第1章
アジア太平洋地域の取締役会が取り組むべき⼤きな課題
インフレ率の上昇、地政学上の変化、地域的要因により、アジア太平洋地域には特有の課題が生じています。
EYは 2020年の記事でアジア太平洋地域における取締役会の優先事項を取り上げましたが、それ以降も新型コロナウイルス感染症により、事業を取り巻く環境は変化を続けています。しかも、今、この地域の取締役が重大な関心を寄せているのはこれだけではありません。世界全体に関係する2つの要因が取締役の頭を悩ませています。
1つはインフレ率の上昇と、それに伴う負債コストの上昇です。EY 2022 CEO Outlook Surveyによると、アジア太平洋地域のCEOの30%以上が、サプライチェーンを再構築する上で最大の要因はコスト削減とリスクの最小化だと回答しています。また、同CEOの84%が、第一次産品からエネルギーまで、仕入価格が著しく上昇したと感じていることも分かりました。
⾔うまでもなく、インフレ率が上昇すると⾦利も上昇する傾向にあり、資本に占める借り⼊れの割合が⼤きい企業にとっては不安材料となっています。また「⼤量退職時代」で⼈材不⾜も深刻化しており、企業はそれに伴うコスト圧⼒と、優れた⼈材を獲得してつなぎ留める必要性とのバランスを取ることを余儀なくされています。
グローバルな要因の2つ⽬は地政学上の課題です。最近のEY CEO Outlook調査2では、アジア太平洋地域のCEOの69%が、地政学上の課題によって戦略的投資の調整を迫られていると回答しました。アジア太平洋地域は⼀部の強⼒な同盟の中⼼にありますが、その⼀⽅で、貿易や地政学上の問題などで数多くの緊張を抱えながら均衡を保っています。例えば⽶国、EU、中国間の関係では、貿易、テクノロジー、産業政策など幅広い問題を巡って緊張関係が続くことが予想されます。また、ウクライナ情勢により⽣じるボラティリティについても、地政学上の進展に伴う市場の変化を予測して対処することがより⼀層求められています。国境をまたぐサプライチェーンやデータの流れをはじめとする業務運営に多⼤な影響が出ることを踏まえると、これらの問題を把握し、適切に対処することが取締役会に求められます。
CEO Outlook Survey 2022
69%地政学上の課題により戦略的投資の調整を余儀なくされていると回答したアジア太平洋地域のCEOの割合
規制の強化などの地域的要因も加味すると、アジア太平洋地域の取締役会にとって、この地域特有の課題が浮き彫りになります。次の章以降では、以下の3つの領域に優先的に取り組むことで、こうした課題への対応として取締役会がどのようにサポートできるかを考察します。
- 環境・社会・ガバナンス(ESG)
- デジタルトランスフォーメーションとサイバーセキュリティ
- 人材
ここで取り上げる課題は新たに⽣じたものではありません。しかし、事業運営を取り巻く環境の変化により、かつてないほどその緊急性が⾼まっています。従って、取締役会と経営陣には対応を⾒直す必要があります。
第2章
ESG重視を強める3つの要因
規制の強化、投資家からの圧力、COP26の影響により、ESGへの注目がこれまで以上に高まっています。
パンデミックの発生前から、アジア太平洋地域ではESGがCEOの優先課題となっていました。EYの2019 CEO Imperative Surveyでは、気候変動を最大の世界的課題として挙げたアジア太平洋地域の回答者の割合(40%)が、北・中・南米や欧州のそれを上回りました。
ESG重視は強まる⼀⽅であり、EYと国際⾦融協会(IIF)が実施した2021 risk management surveyから、アジア太平洋地域における銀⾏の最⾼リスク管理責任者の90%が、今後5年間で新たに最⼤のリスクとなるのは気候変動だと考えていることが分かりました。同様に、EY 2022 CEO Outlook Surveyでは、4分の3近く(74%)が今後数年間にわたりバリュードライバーとしてのESGの重要性が増すと回答しています。また、3分の1(33%)が、⻑期的価値を創造するためにサステナビリティ重要業績評価指標(KPI)を定めていると答えています。
こうした変化の背景となる要因として、以下の3つが考えられます。
- COP26では、⽯炭からの脱却を盛り込んだ声明に40カ国以上が署名しました。アジア太平洋地域には⼆酸化炭素排出量が世界最多となる国がいくつかありますが、環境に優しいエネルギー源への移⾏を求める世界的な圧⼒(⼀般の圧⼒と政治的圧⼒)の⾼まりがかつてないほど加速しています。
- 投資家が求めるESGの⽔準も⾼まっています。2021 EY Global Institutional Investor Surveyでは、効果的なESGプログラムの整備と優れたパフォーマンスの実現がアナリストの投資推奨に直接影響を与えると思うと回答した投資家の割合は、世界全体では86%でしたが、アジア太平洋地域に限ると90%に上りました。
- この地域全体でESGデータの公開が⼤幅に増え、投資家は数値⽬標に対する進捗状況を評価しやすくなりました。⾹港では、開⽰の平均スコアが2010年の17から2020年には40を超えています3。その⼀⽅で、⼀地域で一貫した報告基準や地域全体を規制する機関が現時点では存在しないため、規制に対するアプローチは相変わらず統⼀されていません。
もちろん、こうしたトレンドの先を行く企業や市場もあります。とはいえ、アジア太平洋地域のフォーチュングローバル200企業のうち、取締役、副社長、重役レベルのサステナビリティ担当責任者を置いている企業は26%しかありません。ちなみに、この割合は欧州・中東・アフリカ地域が81%、北米が92%となっています。このように、アジア太平洋地域には取り組むべき課題がまだ残っていることは明らかです。
サステナビリティリーダーシップ
26%取締役、副社⻑、重役レベルのサステナビリティ担当責任者を置いているアジア太平洋地域のフォーチュングローバル200企業の割合(他地域のこの割合は81%)(参照︓Forrester Asia Pacific Predictions 2022: 40% Of APAC Firms Will Make Anywhere-Work Permanent Versus The 70% Global Average, 2021)
アジア太平洋地域では、規制を順守すると同時に投資家と顧客の高まる期待に応えるため、企業はこの先、長期的に見てより持続可能な戦略へと方向転換を図る必要があります。そのために企業に今後求められるのは、ESGの有形の価値と無形の価値の両方を把握する評価モデルを開発する能力を含めた、ESG関連の専門知識を持つ人材の雇用です。ふさわしい人材のパイプラインにアクセスできるようにしておくことも必要になります。
同様の重要性を持つ社会的要因
ESGは環境以上に重要な意味を持ちます。2021 EY Global Institutional Investor Surveyによると、社会的問題について企業を評価する際、アジア太平洋地域の投資家にとって最も重要な要素はDE&Iと消費者満足の2つであることが分かりました。
例えば、アジア太平洋地域では企業とそのサプライヤーが自社の経営と職場慣行について透明性を担保することが何より重要です。EYでは消費者の姿勢が著しく変化していることを把握しており、今後の消費行動、購買判断や嗜好に影響を与えることになると考えています。最近のEY Future Consumer Indexによると、世界全体の消費者の43%が、社会に貢献する企業であれば、割高でもその企業の商品やサービスを購入すると回答しています。
このような変化に対応できないアジア太平洋地域の企業には、顧客や投資家からより厳しい監視の⽬が向けられることになるかもしれません。また、よりパーパスドリブンなZ世代の⼈材を獲得し、つなぎ留めることが⼀段と難しくなる可能性もあります。しかも、地政学上の同盟関係が必要な変⾰を⾏う上で衝突を招くことがあります。
一方、アジア太平洋地域ではESGは多くの取締役会にとって最大の優先課題であり、この点については大きな期待が持てます。その重要性が認知されている今、取締役会に求められるのは、必要なスピードと規模でステークホルダーの期待に応えられるよう経営陣をサポートすることです。具体的には、ふさわしい人材を発掘しつなぎ留めること、事業をどこで(そして誰と)展開するかを決定することなどがあります。
第3章
セキュリティに投資せずにデジタルトランスフォーメーションを行うことの危険性
全面的なデジタルトランスフォーメーションが求められてきましたが、それに伴い、サイバー侵害のリスクも高まりました。
他の地域と同様にアジア太平洋地域でも、企業はパンデミックによりリモートワークやハイブリッドワークへの移行を余儀なくされました。また、オンライン販売やシームレスなクロスチャネル体験を求める声の高まりにも応える必要に迫られました。しかも、取締役会が抱える問題はこれだけではありません。より地域色の濃い要因にも対処する必要があります。
イノベーションのグローバルなハブであるアジア太平洋地域には、世界最大規模のテクノロジーユニコーン企業(評価額が10億ドルを超える企業)数社が本拠を置いています。そのため、この地域の企業はデータの効果的な収集と利用が自社の今後の命運を握ることを誰よりも理解しています。また、取締役会が先頭に立ち、デジタルトランスフォーメーションへの取り組みが滞らないよう会社に強く促すことも少なくありません。
パンデミックはまた、アジア太平洋地域をさらなるデジタル化への道へと向かわせる起爆剤となりました。その鍵を握る要素はデジタルシチズンシップ、ライフスタイル、コマース、アイデンティティー、コネクティビティ(接続性)の5つです4(例えば、インドネシアはデジタル化が世界で最も進んでいる国の1つです)。その一方で、リモートワークや、サードパーティー製システムへの依存により、ランサムウエアの標的となるリスクが高まっています。また、ほとんどの国が今ではサイバーセキュリティやデータプライバシーに関わる規制を導入しているとはいえ、変化のスピードは遅く、企業を取り巻く状況が急速に変化していることもあり、多くの企業がたびたびリスクにさらされているのが現状です。
企業がハイブリッドワークの体制に移行する今、リモートワークに伴うサイバーリスクがなくなる見込みはありません。取締役会に今後求められるのは、対応と復旧への投資を優先させるとともに、サードパーティー製システムとサプライヤーを入念にチェックし、組織全体でシミュレーションを行うことです。また、取締役会やその委員会が技術的専門知識を深める方法を模索し、事業の全面的なデジタルトランスフォーメーションを通して組織のかじ取りを支える必要もあります。
第4章
人を中心に据えることが最も有利に働くアジア太平洋地域
この地域で成長に乗じるには、企業は人々が働きたいと思う職場をつくる必要があります。
人材のギャップが存在するのは取締役会レベルだけではありません。国境閉鎖により国境を越えた人材の移動が一段と難しくなり、国内の人材不足が深刻化しています。
その結果、人材の確保が困難になり、給与の押し上げが引き起こされています。例えば、サイバーセキュリティの専門家を採用してつなぎ留めるコストは、2019年以降20~30%上昇しました。
オーストラリア準備銀⾏などの取締役会のメンバーであり、監査委員会の委員⻑も務めるMark Barnaba⽒は以下のように述べています。「欧州情勢が混迷しているとはいえ、世界経済は今後2年間、着実に成⻑を続けるはずです。その成⻑の波に企業がうまく乗るためには、今よりも多くの⼈材が必要です。しかし、ESG、デジタル、サイバーセキュリティなど主要な分野の⼈材を獲得してつなぎ留める環境づくりは、パンデミック前と⽐べ⼀段と難しくなりました。取締役会と経営陣は、優れた⼈材が魅⼒と刺激を感じるような環境づくりを確実に⾏う必要があります。とはいえ、これは『⾔うは易く⾏うは難し』です」
こうした環境づくりでは、企業活動の全てにおいて従業員を中心に据えることが鍵を握ることになります。つまり、若い世代の人材を獲得するためには、従業員のウェルビーイングを重視し、会社のパーパスにサステナビリティを取り入れる必要があります。ハイブリッドワークの体制を適切に整備するなどの柔軟な働き方を認めること、また、手厚い育児休暇などの福利厚生を提供することも、金銭以外の報酬を重視する人を獲得する上では不可欠になります。経営陣が従業員に対するこうした長期的価値の提案を検討し、人材管理戦略にも取り入れるよう取り計らうことが取締役会の役割です。
取締役会と経営陣は、優れた⼈材が魅⼒と刺激を感じるような環境づくりを確実に⾏う必要があります。とはいえ、これは「⾔うは易く⾏うは難し」です。
変化は唯一不変なものであり、計画の策定は問題解決の大きな部分を占めている
アジア太平洋地域では、取締役会が複雑に絡み合った課題に直⾯していることは明らかです。情報を適切に評価して的確な判断を下すためには、グローバルな課題と地域の課題に加え、⾃社の事業にとっての好機について学び続ける必要があります。シナリオプランニングを定期的に利⽤して、競争⼒を維持することも求められます。また、(新たな役割という点で)経営陣の顔ぶれだけでなく、その働き⽅も変えなければなりません。つまり、取締役会ガバナンスに関する記事で掘り下げているように、会社が変わるのに伴って新たなオペレーティングモデルを導⼊する必要が⽣じる可能性もあります。
こうした相互に関連する課題は1⼈で解決することも、また⼀夜にして解決することもできません。これまでと同様、トップが適切な姿勢を⽰す必要があるでしょう。まず会⻑とCEOが⼿本を⽰さなければなりません。⼀⽅、単にコンプライアンスを守るだけでは、そうした姿勢を⽣み、維持することは到底できません。先を⾒据え、勇気を持ち、挑戦的でありながらも協調的であることが必要になります。この厳しい環境で成功を収め、かつ、リスクを効果的に管理するためには、有効であることが分かっているインクルーシブネスと考え⽅の多様性を奨励することが会⻑とCEOに求められます。
取締役会が自らと経営陣に投げかけるべき5つの問い
- 事業運営コストの上昇とステークホルダーのための短期・長期的な価値創造のバランスを図る経営陣をどのような形でサポートしているか。
- 例えば経営幹部と共に政治リスクに関する研修を受けたり、社内の各部門に四半期ごとの状況説明を求めたりするなど、地政学的リスクを常に把握しておくための対策を取っているか。
- リスクシナリオの中で自社が最もさらされているリスクの軽減に焦点を合わせたサイバー投資をしているか。また、サイバーインシデント(ランサムウエアなど)を対象とする組織全体の対応計画を定めているか。
- インフレ率と借り入れコストの上昇が事業に与える影響や、新たな市場への進出がESGや地政学的リスクに与える影響をカバーするシナリオ・プランニング・セッションを定期的に実施しているか。
- アジア太平洋地域の若い消費者が何に気持ちを動かされ、何に興味を持つかを把握するよう経営陣に奨励しているか。
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サマリー
アジア太平洋地域では取締役会がパンデミックの影響のほか、グローバルな圧⼒と地域の圧⼒への対処を余儀なくされています。経営陣にこうした圧⼒の影響を乗り越えさせることが取締役会の役割です。その例としては、持続可能な活動に優先的に取り組むこと、安全なテクノロジーの導⼊、従業員に対する⻑期的な価値の提案を検討することなどが挙げられます。この役割を果たすことで、取締役会は⾃社が競争優位性を獲得するための支えとなり得ます。