製造業は、新型コロナウイルス感染症(以下、COVID-19)の感染拡大によるビジネスへの影響に対処すべく、さまざまな対応策を模索しながら取り組みを進めていますが、製造オペレーションのレジリエンスの重要性がこれほどまでに顕著になったことはありませんでした。もちろん、コロナ禍以前においても、製造業においては人材の確保、ならびに災害等による混乱からの対応力を強化する必要性は認識されていました。
そうした中で注目され始めたのがデジタルテクノロジーです。デジタルテクノロジーは、製造業が、パンデミックや自然災害などの予期せぬ出来事や、深刻な人材の不足といった組織的問題などの大きな課題に直面する中で事業継続性を担保するための強力なツールとして期待されています。スマートファクトリーの基盤となるデジタルソリューションは多数あり、それらを活用すれば、災害等による混乱やディスラプション(創造的破壊)による影響を最小限に抑えるために必要なレジリエンスを構築できるだけでなく、危機的状況下でも効率的なオペレーションを維持することが可能になります。デジタルソリューションの主要な活用法としては、以下の4項目が挙げられます。
- 熟練者のナレッジのデジタル化
- 熟練者ナレッジへのアクセス容易化
- 意思決定の迅速化
- プロセスの最適化
熟練者ナレッジのデジタル化
伝統的なモノづくりの現場では、今もなお、暗黙知が色濃く残っています。これは、ノウハウの属人化であり、熟練者が長年の経験で培かったナレッジ(匠の技能)は文書化されず、一定の実技指導や日々の作業の様子を見せる形で伝承されます。こうした慣習が定着している場合、企業は熟練者のノウハウや専門領域に対する知見を広く活用することができないだけでなく、熟練者が退職すると同時にナレッジも失ってしまう恐れがあります。
熟練者のナレッジを文書化する試みは製造業の間で始まっていますが、文字情報中心であることが多く、必ずしも最も効果的で効率的なアプローチを取っているとは限りません。例えば、作業標準書を作成する場合、熟練者は、自身が培ったノウハウや知見を他の現場作業員が活用できるように、作業方法を文書にまとめるよう依頼されます。しかし、有益な情報を漏れなく、かつ、読む気を削がないボリュームで簡潔に記載するのは簡単なことではありません。
さらに、この分野の熟練者は、現場で機械を操作しているほうがはるかに本領を発揮できるものです。通常業務の一環でこうした内容の文書を作成することに慣れているテクニカルライターではないため、わずか一ページの文書でも、書き終えるのに数時間かかってしまうかもしれません。そうなると、熟練者は作業標準書の作成を楽しめず、負担に感じるようになってしまい、彼らの時間も能力も最大限に活用できているとは言えません。さらに言えば、コンピューターと格闘している数時間の間に、熟練者はさらなる製品を生み出すことができたかもしれません。
デジタルを活用すれば、暗黙知を容易かつ効果的に取り込み、形式知に変換することができます。こうして形式知化された熟練者のナレッジを組織全体で広く活用することで、組織知化することが可能になります。現在、ビデオ、オーディオ、文書、Webカメラ画像、スクリーンキャプチャ画像、ハイパーリンクなど、さまざまなコンテンツを提供する安全で構造化されたデータベースを備えたマルチメディアプラットフォームが利用可能であり、これらを活用すれば、どんなナレッジも簡単に形式知に落とし込むことができるため、手入力で文書を作成する必要はなくなります。
例えば、熟練者は、機器の部品交換の方法を何時間も苦心しながら文書化する代わりに、作業の様子を動画に収めて、部品交換の完了とともに撮影を終え、後はプラットフォームに動画をアップロードするだけで済みます。EYの経験値によると、デジタルツールを活用すれば、ナレッジの取り込みに必要な労力を一般的な作業であれば80%以上、単純な作業であれば95%以上軽減できると見込めます。
熟練者ナレッジへのアクセス容易化
製造現場で問題が発生した場合、作業員は熟練者のサポートが頼りになります。しかし、熟練者が病気で休んでいたらどうすればよいでしょうか。他の誰に連絡すればよいでしょうか。別の熟練者と電話で連絡が取れた場合、どのように協力を仰ぐのが最善でしょうか。
大手製造業の現場で問題が発生した際には、「どんな情報が必要なのかわからない」、「熟練者となかなか連絡が取れない」、「そもそも誰に連絡したらよいのかわからない」といった作業員のサポート体制に関する声がよく聞かれます。熟練者のナレッジがデータベースに適切に格納されていれば、作業員は必要な情報を必要なタイミング・場所で入手できるようになります。
ナレッジトランスファーが必要とされる作業は、通常、以下の3のタイプに分けられます。
- 定型・定常作業:本タイプは、組織の標準業務の一環として予測可能な頻度で発生する反復的な作業です。こうした作業には、タスク通知と連動した簡易なマルチメディア形式の作業手順書を提供できます。
- 定型・非定常作業:本タイプは、段取り替えや品質検査などの比較的複雑な手順を要する作業です。定型作業であるため、作業標準は設定されていますが、簡易なチェックリストを使用する場合がほとんどです。事前にビデオ(将来的には、仮想現実など)で学習して知識を補うことができます。
- 非定型・非定常作業:本タイプは、まれに発生するイベントへの対応であり、関連の標準書などはほとんど整備されていません。こうした作業には、構造化・非構造化データベースや、問題解決の手順を示すデジタルワークフローが最適です。
熟練者のナレッジを格納するデータベースにインテリジェンスを適用すれば、作業員は膨大なデータから手探りで検索しなくても適切な情報を容易に入手できるようになります。また、問題解決や疑問点解消の手がかりとなる文書やビデオを見逃す可能性もなくなります。人工知能(AI)は、一種の「デジタルコーチ」として機能し、膨大な量の構造化・非構造化データを迅速かつ効率的に照会して、熟練者の専門的知見やノウハウをユーザーに適切に提供できるため、作業員は熟練者に直接にコンタクトを取らなくて済みます。こうしたAI機能を活用すれば、熟練者のデータ化されたナレッジを作業員の手元に届けることが可能になり、全ての複雑なデータをユーザーが利用できる情報とする為に膨大な時間とコストを掛ける必要がなくなります。
しかし、熟練者に直接連絡を取る必要性が完全になくなることはなく、時には熟練者に直接に指示を仰ぐ必要も出てくるでしょう。そのよう時のために、データベースに熟練者リストを保存することで、作業員は自身が必要とするナレッジを有する熟練者を素早く特定して連絡を取り、リモートでサポートを受けることが可能になります。そうしたコミュニケーションの一助となるのがシンプルなビデオチャットやMicrosoft Teamsなどのツールです。こうしたツールを使えば、作業員は、問題となっている部分を自身のスマートフォンのカメラで映し熟練者に状況を見せながら、対処方法について指示を受けることができます。
将来的には、AR(拡張現実)やVR(仮想現実)がビデオチャットに取って代わるかもしれません。例えば、Microsoft HoloLensなどの複合現実デバイスを使用すれば、熟練者は自身の現場を離れることなく、さまざまな工場や地域の作業員を指導・支援することも可能になるでしょう。複合現実プラットフォームに熟練者のイメージが実物のように映し出されるため、彼らのナレッジがさまざまな現場で広く活用されることが期待されます。