EYとは、アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドのグローバルネットワークであり、単体、もしくは複数のメンバーファームを指し、各メンバーファームは法的に独立した組織です。アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドは、英国の保証有限責任会社であり、顧客サービスは提供していません。
要点
改正における主な論点について複数回にわたり解説を行います。
今回は第4回として「ECLの将来予測モデルの構築方法とその考え方」について、現行日本基準との差異や改正日本基準での取り扱いの方向性、将来予測及びグルーピングの必要性、実務上の影響について解説します。
(文中の意見にわたる部分は筆者らの私見であることをあらかじめ申し添えます)
金融商品会計基準の改正におけるステップ2を選択した場合でも、ステップ4を選択した場合でも、将来予測情報の考慮が必要になります。現在及び将来の経済状況を予測して、この予測に基づいて予想信用損失の測定を行うことが改正日本基準では要求されます。
現行日本基準のもとでは、多くの金融機関において2019年に廃止された金融検査マニュアルに定められた貸倒引当金の算出手法が広く取り入れられており、典型的には正常先と要注意先(要管理先を除く)は1年間の貸倒実績率を3年分ならびに要管理先と破綻懸念先も3年分、それぞれ平均化してこれを将来の推計値と見なすことが一般的です。
また、バーゼル規制においても将来予測情報の考慮は求められていません。内部格付制度を構築する金融機関は年々増加していますが、このような金融機関の内部ではPD(Probability of Default)、LGD(Loss Given Default)、CCF(Credit Conversion Factor)などのパラメータ推計が実施され、リスクアセットの計測、ひいてはバーゼル規制における自己資本比率の計測に役立てています。しかし、パラメータは原則的には過去の景気循環を含んだ長期平均が基本とされており、これに保守的調整を加えたものが推計値となっています。したがって、バーゼル規制向けに推計されたパラメータには将来予測情報の考慮は含まれていないと言えます。
このように、わが国の多くの金融機関にとっては、信用リスクの見積もりにおいて、この金融商品会計基準の改正を契機に、将来予測情報の考慮を行うことが求められます。もっとも、信用ストレス・テストでは、蓋然(がいぜん)性の高い将来の景気の悪化シナリオに基づいた信用リスク量の計測を行っているため、見方によってはマクロ経済変数などのシナリオ設定値に基づいた将来予測情報の考慮を行っているとも考えられますが、この場合であっても平常時を含んだストレス時以外の将来予測の考慮は信用リスク計測の上で今までも経験が無かったと言えます。
グルーピングの議論に先立って、この第4回の掲載で最も重要な論点を紹介します。それはPDなどのパラメータの観測期間におけるTTCとPITの概念の定義です。リスク管理や自己資本の充実度評価においては、TTC的な概念が通常用いられている一方で、IFRS第9号「金融商品」などの財務会計においてはPIT的な概念が通常用いられています。
TTCとはその名のとおり、景気サイクルを通じて安定的なパラメータを求めるという考え方です。景気の良い時であっても景気の悪い時であっても、安定的なパラメータを設定でき、しばしば保守的な調整を伴って、安定的な与信審査の実現や自己資本比率の計測を可能にしています。仮に、景気の変動によってパラメータが変動してしまうと、与信審査において景気の良い時に低いPDとして評価した案件が後に景気の悪い時にはPDが高くなってしまい、諾否判断や金利決定など審査の整合性が保てなくなります。また、特にバーゼル規制における自己資本比率の評価では、景気の悪い時にPDが増加してしまうと金融機関のリスクアセットも増加し、結果として自己資本比率が低下します。これにより金融機関が与信行動を控えることに繋がり、さらなる景気悪化を招くことから債務者に紐づくPDがさらに増加する、というプロシクリカリティと呼ばれる現象を引き起こすことが危惧されます。このような不都合をあらかじめ防ぐためにも与信審査、リスク管理及び自己資本の評価にはTTCの考え方が採用されていると理解することが出来ます。
一方で、PITという概念のもとでは景気の良い時は良いなりに、悪い時は悪いなりにパラメータを推計することになります。仮に、足元から将来1年、2年程度の景気が良い方向に向かうのであればPDは減少するよう推計され、逆に景気が悪い方向に向かうのであればPDは増加するよう推計されることになります。この点がTTCのパラメータとは大きく異なっており、与信ポートフォリオにおける与信コストをより時価に近い形で表現することを実現しようとしています。
IFRS第9号や米国会計基準におけるCECL(Current Expected Credit Loss)などの財務会計においては、PIT的な概念を前提としていることは共通しており、現在の状況及び将来の経済状況の予測に基づいた予想信用損失の見積もりを行うことを求めています。
金融機関における典型的な内部格付制度においては、複数の債務者に対して同じ格付であれば同じPDを適用することとなっています。これは、内部格付制度がTTC的な考え方のもと、景気の循環を通じて同じ格付であればリスクが均質になるように設計されているためであり、バーゼル規制における内部格付手法においてもこの考え方が基本となっています。したがって、内部格付制度においては、PDは格付毎に付与されており、例えば業種別、地域別、規模別といったグループに分けて格付毎のPDを調整することは典型的には行われていません。
しかしながら、PIT的な立場をとる財務会計のもとでは同じ格付であっても必ずしもリスクが均質とは限りません。景気の良い時は良いなりにPDは減少し景気の悪い時は悪いなりにPDは増加しますが、業種によって、または企業規模によってその変動の有無や幅は異なることが考えられ、さらには地域が違えばそもそも同じ方向に景気が変化するとも限らないからです。
IFRS第9号のB5.5.5では、金融商品の種類、信用格付、担保の種類、当初認識の日、満期までの残存期間、業種、借手の所在地などがグループの一例として示されています。さらに、グルーピングに当たっては、「共通の信用リスク特性」に基づくこととされており、異なる信用リスク特性をもつ債務者の集合を混在させることは正しいグルーピングとは言えません。この共通の信用リスク特性とは、例えば、同じような経済状況下に対してデフォルトが増加(または減少)するなどが考えられます。
欧州及び米州などの海外金融機関における典型的なグルーピングとしては、業種を10~20程度に細分化した例が見られますが、これは与信審査ラインが業種毎に細かく分かれていることが主な理由と考えられます。わが国では与信審査ラインが必ずしも業種毎に区分されていないことを鑑みると、典型的には欧米の金融機関ほど業種を細分化したグルーピングとはならないことが予想されます。
予想信用損失はステージ1については12か月分を、ステージ2については全期間分を推計しなければなりません。これはステップ2及びステップ4の選択を問わず同じ要件となることが現時点では見込まれています。12か月分の予想信用損失の見積もりには、典型的には1年のPDを適用し、全期間分の予想信用損失の見積もりには全期間に対応するPDを推計し、適用することとなります。
1年PDの推計に当たっては、過去データにおける1年間観測した実績のデフォルト率を基本とすることができるため、推計の難易度はそれほど高くありません。一方で、全期間のPDの推計は1年を超えて、引当対象資産の予想される残存期間までの計算が必要になりますが、これはいくつかの点で難易度が高いと言えます。まず1つ目は仮に全期間が30年と見積もられた場合、長期のデフォルト実績データが金融機関の内部管理上、必ずしも整備されているわけでは無い点です。次に2つ目としては、仮に長期のデフォルト実績データが十分にあったとしても、例えば30年も前の債務者のリスク特性が、現在取引している債務者のリスク特性と同じとは限らないため、観測に基づいたデフォルト率をベースとして将来を見積もることも難しい点です。3つ目としてはステージ2に当てはまる債権のうち、基準日時点の満期は多種多様であり、これらすべての満期に対してPDを推計する必要がある点です。したがって、2年を超えるPDの推計には実績ベースの長期デフォルト率を用いることはあまり事例がありません。
金融機関では、典型的には格付遷移行列による遷移確率をベースにして長期PDの推計を行っています。ひとくちに遷移確率といっても様々なアプローチがありますが、一例としては下図のような推計方法が考えられます。
まず、長期のデフォルト実績データを用いて格付遷移行列を準備します。縦軸を期初の格付とし横軸を期末の格付とした集計データを対象とした年数分を作成します。この格付遷移行列における遷移数を用いて、どの程度の割合で遷移したかを表す遷移確率を計算します。これにより、債務者の絶対数が変化しても、割合の単純な比較や集計が可能となります。さらに、この遷移確率の長期平均値を求めると、ひとつの1年分の格付遷移確率を得ることが出来ます。この長期平均化した1年分の格付遷移確率は、景気の良い時も悪い時も含まれているTTC的な意味のあるものと言えます。もし、デフォルト率を含む遷移確率に逆転現象(高格付のデフォルト率が低格付のデフォルト率より高い等)があれば、適宜補正することも考えられます。
全期間PDは、この長期平均化した1年の格付遷移確率を用いて算出することができます。1年分の行列の掛け算により、2年分の遷移確率を得ることができ、2年分の遷移確率にさらに1年分の遷移確率を掛け算すると3年分の遷移確率を得ることができます。これにより、必要な年数分(例えば30年分)のPD算出が可能になります。
一方で、先ほど財務会計ではTTCではなくてPIT的な概念が前提となると述べました。したがって財務会計上、長期平均化した1年の格付遷移確率のみから算出された全期間PDは適切なPDとは言えません。PITの要素を加えるために景気予測情報の考慮を行う必要があります。上記の図中ではΔCCIと記している部分がこれにあたります。ΔCCIをどのように推計するのかは、ここでは割愛しますが、概念としては景気の良い時は格付遷移全体を良い方向に調整し、景気の悪い時は格付遷移全体を悪い方向に調整するシフト幅とも呼ばれる要素となっています。
このようにして、ステージ2に対する全期間PDは推計することが可能となり、前述したグルーピングがある場合には、グループ毎に将来シナリオや参照する経済指標が異なるため、グループ毎に推計されることとなります。なお、PD以外の主要なパラメータであるLGDは期間構造を織り込むことが難しいこともあり、12か月の予想信用損失でも全期間の予想信用損失でも同じグループであれば同じ値を用いることが典型的となっていると認識しています。
ステップ2を選択した場合はIFRS第9号と同じく、複数シナリオを用いた上で、それぞれのシナリオに従って算出された予想信用損失額を確率加重することが求められる見込みです。なお、ステップ4を選択した場合は必ずしも複数シナリオを準備する必要は無く、最も発生可能性の高いと考えられるベースライン・シナリオのみを考慮することが提案されています。
複数シナリオとは、典型的にはベースラインと、アップサイド及びダウンサイドを合わせた3つのシナリオが考えられます。ベースライン・シナリオを中心として、これよりも楽観的なシナリオをアップサイド・シナリオ、また悲観的なダウンサイド・シナリオと呼ぶことが典型的となっています。
シナリオが1つの場合と2つ以上の場合とで、決定的な違いがあるとすればそれは発生確率の算出の必要性といえます。ベースライン・シナリオのみであれば、発生確率100%が前提となるため、特段の発生確率の算出の必要はありませんが、複数シナリオを用いる場合、各シナリオの発生確率を設定する必要性が生じます。シナリオは1年分のみならず、ステージ2向けには2年分、または3年分など複数年にわたる期間が想定されることとなり、この複数年にわたる経済シナリオに発生確率を加味するためには、これらの期間にわたる将来の景気の動きを考慮しなければなりません。
通常、将来予測に用いるシナリオはわが国では向こう2~3年程度とすることが典型的と考えられます。これは、「合理的で裏付け可能な情報を反映」することがIFRS第9号で求められており、例えば30年後等の中長期的な将来予測が「合理的で裏付け可能」かと問われた場合に疎明が困難と考えられるためです。欧州の金融機関ではさらに長期の将来予測を実施している例もみられますが、金融機関が株主や監査人などのステークホルダーに対して合理的に説明ができる程度の期間が、その金融機関の合理的な将来予測の期間となると考えられます。
また、複数のシナリオから算出された予想信用損失はそのシナリオの発生確率で加重平均する必要があり、この加重平均によって合理的な予想信用損失額を見積もることができる設計となっています。なお、下図のとおりグルーピングをした場合は、各グループの格付遷移は将来の景気に対して異なる反応をすることとなるため、シナリオの数×グループの数の予想信用損失を計算する必要性が生じることが想定されますが、この場合であっても1つのグループに対する複数のシナリオの予想信用損失をその発生確率で加重平均する必要があります。
複数シナリオ及び確率加重モデルについては幅広い論点があり、上述した以外にもシナリオを4本以上考慮するケースが欧州ではよく見られることや、発生確率と経済指標値のセットを求める方法にいくつかのアプローチが存在することなどがありますが、ここでは割愛します。ご興味がある方は是非お問合せいただければ幸いです。
【共同執筆者】
中村 辰也
EY新日本有限責任監査法人 金融事業部 パートナー
八ツ井 博樹
EY新日本有限責任監査法人 金融事業部 アソシエートパートナー
田中 謙介
EY新日本有限責任監査法人 金融事業部 シニアマネージャー
和田 賢門
EY新日本有限責任監査法人 金融事業部 マネージャー
飯田 竜輝
EY新日本有限責任監査法人 金融事業部 シニア
※所属・役職は記事公開当時のものです。
従前のリスク管理がTTCを前提としていた一方で、改正後の金融商品会計基準ではPIT的な概念が前提となります。
PITを志向するに当たっては、足元から短期的将来に向けてECLを見積もるための将来予測モデルが必要となります。
さらに、この将来予測モデルの設計ではグルーピング、シナリオの検討が求められます。
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銀行、生保、リース、消費者金融など幅広い金融機関から、これまで稀に見るほどに多くの方にご視聴いただきました。金融商品会計基準改正に伴う実務対応としては、三井住友銀行様による具体的なご経験およびお考えに、多くの視聴者の関心が寄せられました。