ケーススタディ
The better the question. The better the answer. The better the world works.
ケーススタディ

都市はいかにして破綻から再生へと変身したか

廃虚からの復活:デトロイトはいかにして財政再建、市民サービスの復旧、持続可能な未来への投資を果たしたか。

(Chapter breaker)
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The better the question

デトロイトはいかにして破綻から再生への転機を迎えたか

2011年の時点で、デトロイト市の街灯の40%は故障し、市内に317カ所あった公園のうち210カ所は閉鎖されていました。

1805年6月11日の朝、デトロイトの1軒のパン屋で火災が発生しました。火は瞬く間に広がり、建物を破壊していきました。市民は必死で消火に努めましたが、市内のほとんどが焼け落ちました。1805年の大火事の記憶はデトロイトの市旗のデザインに刻まれています。そこにはラテン語で次のような標語が書かれています。

そして、デトロイトは実際に復興を果たしたのです。大通りが建設され、人口は膨らみました。男たちはゲティスバーグの戦場で勇敢に戦い、20世紀には製造業の力で好況に沸きました。デトロイトを世界的に有名にしたのは、自動車産業とモータウン・レコードでした。しかし、大火事から200年がたったとき、デトロイトはもう一つの危機に見舞われました。

1970年代初頭になり、デトロイトの運命に変化が訪れたのです。世界的なオイルショックが米国経済に打撃を与え、アメリカ人は安くて燃費が良く、信頼性の高い日本車に乗り換えるようになりました。その後、次世代に至るまで、自動車工場の労働力は減少し、デトロイトの人口も落ち込み、市の税基盤は縮小しました。デトロイトは都市衰退の典型になってしまったのです。

2011年の時点で住民の3分の1以上が貧困線以下の生活を余儀なくされていました。街灯の40%が故障し、市内に317カ所ある公園のうち210カ所が閉鎖中というありさまでした。人々はデトロイトから逃げ出し、8万もの放棄された家とビルが残りました。凶悪犯罪は全国平均の5倍に達し、救急サービスが追いつかないほどでした。わずか10億ドルの年間歳入で180億ドル以上の債務を賄わねばならず、金融市場での資金調達もできなくなっていました。

1893年、デトロイト。

1893年、デトロイト。18世紀、フランスの入植者によって築かれる。1805年の大火災により市内のほとんどが焼け落ちた。焼け跡からの復興。デトロイトの通りは新たに生まれ変わった。© Antiqua Print Gallery / Alamy Stock Photo

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2013年7月18日、デトロイトは破産申請をした米国最大の都市になりました。

その4カ月後、市当局は新しい最高財務責任者にJohn W. Hill氏を任命しました。Hill氏に与えられた任務は、市民のためのサービスを復活させ、持続可能な未来を築くために、市の財政を安定させることでした。そこで投げ掛けられた問いは:「どうすればデトロイトは破綻から再生にかじを切れるのか」でした。

Volunteers plant tulip poplar trees in detroit
(Chapter breaker)
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The better the answer

長期的な財政安定化に注力

40年間の財務見通しを含め、債務調整のための計画を策定すること。

EYは、破産前、破産中、破産後のデトロイト市と、さまざまな活動で協力してきました。

市が破産申請を提出する前の段階では、短期的なキャッシュフロー見通しの策定、運営・人事計画の支援、構造的赤字を解消するための歳入・コスト削減策の立案などを担いました。

破産中は、市が長期的な財政安定化に集中できるよう支援しました。当時の活動には、市の債務調整計画策定(計画を支えるための10年、40年の財政見通しを含む)、債権者との交渉、鑑定の提供などがありました。

デトロイトが破産状態から抜け出した後も、EYは調整計画の監視・実施、キャッシュフロー予測、各部署の財務分析、労使交渉の支援、ベンダー管理、賠償請求の解決といったプロジェクトに引き続き関与しました。

Hill氏は次のように説明します。「デトロイトの成功の秘訣(ひけつ)は外部の人材だったと思います。特に、EYのような外部の人材が他の都市で培った専門知識を携えてやって来たことでしょう」

デトロイトがやらなければならないことはまだたくさんありますが、市の復興は目覚ましいものがあります。EYと市の二人三脚が、デトロイトに再びしっかりした基盤を築かせることになりました。

Belle isle aerial detroit
(Chapter breaker)
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The better the world works

今、デトロイト市には持続可能な未来があります

街灯はともるようになり、荒れ果てた建物は撤去されました。

最終的には、財政再建計画によって70億ドルの長期債務が解消されました。

デトロイトが地方債市場に再び参加する上で、それは大変重要なことでした。市が未来に投資するために必要な財政黒字ができたのです。

市が財政再建を果たしたことで、私たちは市民の安全、廃虚の撤去、技術のアップグレードその他の重要な分野に大掛かりな投資ができるようになりました。
Mike Duggan
デトロイト市長

市民にとってそれが何を意味するかと言えば、バスが時刻表通りに来るようになり、信頼できる交通手段で目的地に到達できるようになったということです。それは、パトカーや救急車の応答時間が大幅に短縮され、市民の安全が強化されることを意味します。つまり、街灯の修理や荒廃した建物の撤去など、多くの人々があって当たり前だと思っているものを元に戻したということです。

今、デトロイト市は未来をその手にしっかり捕まえようとしています。

Hill氏は次のように話します。「3年後に支え切れないことには、手をつけないと私たちは決めています。そして、私たちはEYの助けを借りて、未来の財政を管理できるように、財政10年計画の策定を開始しました。それは財政規律を違った視点で見ることでした。他の多くの都市が、今これをやっているかどうかは分かりません」

Mike Duggan氏は2014年からデトロイト市長を務めています。Duggan氏は次のように語りました。「市が財政再建を果たしたことで、私たちは市民の安全、廃屋の撤去、技術のアップグレード、その他の重要な分野に大掛かりな投資ができるようになりました。このような発展を継続するために、私たちは財務規律に対する新しい考え方を広めました。再建の時代から3年間、均衡予算が続きました。その結果を受け、国の財政監視から、もうすぐ外れることができるでしょう。また、信用格付けも数段階上昇しました」

1805年にデトロイトが焼き尽くされたとき、市民は川から火元まで、人間の鎖を作りました。人々は列を組み、バケツリレーで水を運びましたが、火事を消し止めることはできませんでした。21世紀のデトロイトが破滅の危機に陥ったとき、人々が使った道具はもっと洗練されたものでした。同じような価値を持つチームワークと公共サービスを駆使し、市は自らを救い、復興を果たすことができました。再び、市旗に掲げられた標語を実現させたのです。

サマリー

EYが実行した財政再建活動は、70億ドルにのぼるデトロイト市の長期債務の解消に役立ちました。市は今、市民と持続可能な未来に投資できるようになりました。