連載「TISFDと日本企業」 第3回 TISFDが照らす「人 × 企業価値」の新時代―― 持続的成長ストーリーをいかに競争戦略につなげるか

ASEANで人権関連規制が広がる理由:
インドネシアの人権デューデリジェンス(DD)義務化の動きから読み解く規制動向と企業への影響

欧米の強制労働規制の強化やOECD加盟への対応を背景に、ASEAN各国で企業の人権尊重に関連する規制の制定が進んでいます。本稿では、インドネシアの人権DDガイドラインを例に、ASEANにおける人権DD制度化の潮流と日系企業への影響を解説します。

要点

  • ASEANでは、輸出競争力や市場アクセス確保、国際規範との整合性確保の観点から人権対応規制の整備が進んでいます。
  • インドネシアは人権DD義務化に向けた制度整備を進めており、2026年7月に人権DDガイドラインを公表しました。
  • ASEANの日系企業が現地規制に対応するうえでも、国際規範に基づいた人権DD体制の整備が重要と考えられます。

共同執筆者

EYシンガポール 気候変動・サステナビリティ・サービス(CCaSS)マネージャー 篠原 祥子
2021年にEY新日本有限責任監査法人に入社。入社前は国際機関にてアジアにおける責任あるサプライチェーンに関するプロジェクトに従事。その後、EYで人権・サプライチェーンサービスを専門として多数の顧客を支援。2026年よりEYシンガポールに出向中。

EYインドネシア 気候変動・サステナビリティ・サービス(CCaSS)アソシエイトパートナー Jenny Hadikusuma
責任ある企業活動、人材・組織変革、リスクマネジメント、組織変革等の領域で多業界・多分野にわたる経験を積むとともに、サステナビリティ分野での起業に携わった後、2026年にEYインドネシアに入社。

1. ASEANで人権関連規制が進む背景

ASEAN各国ではここ数年、企業による人権尊重の促進や、強制労働により生産された物品の輸入を禁止する制度の整備が進められており、その背景には主に2つの要因があります。米国やEUが強制労働等の人権侵害の禁止に関連する規制を策定しており、欧米市場へのアクセスを確保する必要があることと、インドネシアやタイがOECD加盟協議を進めており、OECD基準との整合を進める中で人権関連制度の整備が重要性を増していることです。

実際に、2020年には、マレーシアのパーム油大手2社を対象として、強制労働の疑いに基づく米国税関・国境警備局の輸入差止め措置が相次いで発出され、人権問題が市場アクセスに影響するリスクが顕在化しました。2026年には、米国が、強制労働により生産された物品の輸入禁止制度とその執行状況を対象として通商法301条に基づく措置を講じており、ASEAN各国で、輸入禁止制度の導入や制度設計が相次いで進められています(表1)。企業が人権に関する取組みを進めるための制度を整備することは、ASEAN各国の政策課題になりつつあるといえます。

表1:ASEANの主な国における強制労働物品輸入禁止に関する規制動向
 

国日付ステータス(2026年9月9日時点)
インドネシア2026/4/15施行済(Permendag No. 9 Tahun 2026)
カンボジア2026/7/1施行済(Interministerial Prakas No. 450)
フィリピン2026/7/23省庁間行政命令で手続制定(Joint Administrative Order No. 26-01)
ベトナム2026/9/5施行済(Decree No. 292/2026/ND-CP)
タイ-制度設計中(強制労働リスク輸入品を対象とした基準設定委員会設置を承認)
マレーシア-制度設計中(強制労働品輸入禁止制度を検討する省庁間タスクフォース設置

2. 人権DD義務化に向けたインドネシアの動きと人権DDガイドライン公表

ASEANで特に具体的な制度化を進めているのがインドネシアです。OECD理事会は2024年2月20日に同国との加盟協議開始を決定しており、同国政府がOECD基準との整合を図る加盟プロセスの中で、責任ある企業行動や人権尊重に関する制度整備も重要性を増しています。インドネシア政府は、2026年8月時点で人権DDを義務付ける大統領規則案を策定中で、2028年までの義務化を目指しています。人権DDとは、企業が事業活動における人権への負の影響を特定・評価し、防止・軽減するとともに、対応状況を追跡・説明し、必要に応じて是正する継続的プロセスを指します。国際労働機関(ILO)の2026年3月の論考によると、構想としては、従業員数2,000人超の企業、輸出企業とそのサプライチェーン、特定の高リスクセクターを対象とすることが想定されています。ただし、最終的な適用対象や要件は、今後公表される大統領規則の内容を確認する必要があります。

大統領規則草案の公表に先立ち、2026年7月26日、インドネシア人権省は人権DDガイドラインを公表しました。このガイドラインが示す特徴のうち、今後、他のASEAN諸国が人権DD制度を検討する際にも参考となり得るのは以下の3点です。

①国際規範に基づくアプローチ:ビジネスと人権に関する国連指導原則(国連指導原則)や責任ある企業行動に関するOECDデュー・ディリジェンス・ガイダンス(OECDガイダンス)といった国際規範に基づいたアプローチであること

②人々への負の影響に基づく優先順位付け:企業にとっての事業上のリスクではなく、人々への負の影響の深刻度を中心に、必要に応じて発生可能性も考慮し、取組みの優先順位を決定すること

③法令遵守にとどまらない幅広い人権課題:国際規範と各国特有のリスク事情も考慮して、単なる法令遵守ではなく幅広い人権課題を対象とすること

同ガイドラインは国連指導原則とOECDガイダンスに基づいて作成されたことを明示しており、人権DDの方法として、OECDガイダンスの6段階のデューデリジェンスのプロセスを示しています(上記①)。また、OECDガイダンスと同様、リスクベースのアプローチを採用しており、すなわち企業が人権に関する対応の優先順位を決定するうえでは、人権への負の影響の深刻度を主な要素としつつ、発生可能性も考慮して、最も深刻な影響から優先的に取り組むという考え方を示しています。ここでのリスクとは企業の事業上のリスクではなく、人々の人権への負の影響を指すことに留意が必要です(上記②)。そして、労働に関する法令遵守にとどまらず、インドネシア固有のリスク事情も踏まえたうえで、国際規範の考え方に則って幅広い人権課題を取り上げています(上記③)(表2)

表2:インドネシアの人権DDガイドラインが示す13の人権課題
 

A. 労働に関する権利(強制労働禁止等)主に強制労働およびそれに関連する労働搾取を取り扱っており、威圧・強要、欺瞞(ぎまん)的な採用・募集、職場における暴力等が含まれます。
B. 児童・脆弱(ぜいじゃく)な立場の人々児童労働の禁止のほか、健康や安全を含むより広い子どもの権利も含まれています。
C. 労働環境・労働安全衛生労働災害や業務関連疾病の防止を取り上げています。
D. 結社の自由・団体交渉権ILOの第87号条約と第98号条約に言及しながら、結社の自由と団体交渉権の尊重を求めています。
E. サプライチェーン・調達取引先の事業活動により生じる人権への負の影響についても防止・軽減・是正に取り組むことを求めています。
F. データ保護・プライバシー個人データ保護とプライバシーに加えて、国連教育科学文化機関(UNESCO)の勧告を参照してAI倫理原則に沿った人権尊重を求めています。
G. 差別の禁止先住民族、女性、国民的・民族的少数者、宗教的・言語的少数者、子ども、障がい者、移住労働者等に言及しながら、差別禁止を求めています。
H. ジェンダー平等・ジェンダー関連リスクジェンダー平等、ジェンダーに基づく暴力の防止、ジェンダーに配慮した救済措置を含め、人権DDの全過程でジェンダーの視点を組み込むことを求めています。
I. 環境・気候変動人権侵害につながる可能性のある環境影響への責任や気候変動による影響を受ける人々の権利が含まれています。
J. 腐敗・贈収賄防止腐敗や贈収賄を人権リスクとして捉え、それらを特定し、防止し、対処することを求めています。
K. 土地への権利・先住民族FPIC(自由意思による事前の十分な情報に基づく同意)を含め、土地への権利と先住民族の権利尊重を求めています。
L. セキュリティ安全と人権に関する自主原則(VPSHR)を参照し、警備・治安要員による人権侵害の防止を求めています。
M. 苦情処理・救済メカニズム実効的な苦情処理メカニズムを整備するとともに、救済を提供し、または救済に協力することを求めています。

3. ASEANで事業を行う日系企業に求められる対応

今後公表される人権DD義務化に関するインドネシアの大統領規則案で、どのような要件が盛り込まれるかは動向を注視する必要がありますが、草案策定中の段階で国連やOECD等の国際規範に則った人権DDガイドラインが公表されたことは、本格的な人権DDの制度導入を目指すインドネシア政府の姿勢を示しているものと考えられます。現在、従業員2,000名超、輸出企業とそのサプライチェーン、高リスクセクターが対象として検討されているという情報が報じられており、最終的な適用範囲がこれらの基準に沿って定められた場合、該当するインドネシアの日系企業も対象となる可能性があります。具体的な要件が明らかになってから比較的短期間で準備を進める必要が生じることも想定されるため、あらかじめ以下のような取組みを開始しておくことが推奨されます。

まず、親会社でグループとしての人権DDを実施しているかどうか、実施している場合にはインドネシア拠点もその対象に含まれているか、海外取引先も確認しているかといった親会社との確認を行うことが重要です。もし親会社が人権DDを実施していない場合には、インドネシア側で法令対応のための体制を一から整備することが必要となる可能性があり、早期に対応を開始することを推奨します。また、親会社で何らかの活動を実施している場合にも、その方法が国連やOECD等の国際規範に沿ったアプローチであるかどうかの確認が必要です。そのうえで、親会社の文書や情報を活用しつつ、インドネシア側での規制対応の観点で、本稿で紹介したような人権DDガイドラインの内容も参考にしながら、人権に関する取組み・情報の有無、担当者の有無、文書化の有無等、現状の整理と体制の検討を行い、規制の詳細が明らかになった後には具体的な対応計画を策定・実施することが推奨されます。

タイではインドネシアと同様にOECD加盟協議を開始しているほか、マレーシアも移住労働者の保護強化や強制労働対策に関する制度整備を進めており、今後、インドネシア以外のASEAN諸国でも、人権・労働リスクに関する企業への要請や市場アクセス上の要件が拡大する可能性があります。OECD等の国際規範ベースで取組みを進めるためには、自社の製造拠点の状況のみならず、サプライチェーンや委託先も含めた人権への負の影響の確認が必要になり、短期間での対応は難しいことも想定されます。新規取引開始時、契約更新時または投融資判断時のプロセスに人権への負の影響の特定・評価を組み込む等の対策を講じながら、問題の未然防止や、問題発生後の対応負担の軽減に取り組むことが有効と考えられます。

4. EYにできること

EYでは、人権DDに関する国際的なルール形成や企業実務に知見を有する専門家と、インドネシアを含むASEAN各国の現地事情に精通したプロフェッショナルが連携し、人権DD体制の構築・運用を支援しています。多様な業界での支援経験を踏まえ、規制動向の分析、現状評価、方針・手続の整備、サプライチェーン管理、救済メカニズムの構築支援等、企業の状況に応じた実務的な助言を提供します。

サマリー

ASEAN各国では米国・EU規制対応や国際規範との整合を背景に、人権対応の制度化が進み始めています。インドネシアは人権DD義務化を準備しており、各国で同様の動きが広がる可能性があります。ASEANの日系企業も国際規範に沿って人権DD対応を進めることが重要です。


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