EYとは、アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドのグローバルネットワークであり、単体、もしくは複数のメンバーファームを指し、各メンバーファームは法的に独立した組織です。アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドは、英国の保証有限責任会社であり、顧客サービスは提供していません。
要点
SDGsの進捗が停滞する中、次の時代の経営の共通言語として注目されているのが「TISFD:Taskforce on Inequality and Social-related Financial Disclosures(不平等および社会関連の財務情報開示タスクフォース)」です。本稿では、EY新日本有限責任監査法人主催ウェビナー「人々と社会と企業価値:持続的成長ストーリーをいかに競争戦略につなげるか」の議論を基に、TISFDを単なる開示フレームワークとしてではなく、企業経営の根幹に関わる概念として読み解いていきます。以下は、本ウェビナーにご登壇いただいた、日本生命保険常務執行役員、PRI理事、TISFDステアリングコミッティーメンバーの木村武氏のご発言要旨をまとめたものです。
なお、2026年5月に公表されたTISFDのベータ版の概要解説については以下の記事をご覧ください。
TISFDという言葉を聞くと、これまでTCFDやTNFDに取り組んできた企業からは、「またタスクフォースか」「もう開示はおなかいっぱいだ」という声も聞かれます。
また、TISFDに「inequality(不平等)」という言葉が含まれていることから、不平等を生み出している企業をあぶり出す仕組みなのではないか、という誤解もあるかもしれません。
しかし、強調したいのは、TISFDは企業と社会、企業と人の関係を経営の言葉として捉え直すためのフレームワークであるという点です。
SDGsは17のゴールと169のターゲットを掲げたグローバル目標ですが、その進捗はかんばしくありません。
理由の一つは、ゴールが多すぎる中で優先順位を決めにくく、企業が「取り組みやすい領域」から着手してしまったことにあります。言い方を変えれば、部分的な取り組み、対応になってしまったといえるでしょう。
しかしSDGsは本来、各目標が相互に関連する構造を持っています。一部だけを改善しても、全体の課題は解決しません。
こうした反省を踏まえ、現在注目されているのが「システム思考」と「レバレッジポイント」です。
レバレッジポイントとは、システム全体に対して最も大きな影響を与える介入点のことです。その観点から見ると、今最も注目されているレバレッジポイントが「不平等」というテーマです。
所得、機会、教育、健康といった格差は、あらゆる社会課題と結びついています。だからこそ、不平等への対応は単独のテーマではなく、システム全体を動かす起点になるのです。
現在、ポストSDGsに向けた議論が進む中で、新たな中心概念として浮上しているのが「people(人々)のwell-being(ウェルビーイング)」です。
TISFDは、ポストSDGsに向けた経営インフラ、共通言語になる可能性があります。people(人々)の課題は企業価値の外側ではなく、むしろ経営の中核的な課題です。
つまり、TISFDは単なる開示の枠組みではなく、企業価値そのものを定義し直すフレームワークであるといえます。
従来のサステナビリティ投資は、企業単位(エンティティレベル)での評価が中心でした。企業別のESGスコアに基づき、スクリーニングをしたり、セレクトしたりといった手法が一般的でした。しかしその一方で、環境や社会システムの劣化は止まっていません。ここに、従来手法の限界があります。
システム思考の鍵は「どこまでを対象とするか」にあります。従業員だけを見るのか、バリューチェーン上の労働者も見るのか、消費者やコミュニティまで含めるのか。このスコープ設定が非常に重要です。
例えば、大企業がコスト削減によって利益を確保し、それを自社の人的資本に投資する一方で、サプライヤーが従業員に十分な投資をできない場合、それは人的資本の外部化であり、「サステナビリティ・アービトラージ」が発生していることになります。
部分最適は達成できても、システム全体の最適化は実現しません。
例えば、気候変動対策に専念しても、そのコストが低所得者層に集中すれば、社会全体の支持は失われます。結果として、サステナビリティ全体が後退する可能性もあるのです。
私は開示が不要だとは思っていません。むしろ重要なのは、開示によって企業の行動変容が促される点です。「測れないものは管理できない、管理できないものは改善できない」という原則があり、開示はその出発点です。
従来の人権対応はリスク回避が中心でした。人権ポリシーおよびサプライヤー行動規範を策定し、デューディリジェンスを実施するといった方法です。このプロセスで問われているのは、最低限の人権が守られているかどうかです。つまり、「Do no harm(まず悪影響を与えないことを優先するという倫理原則)」が中心でした。しかしこれからは「Do no harm」はもちろんのこと、「Enable dignity(人間の尊厳を尊重し、向上させる)」という視点が必要です。例えば、賃金であれば、最低賃金でなく生活賃金、つまり、労働者とその家族がWell-beingに暮らすことのできる賃金レベルの支払い、といった視点が重要になります。こうした、人的資本の蓄積を通じて、競争力につなげていくことが求められます。つまり、TISFDはリスク開示から機会創出型経営への転換を促すフレームワークと言えるでしょう。
TISFDに対応するかどうかではなく、「いかに対応するか」が問われています。TISFDのドラフト、いわゆるベータ版0.1は、公表されたばかりです。今後、パブリックコンサルテーションを経て、2027年末にかけて最終化されます。つまり、現在はルール形成期の真っただ中であり、企業が関与できる貴重なタイミングであるといえます。
日本企業には、無自覚な強みがあります。例えば、日本企業は他国の多国籍企業と比較して、租税回避を徹底することで企業価値を最大化しようとすることはあまりありません。人々や社会との関係を重視する文化が根付いているのです。これは世界的に見ると特徴的であり、発信すべき価値(サイレント・エクセレンス)であるといえるでしょう。日本企業は、企業価値と社会価値の両立を自然に行っています。この強みをTISFDで発信すべきです。
people(人々)の課題は人事だけの問題ではなく、経営戦略そのものです。スコープを広げ、KPIで管理し、資本配分まで議論する必要があります。企業価値とピープルの課題は対立するものではなく、両立こそが競争力の源泉になります。
【共同執筆者】
山口 美幸
CCaSS事業部シニアマネージャー
監査業務を経て、2017年より、気候変動サステナビリティ・サービスに従事。これまでに開発途上国におけるプロジェクト業務や、官公庁向けコンサルティング、⺠間企業向けサステナビリティアドバイザリーに従事。持続可能な社会の仕組みづくりを⽬指す。
TISFDはまさにルール形成期にあり、企業の戦略や価値創造のあり方を見直す重要なテーマとなりつつあります。 EYは、TISFDに関する最新動向の整理から、影響分析、開示・ストーリー設計、経営への落とし込みまで、多様な支援を行っています。ぜひお問い合わせください。 |
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