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今回訪れたのは、大阪・関西万博のシグネチャーパビリオン「いのちの未来館」(通称「石黒館」)。ロボット工学の第一人者・石黒浩氏との対話を通じて、最先端技術と交差する“いのち”の未来、そして万博開催に至った舞台裏に迫ります。
要点
石黒氏は、まるで人間そっくりに作られたロボット=アンドロイドの開発を通じて、「人間らしさ」や「生きているとはどういうことか」という本質的な問いに挑んでいる研究者です。「自分にそっくりなロボットを作ることで、人間とは何かが見えてくる」――30年以上にわたり、テクノロジーの力で“人間の輪郭”をあぶり出してきた石黒氏。
その研究は、見た目の再現にとどまらず、コミュニケーション、感情、意識といった人間の内面にまで踏み込み、世界的にも大きな注目を集めてきました。大阪・関西万博パビリオン「いのちの未来館」では、こうした研究の実験場として、人間とロボット、リアルとバーチャル、自己と他者の境界を揺さぶる展示を通じ、来場者一人ひとりに「あなたにとってのいのちとは何か?」という問いを投げかけています。
伝統的な工学技術の領域にとどまらず、「人間」や「いのち」という哲学的な問いに科学技術で挑む独自の立場を築いてきた石黒氏と、EYストラテジー・アンド・コンサルティング外部顧問の椎名茂氏が対話し、未来のテクノロジーと私たち自身の存在や生き方とはどうあるべきか探ります。未来を先取りする知の越境から、どのような示唆が得られるのでしょうか。思考の枠を拡げ、考えてみましょう。
かつての万博は、各国が最先端の技術を披露する“技術の見本市”のような場でした。しかし、今は時代が違います。まず技術の進化は非常に速く、半年もすれば陳腐化してしまう。だから、ただ技術製品を並べるだけではなく、「その技術を社会がどう受け入れ、どう使っていくか」、つまり“人間側の問題”にこそ焦点を当てるべきだと考えました。
未来を考えるというのは、科学技術に限定された話ではなく、人間がどう生きるかという課題に行き着きます。万博は、それを社会全体で考える場にできるはず。インターネットやスマートフォンの普及により、あらゆる情報が簡単に手に入るようになった現代、万博は単なる展示の場ではなく、「未来をどう創るかを考える場所」であるべきではないか――コロナ禍での試練を経て、リアルな体験とバーチャルな体験を組み合わせることで、より多くの人々が参加できる仕組みを取り入れるべきだという発想に至りました。
構想が始まったのは4年前にさかのぼります。最初に徹底的に考えたのは、「この場所で何を問いかけるべきか」という命題でした。展示の方向性が定まった後はブレることなく、アーティストや技術者と協力しながら具現化していきました。
「いのち」――このテーマは、単に医学的な生命ではなく、人間の意識、存在、未来とどう向き合うかという問いでもあります。展示の最後には、来場者自身がアンドロイドの一部になっていたと気づく仕掛けを入れて、「未来は与えられるものではなく、自ら選び、デザインするものだ」というメッセージを込めました。
実は大学に入る前、画家になりたいと思っていた時期もありました。芸術というのは、人間の感性や表現の根源を探る営みですよね。私にとってロボット研究も、本質的には同じ問いを扱っています。つまり、「人間とは何か」「私たちは何によって“人間らしい”と感じるのか」を突き詰める作業です。
実際、私はアンドロイドを役者として登場させる演劇作品を国内外で上演し、人間の役者と共演させる試みを続けています。演劇の中に出てくる“間”や“動作の意図”は、ロボットにも応用でき、そこに人間らしさが宿ると考えています。日常生活の中でよくある4~5人規模の会話は、1対1の場合と比べてAIやロボットの世界では解析や処理が難しいものです。しかし、演劇の中で成立する対話のプロセスや、演劇とロボットの共同研究における舞台表現から“インスピレーション“を得ることは多いです。
ここでいう“インスピレーション“とは、舞台の役者が生み出す微妙な視線のやり取りや、せりふとせりふの間に生まれる沈黙、感情を含んだ身ぶりなど、人間特有の非言語的なやり取りから得られる着想のことです。こうした要素は、プログラムやセンサーの制御では再現が難しいものですが、人間らしさの核心に迫る重要なヒントになります。芸術の現場は、研究室だけでは得られない、人間と機械の新しい関係性を検証する「実験場」でもあるのです。
もともとはコンピュータービジョン、つまりコンピューターに視覚情報を理解させる研究をしていました。最初は、画像処理を通じて「世界をどう知覚するか」を探っていました。次第に、知覚だけでなく「知覚する主体=身体を持った存在」に関心が移っていくと、AIの知能だけでは不十分で、知能・知覚を支える身体性が不可欠だと感じるようになりました。
そこから「体を持ち、知能を備えた存在」としてのロボットにたどり着きました。ロボット研究をし始めた当初、カメラで白線を追跡する盲導犬ロボットを研究開発していました。今の自動運転につながる技術です。
いずれにしろ、芸術と技術、どちらの側面も欠かせないという思いは、今も変わっていません。芸術とロボットは、人間の本質を探るという点でつながっています。
“記憶”は、情報として保存・蓄積できるもので、他者や機械に移し、継承することが可能です。画像やデータのように外部に保存でき、時間を超えて共有することもできます。それに対して、”意識”はどうか――“意識”の仕組みは、脳科学や心理学などの分野で研究されています。「自分の意識をロボットに移せるのではないか」と考えられることがありますが、これは非常に難しいテーマです。意識というのは、脳と身体がある特定の瞬間に作り出される一回限りの現象や体験で、保存や移植ができません。
したがって、ここでは「意識を引き継ぐ」とは言わず、「記憶を引き継ぐ」という表現にとどめています。記憶や行動パターンはデータとして継承できますが、本人の意識そのものに再現性はありません。人間の死後、ロボットやアバターに記憶は残せても、その人の意識は継承できないのです。
その鍵は、外見や振る舞いの再現性にあります。人間らしさというのは、必ずしも意識そのものに宿るわけではありません。私たちは、相手の声色や話し方、間の取り方、ちょっとした身ぶりや表情から「この人らしさ」を感じ取っています。つまり、人間の意識そのものを移すことはできなくても、「その人らしい振る舞い」や「感情の表れ方」を忠実に再現することが可能です。ロボットも、こうした非言語的な要素や行動パターンを学び、人間らしさを習得できるようになるでしょう。
大規模言語モデル(LLM)や感情推定技術などの進化により、ロボットの言葉や動作は飛躍的に人間に近づいています。人は相手の表情や声色、しぐさから感情を読み取ります。それと同じように、ロボットも人間らしい振る舞いを獲得していく――センサーやモーターの精度も向上し、細やかな視線の動きや自然な姿勢の変化といった“身体表現”も可能になります。将来的には、人とロボットが感情を共有し、信頼関係を築くことも十分に考えられます。
ここでお伝えしたいのは、そうした未来が遠い話ではなく、すでに始まりつつあるという事実です。技術の問いにとどまらず、そこに関わる私たち人間がどう向き合うか、また社会にどう受け入れていくか――私たち自身の姿勢が問われています。
人間がテクノロジーを手に入れ、すでに「進化」しているということを示しています。義足や義手は、単なる補助装置ではなく、今や人間の身体の延長として自然に受け入れられる存在になっています。メガネ、補聴器、スマートフォン(スマホ)も同様で、私たちは常にテクノロジーと融合し、身体機能を拡張させながら生きています。
人間がスマホを持つことは、記憶や知覚・認知、さらには意思決定能力を拡張していることに等しいのです。具体的には、物理的な距離や時間を超えて他人とコミュニケーションを取り、画像・動画・音声の記憶装置を持つことができ、GPSや地図で「空間認識能力」を強化できます。つまり、スマホが単なる道具ではなく、脳や感覚器官の外部拡張の存在として捉えることができます。
さらには、義足を使うことで健常者以上の身体能力を発揮する人もいます。つまり、私たちはすでに機械とともに“身体性が拡張される”存在になっています。こうした姿が特別なものではなく「日常の延長線上」にある未来として描きました。
まさにそこが本質です。私たちが“身体”や“人間らしさ”と呼んでいるものの定義は、技術の進歩とともに揺らぎ始めています。千年後には、空中を浮遊するような身体を選ぶことも可能になるかもしれません。そのとき、私たちは何をもって“人間”と呼ぶのか、という問いが生まれるでしょう。
機械との融合が進むこの時代に、「人間とはどこまで人間なのか」を問う。それが、万博での私の展示の出発点でもあったのです。ロボット技術の進化は、単なる利便性の追求ではありません。むしろ、人間の本質に向き合うための哲学的な鏡でもあるのです。
そう思います。人間の身体が部分的に機械化され、ロボットが人間らしくなる。そうなると「人間とは何か」という問いがより重要になります。私は、究極的には“多様性”を受け入れる社会が必要だと考えています。
例えば、私たちが開発してきたアンドロイドは、見た目も話し方も人間そっくりです。ですが、その外見を見たときに、人がどう反応するか――それが社会の多様性のバロメーターになります。アバターやアンドロイドが日常に存在する未来社会では、性別、年齢、国籍、そして「実体の有無」といった境界すら意味をなさなくなっていくでしょう。
そうした未来像は、万博での展示にも反映させています。私たちが担当する「いのちを拡げる」パビリオンは、人間の「存在のあり方」そのものを問い直すような体験場として設計しています。アバターを通して自分以外の存在になる、あるいはアンドロイドに自己を投影して会話する――これらの体験を通して、「本当の自分とは何か」「他者とどうつながるのか」といった根源的な問いを来場者に投げかけています。
人口減少が進む日本のような国々では、案内やサービスの分野でロボットやアバターが活躍するようになります。パビリオンの展示でも、そのような未来を体現しています。簡単な仕事は自動化され、人間はより創造的な活動に集中できるようになります。つまり、テクノロジーによって社会の構造そのものを再設計できるわけです。人間の生き方や働き方にも影響を与えるでしょう。
例えば、遠隔からでも操作できるアバターを使えば、場所・年齢・身体などの制約に縛られず、接客や教育、文化活動などに参加できます。つまり、誰もが社会に参加するためのツールを手に入れることができるのです。テクノロジーを取り入れることで、仕事や人とのつながりを“諦めなくていい社会”が実現できるでしょう。
人間はテクノロジーを得たことで、物理的な制約から解き放たれ、より自由に「どんな姿で」「どこで」「どのように」生きるかを選べる存在になっていくのです。これから50年後の未来、人類の機能がさらに拡張し、人間が身体の形を自由に変えられるようになり、AIなどに脳が置き換えられ、新たな人類が誕生するでしょう。
未来は、誰かに与えられるものではありません。自分たちで考え、選び取り、デザインしていくものです。テクノロジーはそのための道具にすぎません。人間がどのような社会を望むのか――その未来像と本気で向き合いながら、ロボットやアバターの存在を社会に組み込んでいく。
その責任は、研究者だけでなく、一人ひとりにあります。だからこそ、「絶対に人間社会から捨てられないようなロボット」を制作し、それらが自然に受け入れられる未来社会を目指しています。
「未来を自ら選び、デザインする」――自分たちで選び、創っていく未来を一人ひとりが考えてほしい。石黒氏からのメッセージが、パビリオンの終盤で千年後の未来像を体感する来場者に問いかけます。
※本記事は、一般のビジネスパーソンにもわかりやすく「人間とロボットが共存する未来社会の姿」を伝えることを目的とした特設対談企画です。
人間はテクノロジーによって進化し続け、ロボットと共存する未来社会に向けて、自らどう生きるか判断し責任を持たなければなりません。
第1回 理化学研究所 砂川玄志郎氏に聞く「眠り」の最前線とは?
冬眠という生理現象から、医療の技術革新、AI活用による研究の加速、そして人間の可能性に迫ります。
第2回 インフォステラ代表 倉原直美氏に聞く「宇宙インフラ」の未来とは?
発想が宇宙通信を進化させる。 “地上局のシェアリング”で人工衛星の可能性が広がります。
第3回 Shizen Connect(シゼンコネクト)松村宗和氏に聞く「分散型エネルギーと仮想発電所(VPP)」の未来とは?
仮想発電所など、日本発の分散型エネルギー技術による次世代インフラの未来について語ります。
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