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本講義では、京都発のグローバル企業オムロンから、CHRO(最高人事責任者)の冨田 雅彦氏を招き、企業理念を実践に落とし込む経営の在り方を取り上げます。理念を日々の経営判断にどう落とし込み、両立しがたい2つの価値をいかに追求するのか――その方法論に迫ります。
冨田 雅彦 氏
オムロン株式会社 CHRO(最高人事責任者)。2026年よりCRO(最高リスク管理責任者)を兼務。1989年に立石電機(現:オムロン)に入社し、業務プロセス改革、生産現場、マーケティング、社長秘書、事業戦略、人事と、多岐にわたる領域を経験。2017年より現職。
要点
オムロンは、センシングと制御技術を核に、社会的課題の解決を通じて社会価値と経済価値の創出を目指してきました。その根幹にあるのが、企業理念「われわれの働きで われわれの生活を向上し よりよい社会をつくりましょう」です。
「企業理念とは、企業が何のために存在しているのか、どのような価値観を大切にしているのかなど、企業活動の根幹となる考え方や価値観を言語化・明文化したもの」
冨田氏が提示したこの定義を踏まえ、「企業には、企業理念やパーパスが必要なのか。また、なぜ、必要/不要なのか」という問いに対し、受講者からは、企業理念は組織の価値観を共有し、困難な局面における判断のよりどころとなるとの意見が挙がりました。
冨田氏は、オムロンが企業理念を必要だと考えるに至った経緯を、オムロン創業者・立石 一真氏のアーカイブから紹介します。
「戦後、創業者が米国に滞在した際、米国企業のたくましさの源泉が、人々の持つフロンティア精神とクリスチャニティにあると発見しました。この精神的バックボーンを企業の中に取り込めば一つの強い力になると考えたのです」
ただし、米国で感じたものをそのまま日本に持ち込んでも機能しません。当時の立石電機(現:オムロン)はまだ小さな会社だったのでなおのこと機能しない状況でした。
そこで、創業者が、日本人の文化や価値観に適合させ、受け入れやすいものにするために焦点を当てたのが「企業の社会的責任」でした。
「企業にはどんな社会的責任があるのかを社員が理解する。そして『何のために働くのか』という問いに対する答えを全員が明確に持つことが、結果の差につながる」――創業者は当時そう語っていたようです。
こうした創業者の思想が形となって生まれたオムロンの企業理念。1990年に正式に制定され、改訂を重ねて2015年に現在の形となりました。
冨田氏は、制定当初から変わらない、ミッション(社憲)に込められた2つの精神を強調します。
「一つは『事業を通じて社会の発展に貢献する』という企業の公器性。もう一つは『自分たちが社会を変える先駆けになる』というベンチャー精神です。この2つを常に頭の中でリフレインしながら経営にあたっています」
オムロンでは、ミッションを日々の行動に落とし込むための価値観体系を整備し、企業理念の実践につなげています。
企業理念に沿って社会価値を追求するだけではなく、「なぜ企業は、利益を上げる、すなわちもうけないといけないのか」。
2つ目の問いは、冨田氏自身が日々考え続けているテーマだと言います。
受講者からは、「利益は社会から価値を認められた結果であり、さらなる課題解決への投資を可能にする」と意見が挙がりました。
冨田氏は受講者の意見を受け止めた上で、オムロンの考えを示します。
「2022年度にスタートした長期ビジョン『Shaping the Future 2030』を策定する時、役員やリーダー層の間で『私たちは何のために存在するのか』を青臭く議論しました。その際にキーワードとして挙がったのが、社会的課題の解決を拡大再生産できる仕組みを持つことでした」
冨田氏が描く拡大再生産のサイクルは、次のように回ります。
「社会に存在する課題に対してソリューションを提供する。顧客がその価値を認め、対価を払う。そこから得られる利益を、新たな課題解決のソリューション開発や、まだ届けられていない地域への展開に再投資する。この循環により、より広く、より深く社会的課題に応えられる」
これが、利益を得る理由についてオムロンが出した答えでした。
「利益はゴールではなく、サイクルを回し続けるための燃料です。次につなげるために利益をどう得て、どう再投資するか。その仕組みをいかにつくるかがオムロンにとっての勝負どころだと考えました」
オムロンでは、社会価値の創出・適切な利益の獲得・再投資という循環を「存在意義のサイクル」として捉え、このサイクルを回し続けること自体が経営であると位置づけているということです。
一方で、社員から「これは社会的課題の解決につながっているから、赤字でも続けるべきだ」と言われることがあると、冨田氏は明かします。一時的にはそれもあり得る判断としつつ、長期的な視点で見れば社会的課題の解決にもつながらない、と強調します。
「社会価値を持っていても経済価値を得ていない限り、事業は続けられない。続けられなかったら顧客に迷惑がかかります。だから、社会価値か経済価値かの『A or B』で割り切ることはできません」
経営学者の野中 郁次郎氏は、自身の著書の中で、こうした二項の関係を「dynamic duality(二項動態)」と表現しています。物事を「あれかこれか」と対立的に捉えるのではなく、矛盾するように見える二項の異質性・共通性に深く向き合い、新しい意味や価値を生み出すという考え方です。
冨田氏はこの考え方を、マネジメントの現場感覚として次のように語ります。
「マネジメントの現場で起こる判断は、ほとんどが49対51です。80対20や90対10のような明快な判断は、そもそもマネジメント層や経営者まで上がってこない。だからこそ、両立を追求する力がマネジメントの本質になるのです」
両立を追い求めるとはいえ、思いだけでは拡大再生産のサイクルは回りません。オムロンは「企業理念→長期ビジョン(10年)→戦略計画(3年/1年)→日々のオペレーション」という階層構造で、理念を時代の変化に合わせて現場の判断にまでつないでいます。
長期ビジョンを戦略計画へ、さらに日々のオペレーションへと落とし込んで初めて理念は実体を持ちます。たとえばオムロンの商品開発プロセスでは、「この商材は何の課題を解決するのか」という問いから始まり、最後に「本当に課題解決につながっているか」を見るところまでを徹底していると言います。
社会価値と経済価値の両立について言葉にするのは簡単ですが、現場では常にジレンマが伴います。
実際に、受講者自身が経験した社会価値と経済価値の両立に伴うさまざまなジレンマに基づいて議論が行われました。
冨田氏は受講者の事例を受け、こう応じます。
「『ベストオーナー』という考え方もあります。撤退して他社に渡すことでその事業が生き残り、より良い形で社会的課題の解決に貢献できるなら、それも一つの判断です。『割り切り』と『踏みとどまり』、どちらも経営判断としてあり得る。私自身、毎日のように迷っています」
ジレンマを乗り越えるヒントとして、冨田氏は創業者の言葉*を改めて引きます。
「理念を具現化するため、規模を大きくする夢と、社にある“社会に奉仕し続ける企業”である夢と、われわれの生活を向上するという夢を追いかけて伸びてきた。その実現には、本流事業だけの守りの姿勢では達成できないのであって、常に自己矛盾を起こすようなテーマを掲げてユサブリをかけてみた」
*立石 一真『立石一真の経営革新塾』(ダイヤモンド社、1988年)
「大企業でありながら、中小企業であれ」「分権化でありながら、全社最適であれ」「納期のフレキシビリティを持つために小ロット生産をせよ、しかしコストは大量生産方式より下げよ」。創業者が組織にかけた“ユサブリ”は一見、両立しえない命題ばかり。「あえて意地悪ばかり言うんです」と冨田氏は笑います。
「そうやって揺さぶりをかけて、考えろと言っていたようです。人間、揺さぶられた時にこそ知恵が出るんだな、と私もこの言葉で実感しました。一見、どちらかを選ばなければならないように見える矛盾を、どうすれば両立できるのか。その答えを考え続けることこそ、創業者が組織に仕掛けた“ユサブリ”であり、今も私たちに投げかけられている問いなのでしょう」
講義を通じて示されたのは、企業理念とは単に掲げるものではなく、日々の経営判断の中で実践し続けるものであるという点です。
社会価値と経済価値という二項を対立的に捉えるのではなく、両立を目指しながら最適化を続ける。その積み重ねこそが企業理念“実践”経営の本質であることを冨田氏は示しました。
サステナビリティ経営で重要なのは、企業理念を掲げることではなく、理念の実践を通して企業価値を高めることです。オムロンでは、「二項動態」の考え方を軸に、理念を日々の経営判断や事業活動へ落とし込むことで、企業価値を高めています。