業自身の行動変容を引き出す制度設計を目指したいと考えました。人的資本経営を一部の先進企業の事例に終わらせず、県内企業の「当たり前」にしたい、そう思ったのです。その場合、われわれが知る上場企業のノウハウをそのまま持ち込んでも、中小企業には項目のボリュームも多く、負荷がかかります。どのような企業でも容易に着手できるように仕様や指標を標準化し、いわば中小企業版の情報開示として再構成されたシステムを構築しました。
藤井氏:
人的資本経営の重要性を認識していながらも、具体的なアクションをどう起こせば良いかが分からず足踏みをしてしまう多くの企業にとって、ツール構築は画期的な支援だったのではないかと感じています。実は、EYのような大手コンサルティング会社の知見やノウハウが、どこまで中小企業に合致するだろうかと当初は不安もありました。その不安を、私たち自治体の事情や制約も踏まえた上で一緒に考え抜き、共に走る姿勢によって払拭してもらえたことが信頼関係につながったように思います。
水野:
広島県では人的資本経営支援のための官民協働プラットフォームとして「広島県人的資本経営研究会」を立ち上げて、伊藤先生がその運営委員長に就任されました。どのような組織でしょうか。
小村氏:
われわれは自治体のため、制度自体は整えることができます。しかし県内企業全般に人的資本経営を定着させるには、単に自治体として制度を整えるだけでは足りません。いつか自治体の支援が縮小してもなお、企業が人的資本経営の取り組みを継続し、それにより資本市場や労働市場から正当に評価され、持続的な成長を保てるような社会の仕組みまでをも築く必要があるからです。そのためには、自治体だけでなく、伊藤先生をはじめとする有識者、そしてEYのようなプロフェッショナルの参画を得て、多様なプレーヤーが同じ方向を見て知恵を持ち寄る場が必要だと考えました。その考えで生まれたのが、「広島県人的資本経営研究会」です。
伊藤教授:
異なる知見やノウハウを持ち、別の立場から物事を見られる複数の主体が課題解決に向けて協働するという、行政・企業・専門家が三位一体となって進めるプロジェクトです。主役を張るのは大企業でも大都市でもなく、地域の自治体と中小企業です。行政は制度や補助の仕組みづくりを担い、専門家が特定の方法論や知見をもって先導し、それらの支援を受けて企業が現場で実践する。この産官学3つの機能が連動することで、「本当に企業が変わるプロジェクト」が稼働します。このようなアプローチを地方自治体において実践できていることに大きな意義を感じています。
水野:
われわれもその一端に加わる機会を得られたことは大変光栄です。私事になりますが、実は広島県出身でして、このプロジェクトに出会ったときは「自分がやらずして誰がやる」と熱い想いを抱いておりました。EYとしてこのプロジェクトに参画させていただき、皆で考えた施策が次々に具体化していく場に立ち合うことができたのは大変うれしいことでした。
藤井氏:
リスキリングメインで行っていた1年目はまだ企業が行動を起こすための「学び」の時期で、足踏み状態にありました。2年目以降は伊藤先生やEYの協力を得たことで、人的資本開示ツールの開発をはじめ、企業や専門家を交えたワークショップの体系化や、補助金制度の発足、情報開示アワードの開催など、実践へとつながる伴走体制が形を成していきました。制度設計と現場支援が一体化し、企業が迷わず動ける環境が急速に整っていったように思います。
The better the world works
県内企業に芽生えた変革への兆しを確信に変え、自律的に継続させることに成功した広島県。この「自治体モデル」が全国から注目を集めています。
水野:
前述した中小企業版「人的資本開示ツール」の活用や産官学の連携により、どのような効果があったか教えていただけますか。
藤井氏:
これまで暗黙知とされてきた人材への投資や育成の取り組み内容を言語化して外部に示すことで経営の見直しにつながり、開示企業の中から「自社の強みや課題を可視化し、社内で共有できるようになった」「採用活動で自社の強みをアピールしやすくなった」といった声が上がるようになったのは大きな前進だと思っています。
伊藤教授:
人的資本開示をしようとするとき、企業はまず自社の実情を見つめ直す作業から始めます。自社がどのような組織であるかを確認し、従業員や外部からどう見られているかを認識するのです。この作業を最初にしない限り、何を開示して良いかが見えてきません。また経営者自身が、よく理解していると思い込んでいた自社の価値や一人ひとりの人材の魅力・能力の実情を目の当たりにして新たな気づきを得ることもあります。この情報開示プロセスにおける気づきこそが、実は企業の成長にもつながる、最も重要な意味を持っています。
小村氏:
人的資本開示ツールを使って人的資本開示レポートを作成した企業は、初年度の2024年度には12社でしたが、2025年度中には累計で60〜70社に達する見込みです。開示義務のある上場企業は広島県内で約50社のため、これを抜く勢いで増えていることになります。2030年度までに、情報開示企業1,000社が目下の目標です。もちろん開示企業の数自体が目的ではなく、情報開示をトリガーとして人的資本経営による企業成長を促すことが狙いですが、参加企業数の増加により認知が上がることで、より参加企業が増えることを望んでいます。
図-4 県内企業の人的資本経営の実践ジャーニー(EY作成)
水野:
人的資本経営に積極的に取り組む県内の優良企業を対象に開催された「人的資本経営ひろしまアワード2025」という画期的なアワードも開催されていますね。
小村氏:
はい。補助金の提供も重要ですが、人的資本経営への挑戦が「評価される行動」であることを明確に示す必要があると考え、このアワードを開催しました。人的資本開示レポートを公開した県内約40社の中小企業を対象に、取り組み内容やレポートの充実度などを評価項目として3段階の審査を経て選定し、2025年11月の表彰式では3社が受賞しました。従業員の人数や売上規模、業種も異なる三者三様の会社ですが、どの発表も素晴らしく、私たちが目指してきたことが実現してきているのを身に染みて感じる表彰式でした。
伊藤教授:
私も審査委員長として出席し、受賞企業のトップによるお話を聞きましたが、人的資本経営を取り入れたことで会社の方向性や将来像が明確になったり、従業員や求職者が成長するきっかけとなったりしたと、涙ながらに語るその姿を見て感動しました。規模が小さい会社だからこそ、ひとたび取り組みが回り始めると社内外へのインパクトが大きいと知ることができた貴重な経験となりました。
藤井氏:
ありがとうございます。時間と労力をかけて踏み出すことを選んだ企業の努力がきちんと報われる姿を見ることで、次に続く企業がさらに増えるのではないかと期待しています。
水野:
県の内外やメディアからの反響も大きいとうかがっています。どのような声が寄せられていますか。
藤井氏:
人的資本経営にここまで踏み込んだ自治体は他にないということで、全国紙や専門誌に取り上げていただきました。また、全国の自治体や企業からも多くの問い合わせをいただいています。「地方の挑戦が社会の仕組みをも変えられる」と示せたことは県として大きな自信につながりますし、人的資本経営を1つの自治体ブランドとして発信し続けることの追い風にもなっています。
伊藤教授:
人的資本経営コンソーシアムなどの情報交換の場や国レベルの政策議論の場でも、広島県のこの取り組みは大いに注目を集めています。地方発の人的資本経営の先進モデルとして参考にしたいという別の自治体からの声も多々いただいています。
水野:
そのような反響があったと知ることができ、関わったEYメンバーとしてもうれしく思います。
最後に、今後の展望についてお聞かせください。
小村氏:
広島県内の中小企業に人的資本経営を取り入れていただくプロジェクトは成果を出し始めましたが、高い目標へのゴールはまだ道半ばです。今まで可視化されていなかった県内企業の魅力を、県の補助金や開示ツールなどを活用していただきながらさらに顕在化できるよう、今後も支援していきたいと思います。
藤井氏:
伊藤先生をはじめとする有識者の知見と励ましによって大きな推進力を得られたこと、また企業支援の最前線を知る専門家であるEYが理論と実践の両面で支えてくれたことで、ここ広島県に「自分たちにも改革ができるのだ」という確信が芽生えたことが何よりの成果です。今後も人的資本経営のメリットを県内企業がさらに実感できる形にしていくつもりです。
伊藤教授:
人的資本経営は世界のトレンドであり、単なる情報開示の域を超えて経営の質そのものを左右する力を秘めています。人的資本を備えた企業は全国にたくさんあります。自治体として初めて取り組み、先駆者となった広島県が地方都市のロールモデルとなり、全国にも同様の取り組みが波及していくことを期待しています。そのためには、行政・企業・専門家による三位一体のエコシステムがぜひとも必要ですから、それらをつなぐEYの連携力にも大いに期待しています。
水野:
ありがとうございます。EYにとっても、今回の取り組みは、EYのパーパス(存在意義)である「Building a better working world~より良い社会の構築を目指して」に合致しており、社会にとっても大変意義があると感じています。今後も広島県の取り組みを通じて、より社会に貢献できるよう力を尽くしていきたいと思います。本日はありがとうございました。
※2026年2月取材時の情報です。
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