2023年8月8日
第5回 一橋大学寄附講義 企業価値向上に向けた人的資本【実践】
一橋大学寄附講義

企業理念に基づいた人事戦略の策定におけるエーザイの取り組み事例

執筆者 EY Japan

複合的サービスを提供するプロフェッショナル・サービス・ファーム

2023年8月8日

第5回 一橋大学寄附講義
企業価値向上に向けた人的資本【実践】

テクノロジーの発達により、企業の提供するサービスや事業の質は変革期を迎えています。激動の時代に対応するためには、多様な人材を抱え、適切な配置で運用する柔軟な組織作りが求められます。一橋大学寄附講義の第5回では、エーザイ株式会社チーフHRオフィサーの真坂氏をお招きし、ビジネス現場における人的経営の実践例について紹介いただきました。

エーザイ株式会社 チーフHRオフィサー・執行役 真坂 晃之 氏


真坂 晃之 氏

エーザイ株式会社 チーフHRオフィサー・執行役。開業医販路(MR)からキャリアをスタートし、人事部、ニューマッケッツ担当付・アジア事業部、秘書室、医薬事業部 副本部長、コーポレートプランニング部  部長などを歴任。2022年より現職。


水野 昭

EYストラテジー・アンド・コンサルティング株式会社、ピープル・アドバイザリー・サービス パートナー。さまざまな業界・業種のクライアントに対し、人事業務の効率化・高度化、組織設計、人材育成など幅広いプロジェクトをリード。戦略・人事・人材・組織コンサルタントとして20年以上の経験を持つ。

要点
  • 製薬会社のビジネスモデルは「治療」から「予防」へと変革期を迎えており、ニーズの拡大に応じた人事戦略が求められる。
  • エーザイは「日々の健康」を軸に、自社の価値を高めるための4つの評価項目が有機的に結びついた状態を人事部のパーパスとして策定。
  • 人事部が統合人事戦略に従い、DE&Iの推進、マネジメント力の強化を行うことで、エーザイは全社的にパーパスの達成を目指すことにつながる。
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事業範囲の拡大に直面し、統合人事戦略の不在が大きな課題に

事業範囲の拡大に直面し、統合人事戦略の不在が大きな課題に

認知症やがん領域では治療から予防へのシフトが起こっており、製薬企業はビジネスモデルの変革が求められています。

真坂氏は、エーザイが米国のバイオジェン・インク社と共同開発する早期アルツハイマー病治療薬「レカネマブ」の登場が、ビジネスモデルの転換期となったと指摘する。

「レカネマブはこれまでのアルツハイマー型認知症治療薬と異なり、認知症のできるだけ早い段階で投与する必要があるため、健康な状態にある生活者に対するアプローチがポイントになります。これまではアルツハイマー型認知症がある程度進行した患者さま向けに情報提供活動を実施してきました。これからは生活者へアプローチする必要があるため、既存の戦略は成り立たず、新たなアイデア・打開策の立案が急務となります」

事業領域が医療のみならず日常生活に及んだことで、エーザイは一社のみで付加価値の高いサービスを提供することは難しくなりました。そこで、エーザイが持つ強みと他産業やアカデミアなどのグループが持つ強みを掛け合わせて価値提供を図るビジネスモデルへかじを切り、新たなビジネスモデルで目指す企業像として「hhceco」を掲げています。真坂氏は、新たな企業像を実現するためには、他産業との連携によるエコシステムモデルを構築してソリューションを提供する必要があり、ダイバーシティに富んだ人財の獲得・リテンション・活用が必要不可欠となります。そのためには、全社戦略を実現するための人事戦略がとても重要になると指摘します。

「2022年度にCHRO(Chief Human Resource Officer)として人事部に戻った際に驚いたことは、人事戦略が明確化されていなかったことです。事業範囲が拡大し、多様なニーズに応えることが求められる中、人事全体の戦略が不在というのは大きな課題でした。そのため、2022年度は『社員の健康』『効率的な働き方』『社員の成長』『事業・組織の成長』を切り口とした『統合人事戦略』を部署一丸となって組み立てるところから着手しました」

真坂氏が統合人事戦略の必要性を提案した時、かねてメンバー間で課題認識されていたが、あつれきは起きなかったと言います。ここで受講者より「なぜ問題意識が共有されていたにもかかわらず、真坂さんの提案以前に具体的な議論がなされなかったのか」という質問があがりました。真坂氏は、「エーザイの組織風土として企業理念、事業ビジョンが共有されている一方で、上からの指示待ちなる傾向が少なからずある。そのため主体的に議論がなされていなかったのではないか」と回答をしました。

激しい環境変化に対応し、事業拡大を進めるためには、各役員が事業戦略を理解し、担当領域の戦略を策定し、実行する「スピード感」と臨機応変に対応する「柔軟性」が求められます。エーザイのケースでは、直面する課題に対して、過去に人事と経営計画に携わってきた真坂氏がCHROに就任されたことで、事業戦略に直結した人事制度への改革に取り組んだことで、新たな制度への移行がスムーズに行われたと考えられます。人財配置などのさまざまな条件がうまくかみ合った好例と言えるでしょう。

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パーパスを明示し、次いで課題と戦略を整理する

エーザイの総合人事戦略の検討は、「事業・組織の成長」以外の評価項目を可視化することから始まったと言います。検討によって定めた3つの項目は、「社員の健康」「効率的な働き方」「社員の成長」です。

「良い会社の定義が変わってきました。そのため、自社の業績が伸びていても、その他の3項目が低下しているのであれば、良い会社とは評価されない。反対に、業績が短期的に低迷したとしても、それ以外の項目が大きく成長しているなら、とても価値があると評価されるのではないと考えています」

人事戦略の理想形は、4つの項目が有機的に結びついている状態であると定義。4つの項目を結合していくために、人事の存在意義(パーパス)を明示し、パーパスを基に4つの象限ごとに課題と戦略を整理、戦略にのっとった活動を立案しました。人事部のメンバーで議論を重ねることで、課題や戦略を社員の目線で捉え直すことができたのが、統合人事戦略策定プロジェクトにおける分岐点だったと真坂氏は語ります。

「正直なところ、私自身も統合人事戦略を策定する意義について、確信を持てない時もありました。今回の取り組みを通じて得心がいったのは、戦略とは“道しるべ”だということです。特に、未知の状況に直面し、行き先に迷った時にこそ、本来の目的に立ち戻ることができる戦略は真価を発揮します」

このようにして策定された人事部のパーパスは、『「hhceco」実現とエーザイの持続的な成長を導く唯一のステークホルダーは「人財=社員」である。エーザイは人財の「重要性=価値」を再認識、新たな「統合人事戦略」のもと、エーザイに集う多様な人財が個々の強みや特性を最大限発揮することで、進化する「人財」の集合体企業を目指す。』です。パーパスに基づいた施策として、エーザイは2023年度から副業を解禁しました。社員が外部で得た知識や経験を業務に生かすことが期待されています。その他にも、積極的なキャリア採用による人財の多様化など、人的資本経営に関わる取り組みを次々と実施しています。

水野は、エーザイの統合人事戦略が興味深いのは、「社員の健康」からシナリオを組み立てた点だと指摘します。「社員の身体的・精神的な健康を支え、多様な働き方を認めることで社員が成長する。結果として事業の成長にコミットできる」というストーリー展開は、製薬会社らしい新鮮な切り口です。

パーパスを明示し、次いで課題と戦略を整理する
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多様な人材を引き留めるマネジメント力が試される

人的資本価値を高めるためには、ダイバーシティ、エクイティ&インクルージョン(DE&I)も重要です。エーザイは2012年からダイバーシティ委員会を発足し、女性の活躍推進を軸に多種多様な人財育成に取り組んでいると真坂氏は話します。目標として管理職の女性比率30%以上を掲げています。

「女性管理職比率30%という目標達成という点に関して、私はあまり心配していません。エーザイには管理職の登用試験制度があり、直近では女性の合格者比率は3割程度に達しています。受験者比率も女性が3割程度なので、適切な結果と考えられます。正当な評価を継続していくことで、女性の管理職は自然に増えていくはずです」

真坂氏は、女性比率よりも多様な人財を登用した後の社員エンゲージメントを課題に挙げています。若手社員、女性社員、キャリア社員、役員など、さまざまなバックボーンを有する社員との話し合いを経て、従来の報酬体系に新たな指標を加える決断をしたと話します。

エーザイでは、すでに、『ペイ・フォー・パフォーマンス(業績の達成度に応じた報酬)』の観点を取り入れた報酬体系となっています。加えて、2023年度から『ペイ・フォー・ロール(役割に応じた報酬)』を組み込んだ報酬体系が導入されました。

「ペイ・フォー・ロールの考えを取り入れたのは、現時点の役割よりも、過去の職歴が重視される報酬体系にメスを入れるためです。役割を重視した報酬体系とすることで、さらなる人財の動機付けと成長の加速を目指しています」

欧米式のジョブ型はシビアな形態で、ある職種がなくなると、その職に就いている社員はその時点で解雇を宣告される可能性もあります。人的資本経営の文脈ではジョブ型は望ましくないと考え、エーザイは役割を基軸としたロール型を選択しました。エーザイのロール型はジョブ型の要素も取り入れつつ、マネジメントの起点をあくまでも“人財”とし、その人の役割を重視する報酬体系となっています。

「過去にいかなるマネジメント職を経験していたとしても、現在、その人が担う役割に応じて報酬を支払います。職務ごとに、求められるスキルを記載した要件定義を作成し、エーザイ内部で積み上げられるキャリアを体系的に提示していきます。求められるスキルを可視化することで、社員が自発的に成長する環境を整えました」

こうした改革は、すべて『進化する「人財」の集合体企業を目指す』という人事部のパーパス、ひいては「hhceco」の実現に向けた取り組みです。水野は人的資本価値向上を目指す中で、「各事業部の意見を聞きすぎることにより、全社戦略と連動した統合的な人事施策群を組み立てるハードルが高くなることがしばしば起こり得る」と言います。エーザイにおいては、人事部がリーダーシップを発揮し、パーパスに基づいた統合人事戦略を立てたことで、その難所を乗り越え、「hhceco」の実現に向けて着々と歩みを進めています。

サマリー

製薬会社のビジネスモデルは、従来の「治療」型から「予防」型へと事業範囲を拡大しています。顧客のニーズが多様化する中で、統合人事戦略の策定は急務です。人事部がその戦略に従い、DE&Iの推進、マネジメント力の強化を行うことで、エーザイは人事部を中心としたパーパスへの歩みを進めています。


一橋大学大学院 経営管理研究科「サステナビリティ経営」に関する寄附講義

一橋大学大学院 経営管理研究科 経営管理専攻ならびに商学部にて、2023年度春夏学期に開講した寄附講義「サステナビリティ経営(Sustainability Management)」の講義レポートをお読みいただけます。

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