EYとは、アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドのグローバルネットワークであり、単体、もしくは複数のメンバーファームを指し、各メンバーファームは法的に独立した組織です。アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドは、英国の保証有限責任会社であり、顧客サービスは提供していません。
EY弁護士法人 弁護士 中島 康平
弁護士・ニューヨーク州弁護士。2018年1月、EY弁護士法人に入所。入所前は国内外の法律事務所及び公正取引委員会事務総局において主に独占禁止法・競争法関連の業務に従事していた。
本稿では、標準必須特許のライセンスに関する裁判例や各国の取り組みを紹介します。公的な機関や事業者団体において製品・サービスについて標準となる規格を策定し、その普及を目指す活動は、とりわけ情報通信分野において顕著に行われてきました。標準規格には多数の特許技術が含まれますので、標準化団体では標準規格を普及させるために、規格の策定に参加する事業者に対し、標準規格の実施に当たり必須と考える特許等(以下、標準必須特許)についてFRAND条件※1でライセンスをする用意がある旨の宣言を求めるのが一般的です。FRAND宣言を行った標準必須特許については、FRAND条件でライセンスをする義務があることになりますが、何が正当なライセンス交渉に該当し、何がFRAND条件違反に該当するかの分水嶺(れい)は必ずしも明確ではなく、これまで、FRAND条件の内容や差止の可否を巡って特許権者と実施者との間で激しく争われてきました。
一方で、ここ数年、スマートフォンやパソコンだけでなく、コネクテッドカーやスマート工場など、多様かつ多数の機器がインターネットに接続されるIoT(Internet of Things)の急激な進展により、異業種の事業者も情報通信分野における標準規格を利用する必要が生じており、新たな標準必須特許に関する紛争を生む可能性があります。
標準必須特許のライセンスに関しては、数多くの特許権者が関与するため、個々のロイヤルティを積み重ねると、当該標準規格に関する事業活動を阻害するほど多額になってしまうという問題があります(ロイヤルティ・スタッキング問題)。また、標準規格が策定され、実施者が当該標準規格に関連する投資をした後には、差止請求により実施者が操業停止に追い込まれることを利用して特許権者が高額のロイヤルティを要求する恐れがあります(ホールドアップ問題)。また、ホールドアップ行為が予想される場合、実施者がそのリスクを避けるために関連する投資を行わず、標準規格の利用・普及が実現されない恐れもあります。
これらの回避を目的として標準化団体は特許権者にFRAND宣言を求めますが、何が正当なライセンス交渉に該当し、何がFRAND条件違反に該当するかを明確にすることは容易ではなく、また、不遵守の場合の取扱いが明確でないことから、世界各地で訴訟が提起されました。
日本では、知財高裁が2014年5月にFRAND条件によるライセンスを受ける意思を有する実施者に対する標準必須特許の特許権者による差止請求権の行使は権利の濫用に該当すると判断しました※2。他方で、実施者が誠実にライセンス交渉せず、特許技術の標準規格への貢献に比べて過小なロイヤルティしか受け取れない問題(リバース・ホールドアップ問題又はホールドアウト問題)への対処として、実施者が誠実にライセンス交渉をしない場合には差止請求権を行使することが特許権者の正当な利益を保護するために必要であると思われます。知財高裁も、実施者にFRAND条件によるライセンスを受ける意思を有する者であることの主張立証を求めており、FRAND条件によるライセンスを受ける意思を有していないような場合には差止請求を認めることを明らかにしています。
また、FRAND条件でのライセンス料相当額の算定については、①標準規格が製品売上高に貢献している部分の割合×②当該特許が貢献した部分の割合によって算定することとし、ロイヤルティ・スタッキングへの対応及び他の標準必須特許の具体的内容が明らかでないことから、当該事案において②については累積ロイヤルティの上限÷標準必須特許数と計算されました。
知財高裁の判断は、標準必須特許を巡る国際的な考え方にも沿うものと評価されています。標準必須特許の差止請求については、欧州司法裁判所が15年7月に競争法の観点から同様の考え方を示しています。すなわち、訴え提起前に特許及び侵害態様を特定して警告を行い、ライセンスを受ける意思を表明した実施者に、ライセンス料及び算定根拠を含むライセンス条件を具体的に書面で提示している場合において、商慣習に照らし誠実に対応しなかった実施者に対し差止請求を行うことは市場支配的地位の濫用には該当しないと判断しています※3。また、米国でも、差止請求は自動的に認容されるわけではなく、金銭賠償等では救済が不十分であること等の要件を充足する必要がありますし、また、ロイヤルティ・スタッキングを考慮したFRAND条件のロイヤリティの算定に関する判例も出されています。
最近になって、これまでの議論を踏まえた標準必須特許の取扱いに関する考え方が各国の関連当局により示されています。欧州委員会は、17年11月に「Setting out the EU approach to Standard Essential Patents」を公表しています。その中で、欧州委員会は、FRAND条件を一義的に定義することはできないが、①FRAND条件の決定に当たっては、特許技術の現在の付加価値を考慮すべきであること、②ロイヤルティ・スタッキングを回避するために、標準規格の合理的なライセンス料の累積額を考慮すべきであること、③同様の状況にある実施者を差別することはできないこと、④世界的に展開される製品については、全世界を対象とするライセンスが効率的であり、かつ、FRAND条件にも合致し得ることを指摘しています。また、欧州委員会は、特にIoT分野におけるライセンスの実務を注視していくことを表明しています。
日本でも同様に、特許庁が18年6月に「標準必須特許のライセンス交渉に関する手引き」を公表し、前記欧州司法裁判所の枠組みを前提としたライセンス交渉の各段階における留意点等を整理しています。
これからのIoT時代には、情報通信技術に関連する企業だけではなく幅広い企業が標準必須特許のライセンス交渉に関与することになり、最終製品も通信機器だけではなく自動車など多種多様な製品が含まれることになるなど、これまで以上に標準必須特許のラインセンスは複雑化しライセンス交渉が難しくなることが予想されます。FRAND条件に適合しているか等を巡って新たな当事者を巻き込む形で、情報通信分野における紛争はこれからも続いていくことになると思われます。今後も、この分野に関する国内外の裁判例、競争当局の判断、ライセンス実務の動向等を注視していくことが求められます。
※1 公正、妥当かつ無差別な(fair, reasonable and non-discriminatory)条件をいう。
※2 http://www.ip.courts.go.jp/vcms_lf/H25ra10007_zen2.pdf
※3 Curia: JUDGMENT OF THE COURT (Fifth Chamber), 16 July 2015