EYとは、アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドのグローバルネットワークであり、単体、もしくは複数のメンバーファームを指し、各メンバーファームは法的に独立した組織です。アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドは、英国の保証有限責任会社であり、顧客サービスは提供していません。
本稿の執筆者
EY新日本有限責任監査法人 気候変動・サステナビリティサービス(CCaSS)事業部 公認会計士・サステナビリティ情報審査人 鶴田 雄介
SSBJ/CSRD等サステナビリティ情報開示の作成・内部統制構築支援や保証業務に従事。特に半導体・医療機器・製薬業界に強みを持つ。公認会計士として財務会計・内部統制・監査の領域においても17年超の経験を有する。
※所属・役職は記事公開時のものです
要点
2025年3月5日に、日本におけるサステナビリティ開示基準(以下、SSBJ基準)が公表されました。一方で、SSBJ基準は欧州サステナビリティ報告基準(以下、ESRS)と異なり、気候変動以外のサステナビリティトピック別の詳細な基準が存在していないため、企業の見通しに影響を与えると合理的に見込み得るサステナビリティ関連のリスク及び機会(以下、サステナビリティ関連の重要なリスクと機会)として、何を識別し開示すべきかの判断の余地が大きく、実務上の対応に頭を悩ませている企業の声を多く聞いています。開示すべきサステナビリティ関連の重要なリスクと機会は、業界ごとに大きく異なることが想定されるため、その判断にあたっては、業界や自社のビジネスの内容を踏まえて検討することが必要です。そこで、本稿では半導体・精密機器・医療機器業界に属する企業向けに実施したEY新日本有限責任監査法人主催勉強会で扱った内容をベースに、実務上の対応方法を考察します。
なお、当記事の情報は執筆時点(2026年2月14日)の最新の情報に基づいていますが、記事内に記載の見解は筆者個人の見解である点、ならびに、今後のSSBJ基準や保証に関するガイダンスの公表、適用実務の習熟に伴い、記事内に記載の情報は変更となる又は陳腐化する可能性がある点に留意ください。
SSBJ基準の1つである、サステナビリティ開示ユニバーサル基準「サステナビリティ開示基準の適用」(以下、適用基準)では、サステナビリティ関連財務開示を行う際に、企業は①サステナビリティ関連の重要なリスクと機会の識別、②バリュー・チェーンの範囲の決定、③識別した当該リスク及び機会に関する重要性がある情報の識別をしなければならないとされています(適用基準第35項)。このうち①サステナビリティ関連の重要なリスクと機会の識別は、実務上のいわゆるマテリアリティ評価と呼ばれる部分であり、有価証券報告書において、どのようなサステナビリティトピックを開示していくかを決定付ける骨格になる部分です。この情報は、財務的影響があるサステナビリティ関連の重要なリスクと機会は何であると企業が考えているのかという観点から、投資家への重要なメッセージになるため、極めて重要です。
適用基準では、サステナビリティ関連の重要なリスクと機会の識別にあたり、参照するガイダンスの種類を「ガイダンスの情報源」として定めています。「ガイダンスの情報源」は「適用しなければならない」情報源、「参照し、その適用可能性を考慮しなければならない」情報源、「参照し、その適用可能性を考慮することができる」情報源に分類されており、企業はこの「ガイダンスの情報源」の定めに従ってサステナビリティ関連の重要なリスクと機会を識別することになります(適用基準第37項)。
上記のうち、「適用しなければならない」情報源としてはSSBJ基準が定められており(適用基準第40項)、これについては基準の定めに従って粛々と開示をしていくことになります。一方で、「参照し、その適用可能性を考慮しなければならない」情報源として定められているIFRS財団が公表する「SASBスタンダード」(2023年12月最終改訂)における開示トピックの検討においては、どの業種のSASBスタンダードを参照するかや、該当するSASBスタンダードのどの開示トピックを適用することにするかを含め、企業による判断が必要となります。
ここで、半導体・精密機器・医療機器業界の特徴について考えてみましょう。これらの業界では専門領域に特化した企業だけでなく、光学・材料・精密機械などのコア技術を横展開することで、市場としての成長ポテンシャルの大きい、半導体・精密機器・医療機器領域のビジネスの拡大を目指す戦略を採用している企業も散見されます。景気変動の大きい半導体業界と安定成長が見込める医療機器業界を組み合わせることで、事業ポートフォリオの安定化も図ることができるというメリットも3つの領域にまたがって事業ポートフォリオを組んでいる企業が見られる要因の1つであると考えられます。
そこで、本稿では、3つの領域の親和性及びSASBスタンダード選定実務の理解に資する点に鑑み、上記3つの領域にまたがってビジネス展開する企業を想定し、サステナビリティ関連の重要なリスクと機会の識別にあたり、どのようにSASBスタンダードにおける開示トピックを検討していくことが考えられるか、実務上の具体的なステップの例を見ていきましょう。
77業種すべてについて網羅的に詳細な検討をすることまでは想定されないものの、実務上は産業別の各SASBスタンダードに記載されている「産業の説明」を確認し、自社に該当する可能性があるスタンダードをスクリーニングすることから始めることが考えられます。
スクリーニングした業種の中から、SSBJ対応において「参照し、その適用可能性を考慮」すべきと考えられる業種に関するSASBスタンダードを選定していくことになります(1つの場合もあれば複数の場合もあり)。選定の方法を定めた明確なガイダンスはないため、状況及び企業の実態に応じた判断が必要となりますが、例えば、売上・利益・人員数等の定量的な情報や各事業の経営戦略上の位置付けやサステナビリティとの関係性などの質的な情報を考慮した上で、総合的に検討をしていくというケースは実務上でも見られています。選定結果は、各企業の状況や実態に応じて異なりますが、半導体・精密機器・医療機器業界に属する企業を想定した場合、例えば<表1>のような組み合わせで産業を選定するケースが考えられます。
表1 SASBスタンダード業種の選定例と産業の説明
セクター | 産業 | 略称 | 産業の説明 |
テクノロジー&コミュニケーションセクター | 半導体 | TC-SC | 「半導体」産業の企業は、半導体機器、集積回路、それらの原材料及びコンポーネント、又は半導体設備の設計又は製造を行う。この産業に属する企業の一部は、半導体機器の設計者のために、外注製造、組立て又はその他のサービスを提供する。 |
ハードウェア | TC-HW | 「ハードウェア」産業の企業は、コンピュータ、家電、通信機器、ストレージ・デバイス、コンポーネント及び周辺機器を含むテクノロジー・ハードウェア製品を設計及び販売する。この産業に属する多くの企業が、製造サービスについて「電子機器の製造受託サービス(EMS)及び設計を含む製品の製造受託(ODM)」産業に大きく依存している。この産業は、特に新興市場の消費者において、テクノロジーの使用が急速に増加することに伴い、引き続き、成長することが見込まれている。 | |
ヘルスケアセクター | 医療機器及び消耗品 | HC-MS | 「医療機器及び消耗品」産業は、内科、外科、歯科、眼科及び獣医用の機器及び器具を研究、開発及び生産する。病院、診療所及び研究所は、消耗品から高度に特殊仕様となっている機器まで、これらの製品を使用する。不健康な生活様式及び人口の高齢化に伴う有病率の上昇は、この産業の成長を促進する場合がある重要(important)な要因である。新興市場及び健康保険の拡大はさらなる成長に寄与する場合がある。 しかし、政府の保険プログラムの拡大、医療施設及び保険者の統合、及びすべての市場におけるコスト削減についての規制上の強調は、価格設定を引き下げる圧力をもたらす場合がある。 |
出所:IFRS Foundation, SASB Standards Navigator, navigator.sasb.ifrs.org/pdf-collections(2026年2月14日アクセス)より各スタンダードの「産業の説明」の箇所を抜粋
企業は、選定した業種のSASBスタンダードに記載された「開示トピック」を参照し、自社のサステナビリティ関連の重要なリスクと機会の識別にあたり、適用可能性を考慮することになります。例えば、「半導体」「ハードウェア」「医療機器及び消耗品」のスタンダードに記載されている開示トピックは<図1>の通りです(各トピックの詳細説明はSASBスタンダード原文に記載がありますので必要に応じてご参照ください)。
図1 SASBスタンダード 「半導体」「ハードウェア」「医療機器及び消耗品」に記載されている開示トピック一覧とマッピング
SASBスタンダードに記載されている開示トピックは、あくまで「参照し」、「適用可能性を考慮する」ことが求められているものであるので、「参照し」、自社のビジネスモデルや活動に関連性があるかどうかなどを評価し、その「適用可能性を考慮」した結果、適用すると結論付ける場合もあれば、適用しないと結論付ける場合もあります。※
また、これらSASBスタンダードの開示トピックは、該当する企業にとってのサステナビリティ関連の重要なリスクと機会のすべてを網羅しているわけではないため、自社の状況と実態に当てはめて判断を行使する必要があります。
例えば、わが国においては人的資本開示の重要性が特に高まっている状況に鑑みると、該当トピックがSASBスタンダードに記載されている半導体企業やハードウェア企業はもちろん、医療機器及び消耗品企業においても人的資本関係の重要なリスクと機会を識別する必要がないかどうかという点は検討の俎(そ)上に載せる必要があるかもしれません。別の例として、半導体業界を考えると、昨今の地政学リスクの高まりや、海外での機密情報漏洩事故の注目度の高まりなどに起因して、サプライチェーン管理や情報セキュリティに関するトピックの重要性が増してきている可能性がある点に鑑みると、これらのトピックについて重要なリスクと機会を識別する必要がないかどうかという点も検討の俎上に載せる必要があるかもしれません。一方で、一口に半導体業界といっても、半導体装置、半導体材料、部品・コンポーネント、半導体デバイスなど、企業ごとに従事するビジネスの領域はさまざまですし、同業界においてはファブレス型のビジネスモデルを採用している企業も多い状況に鑑みると、自社が半導体業界に属するからと言って、SASBスタンダード(半導体)に記載されているすべての開示トピックが自社に関係していると結論付けるのは拙速である可能性もあります。
このように、SASBスタンダードについては、「参照し」、「適用可能性を考慮する」ことは必要であるものの、実際にサステナビリティ関連の重要なリスクと機会を識別するかどうかの検討にあたっては、やはり自社の状況と実態に当てはめて、判断を行使することが必要となります。
※ SSBJ ハンドブック「『参照し、その適用可能性を考慮しなければならない』の取扱い」、www.ssb-j.jp/jp/wp-content/uploads/sites/6/hb_20251128_01.pdf(2026年2月14日アクセス)
SSBJは、サステナビリティ関連の重要なリスクと機会の識別に関する詳細な手順を規定していませんが、実務上の対応としては、その候補となる項目をリストアップした上で、それぞれに対して、財務的影響の大きさや発生可能性を考慮してレーティングを実施した上で、サステナビリティ関連の重要なリスクと機会を識別していくという方法が考えられます。
一方で、レーティングの詳細や、子会社、事業部門などあらゆるステークホルダーとのコミュニケーションの過程で、細部や枝葉の議論にこだわりすぎるあまりに、最終的に選定されたサステナビリティ関連の重要なリスクと機会が、経営者目線で見たときに違和感のあるものになってしまっているケースが散見されます。このような状況においては、多くの場合企業価値との関連性が不明瞭であるとともに、投資家が欲している情報ともずれてしまっていることが多いです。また、サステナビリティ開示の作成部門、連結財務諸表作成部門、IR部門、リスク管理部門など関係部門との連携が不十分である場合、SSBJ対応で識別したサステナビリティ関連の重要なリスクと機会の内容と、企業のその他の公開情報との間に説明不能な不整合が出てしまうという可能性もあります。特に、このような懸念は、オムニバス法案前の改訂前ESRSをベースに詳細な積み上げ形式でマテリアリティ評価を実施していた欧州企業において、しばしば見られる傾向がありましたので、これからSSBJ対応を進めていく企業においては、「木を見て森を見ず」という状況に陥らないように、大局観を持って対応を進めることが望まれます。
SSBJ基準の趣旨は、「サステナビリティ関連の重要なリスクと機会による企業への財務的影響を利用者に示す」という点にあります。半導体・精密機器・医療機器業界の企業がSSBJ対応を進めるにあたっては、サステナビリティ部門のみならず、財務経理部門やIR部門に加え、人事部門、法務・コンプライアンス部門、リスク管理部門、情報セキュリティ部門、知財管理部門、調達部門、品質管理部門など、あらゆる部門の協力が必要になる可能性があります。そのためには、経営者によるリーダーシップ(例:サステナビリティ情報開示を経営戦略に関わる情報開示として位置付け、全社的な協力体制を構築して対応すべきものであるという社内メッセージを発信)が重要となります。経営者や関係部門が「サステナビリティ関連の重要なリスクと機会による企業への財務的影響を利用者に示す」というSSBJ基準の趣旨を理解し、その情報を利用した投資家との対話を重ねることで企業価値の向上を目指していくという目的について、共通の認識を持った上で、全社的な取組みとして、SSBJ対応プロジェクトを進めていくことができれば、企業にとっても投資家にとっても意味のある情報開示をできる可能性が高まると考えられます。
SSBJ開示を目指す企業向けに、半導体・精密機器・医療機器業界を例に、実務上の対応を解説します。
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