「グローバル・リスク・トランスフォーメーション」シリーズ

不確実な世界に備えるために、リスクをどう捉え直せばよいのか


先見性を備えたリスクストラテジストは、複雑化する事業環境において自社が持続的に高い成果を上げられるよう、組織の体制を戦略的に整えています。


要点
  • 企業を取り巻くリスク環境は、非線形化、変化の加速、不安定化、相互連関の深化といった特徴を強めている。
  • 回答企業の約6割が、新たなリスク環境に適応するためにはリスクマネジメントを変革する必要があると考えているものの、従来のアプローチを抜本的に見直した企業はわずか14%にとどまっている。
  • 「リスクストラテジスト」と呼ばれる企業群は、より良い成果を上げており、そのベストプラクティスは他の企業にとって重要な示唆となる。

もし、激動の時代を乗り切るための「答え」を見いだした企業があるとしたらどうでしょうか。そのような企業は、外部からのショックに不意を突かれる可能性が半分程度に抑えられ、インシデントを迅速に特定し、初動対応も約3割優位にあるといいます。

もちろん、単に運が良かったわけでも、安全な市場で事業をしているわけでもありません。違いを生んでいるのは、リスクへの向き合い方そのものです。

このような企業を率いているリーダーは、リスクを戦略と一体で捉え、従来とは異なるマインドセットでリスクに向き合っています。EYでは、このようなリーダーや企業を「リスクストラテジスト」と呼びます。

近年、リスクと戦略を整合的に捉える必要性は、これまでになく高まっています。世界的なショックが相次ぐ中で、リスクの性質そのものが大きく変わったからです。人工知能(AI)の飛躍的な進化や相次ぐ地政学的危機など、多くのリスクは一夜にして顕在化し、連鎖的に波及して、想定外の帰結をもたらし得ます。関税を巡る不透明感や「ファストファッション」、異常気象といった潮流にも、変動性の高まりが表れています。

Fresenius GroupのVice President 兼 Group Risk Management & ICS担当のMichael Berberich氏は、次のように述べています。「パンデミック以降、リスク環境は一変しました。以前は財務リスクの把握・報告が中心でしたが、今は相次ぐ危機への対応が中心となっています。しかも危機は単発ではなく相互に連関し、サプライチェーン、エネルギー価格、制裁対応など幅広い領域に波及します。さらに近年は複数の危機が同時並行で発生し、リスク機能は限られた人員とリソースで、より大きな役割を担うことを迫られています」

2025年 EY Global Risk Transformation調査 PDF(英語版のみ)

EYは、こうしたリスク環境を4つの特性の頭文字を取って「NAVIワールド」と呼んでいます。NAVIワールドでは、リスクについて次の傾向が一段と強まります。

  • 非線形性(Nonlinear):突如として状況が急変し、企業に想定外の転換点をもたらす。
  • 加速的(Accelerated):変化のスピードが増し、企業にはこれまで以上に迅速な対応が求められる。
  • 不安定性(Volatile):方向性が頻繁に変化し、企業の俊敏性が試される。
  • 相互接続性(Interconnected):一つの事象から連鎖的に影響が広がり、新たなリスクが次々と生まれる。

企業の公開文書におけるNAVIワールド関連キーワードの言及数は2020年以降で50%増加し、現在も高水準で推移しています。


企業を取り巻くこうした環境では、従来の経営手法の多くが、もはや通用しなくなっています。企業は経営の基盤を見直す必要があり、中でも「戦略」と「リスクマネジメント」は、再設計が避けられない領域です。

EY Global Vice Chair(Consulting部門)のErrol Gardnerは、次のように述べています。「変化のスピードが加速し、不確実性が高まる中で、変革を成功させるには、長期的な視点と短期的な俊敏力の両立が欠かせません。数年先を見据えた大局的な計画を描く一方で、状況に応じて素早く修正・実行しながら柔軟に取り組みを重ねていくことが求められます。このバランスを取ることで、企業はリスクを乗り越え、新たな機会を確実に取り込みながら、変革を着実な成果へとつなげることができます」

その一方で、従来型のリスクマネジメントは、NAVIワールドで求められる考え方と本質的にかみ合っておらず、大幅な刷新が必要です。変化が加速し、不確実性が高まる時代にもかかわらず、意思決定を支えるプロセスは依然として遅く、断続的にしか機能していません。また、相互接続性が高まる環境でも、多くの企業では、縦割り構造が残り、リスクは相互に連鎖するものではなく、独立した要因として管理されています。加えて、非線形な変化が進む中、発生頻度は低いものの影響が極めて大きいリスクの特定や、非線形性をモデル化して管理する方法論の導入も遅れています。

もっとも、現下のリスク環境で企業が成長していくためには、戦略やリスクマネジメントに新たなアプローチを採用するだけでは不十分です。両者を、かつてないほど緊密に連動させる必要があります。リスクの視点を織り込んだ戦略と、戦略の目標や成果指標に直結したリスクマネジメントが重要となります。こうした相互補完関係が、まさにリスクストラテジストの考え方の中核を成しています。

本記事は、2025年にスタートした新シリーズ「EYグローバル・リスク・トランスフォーメーション」の第1弾として、リスクストラテジストの行動や思考様式を手がかりに、リスクと戦略の「共生」の重要性を掘り下げます。不確実性が高まる今日のリスク環境においては、リスクの識別から評価、対応、ガバナンスに至るまで、リスクマネジメントの全プロセスがこれまで以上に重要となっています。そこで、本稿では、企業がリスクをより早く察知し、より迅速に適応し、より的確に対応するための決定的な強みとなる「察知力」「先見力」「適応力」に焦点を当てます。

本シリーズで提示するインサイトは、リスクマネジメントの専門家だけに向けたものではありません。C-suite全体の経営層、事業部門のシニアリーダー、さらには取締役会や関連委員会のメンバーにとっても重要です。ここ数年、全社的リスク管理(ERM)や「3線モデル」を通じて、リスクマネジメントは特定部門の役割ではなく、企業全体で取り組むべき「チームスポーツ」だという認識が広がりを見せています。NAVIワールドでは、この考え方はさらに重要となり、全社レベルでリスクと戦略を整合させることが、成長の重要なドライバーとなります。

皆既月食
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第1章

リスクストラテジスト vs. リスクトラディショナリスト

本調査で、リスクへの向き合い方を従来とは大きく変えている企業が明らかになりました。これらの企業は、変化の激しい環境でも柔軟に対応できる体制を整えています。

EYグローバルは、変化するリスク環境の実態や、企業が新たな事業環境に適応するためリスクマネジメントをどのように変革しているのかを把握する目的で、リスク担当者1,200名を対象としたグローバル調査を実施しました(詳細は「調査方法」を参照)。

本調査から、次世代型リスクマネジメントの運用はすでに一部の企業で始まっているものの、その取り組みがすべての企業に浸透しているわけではないことが明らかになりました。多くの企業はいまだに、リスクマネジメントを戦略的な価値創出の手段ではなく、コンプライアンス対応の一環として捉えています。

そうした中、リスクと事業戦略・成長が相互に影響し合う関係を築いている企業群も確認できました。EYでは、こうした企業を「リスクストラテジスト(リスクと戦略を一体的に捉え、戦略的なリスク対応を実践する企業・機能)」と称しています。リスクストラテジストは、リスクマネジメント機能を経営戦略に整合させるだけでなく、リスクから得られる洞察を経営・事業の意思決定に織り込み、成長のドライバーとして活用しています。さらに、リスクを事業と切り離さずに捉え、新たなリスク環境で成果を上げるために必要な投資も行っています。こうしたアプローチは、従来のリスクマネジメントの枠組みにとどまる「リスクトラディショナリスト」とは本質的に異なります。リスクストラテジストのマインドセットは、リスクに対する個々人の考え方から始まり、明確なビジョンの提示、組織文化の変革、そして適切なインセンティブを通じて、リスクマネジメント機能を形づくり、最終的には企業全体の在り方にも影響を与えます。


リスクストラテジストはNAVI型リスク環境への認識と対応の両面で他社に先んじている

リスクストラテジストは、パンデミック後に生じた環境変化を、他の企業よりも一貫して高い解像度で捉えています。リスク環境が、従来にも増して「非線形化」し、「変化の加速」「変動性の高まり」「相互接続性の強まり」が進んでいることを理解しているためです。さらに、こうした変化に対応するための統制やプロセス(仕組み)を整備している企業が、他社より多く見られます。


こうした一連の特徴から、パンデミック後のリスク環境の変化を踏まえ、リスクストラテジストがリスクマネジメントのアプローチをより大きく転換していることがうかがえます。実際、リスクストラテジストの58%が、パンデミック後のリスク環境に対応するため、アプローチを「ある程度」または「全面的」に変革したと回答しています(リスクトラディショナリストでは36%)。中でも、アプローチを完全に刷新した企業は、リスクストラテジストでは20%に上る一方、リスクトラディショナリストでは7%にとどまっています。

リスクストラテジストは、より優れた成果を上げている

新たなリスク環境は企業の業績に実質的な影響を及ぼしています。EY-Parthenonの「Geostrategy in Practice Survey 2025」によると、政治的リスクにより、売上や収益が減少した企業は54%に上ります。また、地政学リスクによる影響においては、52%が予定していた投資や事業売却を延期または中止しています。さらに米国生産性品質センター(APQC)によれば、2024年にリスク事象によって発生した平均的な財務損失は収益の1.9%に達しており2、これはグローバル・フォーチュン500企業の平均で16億米ドルの損失に相当します。

こうした状況を背景に、リスクストラテジストはレジリエンスを発揮し、その結果として優れた成果を上げています。特に、新たなリスク環境においてレジリエンスの中核となる指標、例えば、予期しないリスクの発生割合の低さ、リスクに対する明確な責任体制と組織文化、インシデントの迅速な把握および対応力などにおいて、リスクトラディショナリストを大きく上回っています。一方、リスクマネジメント活動のコスト、業務効率性、規制要件への準拠といった点では差は比較的小さく、リスクトラディショナリストがリスクマネジメントを主としてコスト管理やコンプライアンス対応として捉えていることがうかがえます。


EY-Parthenon Global Strategy and Transactions MarketsのSustainability and GeostrategyリーダーであるOliver Jonesは、次のように述べています。「地政学的リスクを含むさまざまなリスクを踏まえて戦略的に意思決定を行うことで、企業は有機的成長と非有機的成長の双方をより力強く推進できます。例えば、リスクに対する理解が深まれば、M&Aにより前向きに取り組めるようになり、計画していた取引を実行に移せる確率も高まります。さらに、リスクと戦略を適切に結び付けることで、戦略的計画は方向性を逸脱することなく遂行され、結果として想定した投資リターンを実現できる可能性が高まります」

リスクトラディショナリストが抱える課題

多くの企業にとって、リスクマネジメントの変革は容易ではありません。特に従来型のリスク管理を踏襲している企業(リスクトラディショナリスト)では、乗り越えるべき障壁がより大きくなります。

最大の制約の一つは、リスク部門に根付くマインドセットです。リスクマネジメントの領域には、もともと慎重でリスク回避的な志向の人材が集まりやすく、またリスクの特定や対応方針の策定では合意形成が重視されるため、判断や対応が保守的になりがちです。この点について、大手金融サービス企業のCROは次のように指摘しています。「課題は、リスクマネジメント部門の役割に対する考え方を、単なる規制遵守の確認機能から、組織に付加価値をもたらす戦略的機能へと転換できるかどうかです」

こうした意識の問題は、リスクトラディショナリストにおいて特に顕著です。リスクストラテジストの62%が、「リスクマネジメント分野には、革新的な人材よりも保守的な思考を持つ人材が集まりやすい」と回答しているのに対し、同様に考えるリスクトラディショナリストは40%にとどまっています。リスクトラディショナリストにおける意識面の問題は、対応が遅れているだけでなく、そもそもそれを“問題”として認識していないケースも少なくありません。

こうした背景から、リスクトラディショナリストの多くは、慣習や惰性に従い、旧来の運営モデルに固執しがちです。ある製造業のリスク責任者は、インタビューの中でこう語っています。「コンプライアンスは必要ですし、法律で求められている以上、リスクマネジメントも行わなければなりません。ただ、正直なところ、それ以上のことには関心がありません」

リスクトラディショナリストは、新たなリスク環境に適した考え方や手法を取り入れることに消極的です。実際、「今後数カ月から数年にかけて、リスクマネジメント部門は非伝統的な手法や枠組みを活用することが重要になる」と考えている割合は、リスクトラディショナリストでは37%にとどまり、リスクストラテジストの75%と比べて半分程度に過ぎません。同様に、「リスクマネジメント部門がイノベーション志向であることは重要だ」と考える割合も、リスクトラディショナリストでは42%にとどまり、リスクストラテジストの73%との間には大きな差が見られます。

加えて、組織構造上の課題も変革を妨げます。リスクトラディショナリストの多くは縦割りや分断された組織の下にあり、リスクを全社的に捉える一貫した視点や、リスクごとの明確なオーナーシップが十分に整っていません。実際、自社が直面する各リスクについて明確な責任者が定められていると答えた割合は、リスクトラディショナリストでは27%にとどまり、リスクストラテジストの66%と比べると半分以下です。また、CROが他の経営幹部と対等な立場にあると回答した割合も、リスクトラディショナリストでは25%に過ぎず、リスクストラテジストの76%との差は大きく開いています。


リスクマネジメント部門が長年抱える問題として最後に挙げられるのは、同部門が提供する価値を数値化し、それを証明することの難しさです。リスクマネジメント部門は、これまで企業内でコストセンター(収益を直接に生まない部門)と見なされがちですが、その背景には、リスクマネジメントが事業にもたらす価値の多くが定量化しにくいという事情があります。そもそも、実際には起こらなかった出来事に備えることの価値を、どのように測ればよいのでしょうか。また、数年、あるいは数十年先に顕在化する可能性のあるリスクを軽減するための先行投資を、どのように評価すればよいのでしょうか。

ヘルスケア・製薬セクターのCROは次のように述べています。「ガバナンス関連の役割を担う部門の成果を社内で理解してもらうことの難しさは、問題が発生していないときにこそ、適切に機能しているという点にあります。何も起きていないことを評価・称賛するのは非常に難しく、その状態が成功と見なされることはほとんどありません。それでも、当該部門には一定のコストがかかります。そのため組織内では、“成果が見えないコスト”として受け止められがちです。しかし、ひとたび事態が発生すれば、多くの場合、企業にとって深刻な負のインパクトを伴います。資金の喪失や詐欺被害、高額な制裁金の支払い、さらには契約違反によるペナルティなど、経営に直接的な打撃を与える事象へと発展するケースも少なくありません」

リスクマネジメント部門の価値を示す指標は、仮に用いられているとしても、保険料や規制上の制裁金の削減といった、入手しやすい数値に偏りがちです。また、サイバーセキュリティのようにインシデントの発生件数や対応品質など、定量化しやすい領域に評価が偏る傾向も見られます。しかし、こうした指標だけでは、リスクマネジメント部門が企業にもたらす本来の価値を十分に評価することはできません。

このような評価上の課題を克服する重要性は、これまで以上に高まっています。リスクマネジメント部門が企業にもたらす価値を適切に測定し、可視化できれば、組織内におけるリスクマネジメント機能の位置付けは大きく変わります。リスクマネジメントが単なる「守り」の機能だけではなく、戦略的成長を支える存在として理解されるようになれば、リスクマネジメント変革に必要な投資に対する社内の理解と支持も得やすくなります。

この点について、テクノロジー/テレコム企業のCROは、次のように述べています。「コンプライアンスやリスクマネジメントは、何か問題が起きたときのための保険的なものにすぎないと捉えられていることが多いです。しかし、そこに投資対効果があることや、実際、どのように機能し成果を上げているのかを示すことができれば、CROとしての信頼が高まり、必要なリソースの確保にもつながります」

これらの障壁はいずれも、一筋縄では解決できるものではありません。リスクストラテジストでは、戦略的なマインドセット、革新的な文化、連動したインセンティブ、整合性の取れた組織構造が相互に作用し、好循環が生まれています。その結果、リスクマネジメント部門が企業にもたらす価値も、比較的分かりやすく示すことができます。これに対し、リスクトラディショナリストでは、こうした要素が欠如しているため、負の連鎖に陥りやすく、その悪循環を断ち切ることが難しくなります。

もっとも、現在の環境には前向きに捉えられる側面もあります。深く根差した従来の慣習から、抜け出しやすい局面にあるためです。変化の激しいビジネス環境下で、リスクと戦略をより密接に結び付ければ、経営や事業運営上の課題への対応力を高められます。その結果、リスクマネジメントがもたらす価値をより直接的に示すことが可能となり、リスクストラテジストへと転換するために必要な投資についても、説得力のあるビジネスケースが描きやすくなります。

リスクマネジメントの変革は長い道のりですが、第一歩として今すぐ着手できる具体策があります。詳しくは、第3章をご覧ください。

ラベンダー畑にかかる天の川のアーチ
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第2章

リスクストラテジスト組織の構築

リスクストラテジストは、効果的なアプローチやベストプラクティスを実践することで、リスクに関する指標全般で競合他社を上回る成果を上げています。

価値とビジョン

「変革を成功に導くには、『どんな価値を創出するのか』という目的を明確にすることが不可欠です」EY-Parthenon Global Strategy and Execution リーダーであるJohn van Rossenは、このように述べ、さらに次のようにコメントしています。「その第一歩は、目指す価値を特定し、追求すべき価値機会について、明確で意味のあるビジョンを描くことです。その実現には、社内外の人材やケイパビリティを結集し、戦略目標と実行を行き来しながら、節目では的確に軌道修正を行うといった“価値のオーケストレーション”が求められます。そして最終的に、『価値の実現』、すなわち実質的で持続的な成果を生み出すことがゴールです。そのために、変革を担う従業員の経験や意識といった人的側面を含め、細部にまで目を配ることが重要となります」

 

価値創出を中心に据えたこうしたアプローチは、多くのリスクマネジメント部門にとって実践のハードルが高く、その結果、変革そのものが難航する要因ともなっています。その背景の一つは、すでに述べたように、リスクマネジメント部門が企業にもたらす価値が、これまで十分に定量化・可視化されてこなかったことです。そのため、「どのような価値を創出すべきか」を見極めること自体が難しい状況にあります。加えて、事業部門間や、リスクマネジメント部門と戦略部門間の足並みがそろっていないケースも少なくありません。こうした整合性の欠如は、人材やケイパビリティを結集し、価値を実現へと導く取り組み(価値のオーケストレーション)を阻害する要因となっています。

 

もっとも、これを課題として捉えること自体には意味があります。というのも、「リスクストラテジスト」への変革は本質的に、リスクマネジメント部門が企業全体に価値をもたらすことになるからです。リーダーは、変革に関する問いを「価値をどう生み出すか」という観点で組み立て直すことで、組織の移行を後押しできます。

 

具体的な手順として、まずは、自社が目指すリスクマネジメントの将来像を明確に描くことから始めます。その際の基盤となるのが、「ビジネス価値重視」、「整合性」、「機動力と探求心」、「テクノロジー活用」という4つの原則です。これらを軸にリスクマネジメントの在り方を再構築することで、同部門はより戦略的な役割を担うようになり、価値の特定・統合(オーケストレーション)・実現を効果的に進めやすくなります。この4つの原則については、以下で詳しく説明します。

 

リスクマネジメントの将来像を実現可能なレベルで描けたら、次のステップとして、現在からその未来へと至る道筋を設計します。その際に鍵となるのは、「フューチャー・バック・プランニング(未来起点の計画手法)」です。従来のビジネス計画では、まず現状を起点に、有機的・非有機的な成長施策を積み上げながら将来像を描くのが一般的でした。これに対し、フューチャー・バック・プランニングでは、最初に「目指す未来像」を明確に定義し、そこから逆算して、必要な新規資産や能力を特定します。その上で、現状とのギャップを洗い出し、投資や能力構築の計画を策定していきます。この手法は、想像力の限界や、従来の延長線上の発想に陥りがちな思考を回避する上で非常に有効です。

 

フューチャー・バック・プランニングを進めるに当たっては、ケイパビリティや資産への投資に関して、いくつかの本質的な問いに向き合う必要があります。重要なのは、これらの問いをすべて「どのような価値を生み出すのか」という価値起点の視点で捉えることです。例えば、リスクマネジメント変革を構成する要素の中で、どれが自社にとって最も戦略的で、最も価値を生むのか。価値を最大化するために、リスクマネジメント機能は、AIをはじめとするテクノロジーに、いつ、どの程度投資すべきなのか。どのリスクマネジメント手法が、最も戦略的で価値を生むのか。そして、外部のパートナーとどのように連携し、価値をオーケストレーションしていくのか――こうした問いへの答えが、投資判断と実行の質を左右します。

 

戦略的なリスクマネジメント機能を確立するための主要原則

リスクストラテジストは、複数の基本原則に基づいて組織を構築することで、価値を見極め、それを全社的にオーケストレーションし、最終的な成果として実現していきます。リスクマネジメント変革の進め方や具体像は企業ごとに異なりますが、ここで示す4つの原則は、「あるべき姿」を考える上での共通の指針となるものです。これらは、アンケート調査への回答や複数のインタビューから導き出されたものであり、リスクストラテジストのアプローチに共通して見られるテーマです。

  1. ビジネス価値重視
  2. 整合性
  3. 機動力と探求心
  4. テクノロジー活用
どのような変化や不確実性に直面しても機動的に対応できる体制が整っています

1. ビジネス価値重視

「戦略的リスクマネジメントを実践する企業は、本質的に、自社の戦略と成長を支えることに重きを置いている企業です」――EY EMEIA Risk Consulting LeaderのRohit Mathurは、そう述べた上で、次のように続けています。「リスクストラテジストは、情報に基づいたリスクテイクやイノベーションを後押しし、事業のレジリエンスや競争優位性を高めることで、ビジネスに価値をもたらします。こうした企業は、リスクマネジメントを単なるコンプライアンス対応ではなく、事業成長を促すドライバーと捉えています」

ビジネスに価値をもたらすことを重視する姿勢は、今回の調査結果やリスクストラテジストへのインタビューからも明らかです。こうした企業は、規制遵守を主軸としたアプローチだけでは、もはや不十分であることを認識しています。というのも、規制は本質的に変化のスピードが遅く、過去に発生した危機への対応として整備されるものであり、将来のリスクを先取りするものではないからです。将来リスクがかつてない速さで変化する現代において、規制当局の指針を待つという姿勢は、それ自体が後れを取っているということを意味します。さらに、コンプライアンスの達成のみに依拠すると、本当はリスクが残っているにもかかわらず、安全であるとの誤った認識を招く恐れがあります。

2. 整合性

リスクストラテジストに共通して見られるもう一つの重要な特徴は、企業全体および各事業部門にまたがって、リスクに対する共通の認識を形成しようとしている点です。こうした認識の統一は、企業としてリスクを的確にマネジメントしながら、価値を創出し、成果へとつなげていく上で欠かせません。例えば、LEGOグループでは、各事業部門の代表者が参加する部門横断の場を設け、複数の視点からリスクを洗い出すとともに、その影響について多角的に検討しています。

リスクストラテジストは、リスクと戦略を結び付けることも重視しています。この点について、Corning Incorporatedのエンタープライズ・リスク担当ディレクターであるShannon Clark氏は次のように述べています。「当社のERM(全社的リスクマネジメント)は、リスク、戦略、パフォーマンスの結び付きにこれまで以上に重点を置いています。リスクは常にアップデートしていますが、それ以上に重視しているのは、重要度の高いリスクとその戦略的な意味合いを見極めるための、リアルタイムな対話です。こうした取り組みによって、企業パフォーマンスと長期的な価値創造の整合性を確保しています」

リスクストラテジストは、リスクトラディショナリストに比べて、リスク許容度フレームワーク(リスクアペタイト・フレームワーク)を活用する割合が高く(55%に対し、リスクトラディショナリストは40%)、このフレームワークを通じて、企業が目標達成に向けてどの水準までリスクを受け入れるのかを戦略的な観点から明確にしています。リスク許容度が戦略と適切に結び付けば、それは単なるコンプライアンス対応の枠組みにとどまらず、成長を後押しする手段となります。その結果、C-suiteはより大胆で、かつ十分な情報に基づいた意思決定を行えるようになります。

組織全体でリスクに対する認識をそろえるためには、リスクを意識する文化を組織の隅々まで浸透させることが不可欠です。これは極めて重要なテーマであり、リスクストラテジストへのインタビューにおいても、繰り返し強調されていました。

変化のスピードと不確実性が一段と高まる現代においては、リスクと戦略を新しい視点で捉える必要があります

3. 機動力と探求心

新たな事業環境において、戦略的にリスクへ向き合える企業を構築するには、状況の急変に迅速かつ柔軟に対応できるプロセスや能力を備えることが不可欠です。さらに、将来に起こり得る複数のシナリオや、その先に連鎖的に生じる影響を見通し、先回りして備えようとする探究心を、企業全体として育んでいくことが必要です。

さらに、四半期ごとの定期的なレビューにとどまらず、よりリアルタイムで状況変化に即応できるアプローチへとシフトし始めている企業もあります。実際、リスクストラテジストの大半(84%)は、シナリオプランニングを活用し、複数のリスクの展開や結果を見据えた備えを進めています。さらに、リスクストラテジストの74%が、予測不能な混乱に対して俊敏に対応できる体制づくりが重要だと考えており、この割合はリスクトラディショナリスト(41%)を大きく上回っています。

企業全体に探求心を根付かせるためには、さまざまなリスクを個別に捉えるのではなく、横断的に見渡す包括的な視点を養うことが不可欠です。足元の地政学リスクに注目が集まるのも無理はありませんが、NAVI型の事業環境では、技術の進展、環境の変化、人口動態の変化といった他の要因からもリスクが生じ得ることを忘れてはなりません。

この点について、米国のエネルギー関連製造業のCAEは次のように述べています。「地政学リスクに気を取られ、その他のリスク要因を見落とすことがあってはなりません。視野が狭くなりすぎると、かえって戦略そのものを危うくしかねないからです。当社では、地政学リスクだけでなく、生成AIが電力需要に与える影響、規制の不確実性とエネルギー転換のスピード、金利変動がプロジェクト資金の調達に及ぼす影響といったリスクも注視しています」

さらに、企業全体で探求心が高まれば、実験的試みやイノベーションに前向きな文化が育まれ、これまで述べてきたリスクマネジメント手法の活用が進みます。あるテクノロジー・テレコム企業のCROは次のように述べています。「リスクの観点から言えば、昨日うまくいったからといって、それが明日も正解であるとは限りません。成功に安住せず、常に警戒を怠らないことが重要です」

4. テクノロジー活用

EY Global Risk Consulting Technology LeaderのAmy Gennariniは次のように述べています。「AIは、リスクの在り方そのものを変革する推進力であると同時に、リスク環境が一段と複雑化する中で、企業のレジリエンスと適応力を高める上で欠かせない重要ツールです。その活用領域は、リスク特定の精度向上や予測モデルの精緻化、さらには非構造化データからのインサイトの抽出、より洗練されたシナリオプランニングの構築など、広範に及びます」

テクノロジーの活用状況については、今回のインタビューに参加したリスクストラテジストの間でばらつきが見られました。テクノロジーの導入によって明確な成果を上げている企業の事例として、LEGOグループは、各ビジネスユニットですでに活用されているPower BIダッシュボードにリスクやシナリオを組み込み、企業全体の足並みをより強固にそろえることに成功しています。また、Freseniusでは、従来は数週間を要していたシナリオ生成を、大規模言語モデル(LLM)を活用することで、わずか数時間で完了できるプロセスへと刷新しています。

一方で、AIの導入について様子見の姿勢を取っている企業もあります。その背景には、より高度な機能を備えた新しいモデルが次々と登場することで、既存のプラットフォームが短期間で陳腐化しかねないという懸念や、投資の妥当性を十分に示すことの難しさがあります。しかし、現時点での導入レベルにかかわらず、リスクストラテジストは、AIがリスクマネジメントを抜本的に変革する可能性を秘めていることを認識しており、近い将来には競争優位性を左右する重要な差別化要因になると見ています。

AIと予測分析を活用することで、従来は数週間を要していたシナリオ策定が、わずか数時間で完了できるようになりました

NAVIワールドに即したリスクマネジメント方法論

リスクストラテジストへと進化していくためには、NAVIワールドに即したリスクマネジメント手法を採用し、組織全体に段階的に展開していくことが不可欠です。EYでは、複数の手法について実践状況を調査し、それらを以下の4つのカテゴリーに分類しました。
 

基盤フレームワーク

  • このグループの方法論は、リスクストラテジストがリスク戦略を推進する上での中核をなす仕組みであり、企業全体の整合性を高めながら、リスク、統制、リスク許容度を俯瞰的に把握することを可能にします。従来用いられてきた手法ではあるものの、リスクと戦略を企業レベルで一体的に整合させることがこれまで以上に必要となる中で、その重要性は改めて高まっています。

  • 代表的な手法: 全社的リスク管理(ERM)、統合リスク管理(IRM)、リスク許容度フレームワーク、リスク登録簿、アシュアランスマッピング

スキャニング/早期警戒

  • このグループの方法論は、リスクを広範かつ継続的に把握し、兆候を早期に察知できるようにするための仕組みであり、企業の備えや対応力を高めます。

  • 代表的な手法:ホライズン・スキャニング、センチメント分析、データに基づく指標、継続的リスクモニタリング
     

シナリオプランニング/レジリエンステスト

  • このグループの方法論は、相互接続性が高まる世界を前提に、複数のシナリオを想定・検証し、それに基づく計画を可能にすることで、企業のレジリエンスを強化します。

  • 代表的な手法:リスク・シナリオ・プランニング、モンテカルロ・シミュレーション、ストレステスト、机上演習、ウォーゲーミング、リスク影響速度評価、ブラックスワン分析
     

ナレッジの移転

  • このグループの方法論は、新たなリスク環境における複雑な課題を理解し、適切に対応するために、近年重要性が高まっている学術分野の知見やベストプラクティスが取り込まれています。

  • 代表的な手法:グラフ解析、行動経済学、複雑性科学

以下の図が示すように、これらの方法論は一つのスペクトラム上に位置付けられます。リスクマネジメントのリーダーは、新たなリスク環境において価値が高まりつつある一方で、まだ十分に普及していない手法への投資機会を検討する必要があります。単に想定シナリオを文書として整理するのと、経営陣が机上演習やウォーゲームに参加して、刻々と展開する危機にリアルタイムでどう対応するかを実地で試し、対応力を磨くこととの間には、本質的な違いがあります。


重要なのは、どの手法を採用するか以上に、それをどう実装し、日々の意思決定に生かしているかです。リスク登録簿を、意思決定に直結する動的なツールとして業務に組み込み、常に更新・活用しているのか。それとも、四半期ごとに形式的に更新し、保管されるだけのコンプライアンス文書として扱っているのか。その違いこそが、リスクストラテジスト企業への分かれ道となります。

当社では、リスクマネジメント機能がビジネス側と足並みをそろえ、戦略の実行や成長を後押しする役割を果たすことが重要であると考えています
宇宙船の窓越しに地球を眺める民間の宇宙旅行者
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第3章

リスクストラテジストへの第一歩:リーダーが直ちに講じるべき5つの行動

リスクを戦略的に捉えるリーダーである「リスクストラテジスト」を育成し、リスクと経営戦略を整合させるためには、明確なビジョンの提示、企業文化の変革、そして行動を促すインセンティブが欠かせません。

リスクマネジメントの変革を一つの旅だと捉えるなら、どこから第一歩を踏み出せばよいのでしょうか。先の長い旅だとしても、今すぐ着手でき、短期的な効果が見込める取り組みはないのでしょうか。本章では、リーダーが今すぐ実行に移せる一連の行動を示すとともに、初期の取り組みを起点として、将来的にどのように本格的な変革へと発展・拡大させていけばよいのかについて考察します。

 

1. 将来像を明確にし、ロードマップづくりに着手する

まずはリーダー層を集め、企業として目指すべきリスクマネジメントの将来像を描くことから始めます。この将来像は、リスクマネジメント部門のリーダーだけでなく、他のシニアリーダーも交えて策定し、共通の責任のもとで推進していくことが重要です。リスクストラテジストとは、リスクマネジメント機能を経営戦略と整合させるだけでなく、戦略そのものをリスクの視点で磨き上げていく存在でもあります。

 

変革に関して洗い出したすべての問いに、最初から完璧な答えを出そうとする必要はありません。不確実性が常態化したNAVIワールドでは一定の曖昧さを受け入れることは十分に許容されます。それよりも重要なのは、スピード感と柔軟性をもって前進することです。変革を進める中では、より多くの情報が得られるまで判断を先送りすべきものもあれば、現時点で入手可能なデータをもとに意思決定し、進めながら適宜修正していくことが望ましいものもあります。

 

不確実性と変動性が高い環境でも前進する上で有効なのが、「後悔のない一手(no-regret moves)」を見極めることです。これは、将来がどのようなシナリオで展開しても有効性を保ちやすい投資や取り組みを指します。自社にとってのno-regret movesを洗い出し、優先順位を付けて実行に移してください。

 

不確実性の高い環境下で前進するためのもう一つの方法は、外部パートナーから成るエコシステムを戦略的に活用することです。この点について、EY Global Vice Chair, Managed ServicesのVivek Nijhonは次のように述べています。「変化が加速し、先行きの不透明感が増す環境において、外部パートナーは極めて重要な経営資産となり得ます。マネージドサービスプロバイダーやその他の外部パートナーと連携することで、不足するケイパビリティを補い、市場環境の急激な変化に迅速に対応し、投資を機動的に拡大することが可能になります。これまで以上に重要なのが、『自社で構築すべきか、外部から調達すべきか』を見極め、外部エコシステムの力を戦略的に活用することが、競争優位の源泉になります。」

 

2. リスクを価値創出の機会と捉える文化を醸成する

全社的にリスク文化を浸透させることは容易ではなく、一朝一夕に実現できるものではありません。それでも、今すぐ着手できる取り組みがあります。

 

まずはトップが率先して明確なメッセージを発信し、企業としての「リスク観」を示します。具体的には、リスク回避一辺倒から「賢明なリスクテイク」へ、またコンプライアンス偏重の発想から「リスクに関する意思決定を戦略的価値につなげる」発想へと、行動変容を促します。

 

リスクに関する洞察がより良いビジネス判断につながった事例を共有し、リスクを戦略的に捉えて行動した従業員を評価し、称賛します。また、不都合な真実の提起を歓迎し、結果として顕在化しなかった場合でも、新たなリスクを早期に察知した取り組みを評価します。多くのリスクストラテジスト(10社中7社)が指摘しているように、異論や逆張りの思考を奨励することが重要であり、従来のリスクの常識に疑問を投げかけ、新たなアプローチを提案できる心理的安全性の高い環境を提供してください。

 

シナリオ演習やストレステストに積極的に参加しましょう。時間を割き、実際に関与する姿勢を示すことで、こうした演習が企業の成長をけん引する上でいかに重要であるかを、言葉以上に雄弁に伝えることができます。

3. インセンティブと指標を戦略的に活用する

指標とインセンティブは、行動変容を促し、リスク文化を定着させる上で有効な手段です。短期的に実行でき、早ければ次の評価サイクルから効果が表れます。しかし実際には、全事業部門にわたって従業員の評価指標にリスク要素を組み込んでいる企業は、リスクトラディショナリストでは38%にとどまっており、リスクストラテジストの66%と大きな差があります。

新たなリスク手法を試行するための「イノベーション予算」を設け、従業員の試行錯誤や学習を正当に評価して奨励します。

インセンティブを活用して、リスクマネジメント機能をより革新的で戦略に沿ったものへと進化させます。リスク担当者の評価や報酬は、単なるリスク低減の成果だけでなく、事業の推進や価値創出への貢献度に基づいて決定します。

並行して、リスクに関する指標や考え方を、全社的な仕組みにどのように組み込んでいくかを検討します。この取り組みには、リスクマネジメント部門と事業部門の連携が不可欠です。例えば、各事業部門で用いられる業績評価指標に、リスクの観点を組み込むことなどが考えられます。

こうした変革を進めるには、リスクマネジメントが企業全体にもたらす価値を、具体的に示す必要があります。特に、新たなリスク環境への対応が求められる現在、その重要性はいっそう高まっています。具体的には、リスクの視点を既存の業務プロセスやダッシュボードに落とし込み、戦略的意思決定の中に組み込む必要があります。例えば、地政学的な不確実性が高まる中で新市場にいつ・どのように投資するか、あるいは技術革新が加速する中で新技術をいつ採用するかといった判断は、リスクを踏まえて行う必要があります。加えて、リスクが企業にもたらす価値を継続的に追跡・評価するための指標を整備することも求められます。

4. テクノロジー導入に向けて基盤を整備する

調査回答者の6割は、新興テクノロジーが自社のリスクマネジメントの進め方を根本的に変える可能性があると考えています。AIへの投資時期をどのように判断するにせよ、将来のビジョンには、AIを企業の戦略的リスクマネジメントを構成する中核要素として組み込む必要があります。

現時点でAIへの投資を行っていなくても、将来の導入を見据え、今からリスクマネジメントの実務や体制を整備しておくことが重要です。

まず、AIをどの領域で、どのように活用していくのかを検討することから始めます。その上で、リスクマネジメント向けのAIモデルやソフトウェアソリューションを洗い出し、機能や特性への理解を深めます。現時点では要件を満たさないと判断する場合には、必要な機能や価格水準を明確化し、条件が整った段階で迅速に導入できるよう、継続的に動向をモニタリングします。また、AI活用のビジョンは、漸進的な業務効率化にとどめるのではなく、AIがリスクマネジメントの重要な側面を抜本的に変革し得る可能性についても十分に考慮する必要があります。

AIは変化のスピードが速い領域です。将来、AIを迅速に導入し、活用を拡大していくためにも、今のうちから基盤を整えておくことが重要です。その一環として、データの棚卸しやクレンジングを進め、AI活用に耐え得るデータ環境を整備します。あわせて、必要となるスキルやケイパビリティの不足領域を特定し、育成・採用・外部活用などを通じて補完・強化しています。

5. 変革を成功に導く人材を見極め、戦略的に投資する

EY Global Risk Consulting Competency LeaderのSmriti Jainは次のように述べています。「AIには計り知れない可能性がありますが、リスクマネジメント変革の成否を左右するのは、結局のところ『人』です。リスクストラテジストは、適切な人材を見極め、評価し昇格につなげ、継続的なスキル向上を通じて変革を推進する力を最大限に引き出すこと、そして大きな変革の過程で従業員のニーズを先回りして捉え、応えていくことがこれまで以上に重要であるということを理解しています」

従来の資格やスキルにとらわれることなく、採用とアップスキリングを継続的に推進することで、リスク分野における人材プールを拡充していく必要があります。AIの活用から、前章で述べたNAVIワールドに対応する分析手法に至るまで、これから必要となる定量的・技術的スキルの基盤を段階的に強化していくことが重要です。あわせて、戦略的思考力を備えた人材に焦点を当てて採用を進めていくことも欠かせません。具体的には、リスクから得られる洞察を事業戦略へと結び付けることができ、探求心と変化への高い適応力を併せ持つ人材です。さらに、進化を続けるテクノロジーや関連するリスク領域について、従業員一人ひとりが主体的に学び続ける文化を醸成することが求められます。戦略コンサルタント、データサイエンティスト、シナリオプランナーなど、従来の枠組みにとらわれない多様なバックグラウンドを持つ人材の登用についても、積極的に検討していく必要があるでしょう。

適材適所で人材を配置できれば、変革は一気に加速します。目指すべきは「リスクの監視役」ではなく、事業部門とともに価値を生み出す「ビジネスパートナー」です。そのためには、リスク担当者が事業部門の発想や考え方を理解し、同じ目線で対話できるよう育成していく必要があります。あわせて、リスクマネジメント部門と事業部門の間で人材を循環させるローテーションプログラムも有効な施策の一つです。さらに、戦略的視点を持ち、社内で高い影響力を発揮できる人材(エバンジェリスト)を見いだし、組織全体の行動変革を促進するための要となるポジションに配置します。

そして最も重要な点として、変革における「人」の要素は、適切なスキルを持つ人材の採用や昇格といった人事施策だけで語れるものではありません。EYとオックスフォード大学サイード・ビジネススクールが共同で実施した調査では、変革の成否は「人的要因」にあることが明らかになっています5

変化が速く、不確実性の高い環境では、変革プログラムが軌道修正を迫られる重要な「転換点」が何度も訪れるものです。こうした局面で、リーダーが人を中心に据えた対応を取らないと、変革は大きく行き詰まりやすくなります。実際、人への配慮を欠いたまま進められた変革プログラムは、成果が期待を下回る確率が、人を重視した対応を取った場合と比べて約1.6倍に高まります。さらに、従業員が将来の変化に対して不安や恐れ、身構えた感情を抱く確率は3.4倍に高まります。

こうした調査結果からも、変革の推進には人を起点としたアプローチが重要であることが分かります。そのため、従業員の声に継続的に耳を傾け、懸念や不安の兆候を早い段階で捉えるためのセンシングと傾聴の仕組みを整備することが必要です。あわせて、率直で透明性の高いコミュニケーションを通じて不安を和らげ、企業として目指す変革のビジョンを明確に共有します。継続的な学習機会を提供し、役割と責任を明確にした上で、現場が主体的に判断できる適切な意思決定権を付与することで、従業員の自律性とエンゲージメントを高め、変革の実行力を高めていくことが重要です。

リスクストラテジストへの変革は、何よりも「人」を起点とする取り組みであり、従業員一人ひとりが当事者として参画してこそ実現できるものです。


本記事の執筆に当たっては、EY MENA Digital Risk LeaderのKawther Haciane、Ernst & Young LLP Risk Consulting Senior ManagerのKyle Lawless、Ernst & Young LLP Associate DirectorのAnnMarie Pino、EYGS LLP Associate DirectorのJoe Morecroft、Ernst & Young LLP Assistant DirectorのWilliam Reidの協力を得ました。


サマリー

リスクを取り巻く環境が大きく変化する中、企業はリスクマネジメントの在り方を抜本的に見直すことが求められています。戦略的にリスクを捉え、経営に組み込む「リスクストラテジスト」は、NAVI型のリスク環境において、レジリエンスと成長を両立しやすい立場にあります。一方で、変革を後押しするマインドセットや企業文化、インセンティブ、組織体制がもたらす好循環を生み出せていない企業は、従来型のリスクマネジメントから脱却することは容易ではありません。しかし、こうした変化の大きい局面は、同時に「やり直し」が利く好機でもあります。その機会を捉え、今すぐ着手できる具体的な行動を実行に移してリスクを再考し、リスクストラテジスト組織への変革を加速させることで、確信を持って未来を切り拓くことができます。

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