EYとは、アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドのグローバルネットワークであり、単体、もしくは複数のメンバーファームを指し、各メンバーファームは法的に独立した組織です。アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドは、英国の保証有限責任会社であり、顧客サービスは提供していません。
要点
フィジカルAIとは、センシングを通じて物理世界から得られる情報を認識・整理・推論し、現実世界における行動の実行や調整につなげるAI技術・システムです。本稿では、その中でもアクチュエーションや位置決めを伴うロボティクス領域にフォーカスして論じます。
産業用ロボットのようなこれら動的な機械は、フィジカルAIによって機械自身が外界を認識し、自律的に動作を生成・実行します。すなわち、これまでの産業用ロボットを中心としたファクトリーオートメーション(FA)が「自動化(ある程度の自律化)」であったのに対して、フィジカルAIロボットは、将来的に工場を「完全な自律化」に近づける技術といえます。しかし、仮に長期的な将来において、人に代わってヒューマノイドを含む多様なロボットが工場に導入され、完全に無人で経営される工場が技術的に実現できたとしても、はたしてそれが望ましいことなのかについて、その是非が改めて検討されるべきではないでしょうか。すなわちフィジカルAIによって自律化が進展する中で人の役割は何かが改めて問われています。そして、このことは企業に対して従来の組織や経営の在り方に対する変革を迫るものになります。
ISOによるロボットに関する定義”ISO 8373:2021(産業用ロボットや移動ロボット等を含むロボット一般の定義)※1”によれば、ロボットとは、「移動、マニピュレーションまたは位置決めを行うための、ある程度の自律性をもつ、プログラムによって作動する機構」とされます。すなわち、人が事前に設定した範囲で自律的に動作する動的な機械が想定されています。
これに対してフィジカルAIは先述の通り、センサーから得られる外界の情報を認識・整理・推論し、現実世界における行動の実行や調整につなげるAI技術・システムと定義できます。その中でもフィジカルAIロボットは、センシングデータの解析・解釈に基づきAIにより自律的に動作を生成・実行する機械と定義付けられます※2。すなわち、従来のFA・ロボットが人の事前設定に基づく自動化であるのに対し、フィジカルAIはAI自身が一定の範囲で外部環境を判断して動作を決定する自律化であるというのが一般的にいわれている変化です。
※1:出所 “ISO Standards” ISO 8373:2021 - Robotics — Vocabulary
※2:経済産業省によれば、AI ロボットについて『人工知能により、センサ、知能・制御系、駆動系の3つの要素技術を有する、知能化した機械システムの知能が高度化され、それにより自律的に制御を行う機械システム』と定義(第6回 研究開発税制等の在り方に関する研究会 2026年6月25日)されています。
図表1:従来の産業用ロボットとフィジカルAIロボットの比較
他方でロボットの構造は図2のような”Software Defined Robotics”へと変化します。Software Definedが進展すると、用途ごとに最適なハードウェアをモジュール単位で組み合わせ、ソフトウェアによって機能を更新する構造となります。ソフトウェアによる機能定義が可能になることで状況に応じて機能を変更・追加できるようになり、これがフィジカルAIに伴う機械のマルチタスク化を後押しする要素となります。
このように将来のマルチタスク化に向けたさまざまな構造変化が起こりつつある中、フィジカルAI導入に向け最も重要な論点は、タスクに拘束される「どの作業・工程を自動化させるか」ではなく、マルチタスクを前提として「どの判断を機械へ委任するか」へと変化します。
図表2:Software Defined Roboticsにより機械の役割変化が加速
ロボット・機械の役割が特定タスク・作業を自動化するものから自律判断によってマルチタスクを実行する役割に変化していく中、人の役割も変わらなければなりません。従来、人はロボット等の自動化機械を設定・操作・監視し、ライン上で異常が発生した際には緊急停止・復旧等の対応を行う役割を担っていました。当然、自動化されていない作業や作業間のワーク受け渡しなどの隙間作業を担う存在でもありました。
これに対してフィジカルAIが導入されると、主な人の役割は、①個別タスクを超えた全体の目的を設定する、②判断権限を設計する、③AIを監督する、④結果に責任をもつ、の4つとなります。AIは人による目的設定や判断のために情報の整理や候補案の提示などのサポート機能を提供しますが、製品品質や対顧客等、最終的な結果に対して責任を負う主体となり得るのはあくまで人や組織です。
図表3:人の役割の機械化可否
従来の産業用ロボットは単タスクにひも付いているため、部品受入ピッキング・仕分け、組立、検査、工程間搬送等、工程ごとの自動化に適用されています。これに対してフィジカルAI導入により、将来的にはマルチタスク対応が可能となるため工程横断の自律動作が実現される可能性があります。具体的には、多軸腕型ロボットとAGV/AMRを組み合わせたような可搬式ハードウェア、あるいは人型ロボット等によって、生産、品質管理、搬送、保全といった複数タスクのうちのいくつかを1台のロボットが担うということが長期的には可能になると予想されています。例えば、AGV/AMR、マニピュレーター、交換可能なエンドエフェクタを組み合わせることで、搬送と組付けを1台が実行するなどのケースです。仮にこれが実現された場合、機械と人の役割分担は、定常作業は機械が行い、人の役割は品質の最終承認および、異常発生時の原因分析やリカバリ等の非常時対応に限られます。さらに最も重要な人の役割は顧客の要求や製品ニーズから必要な品質と納期を達成するために工程全体をデザインし、製造現場の目的をAIに与えることになります。すなわちフィジカルAI導入が契機となって、人の業務自体をフィジカルAIにおけるHuman in/on the Loopとして再設計する必要があります。
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図表4:製造業における人・機械の分担
例えば非常時対応においても業務の再設計が必要です。自律化が進むほど、人は平常時の操作から離れる一方、例外時には短時間で状況を理解し、高度な介入を行うことを求められます。関与頻度の低下は技能劣化や過信を招き、異常時の復旧能力を弱める可能性があります。したがってHuman in/on the Loopの設計では、監視権限だけでなく、定期的な手動訓練、介入条件、縮退運転、技能維持を運用要件に含める必要があります。
また、フィジカルAI導入後も熟練者の知見は不要になるわけではありません。OJT、経験、勘として保持されてきた暗黙知を教師データ、品質判定基準、異常パターン、シミュレーション条件へ翻訳する役割へと変わります。日本の製造業にとって、技能継承は「人から人」だけでなく「人からモデル・データ」へと置き換わり依然として課題であり続けるため、これに伴う業務の再設計が要求されます。
このような人と機械の役割変化により製造業の競争優位性の源泉として、機械性能やそれによる自動化進展度・生産効率だけにとどまらず、AIに与える目的や人・機械の役割を設計・更新し、現場で得られるデータを継続的な改善につなげる経営能力も重要な要素になってきます。
前述の通りフィジカルAI導入により人の役割は監督・責任主体へと変化しますが、これは従来の作業者に対する管理者・経営者の役割が人にそのまま残ることを意味するわけではありません。例えば従来の設備は認証後の構成を長期間固定できましたが、フィジカルAIではモデルの更新によって挙動が頻繁に変わります。改善を速めるほど、既存の安全評価がどこまで有効かという問題が生じます。このため、更新の重要度分類、変更影響分析、回帰試験、段階展開、ロールバック、再認証の条件を事前に定義しておく必要があります。しかもこれは社内に閉じたものではありません。基盤モデル提供者、ロボットOEM、センサー・部品メーカー、SIer、運用事業者、工場所有者等の多様なステークホルダーとの契約や関係性がいや応なしに生じます。そのため、それぞれのステークホルダーとの責任分界やデータ保全、運用に向けた継続的なステークホルダーマネジメントやそれに向けた基盤としてのRoboOpsの整備などさまざまな取り組みが不可欠となります。事故や不具合発生時は当然ですが、それ以外でも例えばモデル更新、データ管理、遠隔介入、手動復帰に関する責任分界を契約と運用の双方で明確化しなければなりません。これらへの対応の巧拙はAIそのものではなく「自律システムを安全に運営できる組織能力」によって決まります。部門横断的なAI品質管理・ガバナンスがどれだけ整備できているか、それを運用できる人がそろっているかにかかっています。すなわちフィジカルAI導入について経営者は、一工場の先進的な取り組みとしてではなく、今後の自社の製造、さらには経営の中長期戦略の中に位置付け、ガバナンス体制やステークホルダーとの関係も含めたハイレベルな組織戦略として検討していくべきなのです。
フィジカルAI導入に適した組織・経営を実現するために必要なものは経営者や役員の個人的資質ではありません。組織としてAIを巡る品質管理やステークホルダーマネジメントを含むガバナンスを制度化しておくことが重要です。そのためには工場や製造部門だけでなく、品質管理・保障、設計・開発、調達等の他部門においてもフィジカルAI導入を所与とした業務の見直しとそれに伴う組織改革が求められます。さらに人の役割変化に応じた業務の変化は人事やコンプライアンス部門等のバックオフィス機能にも影響します。こうした全社的な組織改革によって経営は製造現場におけるフィジカルAI導入の効果を極大化させることが可能となります。
まとめるとフィジカルAIがもたらす最大の影響は、ロボットの性能向上そのものではなく、意思決定の一部が人から機械へ移ることによる、人と機械の役割分担の再設計が必要となることです。そこで企業に求められるのは、機械を導入することそのものだけではなく、人と機械の意思決定境界を再設計すること、さらにはそれに合わせて組織・業務を経営レベルで変革することです。すなわち、フィジカルAI導入を機に競争力を高められるかはすぐれて、経営者が業務・組織をAIネイティブにアップデートできるかにかかっています。
祝出 洋輔
EYストラテジー・アンド・コンサルティング株式会社 自動車・モビリティ・運輸・航空宇宙・製造・化学セクター シニアマネージャー
20年にわたる産業・企業・資本市場に関する調査分析業務の経験を有す。大学院修了後、日系金融機関の調査部門にて株式・ファンドのアナリストとして活動したのち、複数の大手コンサルティングファームにて機械・資本財・電気領域の調査業務に従事。特にFA・ロボティクス、製造デジタルプラットフォーム等の製造業のデジタル化・自動化領域やAI・半導体関連の調査を多数手がける。25年12月より現職。
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フィジカルAIでは、AIの認識・判断が物理世界である製造ラインの動作を左右します。AI判断の誤りは「誤回答」にとどまらず、品質低下、生産停止、設備損傷、さらには人身安全へ及びます。そのため製造におけるフィジカルAI導入の最重要論点は、権限、監督、説明責任、復旧手順まで含む経営全体の再設計となります。