EYとは、アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドのグローバルネットワークであり、単体、もしくは複数のメンバーファームを指し、各メンバーファームは法的に独立した組織です。アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドは、英国の保証有限責任会社であり、顧客サービスは提供していません。
要点
東海旅客鉄道株式会社(JR東海) 総合企画本部 情報システム部 担当部長
岩間 洋介 氏
EYストラテジー・アンド・コンサルティング株式会社 公共・社会インフラセクター
ディレクター 岩崎 亜希
高柳:EYでは貴社の「デジタルリーダーアカデミー(DLA)」の構築を支援させていただきました。貴社にとって、これが初の大規模なデジタル人材育成プログラムとなりますが、まず、その概要についてお聞かせください。
岩間氏:当社では、以前から社内でデジタル活用の推進役を育成する必要性を感じていました。そこで、その役割を「デジタルリーダー」と定義し、DLAを立ち上げました。
鉄道事業は、依然として人の手による業務が多く、労働人口の減少に伴う人材確保が深刻な課題となっています。また、通勤・通学や出張利用以外の新たな需要の創出といった課題も抱えています。これらの課題を想定よりも早く表面化したのが、新型コロナウイルスの蔓延、コロナ禍です。当社でもお客様のご利用が激減した現実を目の当たりにして、従来の経営手法では通用しないという危機感が生まれました。こうした背景から、デジタル技術を活用した業務変革、それを主導するリーダーの育成が不可欠だと考えました。
高柳:デジタル技術の活用は、貴社にとって重要な経営課題の1つだと思います。DLAの取り組みを通じて、どのような成果を期待されていますか。
岩間氏:当社は「より安全で、より便利で、より快適な鉄道」という目標を掲げています。しかし、例えば東海道新幹線ではチケットレス化が進んでいますが、在来線への導入にはまだ至っていません。また、先にも述べた通り、鉄道事業は依然として人の手による業務が多く人材確保が難しくなっています。
こうした課題に対し、デジタル技術の活用による解決策を模索しています。例えば、作業員が直接はしごを使って架線などの高所にある設備の点検をしている業務を、センサー技術による自動点検の仕組みを構築することで、作業の効率化と安全性向上を図ることができます。こうした成果を得るためには、デジタル技術とビジネスアーキテクトの知識を兼ね備えたリーダーが必要です。DLAは、こうした人材を育成するためのプログラムとして実施しています。
高柳:DLAのパートナーとして、EYを選ばれた理由を教えてください。
岩間氏:当社がEYに関心を持ったきっかけは、情報システム業界のフォーラムで、EY新日本有限責任監査法人の加藤氏によるデジタル人材育成に関する講演を聴いたことでした。
鉄道事業者である当社は、デジタル技術を活用した業務経験も、ビジネスアーキテクトに関する知見もまだ十分ではありません。当然、社内にそれらを一体的に指導できる人材もいないため、外部の力を借りる必要がありました。
EYからは、単なる研修プログラムの提供だけでなく「推進役が社内で魅力的な存在となり、継続的に輩出される仕組み作り」までを見据え、研修後の定着に向けた支援までご提案がありました。DLAを一過性の取り組みで終わらせず、研修後の人材の活躍、継続的な成果創出につなげるための筋道を立てることが必要だと感じていたことから、EYの具体的な提案に大きな魅力を感じ、パートナーシップを決定しました。
加藤: 私が講演で強調したかったのは、推進役が持続的に育っていく仕組み作りの重要性です。デジタルスキルを身につけるだけではなく、会社の文化として定着させる仕組みを作らないと、結局また元に戻ってしまう。その点をJR東海さんにもしっかり伝えられたようで、非常にうれしく思います。
(参考:EY新日本のデジタル人材育成の取り組み紹介 https://www.ey.com/ja_jp/digital-audit/transformative-leaders)
岩間氏: まさにその点に感銘を受けました。EYとの意見交換が、われわれ自身の考えを具体化するきっかけになったと思います。
高柳:多くの企業とお話しする中で、DXの「D(デジタル)」の部分は習得できても、「X(トランスフォーメーション)」の推進において苦戦されるケースが多いと感じています。特に鉄道業界はイノベーションが活発な分野とは言い難い面もあるかと思いますが、どのようにDXを進めていくべきでしょうか。
岩間氏:当社には「安全最優先」という基本理念があり、それが組織文化の根幹を成しています。その結果、どうしても現状維持の意識が強く、新しい取り組みに対するハードルが高くなりがちです。だからこそ、日常業務から一歩引いて俯瞰(ふかん)的に考える習慣を持つことが重要だと考えています。これは管理者層、経営層だけでなく、現場の社員一人一人にも求められる意識変革です。
岩崎: おっしゃる通りですね。私たちが支援する鉄道業界全体をみても、DXを推進する際はトップダウンだけでなく、各職場の人々が主体的に変革に取り組める環境を整えることが非常に重要です。その意味でも、今回のDLAは、各職場を巻き込む良いきっかけになると考えています。
高柳:昨年から始まったDLAの第1期が、この(2025年)春に最終報告を迎えます。プログラムを進めるにあたって、特に注力した点や印象に残った場面はありましたか。
岩間氏:アクションラーニングのテーマ設定には苦労しました。課題が突飛すぎると現実感が薄れ、簡単すぎると学びが得られません。そのため、適切な難易度を見極めながら、参加者が小さな成功体験を積み重ねられるように工夫しました。人選にも配慮し、運輸・車両・施設・電気など各業務系統からバランスよく参加者を集めることで、部門横断的な視点を持つ機会を提供しました。
高柳:各系統の縦割り文化が強い中で、その枠を超えて学び合うこと自体に、大きな意義があるのですね。
岩間氏:その通りです。例えば、運転士や乗務員の系統と、線路沿線設備の保守を担う系統では、業務内容がまったく異なります。そうした異なる立場の者が直接対話をすることで、「そういう視点があるのか」と新たな気づきを得られます。
異業種交流会の様子
高柳:DLAでは、異業種交流や講義を通じて他業界のDX事例を学ぶ機会も設けています。参加者の反応はいかがですか。
岩間氏:非常に前向きな反応が多いですね。他の鉄道事業者に話を聞きに行く機会は割と多いのですが、他業界の事例に触れる機会が多くありません。他業界のDX事例を知ることで、自社の課題を改めて認識し、新たな視点を得る機会になったという声が多く寄せられています。
高柳:DLAの卒業生が現場で学びを生かしていくために、情報システム部としてどのような支援を考えていますか。
岩間氏:卒業生のコミュニティを形成し、事務局が継続的に支援することで、学びを定着させる仕組みを作りたいと考えています。また、各職場でのデジタル活用推進が滞らないよう、適切なサポート体制を整えることも重要です。われわれ自身のスキル向上も求められるでしょう。
高柳:やはり各職場で小さな成功体験を積み重ねることが、DXの推進には不可欠ですね。
岩間氏:その通りです。ただし、最初は「書類のスタンプを電子化しました」というような小さな成功体験で良いのですが、そのようなものばかりでは困ります。そのようなもので満足していると部分最適にはなるものの全体最適にはなりません。「これは画期的だ」と感じられる業務にインパクトを与える成果を生み出すことが、DLAの成功につながると考えています。
加藤:先ほど「推進役は魅力的な存在であるべき」という話がありましたが、貴社が考える「魅力的な人材」について聞かせてください。
岩間氏:業務をデジタルの力で変えていくという強い熱意を持ち、周囲を巻き込みながら変革を推進できる人材です。「現場を動かし、変革を実現できる人材」こそが、魅力的な推進役だと考えています。
高柳:デジタル活用の推進における人材育成のゴールについて、お聞かせください。
岩間氏:大きく2つの目標を掲げています。まず、全社員のITリテラシーを向上させること。次に、DLAを通じて約200名のデジタルリーダーを育成し、それぞれが各職場でデジタルを当たり前のように活用し、業務改善を推進できる環境をつくることです。重要なのは、トップダウンではなく、職場が主体となり、デジタルを「鉛筆のように」使いこなしていくことだと考えています。
加藤: デジタルを鉛筆のように、という表現がすごくいいですね。まさにツールとして自然に使いこなすことが理想です。
高柳:確かに、デジタルはあくまで業務を支えるツールであり、それをどう活用するかが鍵ですね。
デジタル人材育成に取り組む企業は今後も増えていくと思います。そうした企業に向けて、メッセージをいただけますか。
岩間氏: DXにおいて重要なのは、デジタルそのものではなく業務プロセスの変革だと考えています。業務の本質を見直し、変革の意識を持つことが最も重要です。単なるスキル習得ではなく、業務改革を見据えた人材育成が求められます。
高柳:ツールに詳しいだけ、単に知識があるだけでは不十分ということですね。
岩間氏:その通りです。業務を担う事業部門の社員自身が、変革の視点を持つ必要があります。情報システム部門はそのサポート役として、事業部門が言語化できていない課題をキャッチアップし、ともに解決策を考える立場でありたいと思います。小説でいえば、編集者のような役割ですね。著者(事業部門)とともに、1つの作品(業務改革)を創り上げることを目指してゆきたいです。
岩崎:われわれ鉄道利用者は、安全最優先で動いている現場の方々のおかげで、安心・安全な環境で鉄道を利用することができています。DXを推進するためには、情報システム部門や推進役が変革の「種」を社内に植え、現場を担う方々とともに育てていくことが重要ですね。
岩間氏:そうですね。60年以上も昔、東京~新大阪間を日帰り可能にした東海道新幹線の登場は、社会に大きな変革をもたらしました。また、同時期に指定席の販売システムであるMARS(マルス)や新幹線の運行管理システムであるCOMTRAC(コムトラック)が開発されましたが、これらの登場はそれまでの鉄道運営を格段に効率化しました。今の言葉で言えばまさにDXを実現したのだと思います。しかし、時間がたつにつれ、われわれも無意識のうちに変革より現状維持を重んじるようになってしまっていることは否めません。先輩方が起こした変革に学びながら、私たち自身が次のDXを起こしていくことが求められています。
左からEY 岩崎、EY 高柳、JR東海 岩間氏、JR東海 総合企画本部 川島 泰子氏、EY 加藤
デジタルはあくまで業務を支えるツールであり、それをどう活用するかが鍵になります。現場が主体となり、デジタルを「鉛筆のように」使いこなすためには、単なるスキル習得ではなく、業務改革を見据えた人材育成が必要です。