EYとは、アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドのグローバルネットワークであり、単体、もしくは複数のメンバーファームを指し、各メンバーファームは法的に独立した組織です。アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドは、英国の保証有限責任会社であり、顧客サービスは提供していません。
日本の製造業が誇る「クラフトマンシップ」は転換期にあります。「良いものを作る」という姿勢だけでは持続的な成長は望めません。顧客が求める価値を理解し、提供し続けるための「マーケティング」の視点が不可欠です。本講義では、EYストラテジー・アンド・コンサルティングの鬼髙誉が、デジタルデータやAIを活用した「データドリブンマーケティング」の理論と、企業が選ばれ続けるための戦略的アプローチを解説します。
鬼髙 誉
日系/外資系の消費財企業にて、セールス&マーケティング・事業戦略の実務者として従事後、コンサルティングファームに転じ、大手総合プロフェッショナルファームを中心に消費財関連企業のさまざまなビジネスケースに携わったのち、 EYストラテジー・アンド・コンサルティング株式会社 に参画。
※所属・役職は記事公開当時のものです。
要点
日本の製造業の強みは、世界トップクラスの技術力です。しかし、その高い技術力が必ずしもビジネスの成功に直結していない現状があります。鬼髙は、英『ECONOMIST』誌の指摘を引用し、日本企業の課題を提起します。
「日本企業にはクラフトマンシップはあるが、ショーマンシップ、すなわち『価値を伝える技術』が欠けている。かつての日本では『良いものを作れば売れる』と考えられていました。しかし、この姿勢は、グローバル市場において通用する考え方ではなく、結果として経済成長の低迷を招いているのではないでしょうか」
グローバルに展開する韓国や中国の競合他社は、顧客が何に興味を抱き、どのようなメッセージが心に響くのかを徹底的に研究します。彼らは価値を伝えるためのコマーシャルな領域において、日本企業よりもはるかに戦略的かつ効率的なアプローチを実践していると、鬼髙は分析します。
多くの経営者が「当社は技術はあるが、マーケティングが弱い」と口にするものの、その実態は本来のマーケティングの定義から大きく乖離している場合が多いと指摘します。
「多くの日本企業において、マーケティングは『いかに売るか』というプッシュ型の販促活動として捉えられています。しかし、ピーター・ドラッカーが説いた通り、企業の目的とは『顧客の創造』であり、その源泉となるのがマーケティングとイノベーションです。マーケティングの本質的な理想とは、顧客を深く理解することで製品を顧客に合わせ、販売を不要にする仕組みを構築することです。単なる販促手法の積み上げではなく、創造した顧客から『選ばれ続ける仕組み』をいかに作るか。この視点の欠如が、日本企業の重要な課題となっています」
マーケティングが「営業の延長」と見なされがちな背景には、「組織構造上の問題があるのではないか」と鬼髙は考察します。
「日本のマーケターは営業出身者が多く、資金と体力を使って製品を押し込む『プッシュ型』の発想に偏りがちです。一方、欧米では、マーケティングは体系的な学問として認識されており、プロフェッショナルが理論に基づいて実務を遂行します。本来は、生活者の潜在的なニーズやインサイトを掘り起こし、それをブランド価値として定義した上で、顧客との接点であるタッチポイントをいかに連結させるかという、論理的な設計図が必要なのです」
マーケティングの理想である「選ばれ続ける仕組み」を構築するためには、生活者が何に「価値」を感じているのかを解き明かす必要があります。鬼髙は、価値の構造を理解するための指標として、「価値の公式」を提示します。
「ビジネスにおける『価値』は、顧客が受け取る『ベネフィット』を、その対価である『価格』で割ることで導き出せます。
マーケティングにおいて重要なのは、生活者と企業の間で『価値の等価交換』が成立しているかという点です。例えば、500円で購入した顧客がその金額以上の満足感を得られれば、適正な交換が成立したことになり、再購入やロイヤリティへとつながります。逆に『500円の価値はない』と判断されれば、その顧客を二度と創造することはできません」
価格には商品の全ての情報が詰まっており、そのバランスをいかに最適化するかがマーケターの腕の見せどころと言えます。
顧客に選ばれ続けるためには、価値の構造を理解した上で、自社の商品・ブランドがどの領域で「強み」を発揮するのかを見定める必要があります。ここで重要になるのが、STP(セグメンテーション・ターゲティング・ポジショニング)という戦略的な視点です。
「市場を分類し(S)、戦う場所を選び(T)、自社の立ち位置(P)を明確にすることは、いわば『売れる設計図』を描く作業です」
経験や勘に頼るのではなく、体系的な理論に基づき、顧客価値を基点とした戦略を現場の実務に落とし込んでいく。この「設計図」の精度を高めていくことが、グローバル市場において求められていると、鬼髙は話します。
現代のマーケティングにおいて、デジタルテクノロジーがもたらした変化は無視できません。特に、スマートフォンの普及が生活者と企業のパワーバランスを根本から変えました。
「1990年代までのマスマーケティングは、資金力のある企業がマスメディアを通じて一方的に情報を発信する『情報の非対称性』が前提となっていました。しかし現代は、一人一人の生活者がスマートフォンで情報を検索し、多角的に商品を評価できます。情報の非対称性は劇的に縮小しました。それだけでなく、大手企業でなくとも、SNSや自社サイトを通じて自分たちの価値を直接届け、共感を得ることが可能になりました」
企業が情報をコントロールする時代から、生活者が自ら価値を「発見」する時代へ。この変化が、次世代のマーケティング概念の背景にあると鬼高は話します。
こうした環境変化を受け、フィリップ・コトラーは「マーケティング5.0」という概念を提唱しました。
「マーケティング5.0の核心は、テクノロジーを人間志向の進化のための『パートナー』として活用することにあります。
5.0に至るまでには、製品中心の1.0から顧客志向の2.0、価値主導の3.0、そして経験価値を重視する4.0という変遷を遂げてきました。5.0では、テクノロジーを活用してカスタマージャーニーの全てのプロセスにおいて、パーソナライズされた価値の提供を可能とします。これが、データドリブンマーケティングです。また、全てを技術に任せるのではなく、データから導き出されたインサイトに基づき、どのタッチポイントで人間らしい対面サービスを組み合わせるかという、高度な設計力が問われています」
現代は、単にいいものを作るだけでなく、ターゲットに対して適切なバリュープロポジションを提供できた企業がエンゲージメントを獲得しやすい構造です。マーケティングの本質が「選ばれ続ける仕組み」にあるとするならば、その仕組みを動かすエンジンとなるのが「データ」です。
データドリブンマーケティングは、データの『蓄積』『整理』『分析』『活用』という一連のサイクルをアジャイルで回していきます。
『蓄積』は、メーカーであればブランドクラブを通じた個人情報や購買データなどの取得、リテーラーであればポイント会員制度による店舗内行動の収集などです。
『整理』は、複数のプラットフォームに散らばった個人IDを突合し、客観的な属性だけでなく心理属性や購買実績をひも付け、一人の人間としての輪郭を浮き彫りにしていきます。
そして『分析』では、AIや機械学習を用いて将来の購買行動を予測し、『活用』のフェーズにおいて、購入が見込める顧客を特定したり、需要と供給のバランスを最適化した高付加価値な製品開発やサービス提供へとつなげたりすることで、付加価値の高い開発を実現しています。
こうした一気通貫のプロセスが機能することで、データは価値を生むと鬼髙は話します。
現在、日本国内のマーケットは、インバウンドによる需要はあるものの、消費人口と可処分所得の減少という構造的な課題に直面しています。
「マーケットの成熟と情報の非対称性の解消が進むことにより、生活者は『私に合うものを買う』傾向をますます強めていくでしょう。例えば一般消費財においては、ビジネスの構造も従来のマスを対象としたものから、特定のターゲットに深く刺さる『スモールマス』、さらにはそれを一段と細分化した『スモールスモールマス』へと複雑化していくと考えられます。こうした変化を受け、小売業では低価格層を狙ったディスカウントストア業態の強化や、必需性の高いスーパーマーケット業態での競争が激化しています。コスト圧力が高まる環境変化の中では、収益性の向上と同時に、価格以外の強みを持つことこそが今後の成長のポイントになるはずです」
データドリブンマーケティングを高度な次元で実践し、顧客価値の創造につなげている企業は増大傾向にあり、特に購買者人口が減少傾向にありかつ消費の複雑化による継続購買率の低下が顕著化している現代においては、顧客を囲い込み1人当たりからの収益/利益の最大化を図るため、生活者データの高度化活用が急速に進みつつあります。これまで、生活者データを大量に収集していたのは、リテーラーやECプラットフォーマーでしたが、近年ではD2Cによる収益拡大を狙いナショナルブランドメーカーも収集に力を入れています。この結果、これまでは協働関係にあったリテーラーとメーカーが競争相手になりつつあり、各々の業態の強みを生かしたデータドリブンマーケティングの手法を用いて、顧客価値創造による囲い込みを図っています。
データドリブンマーケティングでは、データに裏付けされたマーケティングの意思決定をすることで、顧客ごとカスタマイズされたマーケティングを実現しています。これにより、従来の画一的なマスマーケティングから、データドリブンの顧客価値創造を行うマーケティング活動が可能となりました。