2021年12月9日
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クラブのアセットを能動的に発信し、地域に熱を生む――浦和レッズ 平川忠亮引退試合がもたらした経済的・社会的価値とは

執筆者 岡田 明

EYストラテジー・アンド・コンサルティング株式会社 公共・社会インフラセクター パートナー

スポーツによる価値循環モデルの実現を目指す。

2021年12月9日

2021年7月22日、浦和駒場スタジアムで「三菱重工カップ 平川忠亮引退試合」が開催された。EYストラテジー・アンド・コンサルティングは、この記念すべき試合を企画段階からデジタルコンテンツ化等の企画・実行までをサポート。その戦略についてご紹介する。

要点

  • クラブの持つアセットを能動的に発信することで、地域社会に熱を生み、新たな経済循環を作り出すことができる。


浦和レッドダイヤモンズとそのサポーターの間には、約30年かけて育んできた強い絆がある。そうした中で、同クラブのバンディエラである平川氏の引退試合は、クラブ、そして地域社会にどのような経済的・社会的価値をもたらしたのか。今回は平川氏ご本人と、この引退試合の現場実行責任者である白川潤氏(同クラブマーケティング本部副本部長)、EYスポーツDXリーダーの岡田明による対談で、引退試合の制作秘話から、クラブが描く未来像、そして地域社会にもたらした新たな価値まで、順次ご紹介していく。

平川 忠亮 氏 元プロサッカー選手

平川忠亮氏
静岡県静岡市出身の元プロサッカー選手。ポジションは、ミッドフィールダー、ディフェンダー。2002年の入団以来、浦和レッドダイヤモンズ一筋でプレーしたバンディエラ。2019年より、同チームでコーチを務める。(文末写真中央)

白川潤氏
浦和レッドダイヤモンズ株式会社マーケティング本部副本部長 兼 マーケティング本部部長(競技運営担当・REX CLUB & マーケティング担当)。
さいたま市浦和区出身。広告代理店勤務を経て2008年に浦和レッズに参画。広報・パートナー営業部、総務部などを経て2021年から現職。スポーツでもビジネスでもナンバーワンをモットーに地元浦和を押し上げる。(文末写真右)

岡田明
EYストラテジー・アンド・コンサルティング株式会社/公共・不動産セクター スポーツDXリーダー。プロスポーツチーム・⼤学・企業などと幅広く連携し、アリーナやスタジアムを中核とした地域における「スポーツの価値循環モデル」を提唱。デジタルとフィジカルを融合した価値創造を⽀援している。(文末写真左)

コロナ禍という不測の事態を“チャンス”と捉える

岡田:今回ご縁があって平川さんの引退試合をEYが支援させていただきました。コロナ禍の制約の中、今回はクラウドファンディングやデジタル配信といった新たな試みも行い、ファンとの新しい形でのつながりを実現したことで、本イベントはビジネス的にも大きな成功をおさめました。引退試合には、田中マルクス闘莉王氏や小野伸二氏など歴代のレジェンドや、槙野智章氏など現役の浦和レッズの選手、そしてアカデミーの子供たちも多数参加した他、5000名の観客が浦和駒場スタジアムに集結しました。試合は和やかなムードで進み、試合後に行われた感動的な引退セレモニーの後も、サポーターたちの声援ならぬ拍手がいつまでも暖かくスタジアムにこだましていました。まさに、平川さんがクラブやファンの皆さんとともに育んできたものの“完成形”だったと思います。まずは、開催までの経緯を教えていただけますか。

三菱重工カップ 平川忠亮 引退試合

三菱重工カップ 平川忠亮引退試合

平川:当初は引退翌年の2019年に開催する予定だったのですが、チームがACLで決勝進出したため日程的に入れられなかったり、チーム体制が変わったりといろいろあって延び延びになってしまって。さらにコロナ禍による試合中断や過密日程などもあって、2020年も開催が難しくなってしまったんです。

白川:私は2020年から競技運営担当になりましたが、平川コーチの引退試合は最重要案件の一つでした。最初はコロナが明けたらでいいのかなと思っていたのですが、今年に入ってから平川コーチが「体が限界です」と(笑)。冗談半分だったと思いますけど、実際に引退してからあまり時間が経つのもよくない。ただ、せっかくの引退試合に上限5000人というのはいかがなものかという思いもあって……。そしたら平川が、「お客さんがいないこと前提で進めましょう」と。

平川:嵐のライブの記事を見てピンと来たんです。スタジアムだったら入っても2~3万人。でも、オンライン配信なら観客は無限大で、日本中どこにいても観てもらえる。だったらコロナ禍というピンチをチャンスに変えようと思い、この種のコンテンツを扱える方を探してみようということになりました。

平川 忠亮 氏

平川忠亮氏

白川:平川コーチ自身もアーティスト関係のネットワークがあっていろいろと情報を調べてくれましたが、打ち合わせしている時に「そういえばEYさんがいたな」と。力になってもらえるかもしれないと思ってご相談したという経緯です。

岡田:ありがとうございます。とても光栄です。実際、コロナ禍で制限がある中での開催に対して、クラブ内の理解を得るのは大変だったのではないでしょうか。

白川:これまで引退試合はファン・サポーターの方々がいっぱいのスタジアムで華やかにやってきたという経験がありましたし、それに対するイメージも強く残っていましたので、本当にリモートでいいのかという意見は確かにありました。ただ、開催可能な日程もほぼピンポイントで決まっていたし、もうそこに向けて批判覚悟で進むしかない、もっと言えば、どうポジティブに受け止めてもらえるように組み立てていくかを考えよう、と。私のほうで上の了承を得て、クラブの各部門から担当者を一人ずつ出してもらうことになりました。

岡田:レッズでの引退試合は、今回も入れて4選手しか開催されていません。引退試合開催の条件というのは設けているのでしょうか。

白川:以前は350試合以上出場という条件がありました。現在は明確な規定があるかわかりませんが、平川は少なくともその条件は満たしています。350試合に出るというのは相当大変なことです。だからこそ、これまで4人しか開催できなかった。クラブにとっても引退試合を行うことは結構大変なので、スタッフの間で「やろう」という雰囲気が生まれるには、その選手がそれだけの時間をこのクラブに費やしてくれたという事実がやはり大事なんですよね。

平川:嬉しいことに、まわりからは「ぜひやってほしい」という声が多くて。でも、そういう声があっても、じゃあ誰の発信で企画が始まるのかなと……。待っていたけど何も起こらなかったので、結局自分から当時の社長に言いに行きました(笑)。引退試合は本当に名誉でしかないですね。過去3選手は実績を残して浦和に貢献したレジェンドですから、そのような方々に続けることは光栄です。ただ、自分がやって大丈夫なのかという思いも正直ありましたけど。

歴史あるクラブならではの企画力

岡田:今回は引退試合に際してクラウドファンディングを実施してブラインドサッカーへの支援を行ったり、かつての指揮官であるハンス・オフト氏や元同僚の長谷部誠選手とのトークなど配信コンテンツも提供したりと、新しい取り組みが多々ありました。デジタルだからこそ、距離を超えてサポーターと価値を共有できた部分も大きかったと思います。

平川:クラファンでは背番号14にちなんで1400万円を現実的な目標に設定していたので、ひとまずそれが達成できてよかったです。オフトさんとのトークでは、自分自身が指導者になってかつての指導者と話せるのは貴重な機会だなと思いました。長谷部ともいい話ができましたし、これらのコンテンツは自分の学びにもなったなと感じています。当初は引退試合の後にみんなで飲みに行って浦和の街を盛り上げようと計画していたのをリモートでやったわけですけど、普段とは違う雰囲気でできたのでよかったなと思いました。

平川忠亮引退試合 スペシャルコンテンツ

事前配信コンテンツでは、浦和レッズのレジェンドたちとの対談を通して、浦和レッズ13のタイトルすべてにかかわる平川氏とレッズの歴史を振り返った。

白川:これらのコンテンツを見ていて、改めてレッズはこんなに歴史的資産があるんだと感じましたね。OB同士の話でこれだけ面白いコンテンツができるのは、まさに歴史を積み重ねてきた証。無形の資産として、いつのまにか培ってきたものなのだなと。それをしっかり形にしてファンに届けることができればファン・サポーターにも喜んでもらえるし、クラブにとってもメリットがあるのだと思いました。

岡田:コロナ禍で盛大なイベントができない分、企画力でカバーできていたと思いますね。オウンドメディアだけでなく、OBの方々が自分たちのソーシャルメディアで情報拡散していく流れも面白かったです。

白川:今回はボーカルユニットのC&Kさんにも事前コンテンツへの出演と当日のキックオフ前の歌唱出演をお願いしたのですが、平川コーチ自身が人とのつながりを大事にしながらサッカー人生を歩んできてくれたおかげで、そういった新たなチャレンジがしやすい環境だったな、と。我々にとってはいいチャレンジの機会にもなりました。

平川氏と親交の深いC&K

平川氏と親交の深いC&Kも駆けつけイベントに華を添えた。

岡田:試合のほうでは、白川さんが現場実行責任者として運営するにあたって大変だったことや苦労したことはありましたか。

白川:公式戦がある中、このコロナ禍で他のクラブから選手たちを預かることになるので、彼らの安全を守るためのケアをドクターと相談しながら行ったのですが、やはり不安は大きかったですし、心細さはありましたね。あとは、所属チームで怪我人が出て急遽来られなくなった選手が出てきたり、平川コーチ自身も調整段階で小さな怪我をしたり、現役浦和レッズの選手にも移籍やコンディションの問題が発生して、試合の人数が足りるだろうかと最後まで不安でした。

平川:でもその結果、当初ジュニアユース、ジュニア、ユースからそれぞれ2~3人出る予定だったのを、アカデミー部門がスケジュールを工面してくれて、多くの子どもたちが出場できるようにしてくれたんです。そもそもこの引退試合のコンセプトが「過去・現在・未来」だったんですが、その中でも“未来”を象徴するアカデミーの子どもたちにたくさん参加してもらえたことで救われました。

白川:興行主としては、錚々たるOBたちが中学生以下の選手相手にどれだけやっていいのかという不安もありましたが、結果的には素晴らしい光景が生まれたのでよかったと思っています。

クラブの財産を能動的に発信していきたい

岡田:今回、ツイッターでのイベント告知後にホームページにアクセスした人のうち、チケットを購入した人がなんと15パーセントもいました。一般的なECサイトでは平均1~2パーセントですから、これは驚異的なコンバージョンです。正直、こんな数字は見たことがありません。

白川:コンバージョンレートは一般に比べるとかなり高いですね。その驚異的な数字も、レッズの歴史から来るものなのだろうと思います。引退記念グッズも同様で、信頼している担当者に任せたところ、私たちには思いつかないような優勝記念グッズまで作っていて、結果的に売り上げが想定の4倍を超える数字を達成しました。毎回いろんな進化が見られるのですが、いつも面白いものを考えるなと感心します。

白川 潤 氏

白川潤氏

岡田:スポンサー営業においても、地域との素晴らしいパートナーシップが垣間見えるところがありました。平川さんが個人的につながりのある方に直接会いに行って引退試合をサポートしてくれることになったケースもあったとか。

平川:僕が昔から通っていて、サポーターもよく行く浦和の中華料理屋さんですね。実は、引退試合をやろうと最初に白川さんと話したのも、そのお店で食事していた時だったんです。コロナ禍で飲食産業が苦しい中でお金を出してもらうのは心苦しかったですけど、引退試合の話をしたら「どんな協力でもするからなんとか成功させてほしい」とサポートしてくれました。

白川:きっと平川コーチ自身の人柄もあって支援してくれたのだと思います。引退試合を実現できるかどうかは、パートナー収入のウエイトがかなり大きい。特に今のように人数制限のある環境では、企業のバックアップがないと事業計画そのものが難しい。今回は本当に多くの方々にサポートいただけたと感じています。

開催のきっかけとなった浦和駅近くの中華料理店と黄オーナー

開催のきっかけとなった浦和駅近くの中華料理店と黄オーナー。今回の引退試合のパートナー企業でもある。

岡田:多くのサポーターや地域の方々の支持を受けて、コロナ禍にもかかわらずこれだけの引退試合が開催できたわけですが、成功の要因は何だったと思いますか。

白川:実はコロナ禍の前からチームは苦戦していて、入場者数としても2008年から下り坂で3万人台で落ち着いていて、クラブとしても停滞していた。ほかのクラブは新しいチャレンジをどんどんしているので、後れを取っていた感覚がありました。ただ、何がよくて何がダメなのかクラブの中でも迷いがありましたです。そんな中で平川の引退試合で、こうやって新たにいろんなチャレンジをすることができた。平川本人も「僕をうまく使ってください」と言ってくれた。そこは非常に大きかったですね。

岡田:この引退試合を通じてサポーターとの絆がより深くなるなど、新たな財産になったものもあったかと思います。改めて、引退試合を通じてどんなことを感じましたか。

白川:その場にいて本当に心地いい、楽しい空間でした。ファン・サポーターの皆さんだけでなくスタッフやOBもすごく楽しそうにしていたのがいちばんの発見です。これからも引退試合は開催されていくと思いますが、それとは別にクラブとして能動的にコンテンツを発信する機会を設けていくのもいいかな、と。我々のOBを含めたクラブの歴史的資産を、それをこちらから発信することは非常にいい取り組みだと思うので、今後も機会があればやっていきたいですね。

平川:先ほどお伝えしたように、もともとこの引退試合には「過去・現在・未来」というテーマがありました。レッズの素晴らしさというのは、過去に偉大な功績を残したレジェンドが数多くいて、現役でも素晴らしい選手がたくさんいて、さらに浦和の未来を明るくしてくれるアカデミーの子たちがいること。そのみんなが参加してくれたことによって、掲げていたテーマを明確かつ綺麗に打ち出せたと思います。今回は僕の引退試合として企画していただきましたが、結果的にはレッズそのものの素晴らしさをサポーターと分かち合えた時間になりました。これからも今まで以上に新しいことにチャレンジして、もっといろんな分野でレッズの魅力を発信できるようになればと思います。

左から、岡田明、平川忠亮氏、白川潤氏

左から、岡田明、平川忠亮氏、白川潤氏

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岡田 明

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サマリー

スポーツを地域の中心に据えることにより、熱量の高い感動体験がコミュニティを形成し、経済的なエコシステムを形作ることができます。これらを持続していくためにはクラブチームの視点だけでなく、地域企業や住民、自治体などさまざまなニーズに適応したコンテンツを能動的に発信することが重要です。

EY Japanではスポーツビジネスそのものだけではなく、地域社会、企業などがスポーツによって相互に利益を享受できる価値循環のモデル構築を支援しています。

この記事について

執筆者 岡田 明

EYストラテジー・アンド・コンサルティング株式会社 公共・社会インフラセクター パートナー

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