連載「TISFDと日本企業」 第3回 TISFDが照らす「人 × 企業価値」の新時代―― 持続的成長ストーリーをいかに競争戦略につなげるか

TISFDベータ版0.1が示す「人」の実装フェーズ
― 「人」と企業価値の関係はどのように可視化されるのか

TISFDは「人」と企業価値の関係をどこまで明らかにしたのでしょうか。

TISFDベータ版0.1の公表により、インパクトを財務へとつなぐフレームワークは、新たな実装フェーズへと進んでいます。本稿では、ベータ版0.1における進化の本質を解き明かし、日本企業が取るべき戦略的示唆を提示します。

要点

  • ベータ版1.0により、「人への影響」と企業価値の接続が一段と具体化。企業はインパクトを財務へと結び付ける実装段階に入った。
  • ベータ版0.1で進化したポイントとして、フレームの構造と実務適用の解像度が大きく向上。本稿ではその要点と市場へのインパクトを整理する。
  • 日本企業にとっては、単なる開示対応を超えた戦略判断が求められる。本稿では競争優位確立に向けた対応の方向性を提示する。

TISFDベータ版0.1の本質:3つの進化

本稿では、2026年5月に一般公開された「TISFDベータ版0.1」1(以下、ベータ版)がもたらした主な変化を整理するとともに、現時点での論点と、日本企業にとっての示唆について概観します。

1. 概念から「開示フレーム」へ

まず、第一の進化であり、最大の変化といえるのは、TISFDが初めて「開示フレーム」としての具体的な構造を提示した点にあります。

ベータ版では、TCFDやTNFDと同様の中核的な開示構造(ガバナンス、戦略、インパクト・リスク管理、指標)に基づく枠組みが提示され、企業は人に関する影響や依存関係、リスク・機会について、体系的に説明することが求められる方向性が示されました。

さらに、開示対象は自社にとどまらず、バリューチェーン全体や影響を受けるコミュニティにまで拡張されています。ステークホルダー・エンゲージメントやロビー活動といった経営活動も含まれる点は特徴的です。

こうした点は、「人」に関する情報を補足的に開示する段階から、企業価値と関連付けて説明する段階への移行を示唆するものといえるでしょう。

TISFD開示提言の全体像:4本柱と5つの一般的要求事項

TISFD開示提言は、企業が人に関連するインパクト、依存、リスクおよび機会をどのように把握し、管理しているかを、以下の4本柱と5つの一般的要求事項を用いて、意思決定に資する形で開示することを目的としています。

4本柱
5つの一般的要求事項
(出典:「TISFDベータ版0.1」をもとにEYが作成)

2. 「インパクト」から「企業価値」への接続

第二の進化は、インパクトと企業価値との関係性が、より明確に示された点にあります。

ベータ版では、企業活動が人に与える影響(impact)や依存関係(dependency)が、リスクや機会を通じて財務に影響し得る構造が整理されています。具体的には、「企業活動 → 人への影響 → 不平等 → リスク・機会 → 財務影響」といった一連のつながりが示され、戦略やビジネスモデル、キャッシュフローとの関係の中で捉える視点が提示されています。

こうした整理により、これまで必ずしも明示的ではなかった「人に関する要素と企業価値との関係性」を、構造的に理解する枠組みが示されたといえます。この枠組みの中では、「インパクトドライバー(インパクト要因)」や「インパクトと依存に関するパスウェイ」といった概念も導入されています。これらは、企業活動とその帰結の関係を整理する上での重要な視点を提供するものです。


インパクトドライバーの例

TISFDでは、企業が社会・環境・人権などに与えるインパクトの発生要因について、自社の事業活動、バリューチェーン上の活動、ならびに社会制度との関係といった観点から整理しています。

インパクトドライバーの例
(出典:「TISFDベータ版0.1」をもとにEYが作成)

3. 「企業リスク」から「システムリスク」へ

第三の進化は、視点が企業単体からシステムレベルへと拡張された点にあります。

TISFDは、不平等が社会的分断や政治的不安定性を通じて、マクロ経済や金融システムに影響を及ぼし得る「システムレベルリスク」を扱っている点が特徴的です。

これらのリスクは、個社の取組みのみで管理することが難しく、結果としてポートフォリオ全体のリターンに影響し得る性質を持つと考えられています。この点は機関投資家にとって重要な論点であり、「システム・スチュワードシップ」といった考え方とも関係するものです。

一方で、現時点ではシステムレベルリスクの具体的な開示の在り方は発展途上にあり、今後の検討領域として位置付けられています。このような「重要性の高さ」と「方法論の発展途上性」が併存している点は、本領域の特徴の1つといえます。


システムレベルのリスク:不平等は市場・社会・金融システム全体に波及し得る

不平等は、経済および社会に影響を及ぼし得るシステムレベルのリスク要因の1つであり、複数の経路を通じて市場や金融システムにも波及する可能性があります。

システムレベルのリスク:不平等は市場・社会・金融システム全体に波及し得る
(出典:「TISFDベータ版0.1」をもとにEYが作成)

フレームワーク設計の裏側:TISFDが直面する課題

EYはTISFDの公式ナレッジパートナーとして、今回のベータ版の公開に至るプロセスに関与してきました。フレームワーク設計に当たっては、さまざまな検討と試行が重ねられています。

特に重要な論点の1つは、概念をいかに実務へとつなげるかという点です。ESG領域では、社会課題と財務との関係性が必ずしも明確ではないことが課題とされてきましたが、TISFDはこれらの関係性を捉える枠組みの構築を試みています。

また、企業活動と人への影響をどのように整理し、それを経営や開示の文脈に位置付けるかについても、多くの議論が重ねられました。こうした論点は、抽象的な概念と実務の間をつなぐ上で重要な領域であり、ベータ版においても一定の方向性が示されています。

さらに、システムレベルリスクについてはTISFDの特徴的な視点の1つである一方、その具体的な扱いについては引き続き検討が進められている段階にあります。今後の議論の進展が注目される領域といえるでしょう。

このような課題に対し、TISFDは企業、金融機関、アカデミア、ナレッジパートナーなど多様なステークホルダーとの対話を通じて、実務における適用可能性を意識した設計を進めています。


TISFDによる今後の7つの開発領域と企業・金融機関への示唆

TISFDベータ版は、初期的な開示フレームワークの段階にあります。本フレームワークは、フィードバックを取り入れながら要素を段階的に高度化していくプロセスとして設計されています。

TISFDによる今後の7つの開発領域と企業・金融機関への示唆
(出典:「TISFDベータ版0.1」をもとにEYが作成)

日本企業への示唆

このように進化と広がりを続けるTISFDのフレームワークを前に、日本企業はどのように対応していくべきでしょうか。

EYでは、2026年6月1日にウェブキャスト「人々と社会と企業価値:持続的成長ストーリーをいかに競争戦略につなげるか」2を主宰し、2024年よりTISFD Steering Committeeメンバーを務める日本生命保険 常務執行役員 木村武氏よりインサイトを共有いただきました。詳細はウェビナー(配信およびオンデマンド配信中)をご参照いただきたいですが、特に以下の点は重要な示唆といえます。

  • ベータ版は、新たな開示要件として形式的に対応するものではなく、企業価値の捉え方を見直すためのフレームとして活用することが重要。
  • 日本企業は、長期志向やステークホルダーを重視した経営を価値観として有しており、TISFDとの親和性は高いと考えられる。これまで暗黙的に実践されてきた「人への価値創造」を、国際的な共通言語で説明できる点は大きな機会となり得る。
  • ルール形成が進行している現段階(最終版は2027年予定)においては、単に対応するのではなく、議論や検討プロセスに関与していくことが、中長期的な競争優位につながる可能性がある。

今後のTISFD開発ロードマップ

ベータ版0.1には、主に次の2つの要素が含まれています。

  • 概念的基盤
  • 開示提言の初期的なドラフト
今後のTISFD開発ロードマップ
(出典:「TISFDベータ版0.1」をもとにEYが作成)

これらは、TISFDフレームワークの全体像を構成する基盤として位置付けられており、今後の議論やフィードバックを踏まえて精緻化が進められていくことが想定されています。

また、TISFDは段階的な開発プロセスを前提としており、今後は複数のバージョンを経て、最終化が図られていく計画です。

2026年および2027年を通じて、追加的なバージョンの公表やガイダンスの拡充が行われる予定です。指標や評価、開示を支援する枠組みは段階的に整備され、最終版のTISFDフレームワークは2027年に公表される見込みです。

ベータ版0.1以降の開発スケジュール
(出典:「TISFDベータ版0.1」をもとにEYが作成)

EYにできること

TISFDへの対応に当たっては、従来の人的資本開示やサステナビリティ開示の延長では捉えきれない側面があると考えられます。

EYでは、こうした背景を踏まえ、企業によるTISFDの実務適用に向けて、さまざまな観点からの支援を行っています。主な領域としては、以下が挙げられます。

  • マテリアリティの整理および優先順位付け
  • 人的資本に関する施策の検討支援
  • 人に関するインパクトの経営戦略・資本配分へ統合
  • 国内外の開示基準との整合を踏まえた統合開示設計

TISFDは単なる開示対応ではなく、経営の在り方に影響を与える可能性を持つテーマであり、今後はこうした視点が企業価値向上の鍵となっていくものと考えられます。

おわりに

TISFDは、「人」をESGの一要素として扱う段階から、企業価値との関係の中で捉える段階への移行を示しています。人に関する要素は、もはや補足的な非財務情報ではなく、企業の持続的な価値創造と密接に関係する要素として位置付けられつつあります。TISFDは、その関係性を可視化し、経営判断の文脈の中で捉えるための枠組みといえます。

重要なのは、この変化を単なる開示対応として受け止めるのではなく、経営戦略の中でどのように位置付けるかという視点です。企業の競争力は、人や社会との関係性をいかに価値創造へと結び付けていくかに大きく依存していくと考えられます。

TISFDは、そのための出発点の1つを提示しているといえるでしょう。今後、その具体的な実装の在り方が問われていくことになります。

弊社サービスの詳しい内容をご覧になりたい場合は、こちらをご覧ください。

【出典と参照リンク】

  1. "Launch of the TISFD Framework Beta Version 0.1", Taskforce on Inequality and Social-related Financial Disclosures (TISFD), www.tisfd.org/frameworks/tisfd-framework-beta-version-0-1(2026年6月10日アクセス)
  2. 人々と社会と企業価値:持続的成長ストーリーをいかに競争戦略につなげるか」、EY新日本主催ウェブキャスト(2026年6月10日アクセス)

サマリー 

TISFDベータ版0.1は、「人」に関する影響・依存を企業価値へ接続する枠組みを提示しました。可視化と戦略統合に向けた実務の進展と今後の論点を整理します。


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